最近のわたしの師匠は、長女である。
少し前は、指揮官だった。
今もその要素は持続したままであるが、近頃は、師と仰ぐような発言に感銘を受けるようになった。
知らなかったこと、気づかなかったことに啓蒙され、衝撃を受ける。
とは言っても、たいそうなことではなく、わたしの視野が狭すぎるのだが。
ぼんやり、ぼーっと生きている。
彼女は、わたしとは26歳違い。
つまり、わたしが26歳の時に産んだ子である。
しかしまあ、負うた子に教えられ、とはよく言ったものだ。
わたしの人生経験より、彼女のほうが濃いように思う。
子供の数も負けたし。(わたしは3人、彼女は4人)
彼女は同時に複数のタスクを正確にこなすため、わたしの数倍、成し遂げる行動が多い。
わたしは、同時になにかすると、ドジを踏む。
娘自慢をしても何の自己満足にも繋がらないし、自分が生きてきたことが無駄ではなかった、自分は(頑張ってないなりに)頑張った材料、物証にする気はさらさらない。
過去の出来事ではなく、今のわたしの役に立つ、気づきを与えてくれ、これから生きる日々にプラスになるという、至って実用的な喜びである。
で、師匠の直近の名言。
その言葉に背中を押されて、新書を一冊購入した。
本はamazonで古本か、ハードカバーから文庫本になってから買うもの、あるいは図書館で借りるもの、と、わたしは思っていた。
財布の口が硬いというか、口無し財布の持ち主だ。
なんで、あんなに高い、出版されたばかりの本を買うのかわからない、、、と思いつつ、とても刺激的な本を立ち読みして、このまま立ち読みはしたくない、と感じた。
が、高い、、、。
が、面白い、、、。
しかも、最初のところ数ページを読んでしまっている、、、。
買おうかどうしようか迷っていて、その時、側にいた長女に相談した。
彼女は古本は買わない主義だそうだ。
まあ、それは好き好き、好みだろう。
ではなぜ、高いお金を払うのか?その意味は?
師匠と弟子の問答は続く。
「高くてもお金を払うのは、その作家にまた良い作品を書いて欲しいから。
応援の意味もあるわ。
そして、出版業界、本屋さんに少しでも利益が出るように、業界を応援するということもあるね。」
おお、そうか!
その説明がすーっと理解できて腑に落ち、感激した。
わたしは、その本を大事に胸に抱えて書店のレジの列に並んだ。
大事にしすぎて、家に帰ってからまだ1ページも開いていない。
たぶん、わたしの読書元年になることだろう。
ありがとう!長女!
と、ここで終われば美しい話なのだが、、、
これとは違う、わたしへの、長女の的を突いたキツイ言葉には身も心もズタズタになっている。
(内容は割愛)
が、全て正解なだけに、自業自得感を味わうのみ。
キツさ、イタさに痛、痺れている。