思えば、わたしも子供が小さい頃(ちょうど今の孫たちぐらいの時)、毎週末、夫の実家に行っていた。
土曜日お泊まり。日曜日の夜に帰宅した。
旅行にも舅、姑と一緒に行った。
やがて、子供たちは塾が始まり、学年も上がり、小学校高学年にもなると土日帰省はなくなった。
盆、正月、彼岸、法要など、節目節目には帰っていたが。
次に通う時期が来たのは、舅の病気入院の頃。
舅が他界してからは、姑は健康おひとりさま期間(15年)後、4年の不健康年月を経て長寿を全うした。
そう思うと感慨深い。
まさに、同じ流れ。
わあわあ楽しく活動的な子育て交流時期が過ぎると、しばらく安定した後、次は、、、
順番に時は流れる。
活動期に参加し、若いエネルギーの活気をもらい、次の静かな本格的余生に移るまでの前期間が、まさに今。
家族の歴史は繰り返されている。
パラパラと時のページをめくっていく、TV番組のファミリーヒストリーを見ているようだ。
近年は医療も更に進化しているため、おじいさんと、おばあさんの寿命の差は昔ほど大きくない。
とは言え、(姑の場合は平均的だと思われるが)舅を送ってから15年の余生、待ち時間がある。
姑の姑が発病し入院して亡くなったのも、わたしの次女(姑の孫、姑の姑のひ孫)が生まれた次の年。
つまり、、、数人いる、ひ孫誕生の、最後あたり、または、中盤あたりに、この世とお別れ。
ひ孫を抱く腕も(ベビーを落としそうで)弱々しい頃。
わたしの祖母も、ひ孫誕生の頃にサヨナラ。
枯れ木に新芽。
世代が確実に1ページ1ページと進んでいっている。
わたしも、人生ベルトコンベアに乗せられ動いている。
孫誕生から、ひ孫誕生までの、ほぼ林住期。
その期間にも、前半と後半がある。
前半は積極的、能動的に参加、後半は静観。
ベルトコンベアが途中で故障したり止まったりしない限り、順調に次に進んでいく。
最期もベルトコンベアは動き続けてくれないと、ややこしい。
人生100年が、人生120年に突入する時代。
20年も延長されると、老後の資金が足りません。
関係ない人には何の関係もない、全く面白くない話になってしまった。