昨夜のTV番組、司馬遼太郎 生誕100年 雑談 「昭和」への道。
この番組について、わたしとの関わりは昨日、ブログでアップしたばかり。
なので、気合いを入れて画面を見つめる。
また寝てしまってはシャレにならない。
・・・が、まるで麻酔を打たれたかのように、ふわぁ〜っと知らないうちに眠りに落ちていた。
司馬遼太郎さんの高尚なお話、語り口と、わたしの脳波が(睡眠導入に)ピタっと合うのだろうか。
まるで魔法にかかったかの如く。
だが、最後のまとめ部分には目が覚めていた。
大事なところだけ起きているのかも。
ある意味、要領が良い。
ちなみに。
わたしは、自分が書きたいことと、読む側が読みたいこととが乖離している。
もっとわたしは忖度すべき。
ではあるものの暴走、我が道を行く。
話は変わるが、「歩く会」に本日、参加した。
ただただ黙々と脇目もふらず歩くだけ。
途中休憩もなければ、ランチタイムもない。
だらだら歩いていると、遅れて1人だけになってしまい、進む道がわからなくなり迷子になる。
なので、うんと遠くても前を歩く参加者の後を付いて行く。
参加費用は、保険料プラスα。500円。
参加者160人超え。
主催者によっては300円だったりする。
2時間歩き通して11キロ。
疲れた。
足首に、mont-bellで購入した立派な靴で靴擦れが出来て歩く度に擦れて痛い。
咲き誇るバラをスマホで撮っていると遅れる。
楽しそうな家族連れやカップルが、臨時開設店舗やテラスでスィーツを買ったりしているのを尻目に、ああ、アイスクリーム食べたいなあ、いいなあ、、、家族や個人で来ていたら、自由にフリープランで楽しめるのに、、、と、日差しがきつくなる中、腕まくりをして歩行速度を上げる。
しかしまあ、楽しいか?といえば、そんなことはない。
ある人に強く誘われたので参加したに過ぎない。
1人で歩くより大勢で歩くほうが、寂しくないとか。
何故歩く会に参加するかというと、家にじっと閉じこもっていても何もすることがないそうだ。
歩くという行為は健康維持には欠かせないとのこと。
別に楽しくて歩いているわけではない。
健康のため、というのは良いが、他の理由はずいぶんネガティブである。
わたしも断りきれずに参加したが、あと何回参加したら断れるだろう?と、決して前向きではない。
あまり好きではないことは続かない。
17年前にスポーツジムに通っていたが、自分に鞭打って頑張って、嫌だけれど健康のために行っていた。
何年か後にやめた時は、とても嬉しかった。
やはり無理をしていた。
ウォーキングも続いている人は素晴らしい。
わたしにとっては面白くないことを、頑張ってこなしているなんて、尊敬する。
嫌なことをどんどん切り捨てると、最後には何も残らなくなる。
箸一本も動かさなくなる。
なので、気が進まなくても、渋々でも、健康のための何かをすることによって、自分は実践しているのだという自負があれば、精神的救いになる。
そんなかんじで、嫌いな運動にも多少は活動したほうがよい、と、自覚はしている。
のではあるが、、、
最初は頑張っても後が続かない。
楽しくないことは続かないので。
しかし、いかに自分を追い込むか、なのだろう。
機会があれば、楽しくなくても参加したほうが良いのだろうか。
あとどれだけ続くか?だが、あまり期待できそうもない。