蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

飲食はワリカン希望

2023-10-25 | 日々のこと
迷いと疑問と悩みがある。
一緒に飲食したり、行動する場合、誰が支払うか。
ワリカンなら問題なし。
お互い、自分の分は自分が出す。

ワリカンでない場合が微妙である。
どちらかが出す、誰かが出す、自分が自分以外の分も出す。
力関係が発生する。

お金を出してまで参加する気がない場合、招待や無料なら参加してもいい、あるいは、タダでも嫌、参加しない、、、色々ある。

お金を出したくない場合もあるし、出すお金がない場合もある。
お金を出したくない場合も、その行動がしたくない場合や、ケチで出したくない場合がある。
誘ったほうが出すのが暗黙のルールだとか。
行動のパターンが定着してきたら、ワリカンにする流れもあるだろう。

お酒を飲みたい人と、お付き合い程度で飲む人、少ししか飲まない人の場合、ワリカンは不公平だ。
お酒だけでなく、お茶、コーヒーもそう。
お店に入ってまで飲みたくない、自家製マイボトルドリンクや、自販機ペットボトルのお茶や、コンビニコーヒーで十分という人と行動を共にすると、自分がお店に入りたい場合、相手の分も支払わなければならない(気がする)。
わたしは、最近それが嫌になっている。
なんで、家計を共にしていない、家族でもない、独立した大人の他人の分まで出さなければならない?

この状態は1年半続いているが、もうしばらくすると、わたしは本当に嫌になるだろう。
だからと言って、相手に出させる勇気はない。
なので、その人との行動を制限するような気がする。
飲食店に以前は寄っていたのに、寄らなくなると推測する。

または、「わたし1人で行くから、ここでサヨナラ」と、店の前で別れる。
出来るかなあ、そんなこと。
でも、納得できない思いが溜まってくると、グラスの水が溢れてくるように、段々、不満を解消する方向へと舵を切りそうだ。

わたしは、お金にはうるさい。
納得が行かないお金は使いたくない。
うやむやにしたくない。
平等の立場でお互い自立しているのに、なんで他人の分まで支払わなければならない?
お互い、自分の分は自分で払うべき。
そうすると、自分がお金を出したくない人とは段々、疎遠になるのか?

いや、そうでもないかも。
共通の目的部分(趣味の時間)を共有しているので、枝葉はさほど重要ではない。
どうしても飲食店に寄って飲食したい自分と、さほどお店には寄りたくない相手がいるなら、真ん中を取ればいい。
調整、妥協。
お互いの落とし所を探る。

しかし、わたしがお店に寄りたい場合、たいして寄りたくない相手の飲食代も払わなければならない。
それが嫌ならお店の前で別れる。
それは出来ない。そんなことは。
では、喉の渇きを潤すのを諦めるか、相手の分まで払うか。
と、堂々巡り。
どっち?
悩みながらも、相手の分も支払っているわたし。
それが嫌なら寄らない。
あるいは店の前で別れる。
と、延々と繰り返し同じことを書いている。

相手は得だなあ。
フトコロが痛まない。
わたしだけが、消費欲求行動と支払いのジレンマに陥っている。
相手は、無い袖が振れないのだとすれば、
それならわかりやすい。
だが、それはそれで、経済状況が同じぐらいの人でないと、付き合いにくい。
それとも単に飲まない人なだけか。
どっちにしても、わたしとは足並みが揃わない。
わたしは不利だ。
欲求があるほうが、欲求のないほうに負けるのか。
欲求がある方が強いはずなのに。

しかし、相手の立場を自分に置き換えて、よくよく考えてみると、、、
気乗りのしない飲食に自腹では参加したくない気持ちは、とてもよくわかる。
タダならともかく、自腹では、気が進まない。
ではあるが、あまり好物でもない飲食やお金の問題はあっても、付き合いというものがある。
いわゆる交際費である。
これは、やはり最低限度は負担しなければならない。
いつも相手に払ってもらうわけにはいかない。
見栄を張ったり、忖度したり、恥ずかしがったりしないで、自分の気持ちに正直になるにはどうすれば良いか。
その場合は、度重なるのであれば、飲食店に寄ることを辞退するだろう。
相手の立場になって考えても、辞退、自分の場合も辞退、、、となると、交際費にかかる飲食代は、カットするのが望ましい。
練習の帰りは、寄り道せず、まっすぐ家に帰るのが良いということだ。
が、大概は、練習の帰りには労を労い、雑談やコミュニケーションに、お茶やビールの一杯も飲みたくなる。

だが相手が飲みたくないなら、真っ直ぐ帰るしかない。
趣味の練習だけでも満足なのに、さらに帰りに娯楽性を求めるのは贅沢なのかも知れない。

とは言え、趣味の集まりでは、帰りに寄るお店でお酒やおしゃべりを楽しみにしている人も多い。
が、全員が全員そうでもないので、参加したくなければ参加しなければよい。
しかし、2人しかいないと、相手が参加しないと、寄り道は成立しない。


と、延々、小さな小さなわたしは、小さな小さな悩みに対して、頭を整理してみた。
結局どうなのか。

とりあえず成り行きの様子を見よう。