蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

重い

2022-06-13 | 思い出
今日の気分は、、、
なんとなく、おばあさん(姑の姑)のことを書きたくなった。
何度か、蝶ブログには書いているが、なぜかぶり返す。

姑の姑(夫の父方祖母)Aは、小柄だが、キリッとした知的な明治生まれの女性。
婦人会で活躍もしていたようで、行動力があったと聞く。
わたしが初めてちゃんとAと話したのは、結婚してすぐ。
「ここは、あなたの家だと思って寛いでくださいね」と言われた。
ご挨拶のようなお手紙もいただき、今も保管してある。
(一回ぐらいしか読み直したことがないけれど)
ある日、真珠のネックレスをいただいた。
白いVネックのニットトップスの服をいただいたこともある。

かくしゃくとした、存在感のある人だった。
若い頃は、ぼんぼんじいちゃん(旦那さん)に振り回されたが、晩年は夫婦で旅行に出かけることもあった。
おじいさんを送った後は、寡婦で8年ぐらい過ごし、わたしの末っ子が生まれた半年後に病気で84歳で他界した。
菜園で胡瓜などを毎日もぎ取り、姑にもお裾分けしていた。
姑は毎日、 Aおばあさんの晩年には食事を作り持って行っていた。
偉いなあ、、、と感心する。

Aおばあさんは、昭和4年築の家におじいさんと住んでいた。
2度のリフォームを経て、今も現役の美しい(とわたしは思っている)家であるが、1度目の大規模リフォームの後に、わたしたち母子は1年間、その家に住んでいた。

Aおばあさんは、真面目な成績優秀な優等生だった。
だが、結婚相手(おじいさん)が、お洒落なボンボンだったため、何かと苦労した。
おじいさんの写真を見ると、カッコいい男性だった。
ああいう男性は、夫にすると苦労しそうだ。
実際、苦労したわけだが、、、。

姑の仏事で、ご近所に住む人とお話しする機会があった。
「おじいさんが、(ぼんぼんちゃん、故)Aおばあさんなら絶対に売ってくれない家を売ってくれた。ありがたいことだった」と、今も感謝の言葉を述べられる。
おじいさんは、夢のような話に乗って、次々に土地や家を手放していった。
夢見る、ぼんぼんちゃんだった。
そのせいで、かどうか知らないが、おじいさんの息子(舅)は、まあ堅物、石頭堅吉、「1足す1は、何が何でも2!」の人だった。
姑はよくぼやいていた。
無駄なお金、合理的ではないお金、納得できないお金はビタ一文と払わない主義(誇張表現あり)の舅と、考え方が合わずに困っていた。
わたしの目から見ると、姑こそ、何であんな無駄遣いをしたがるのか、理解に苦しんだ。
わたしは、舅派。
そのせいか、舅と同じ感性であるが故に、微妙に違う些細な点が気になって、あまりウマは合わなかった。

Aおばあさんには、さらに上に姑Bがいた。
夫の母(わたしの直属の姑)が新婚旅行中に、その大おばあさんBが亡くなり、急遽、新婚旅行の日程を変更して舅と姑は旅先から帰ってきたとか。
1951年没。
その時、姑の姑、Aおばあさんは、49歳。まだ若い。
翌年には初孫が誕生している。50歳で初孫。
これは、姑も40代中半で初孫なので、同じようなものか。
(しかしまあ、時代は変わり20歳ぐらい今のほうが結婚、出産年齢が遅くなっている)

と、それはそれとして。
姑の姑、Aおばあさんは、カシコイ人だった。
身長は低めで体重も普通だと思われるが、落ち着いた風情で、どっしりしていた。
話す言葉や、書く文章も、折り目正しいイメージで、近寄りがたいオーラを放っていた。
おちゃらけではないが、ユーモアやウィットも備えていたような気がする。
姑は冗談をよく言う、朗らかなタイプ。
ただし、脳の回転が速すぎて神経質。
わたしは、脳の回転が遅すぎるノーテンキ天然なので、接点がまるでなく噛み合わないため、衝突や摩擦も生じなかった。

おばあさんたちは、優秀でカシコイ人ばかりなのに、わたしの代になって急に質が暴落した。
子供への DNAは、わたし分を引き継がなかったようなので、やれやれ。
わたしは、単に、貸し農園のごとく、畑をお貸ししたのみ。
姑たちが横から上手に水をやり、肥料を足し、日射を調節した成果なのだろう。
だが肝心の種そのものは、あまり簡単には手に入らない貴重なものだったようだ。
子供たちはそれで良かったと思われるが、過保護の夫だけが修正されないまま、次の時代に移ってしまった。
母親の手によって自立能力を潰された。
潰されたものを今更、わたしは手を加えたくない。
と、突然、快晴後の土砂降り、天使と悪魔のように豹変するわたし。
ランダムに混ざっている。

Aおばあさんは、長男(わたしの舅)とソリが合わなかった。
厳しすぎる息子と、厳しいおばあさん。
似たもの同士のような気がする。
息子(わたしの夫)は、正反対。
わたしも甘々。
こんな夫婦では、姑が手を出したくなるのもわからなくない。
夫を非難することは、自分を非難するのと同じ。
自分のことは、嫌というほど非難しているが、あまりやり過ぎると(自省の念が強すぎると)こころの病気になってしまう。
まあほどほどに反省して、ほどほどに鬱憤も晴らして、、、と。

Aおばあさんのことを書こうと思っているのに、またまたまだやっていないタスクがじわじわ重くのしかかって来た。
そろそろ限界かな、と。
重い重いお尻を無理やり上げなければならない時が、目前。
ああ憂鬱。 
でも、グズグズ動かないで後で困るのはもっと憂鬱。
窮地に陥る直前の、窮地。
なんでこんなに、わたしはお尻が重いのだろう。
嫌になる。
(Aおばあさんのことは、もうアタマから飛んでいる)

それと、ブログ村さま
ずーーーっと、不具合が続きます。
どうにかなりません?