蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

雪のち快晴

2021-02-17 | 人生
今朝は雪がチラホラ。
2番目孫のマラソン練習があるので見に行こうかと思っていたが、中止になったようだ。
お昼過ぎにはお日様が顔を出したけれど、寒い。
今、16時だが、しっかり照って明るい。
雪の分を取り返すかのごとく。

ちなみに、趣味関係の人物、共通話題は趣味以外は天気しかない。
ため息、、、。
全世界的に共通だ。

午前中は、何もせずに、ほんとうに何もせずに、ぼーっとしていた。
たまに陽が照ると、認知症予防や近視など目の病気予防に良いと言われる日光を窓越しに浴びた。
ひょっとすると認知症、発症?と言われても客観的には何の申し開きも出来ない、その姿。
こころの中は錦です!と言ったところで、実証する証拠はない。
気分を実証する必要はまるでないのだが。

認知症ごっこをしているつもりが、ほんとうの認知症に差し掛かり、もはやボーダレスになっているかも知れない。
あるいはマーブル状か?
認知症になっても、火の始末や、お金、重要書類の取り扱いだけは、脳とこころに鍵をかけておかねば。
しかし、あと20年は心身ともにもってほしい。

認知症の人の家族は本人の意思確認なしで預金を引き出せるように制度が緩和されるらしい。
現制度では、成年後見人だかなんだか、ややこしい手続きを経なければならない。
2025年には認知症の人は700万人、2030年には預金が215兆円に及ぶとか。
そりゃあ、ほっとけない。
政府も手を打つわけだ。
国民の預貯金が1200兆円あるだとか聞いたことがあったのは、随分前のこと。
いったい、いつのこと?と笑われるかも知れないが。
国債などの発行による借金もたんまり。
差し引きすると、どうなるのか?
よく知らないが、コロナ関連で財政は未曾有の大ピンチは誰しも想像できる。
どうなるのだろう、、、。
ワクチンも現実として実際に動き出したようだし、トンネルの出口は見えたと思えるが。
しかし、まだまだマスクが消える日は遠いと感じる。

全く何の役にも立たないわたしではあるが、あと20年の間に自分が出来ること、ある意味、自分の使命みたいなものを遂行しようと考えている。
もちろん、皆んなの邪魔にならない、迷惑にならない、そして、何らかの意味があること、そういうことを為したい。
趣味などのお遊びではなく。
趣味は趣味で大事な役割を果たす。
車が走るガソリンの役目。
(あ、これからは、EV車かな?)

一日、ぼーっとして考えたが、一日の前半と後半では内容、テイスト、温度が違った。
ブログを書くとなんだか締まるような気がする。
考えを文字に起こすと、きゅっと考えがまとまるような、、、方向性が見えるような、、、。

わたしは著しい激しいスロースターなので、構想に20年かけ、実際に行動に移すのは21年目ぐらいだったりして。
まあいい。
21年目に、突然、やっぱりやめよう、と中止するかも知れない。
でも充実の20年となり、あっという間に過ぎるなんてことになると、意外に楽しいに違いない。

何かしても、何もしなくても、そう変わらないとわたしは思っている。
何もしない一生、人生なんて、と後悔したり軽蔑されたりするかも知れないが、人には人の道がある。
社会の役に立つ、あるいは社会を大きく変えた偉人は確かに尊敬に値する。
偉人は、偉人になりたくて偉業を成し遂げたのではなく、高い志のもとに行動したら、偉業となり、偉人となった。
当時としては、変人だったかも知れない。
時代の先端を行き過ぎて異端児と見なされることもある。
時代が味方するか、しないか、は、運が大きい。
デッカいことをして世間をあっと言わせたいという発想、モチベーションは、わたし個人としてはあまり共感を覚えない。
順番が違う。

で、それがどうした、という話になってきた。
ブログを書いていたら、時計は進み、もうじき17時だというのに外は明るく青空。
少し前なら、夕方になるとすぐ真っ暗になっていたのに。
自分にも言えるかも。
間もなくすぐ終わる、終わり支度をしなければと思っていた人生は、まだまだ暮れずに明るいのかも知れない。