蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

談合の夜

2011-12-20 | 趣味

今、時間がないので、ゆっくり書くことはできないが、時計とニラメッコしながら入力。

昨日、根回し三者密談が心斎橋・某所で行われた。

予約された、お座敷。
政府要人か、実業界の大物になった気分。

ちっさい和室の個室。
出入りするときは、頭をゴツン。
なんであんなに出入り口、低い。
ちっちゃい襖は、忍者屋敷?
ああいう作りは、お茶室風?

密談の内容は・・・
北朝鮮の今後の動き・・・ではなく・・・
ダンスのプライベートレッスンをT女史が引き受けてくれるかどうかの、お願い談合会議。

お母さんも息子さんもダンス稼業の、すばらしいDNAをお持ちのT女史。
はたして引き受けてくれるか?

彼女も、なかなか首を縦に振らない。
というか、競技を目前に控え、来年も競技を主体に活動するそうなので、時間が取れないかも?
根本的なところで、難航。

そして、肝心の、わたしのスケジュールが、みなさんと合わない。

発起人が、せっかく場を設けてくれたのに、うまく滑り出すんだろうか・・・?
わたしは、じつは腰が引けている。
自分のスケジュールをひん曲げてまで、合わせるメリット、魅力がない。
昨夜の会議費も、発起人がまたもや払い、
我々が払おうとすると「次からは払ってもらいますから」とおっしゃる。
希望が叶う(プライベートレッスンが成立するまで)、彼は払い続けるつもり?

T女史が席をはずしたすきに、わたしは、昨日、そっと彼に商品券を差出した。
もう3回目にもなると、そうそう重ねてご馳走してもらうわけにはいかない。
わたしが、ご期待にそえないかも知れない可能性が出てきたので、
タダメシをいただき続けるわけにはいかない。

あまり意識せずに、彼はその商品券が入った封筒をちらりと見たが、
彼のバッグに差し込んだのは、彼本人が、ではなく、わたしなので、
ひょっとすると気づいていないかも知れない。
今日も、団体レッスンでごいっしょするが、彼は、どう出るか?

タダメシ、商品券返し、談合の行方は???

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 


ゆったり、ゆっくり、こころの洗濯

2011-12-18 | お出かけ

昨日から、伊勢志摩に行ってきた。
3年前にできたばかりらしい、志摩観光ホテル・ベイスィート。
宿泊したスーペリア・スィート・ツインは、一部屋、100㎡ぐらい。
巨大テレビが、ででーんと2台あり、室内、館内ともに、すばらしい設備。全室、スィート。

(室内写真は、ケータイで、あまりよく撮れていない。
写真はデジカメでも撮ったけれど、まだ処理できず。
写真で紹介しないと、ぜんぜん臨場感なし・・・)

ラグジュアリー感に満ち満ちあふれていた。
お客さんは、50組ほどしか取らないので、広い空間、施設は、貸切状態。
(実際に見かけたのは、7~8組ぐらい)
大浴場も、岩盤浴も、他には誰一人として入ってこなかった。
というか、経営、成り立つのか、ちょっと心配したほど。
まあ、近鉄系なので、電車本体の事業で頑張ってもらえば、それでいいのだろうけれど。

子供さんは、宿泊禁止だったのだが、それでは、客数確保が難しくなったのか、最近、解禁になったようす。
ジジババのポケットから、若夫婦一家を交えて過ごす、優雅な休日、といったところか。

でも、レストランは、小学生以下は入場禁止。
おチビさんは、だれが面倒を見るのかな?
ジジババと、若夫婦が交代で、レストランに行くのかな?
はたまた、本体のほうの志摩観光ホテルで食事をしてもらうのかな?

↓部屋のお風呂。
ぷかりぷかりと浮いてしまうほど、たっぷりのお湯。
湾までホテルの土地が占めるので、さえぎるものがなにもない
湾に面して、そびえるホテルは、目の前に広がる英虞湾の風景を独り占め。

がら~ん。
屋上庭園に続く、ライブラリー&ラウンジ。
だあれも、いない。
なので、コーヒーやら、スウィーツやらを、ぱくぱくぱく。
何度も行ったり来たり。

↓おなじみ、伊勢の名物、赤福もち。


その昔は、伊勢参りが唯一の旅行だった。
いまは、ライフスタイルも、旅行のカタチも、ずいぶん変わったが、
天皇家のご先祖さんにあたる???(あまりよく知らない・・・)
日本の神様のご本家。
どっしりした大木が聳え立ち、厳かな神々しい、澄んだ空気だった。

中国のクレジットカードOKだったのが、時代の流れか。
おカネのある方々は、たっぷり外貨を落としてくださいな。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ


急ぎ足で、肩凝り

2011-12-17 | 無題

今日は、お出かけします。
一泊、近場、近畿圏内。

行き先では絶対にわたしは写真をばしばし撮るだろうから、
その前に、デジカメの大量パリ画像を保存処理。
ああ、肩が凝る。
容量が大きすぎて、手持ちのCDにおさまりきらない。
ああ、めんどう。
USBに入れようとしているけれど、すでに先客あり。
なんやら情報が、入っている。

無理やり、その空きスペースに、画像の山を放り込む。
さてさて、お時間はどんどん迫り、もう、ここで、限界。

では、中途半端なまま、行ってまいります。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 


やわらか発想。

2011-12-16 | 無題

わたしは、ジムで、もくもくとウォーキング・マシーンの上を歩きながら、何を考えているか?
ステップ台を踏みながら、何を考えているか?
延々と泳ぎながら、何を考えているか?

はやく、終わらないかなあ・・・と考えている。
帰りに何を食べようか・・・と考えている。

まわりを見て、見慣れない顔の人がいると、「見慣れない顔だなあ」と思い、
いつもの顔の人を見ると、「いつもの顔だなあ」と思い、
ほとんど何も考えず、ほとんど何もこころを動かさず、単純作業を繰り返し
半分、ロボットになったような、自分がベルトコンベアーに乗っているような、
はたまた、ベルトコンベヤーに乗った製品をチェックしているような、
実に乾いた無機質な感覚で、ジム・タイムを過ごしている。

ただただノルマを達成しているだけ。
生まれつき健康体なので、あまり健康を意識しているわけではないが、
これをやっておかないと、わたしのカラダは、筋肉が、だらける一方。
通い始めた5年半前は、ジムの日がとても憂鬱だったが、いまは、それほどでもない。
(でも、決して楽しくはない。仕事みたいなもの)
その途中に、エアロ自転車をこぎながら、各マシーンに設置されているテレビの電源をONにし、
NHK教育テレビで、名曲アルバムと、高校講座「情報A」を見る。
「情報A」は、「数学」と隔週、交互に放映されるが、
数学の出演者の女の子がキライなことと、数学自体がキライなので、「数学」の週は別のチャンネルに変える。

ジムでは、運動前と後に体重を測るのだが、
今の楽しみは、パリであんまりちゃんと食事をとらなかったせいで、体重が1.5キロほどダウンしたこと。
日によっては、2キロダウンの時もあり、飛び上がらんばかりに喜んでいる。

そんなことが楽しみだなんて、いたって健康で、なにも考えることもない、アタマを使わない生活、
お気楽で幸せな毎日を送っているということか。


宗教について、昨日、友人Kさんと話した。
死が目の前にあるお父さん(88歳)がおられるKさんは、
お父さんの宗教をとりあえず、踏襲しているかのフリをしているそうな。
でないと、お父さんは、思い残すことなくあの世に行けないだろうから、だって。

宗教なんて、信じていなくてもいいんだそうな。
フリだけしてたら、それでいいんだそうな。
拝むフリ。
それで、家がまあるく収まるんなら、それでいいそうな。
なるほど。
キリスト教であろうが、モルモン教であろうが、イスラム教であろうが、何教でも、
仏教徒でなくても、無宗教でも、もし、家が仏教なら、仏教徒っぽくしていたら、それでよくて、
なにも、反逆でも、裏切りでも、インチキでもないそうな。
全然、信じてないって。でも、信じているフリだけしてるんだって。
お父さんのためなんだって。

なんだか、キモチが軽くなった。

いろんな考え方って、あるんだ。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 


若さに、こだわることはない

2011-12-15 | 人生

若い人は、未知の経験が多く、夢や可能性がいっぱい。
肉体的にも、脳も、若く、古今東西、若さは何にも代えがたいこととされ、
時の権力者などは、ほしいままに、えげつないことをしてまでも、若さを手に入れようとする。

若い人には、若い魅力がある。
かつての自分もそうだったように。

いま、わたしの目のまえをうろうろ(失礼!)しているのは、わたしと同世代の人々。
ダンスの先生とかは、一気に、ぴか一、若いが。
でも、週に3度もお会いして、それぞれに接すると、若さにドギマギすることはなくなる。

いまは、若かろうが、年寄りであろうが、
その人、個人のもっておられるスキルを少しでも得ようと、わたしは貪欲になっている。
真剣にやっていると、だんだん、相手は若くて、自分は若くない、ということをすっかり忘れ、
師匠と生徒になっている。

たいがいは、芸の道などでは、師匠は年寄りで、生徒は若いんだけれど、わたしの場合は、逆。
若い人に学ぶということは、とてもいいバランス。


若い人とは、逆に、同世代の方々・・・
いろいろな人生を歩んでこられ、それぞれに深い味わいを感じる。
のびしろは、さしてないけれど、今までのキャリアが、いい味を醸し出している。


A教室のダンスレッスン・クラスメートには、オクサマもおられる。いわゆる有閑マダム。
いつもとても高そうな、最新の衣服を身につけ、煌びやかな装飾品を身にまとい、
手入れの行き届いた、プロによるヘアセット。
社交ダンス以外に、趣味は、ダイアモンド収集だそうな。
おカネのニオイ、ぷんぷんぷ~ん。
(あの格好で、パリの地下鉄に乗ると、スゴイことになる・・・)
彼女は、一番のお金持ちのよう(に見える)が、
その他の人もそこそこ、そこまで、キンキラではないものの、似たような部類。

話題は、自分の家庭のことばかり。
聞く人も、聞かせる人も、そんな超個人的なルーチンワーク話、おもしろいのかなあ・・・・??
(孫が、・・・母が、・・・夫が、・・・
朝起きて、歯磨きして、お弁当を作って、ご飯を食べ、テレビを観て、ショッピングに行って・・・みたいな・・・)

B教室は、それに比べると、服装は、平服。
ダンスウエアにも、さほど凝らず、平服を流用。
A教室より、年齢層は10歳ぐらい?若い。
(年齢の高い人もおられるが、ダンスレベルが高い)
まだ、リタイア組ではなく、仕事をしながら通っている人もいて、
のびしろも、たっぷり。
いま、じゃんじゃん、カラダも動き、吸収力もある。


お金持ちって、あふれ出たお金を持ち歩くかのごとく。
身についた、ゴージャス・フィーリング。
豪遊が好きな人は、人におごりまくって楽しむ。
それはそれで、けちんぼに比べると、生きたお金の使い方。
でも、人徳がないと、たんなる無駄遣い。

人にはそれぞれの生き方があり、好みがあり、チョイスがある。
どれを選ぼうが、その人の人生。
選べなくて嫉む場合、ひがむ場合は、まあ、別として、選べるけれど、選ばない自由もある。
どうしようもない、突然の災難など、不運なケースもある。

仕事も、選べる場合と、選べない場合がある。(力量、能力、努力の差も当然ある)
階級社会ほど、目に見えてはっきりしていないものの、格差社会。
たいがいは、似たような人は、似たような人が集まるところに、集まる。
社会で、ぐちゃぐちゃに交じり合わないようになっていると感じる。

で、もとの話に戻るが、
人生を長く生きてきた人には、哀愁がある。
苦難を乗り越えてきた、誇りみたいなものを感じる。
哀愁は、適度に養分や水を補給しないと、
度を過ぎると、惨め、元気なし、水分なし、活気なし、活力なし、やる気なし、
ひたすら、カサカサの乾ききった老いへとつながる。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

いろんな人を見ていると、いろいろ参考になるなあ・・・ 

 




てんやわんやの忘年会シーズン

2011-12-14 | ブログ

毎日更新がモットーのブログ(薄利多売→内容薄い)だが、
ここのところ、忘年会が続いて、更新できない。

来週、再来週アタマまで忘年会は続く。
今年は、忘年会が多いようだが、どうして?

まあ、とにかく、そういうことで、・・・おそらく、今日も更新できないだろうと・・・、
更新しない日が2日続くと、とたんに不安になる、小心者のわたしです。

ブログ依存症?

あたふた短文、終了です。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 


おんなに学問は、毒

2011-12-12 | 人生

最近、ブログにいろんなことを綴らなくなった。

例えば、つい最近、上野千鶴子さん(東大名誉教授・社会学者)のレクチャーを聴きに行ったことも、
もうひとつの別宅ブログにはちょっとサワリだけを書いたが、
本宅(蝶ブログ)には、やっと一週間も経ってから。

べつに、リアルタイムっぽいのは、別宅で、本宅は、後から、というわけでもないのだが。
街で見つけたおもしろいモノも、同じ写真をアップするのは気が引けて、
この蝶ブログには、未熟な、見るに耐えない幼稚園お絵かきみたいな自作のシロモノをアップしている。

私生活も、やたら忙しくて、連絡事項や、通信雑用で、細かい時間を奪われる。
ひとつのコミュニケーションではあるが。
それらは、わたしが、もしおひとり様なら、絶対に、関わっていなかったことばかり。

わたしは、ものすごくめんどくさがりで、ほっておくと、人間付き合いも、まったくしないに等しい。
たまたま家族がいるから、その家族から派生したお付き合いや、交流が生まれる。
自分の交流は、ごく自由度の高い、オアソビ交流しかない。

実は、上野千鶴子さんは、この、自由度の高い縁、「選択縁の社会」を理想としている。
20年ぐらい前にも、「女縁」ということで、取り上げられていたが、
いま、再び、おんなたちは、老後に向かって、また、全盛期の頃の縁とはまた違う角度から、
自分を取り巻く「社会」を見つめなおそうとしている。

結婚しなくなった人が増えるなか、死別、離別、非婚、とさまざまなケースはあるものの
おひとり様が、高齢化に伴い、ますます増加の一途。

家族持ちに代わって、人持ちへ、と、選択する縁を重要視する。

「家族がいる人は、もし、家族がいないとすると、それ以外のお付き合い(縁)って、ありますか?」
自分はおひとり様じゃないから、関係ないわ、とは、わたしは思わなかった。

でも、いざという時は、べっとり、家族に寄りかかっている自分がいる。
子供は、保険か?
趣味の場での皆々様方は、楽しい時間は共有するけれど、いざという時は、
お互い、各々の家族に委ねるだろう。
せいぜい、お見舞いに行くか、葬式に顔を出すぐらいのこと。
親身になって世話をし、フォローするのは、家族の役目、と、しゃしゃり出ることもしないだろう。

いい時だけのお付き合いって、ほんとうのお付き合いなんだろうか?
でも、誰も、家族持ちの人は、お互い、そんな深いシリアスなお付き合いは望んでいないと思う。
だが、おひとり様にとっては、家族に代わる、地縁でも血縁でもない、互助機能する縁、
強いネットワークが必要だと、上野氏は提唱する。

かつては、平均寿命が50歳の時代もあった。
少し前の老人の理想像は、縁側で孫を膝に抱くおじいちゃん、おばあちゃんだったが、
今は、80歳で20歳の孫は、大きくて重くて、膝には乗らない。
(ひ孫なら、わからなくもないが、義母は、ひ孫なんて、もう中学生。膝には乗らない。
自分の子供のうちの末っ子の、一番下の孫の、そのまた一番下のひ孫ぐらい、どうだろう?)
高齢化になり、社会が変化しているので、受け皿としての社会も対応を迫られる。


日ごろ、わたしが思いっきり(ブログで)悪態をついている夫も、強力な保険であるわけだ。
(しかし、これはお互い様である)
おひとり様になって、独自の強力なネットワークを築ける自信はないが、
いざとなると、意識の持ちようで変わるかも知れない。(→必要は発明の母)


例え、わたしが家族持ちでも、選択縁の定義で、いいなあと思ったのは、地縁でも血縁でもない、というところ。

夫の実家のある地域は、
古くからの因習や、旧来の価値観に閉ざされた、時代に合わない、人の出入りのない片田舎で、
その地で、親戚や近隣に、がんじがらめにされた老後を予想し、憂っているわたしとしては、
家族を頼りにせず、自分はおひとり様だという自覚で、新しいネットワークを築くぐらいの覚悟で、
これからの自分の将来を見据えていこうかと考えた。

頑張って、田舎での行事(法事など)に(無理やり、義母の指令で)参加しても、
地元の親戚は、「こっち(地元)に住んでない人だから・・・」と、わたしに距離を置く。
あたりまえ。

地元の人にとっては、その地に住んでいない人は、地元に馴染んでいない、好きでない、
価値観が違う、と、とらえる。

義母の代で、それはオシマイ、
わたしは、わたし流のやり方で・・・ということは、通用しない。
田舎には田舎流の長く続いたやり方があるから。
そして、最大の、どうしようもない不動のものは・・・義母とバトンタッチしても、
義母と同じコピー人間、すなわち、夫がいて、
これぞ長男の役割とばかりに、踏襲しようという固い意志を持って、わたしの前にデデンと立っている。

いずれ、また、息子に嫁が来て(来るんだろうか・・・)
代々踏襲したものを、また踏襲するのが、正しい、バトンタッチの方法なんだろうけれど。
わたしが、不調和音を唱えている限り、息子に嫁は来ないと思う。
仮に結婚したとしても、息子の嫁に、長男の嫁のなんやらかんやら、を、押し付ける役目は、まっぴらごめん。

夫よ、あなたがやりなさい。
こうやって、不出来な嫁(=わたし)を持ったばかりに、長男である夫は、苦労し、息子もまた苦労するわけだ。
だが、夫が嫁教育を、上下の絶対的な権力を背景に、親任せにして、
わたしと意見が合わないと、頭ごなしに怒ったり怒鳴りつけて強制的に従わせるだけで、
わたしを説得させるなり、粘り強く交渉してこなかったとにも原因はある。

素直に昔流のやり方を踏襲してくれる嫁をもう一度、もらう?
どうぞ、ご勝手に。

わたしは、本気で、家族に代わる、選択縁を築くことを目指し、
そういう方向性で、努力しようかと思った。
いまからでも遅くない。

昔のひとは、女に学問をさせることは、嫌う。
へんに、目が開いたかのように、意識に目覚めるからだ。
たしかに。

でも、意識だけではだめ。
イバラの道を歩む覚悟がなければ。そして、不断の努力。
言うだけなら、知っているだけなら、誰でもできる。

学者サマの論理を勝手に都合いいように、自分に応用するなんて・・・
いえ、それでこそ、学問は実用してこそ、生きるというもの。
単なる、こじつけか?

深い意味も理解しないで、自分に有利になるような部分だけを、勝手にピックアップして並べているだけ?
それとも、おんなに学問の機会を与えるな、ですか?

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

介護保険制度施行が大きい、と上野氏は、おっしゃっていました。

でも、こうやって、地方の活力や、美点が損なわれていく、なんて言われるんだろうなあ・・・

 

 


わらしべ長者

2011-12-10 | 暮らし

ミカンをいただいた。
一箱、どっさり。

(柿も、りんごも、巨大梨も、イチゴも、いただいた)

ご近所さんに、柿とミカンを混ぜて、食べ助けしていただいた。(配った)
でも、季節のものなので、どんどんまた、柿とミカンが箱で届く。
また、柿とミカンを配り歩いた。

柿はすぐに柔らかくなるので、
家で食べられそうもない量の場合、とっとと配らないと、気が気でない。
だが、柿は、好き嫌いがあり、もらってくれる人は限られる。
柿が大好きという人がおられて、何度も何度も何度も、同じ人に押し付けている。
ほんとうに、あんなに何度も大量に押し付けて大丈夫なんだろうか・・・と不安になりながら。

職場、ダンスの先生や、ダンス仲間、かつてのママ友にも、どんどん押し付ける。

「柿かミカン、もらってくれる?」と前もって、ご近所・昔のママ友、Mさんに聞いたところ、
「ミカンならいただくわ」、という返事。
Mさんのお宅も、いつも頂き物が多いので、モノを持って行く前には、
いるかどうか確認することにしている。
(それのほうが、お互い、へんに気遣いしなくていい)

柿は柔らかくても大歓迎というご近所・かつて子供会ごいっしょTさんに、ミカンを混ぜて持っていったら、
Tさんに、長い長い巨大長芋をいただいた。
長芋を抱え持ったまま、Mさんのお宅にミカンを持って行ったら、焼酎(一升ビン)をくれるという。

「いいの? ミカン少しと、焼酎(一升ビン)とでは、値段が違いすぎるよ」
と、わたしが尻込みしていると、「いいの、いいの」と、Mさん。

「いやあ、こりゃ、すごい。お得もいいとこ。わたし、すごい得してるわ~」と、恐縮していたら、

「わらしべ長者やね」と、Mさんに言われた。

ほんと、その通り。
わらしべ長者は、ものすごい長い、日持ちする長芋と
焼酎(一升ビン)を重くてよろよろしながら、ゲットした。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 

 


目標との格差

2011-12-08 | 趣味

社交ダンスは、おもしろい。
なぜかというと、老人のお楽しみスポーツだからだ。
でも、奥が深い。

わたしが個人レッスンを受けているのは、現役プロの競技選手。
学生の時から、アマチュアでダンスの世界に入った、体育会系。
卒業しても、そのままダンス一筋の人で、若いが、とても熱心な先生である。
(ここで、矛盾したわたしのキモチ。たんなる欲張りエゴ。
ダンスの世界はそれはそれで厳しく、そして素晴らしいのだが、
実業界でも一度、別の職業でダンスではない、別のスキルを経験、発揮していただきたかった)

それはそれとして、わたしは、彼のダンスに取り組む姿勢や、心意気に共鳴している。


ダンスパーティで、お相手してくださる方は、どんな方かはわからない。
ダンス会場に、どういう目的で来ているか。
ナンパとか、そういうのは、ここでは、論外。

そうではなく、真剣に踊りに来ているのか、しゃべりに来ているのか。
ちゃんとした踊りをしようとしている人と、しゃべりに来ている人とでは、違いは、即、わかる、
と先生はおっしゃる。
どちらがいいとか、悪いとかの問題ではなく、目的は、人によって違う。

しゃべりに来ている人は、適当に音楽にのって、(のっていないこともあるが)、
適当にからだを動かし、いろんな人と接し、にぎやかで華やかな雰囲気を会話を交え、楽しむ。
それはそれで、老化防止には大いに役立つし
ほとんどの人が、社交ダンスという、文字通りのダンスといったかんじだろう。

真剣にダンスをしに来ている人もいる。
そういう人は、そういう人で、踊った人が真剣でないからといって失望することなく、
なごやかに、お互いにお相手すればいい。
真剣派にとって、おしゃべり派は、ありえない踊りをする、いい加減な取り組み、
自分のダンスの最適な相手ではない。
おしゃべり派にとって、真剣派は、せっかく楽しもうと思っているのに、シラケさせ、うっとうしい。

まあ、いろんな目的、いろんなレベルの人が、ひとつの会場で、多く混じっているのだから、
いろいろおられます。


レッスンでも、そう。
目的やレベルが違う人が、同じクラスにいることがある。
あまりにも、その違いが大きすぎて、あるいは、そういう人が多すぎて、
そのクラスは自分には最適でないと思えば、教室をチェンジすればいい。

そういう経過で、わたしは、教室をひとつひとつ、自分で見極めて卒業していった。
自分の目標が定まっていくと、同じままのレッスンでは、物足りなくなる。
だが、レベルの高いクラスでは、自分は劣等感の塊になる。

いっしょに練習する人も、移り変わる。
自分より上の人は、わたしにはいいが、上の人には物足りない。メリットがない。
自分より下の人は、こんどは、わたしが物足りない。
練習の目的にもよるが、いまのところ、目的は同じ人と練習することもある。
キレイに踊りたい、上手くなりたい、自信を持って踊りたい・・・
そういう単純な目的であって、デモだとか、テストだとか、具体的なイベントは目標にあげていない。
それと、体力の度合いが同じぐらいの人がいい。
スピーディに絶え間なく、ホールをぐるぐる、ずっと踊り続けることができる、
その、スタミナ持続時間が同じくらいでないと、
あれ?もう終わり? みたいな、明らかに足腰、体力の差がある人は、やりにくい。

そして、中途半端な人には、教わりたくない。
間違ったことを教わると、あきらかに弊害になる。
だとすると、プロがいい。もしくは、それに相当する力のある人。

わたしの理想としては、ステップをもっと正確に、たくさん覚え、リズムの取り方や、体のアップダウン、
踊り全体のグレードを高めたい。

だが、そんな日は、なかなか来ない。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 

わたしが、謙遜でも卑下でもなんでもなく、素直に
「わたしは、長い間やっているけれど、覚えが悪くて・・・」と嘆くと、
「いいもの、持っておられますよ」と、先日、ダンスめちゃうまの女性に言われたが、
これは、明らかに、慰めの言葉だ。

わたしの最大のネックは、自分は「おしゃべり派」の実力なのに、「真剣派」の意気込みだという
現実を見極め、当然、収まるべきところに収まろうとしない、身の丈を知らないところだ。

 


タダほど高いものはない

2011-12-07 | 趣味

「異性間の友情って、あると思いますか?」

昨日、そんなことを聞かれた。
いつも行く、社交ダンスのレッスン・ホールの受付の女性に。

そのホールには、今年の2月末ぐらいから通っているが、
通い始めてすぐぐらいから、彼女はわたしのことを「○○子さん(本名の名字じゃないほうの名前)」
と呼ぶようになった。
昨日、わたしのことを、「最初から好印象を持っていた」、っておっしゃる。
なぜかというと「群れないから。ぺちゃくちゃ、どうでもいいことをしゃべらないから」
だそうだ。

わたしは、実際のところ、社交ベタなだけ。
じつは、わたし、ブログでその分、おもいっきり、しょーもないことをしゃべっているんだけれど。

まあなにしろ、その人が、異性間の友情について、まじめに聞く。

「ありえると思います」
そうわたしが答えると
「えーっ? ほうとうですか? ブレたりしませんか?」
「わたしは、相手が男性だからって、べつに、男女の関係に発展しませんよ」
「○○子さんって、オトコっぽい人なんですね」

女性っぽいとはよく言われるが、オトコっぽいなんて、生まれて初めて言われた。

彼女は、女性っぽい、人なんだろう。
たぶん、いま、好きな人がいるんだろう。
お付き合いの岐路に差し掛かっているんだろう。
進むべきか、とどまるべきか・・・。

マジメな、純粋な、純情な人なんだなあと感じた。

ただし、彼女はダンスはめちゃめちゃお上手。
プロではないが、アマチュアでも人に教えられるぐらいの力量を持っておられるとお受けした。
お母さんは、ダンス教室をされていて、息子さんは、現役ダンサー。
ダンス家系。
(彼女は、50歳ぐらい?? )
はじめて彼女に、昨日、ダンスを時間外に教えてもらったが、(お相手してもらった)
長身で、バネのある、しなやかな体で、とても力強いダンスを踊られる。
昨日も、リーダーさん(ダンスのペア男性)と組んで練習に励んでおられるようだった。

見かけは、サッパリしたオトコっぽい人。
人は見かけによらないんだなあ・・・


ちなみに、
昨日、レッスン後、ホールに残り、はじめて、レッスン仲間のNさん(男性)と、自主レッスンをした。
そのときに、彼女に少し、手ほどきしていただいた。
Nさんは、どんどん彼女に教えてもらおうとするけれど、わたしは、(好意にも限度があると)気が引けた。
(少しでもレッスン料を払っているのなら、いざ知らず)

こんど、そのNさんが、3人でお食事に行きましょう、と、
実現するのかしないのか、わからない、口約束をした。
その食事会は、Nさんが提案したので、もしかすると、3人分の食事代を払ってくれるかも知れない。
(彼は、今までのケースでは、自分が誘うと、みんなの分を持つことが多い)
別にタダで食事をしたいから、ソレ目当てに行くほど、わたしは飢えていない。
ひょっとすると、彼女にプライベート・レッスンをお願いしようという意向がある?
その根回しか?

世の中、タダほど高いものはない。
人は、タダで食事をおごるなんてことはない。
必ず、目的がある(とわたしは思う)。
日本人的根回しの文化。話を進めるときの、常套手段。

Nさんは、モノゴトを進めるにあたって、根回しがお上手。
前もって、ちらっと匂わせておいて、相手の様子をみて、食事に誘い、
食事の場で和やかになったところで話を切り出し、詰める。
大企業で折衝部門に長くおられたそうなので、
そのネゴシエーション手法は、お手のもの、身に染み付いている?

なので、3人で食事・・・・
Nさんと彼女の2人で、ということでない・・・
ということは、その今後、行われるかも知れないプライベート・レッスンには、わたしも入っているということか。
なんだか、そんな気がしてきた・・・

待てよ~
わたしとNさんのペアダンスを、彼女に手直ししてもらうってこと??
つまり、わたしは、Nさんのダンスの練習相手になるってこと???

タダメシをいただくまえに、本当に、プライベート・レッスンに参加する気があるのかどうか、
自分でじっくり前もって考えておく、覚悟しておく必要がありそうだ。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ