蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

音楽とともに過ごした日々

2009-12-02 | わたし
素敵な大人のムードに憧れて、それはそれは気の遠くなるような大昔、
ジャズを、神戸にある「ソネ」というお店にちょくちょく行き、聴いたことがある。
そのお店でベースを弾いていた方と、ちょっとだけ親しくなった。
今は、もう懐かしい思い出だ。

小さい頃は、カギっ子のようなものだったので、私は好きなテレビを好き勝手に見ていた。
(「読書をしなさい」、と、母に怒られていたが)
だから、歌といえば、当時流行の歌謡曲や、(祖母の好む)演歌、
アニメソング、テレビ番組主題歌などが、子供時代の原体験になっていて、
海の向うを超えるキッカケには恵まれなかった。

小学生の頃は、おませな同級生が、モンキーズのファンだったが、
私は和製GS(ザ・タイガース、テンプターズ)に熱をあげていた。
高学年になって、GSのレコードを、クラスメート達と集まって、我が家で聴いていたが、
ある日、担任の先生に呼び出され、注意された。
非行の温床になるとでも思われたのだろうか。
我々は、地味な、ごくごく普通の、目立たない大人しい小学生だというのに。
その時、先生に呼び出された我々4人組は、
先生に「スローさんの家で、GSを聴いていたのか?」と一人一人聞かれたのだが、
「いいえ」と平気で嘘をつく、裏切りモノがいた。
その子は、今、小学校教諭。そんなんで、いいのかぁ?
ちなみに、正直に答えた、もう一人の子は、税理士になっている。

中学1年の時、憧れの先輩が、学園祭で「ピーター・ポール&マリー」の曲を
演奏しながら歌っていて、(先輩に)胸をときめかせ聴いていた。
今もその曲は、意味不明な歌詞(意味もわからず、当時、まる覚えした)とともに覚えている。
同じころ、「希望」という曲も学園祭で初めて耳にした。
レッド・ツェッペリン、イーグルズなどもラジオの深夜放送から流れていたが、
ビージーズや、日本のフォークも好きだった。
当時、桃山学院大学生だった、ロック・キャンディーズの谷村新司が、ラジオの深夜放送でDJをやっていて、
中学生、思春期真っただ中の私には、大人に思えたチンペイさんのトークに、刺激を受けた。
しばらくして、チンペイが、アリスを結成したが、中・高校時代、何回かコンサートやイベントなど、追っかけをやった。
その後、やがて、どんどんメジャーになっていく、その速さには驚いたものだ。
クラッシックは、食わず嫌いで、全く聴かなかった。
自分の下手なピアノだけで、うんざりしていたのだろう。


ピアノは、最近、恐る恐る弾いてみることもあるのだが、
習っていてよかったと、今頃になってはじめて思っている。
親に感謝。
ただ、昔の記憶やカンだけで弾いているので、曲を思い出すのがやっと。
新しい曲は弾けず(弾こうともせず)、楽譜の読み込みも適当なのが、残念だ。
ジャズピアノとか弾けたら、カッコいいだろうけれど・・・

今思えば、どれもこれも、浅く、単なるミーハーだ。
音楽だけでなく、芸術ミーハー。
真髄は全くわかっていないのだが、
見ているのは外側だけで、外をしっぽを振ってぐるぐる回っているかんじ。
専門、得意分野は、まるで、なし。
「好奇心をくすぐるものがディスプレイしてある、あっちこっちの百貨店」
をウインドーショッピングして回っているようなもの。
何度も足を棒にして回っていると、死ぬまでには、それなりのものも見えてくるかも・・・・??? 

クリエィティブな感性に出会うと、影響を受ける。
モノを生み出すパワー、奥底からキラリと光るものに触れると、自分の何かが反応するようだ。
なんでもかんでも憧れる私だが、
難点は、腰が重いというか、「うどん屋の釜」で、湯ばかり(言うばかり)。
まあ、うどん屋でもなんでもいいから、ほちぼち、いこう。

まだまだ、太陽が沈むまでには時間がある。