またまた嫌な季節がやってきた。
エアコン闘争。
体感温度の違いによる。
エコ、熱中症対策など、考え方の違いよりもなによりも、身体が直訴する。
室温32度にもなっているのにエアコンつけないのは有り得ない、と夫。
まだ6月じゃないの、とわたし。
暑いからエアコンつけて、と孫。
リビングとダイニング、リビングには録画番組やケーブルテレビ番組を観られるTV、ダイニングには普通のTV。
孫と夫、どちらのTVを観るかで分かれ、2部屋ともエアコンをつけることに。
わたしの体感ではエアコン付ける必要性なし。
なのに、2部屋ともエアコン稼働!!
熱中症対策だとはとても思えない。
今も室温30度だが、窓を開けずにいても割と過ごしやすい。
この体感の違いはどうしようもない。
さらに、わたしは極力我慢して、もうアカンとなったらエアコンを付ける主義。
どうってことないうちは、付けない。
なのに、夫は、どうってことなくても付ける。
世の中の家族間のバトルはスゴイのか、スゴくないのか。知らないが。
常に快適な室温に保つという志向と、たまらなくなるほどの室温の場合はつけるという志向。
電気代もさることながら、電力が不足しているのだから、どうってことない時は付けなくても良いではないかと思う。
姑は、自分は長ズボン、ぶ厚い靴下に毛布を掛けてまで、同室の夫(息子)や訪れてきた来客(近い親戚)の室温の好みに合わせて冷房をつけていた。
当てつけがましいその姿を見せつけられても、夫や親戚は平気で(文字通り)涼しい顔をしていた。
あんなに寒がっている老人が、自分以外の人のために合わせているのを何も思わないのか。
というより、姑もそんな極寒の地にいるような出立ちをしてまでも、周りに合わせるぐらいなら、周りを自分に合わせてもらう努力を少しでもすればよいのでは?
姑は今はあの世で、すっきりした体感温度を楽しんでいることだろう。
同じ室内での争いは熾烈を極めるが、わたしも姑同様、夫に合わせて折れている。
だが昨日は、まだ6月の2部屋同時エアコンにキレた。
が、爆発噴射は外に出ず、わたしの内部に向かい逆噴射となった。
目や鼻や、耳、口から、何かわからないドロっとしたものが溢れ出てくるような感じ。
アタマがおかしくなりそうだった。
まだ6月なのに、もうこんなスタート。
先を思いやってストレス前倒し。
益々暑くなるだろう夏を前に、今後、やっていく自信をすっかり失った。
だが、猛暑、酷暑ならエアコンは同意、賛成する。
必要とは思えない室温にエアコンという、中途半端な時には、脳内から訳の分からない物質が出てくる。
叫んだり喚いたり、ヒステリーを起こしたり、モノをぶつけたりできたら良いのだが。
わたしは理性の塊りなので出来ない。
なら、相手に自分の意向を伝えたらよいではないか、却下されてもさらに。レジスタンス運動。
だが、わたしは意気地なしで、なお、エアコンは譲らなければならないという想いにがんじがらめになり、食ってかかれない。
一種のメンタルの病気かも知れない。
本能や感情を理性が収め込もうとして脳やこころのバランスを失う。
その結果、目や鼻や口や耳から、アメーバみたいな目に見えない何かが出てくる。
一夏、持つかしら。わたし。