蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

涙からスタート

2022-06-22 | 思い出
何も予定のない、フリータイムデーに限って、早起きするわたし。
なぜ?
不思議だ。

しかし、朝、洗顔をするかのように、涙涙涙から一日は始まった。
一種の自分教、お祈りや読経タイムのようなものか、、、?
自分を静かに見つめる時間。

姑がある時、言っていた。
「お経読みながら、別のことを考えてたら意味ないねえ」

姑は、自分の祈りの内容を口に出して神様仏様にお願いする。
祈願内容を神様仏様に伝えるには声を出して言ったほうが良いと考えてのことだろうけれど、わたしは、横にいるわたしたち家族に聴かせていると感じていた。
こんなことを祈っているんだよ、と、言い聞かせる。
決して悪い内容ではなく、家族の健康、無事を祈る。
「○○に合格しますように」だとか、そんな具体的なお祈りはしてはいけないらしい。
「本望が叶いますように」だとか、「存分に力が発揮できますように」だとか、そういう、人事を尽くして天命を待つ路線。
神様仏様に頼るのではなく、自分で出来る限りの努力をしたあとに、お祈りする。
具体的に努力をしないで希望は叶わない。
そう姑はよく言っていた。
信心深い人ではあったが、肝心の努力は自分でしなければどうにもならないことをよく知って示唆してくれた。
先ずはやるべきことをやってから、そのあとは宗教祈願タイム。
そういう順序、流れになっている。

わたしが人として成長する中で、姑は大きな役割を担っている一人になっていると感じる。
自分の生き方を通して、わたしにいろんなことを教えてくれた。
わたしはぼーっとしているから、ちゃんと口に出して教えないと、気が付かなかったり、理解できなかったりする。
短気になることなく、丁寧に接してくれた。
姑も、また姑の姑に、姑が未熟だった頃に優しく教えてもらったらしい。
「何も知らない自分だったと、つくづく思う。よくあんな自分に、義母(姑の姑)は冷静に対応してくれたものだと、今になって思う」
と、未熟だった(今もだが)嫁(当時のわたし)を見て感慨深く気づいたようだ。
姑も(わたし同様に)良い上司に恵まれた。

姑が嫁いだ時、家にきょうだいはたくさんいたが、喧嘩もなく家庭は仲よかった。
生活は厳しかったが、仲良しは受け継がれるようだ。
少々口は悪くても、こころの中は悪くない。
暖かいハートを持つ皆さんだと、わたしは感じている。

もうわたしを脅かすものがない今だから言えるのだろうけれど。
今となれば、わたしの敵は、わたしでしかない。
だとすると、味方にしてしまえばよいわけで。
仲直りしましょう、わたしと、わたし。
涙タイムは、ブログタイムでもあった。
さあ、早起きした分、ブログも更新出来たし、あとは寝るだけ?
いやいや、まだ朝だし。

さて。
今日はどういう一日になるだろう。
爽やかにスタート!
楽しい一日の始まりだ。


追伸。
夢様へ。私信です。
若き日の出来事、読ませていただきました。
エネルギーや思いがひしひしと伝わってきました。
映画や音楽は魂を揺さぶることがあります。