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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

東京暮らし

2023-10-08 | 思い出
書きたいことが思い浮かばない時は、、、他のブロガーさんの記事を読む。

ちなみに、わたしのブログに開設間もない頃からよく訪れていただくブロガーさんがいる。
その人が住んでおられる地域にはなんとなく懐かしい思いがある。

わたしは40年ぐらい前に東京に2年間暮らしていた。
結婚したばかりで、東京で第一子(長女)を妊娠、出産し、彼女が1歳になるまでいた。
(出産は、里帰り出産)
世田谷区の静寂な住宅街にあるマンション。
立地は芦花公園駅から徒歩5分ぐらい?
成城も近くにあり、付近の神社や公園にも行った。
(上記ブロガーさんの記事内にも懐かしい地名が時々出てくる)

夕方になると、芦花公園駅から隣の千歳烏山駅の途中まで、ベビーカーを押して散歩した。
夕暮れの、静かな住宅街のなんとも言えない静寂を感じていた。
ごく近所には漢方製剤老舗T会社の創業者一族のお宅と蔵があった。
(行ったことはないけれど、敷地が広いから隣接する場所も多い?)
わたしが駐車場で住居の鍵をなくして途方に暮れていたところ、そこに駐車していた誰かの車が移動して出て行ったら、その車の停められていた下に、鍵があった。
やれやれ、、、という思い出がある。
その困り果てた駐車場から見上げた場所が、創業者宅の蔵だったような、、、。
おぼろげな記憶だが。
また、学生時代の同級生(実家も婚家も大阪)が、目黒に住んでいて、遊びに行ったことがある。

わたしの結婚が決まった時、夫のいとこが住んでいる芦花公園にあるマンションに空きが出たと知らせてくれ、そのマンションに住むことになった。
いとことは別の階だったが、毎日、いとこの家に遊びに行っていた。
当時3歳と幼稚園児だった、いとこの子供たちはもう立派な大人になっている。
何年か前に、いきなりTV番組で(当時3歳だった)彼の大人になった顔を見た時にはびっくりした。
画面を見て、こんな顔になったんだ、、、と、想像は出来た。
名前もテロップで出ていたが、彼の名前だった。
大きくなるものだ。
後日、親戚のお葬式(お互い、親戚は共通)で会った時、幼い頃の話が出た。
彼は3歳だったにもかかわらず、わたしと部屋で遊んだ、マッチ棒を使った立体図面の遊びの様子を覚えていた。
これには、またまた驚いた。
幼児といっても覚えているものだ。


東京は、バブル景気、前夜。
当時、マンションを買った、いとこの仕事仲間が大儲けしていた。
いとこも、別に儲けるつもりではなかったとは思うが、たまたまバブル崩壊前夜にマンションを最高値で売り抜け、ラッキー。
世の中には、幸運を掴む人と、逃す人がいる。
わたしは、いつも儲け損ねる派。
あの時、ああしていれば、、、とタラレバで、悔し涙を流す、欲深い人間。
損をしたと嘆くより、得をし損ねたと嘆くほうが、より欲どしい。欲張り。

バブルは崩壊し、土地神話はガラガラと音を立てて崩れ落ち、、、、
言うまい、タラレバ悔し負け話。
命まで取って行かない。

借金して派手な攻め、切り込みをしていた人は痛手を被っただろう。
が、またゾンビのように復活している(こともあるし、復活しないこともある)。
時の運。
わたしは時機を掴むのが下手なので、勝負や賭けには出ない。
ローリスク、ローリターンを狙う、、、が、時には、ローリスク、ノーリターンなんてこともある。
ハイリスク、ノーリターンよりは、マシか。
ギャンブルは嫌いなので、それでよい。
リスクを取らないため、得るものも少ない。
まさに、ノーリスク、ノーリターン、省エネ。
省エネということでは、終始一貫か。
別に意図したわけではないが、結果的にそうなった感あり。

と、話は相変わらず逸れている。
どんどん枝葉に行って、戻って来れない。

東京に話を戻す。
東京は、大都会で、一つ一つの街がとても大きくて、その大規模な街がいくつもある、と感じた。
有名な人、もの、コトが身近にあり、人の層の濃さを物語っていた。
政治、経済、文化の中心地。日本の中心部、巨大な首都。
一人一人は、その大きなものの中の、一つだった。
遊ぶには事欠かない、あちこちに魅力が詰まっていた。
ではあるが、わたしは遊びには飽和状態になり飽きた。
遊びは、刺激にはなるが慣れてくると充実感を得られない。
麻薬のように、更にもっともっとと求め蟻地獄に陥るかと言えば、そんなことは全くなかった。
良い体験、経験が出来た、と享受できてラッキーだった。
たぶん、この遊びの経験は、脳と身体には形となって残っていないが、血液に混じって滋養の一部となって溶け込んでいることだろう。
拒絶反応も禁断症状も、どちらも示さず、流れる川のごとく。
一駅一駅、停まったり通過したりする駅のごとく。

若い時に経験していて良かった。
今のわたしの年齢では、都会の刺激より地方の落ち着いた静寂が心地よい。