過去の写真からピックアップ。
こっちのほうが、いいかな。
あ、これ、ウチ、我が家です。
あ、すみません、ウソです。
ふと見かけた素敵な門を勝手に許可なく撮った。
すみません。
わたしの人生の一コマにほんの0.00001秒でも関わりがあった、、、ことには間違いはない。
前を通り過ぎただけだけれど。
と、そんな写真ならいっぱいある。
一種のコレクターか。
たんなるデータなので、かさばらなくていい。
さて、前置きが相変わらず長い。
いきなり本題。
鬱になりそうもない知人がいる。
その人は、ずーーーっとヒマがあればマンガを見ているか、ドラマを見ているか、ゲームをしている。
コドモではなくオトナ。
食事中、食べながらでも、四六時中。
この人はひょっとして、昨今、行動パターンや思考の仕方に名称が付けられて分類されている、とある特徴を持っているのではないかと思ったりする。
(表現に気を使うと、かなりボヤけた、わかりにくい書き方になった)
だが、誰にも迷惑はかけていないし、一端の家庭人でもある。
家で会話とか無さそうだ。
別にいいんじゃない?
というより、わたしには100000%理解出来ないのだが、人間同士、理解なんか出来ないものだと思っている。
その人が最近ハマっている小説を紹介してくれた。
260話ぐらいある。
やたら長い。
2015年に完結編が発表された、近未来と過去を行ったり来たりのSF小説なのだが、感想を求められたものの、申し訳ないが全く趣味が合わない。
最初の第1話だけ面白かった。
そう感想を述べた。
が、後に続く260話ぐらいは読んでいない。
まあ人の趣味などはそんなものだ。
わたしは他人が創造したものをすごい勢いで消費していくのは好きではない。
どちらかと無理矢理分類するとしたら、たぶん自分は創る側の人間だと身の程知らずにも思っている。
その人は食べるのも、ものすごいスピードで食べる。
味わうということがない。
歩くのもやたら速い。
景色など当然見ないし、季節感などまったく関係ない。
信号で先に走って行っても、ただでさえ予定時間より前に着くのに、別に急いだところで目的地で時間を持て余すだけだ。
早く行って何か良いことがあるのか?
たんに、性格から来るものだろう。
早く行ってスマホゲームするなら、先に一人で行ってもらうと良い。
単独行動が望ましい。
なぜ無理矢理合わせて二人で行動するのか?
疑問である。
随分前に、知人の税理士が離婚した。
その時の奥さんの言い分は、「いつも私は一人。結婚している意味がない」だった。
仕事人の税理士さん、いくら仕事を頑張っても、奥さんに理解してもらえてないのはどうかと。
家庭が崩壊するほどの仕事量だったとしても、だ。
それに近いものがある。
だが、わたしは別に配偶者でも家族でも恋人でもない。
お互い、独立した個人なのだ。
相手の嗜好に共感しなくても、なんの問題もない。
しかし、全く嗜好が違うのも不思議なような、かえって衝突しなくていいような。
なにしろ、この人物は鬱になるヒマがないと思われる。
次から次へと見たいこと、したいことが湧いてくる。
しかも受ける側オンリー。
例えば、旅がしたい、だとか、オートバイに乗りたい、だとか、絵が描きたいだとか、園芸が大好き、だとか、、、自然と触れ合ったり、クリエイティブな要素があったり、そういうのは一切ない。
ある意味、スゴイと思う。
だから、好きなことをするのが忙しくて鬱になるヒマがない。
好きなこと、というのは、大変安易に安価で手に入ることばかりなので、その人は幸せを手に入れるのは至ってカンタンだ。easy.
誰にでも手に入る、オール・バーチャル、ただただ脳内のみ。
寝たきりになっても、病気になって入院しても、楽しめる。
ひょっとすると差し入れしてもらったら、塀の中(拘束、監禁)でもOK。
羨ましい嗜好だ。
わたしとは違う。
だが、違って当然。
人は人。
金子みすず。
皆んな違っていて、皆んないい。
て、ことで片付けたい、納得したいところだが、未消化なまま、理解できないまま、理解は無理、理解する必要がない、と思っている。
人は人。
自分ではない。
※蛇足
お互い、趣味や嗜好はそれぞれ。
何が悪い?文句ある?
というところだろう。
それがどうした?の話、何の接点もないアカの他人なら何の問題もないが、リアルで仕事なり趣味なりで接点がある場合が、ややこしい。