雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

古代の謎 ・ 小さな小さな物語 ( 189 )

2011-01-12 09:50:03 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
暑さに負けそうなので、このところ古代史に関する本を何冊か読んでいます。
暑さとどういう関係があるのかといわれますと、全くその通りでして、何の関係もありません。ただ,私は、体力面や精神面で少々弱っている時には古代史に関する書物を読む癖があります。
体調不良の時は、どうも現代に繋がっている書物は、フィクションであれノンフィクションであれ、作者の意図するものを素直に受け入れられないところがあります。その点古代史に関するものはなかなかよろしい。諸説様々入り乱れて謎だらけですが、何分相当古い時代のことですから、個人に対する誹謗や偏見も余りイライラしなくて読めますし、何度見ても覚えられないような名前は、寝床で読みますと少々の寝苦しさなど吹っ飛ぶほどの睡眠導入薬になってくれます。


このところ読んでいるものは、大和政権が誕生したと思われる頃から聖徳太子が登場するまでの時代を中心に呼んでいます。
フィクションの部類に入ると思われるものやノンフィクションだと主張されているものなど、何の系統もなく読み散らかしていますが、どれもこれもそれなりの資料や時代背景が説明されていて興味深いのですが、どれが真実なのかということになりますと判断がつきかねます。学校で習ったこの時代の歴史というのは、一体何だったのでしょうか。


この時代、今からおよそ1500年ないし1800年程前のことですが、正しい記録を残すのは難しいようです。
あの大中国といえども、溢れるばかりの記録書が伝えられていますが、どれが真実かということになりますと、やはり難しいところがあります。洋の東西を問わず、国家の正式な記録書というものは、すべからく時の政権のために書かれていますので後世に真実を伝えるなどということは所詮無理なことなのでしょうね。


だって、意図的に捻じ曲げて伝えるつもりがないとしましても、先週一週間の食事の内容さえ今から思いだして記録すればあまり正確なものではないはずです。
従いましてこの前提に立てば、古代史を楽しく読むコツが見えてきます。つまり、ある書物を読み始める時には、自分が持っている中途半端な知識はしまっておいて、100%著者の意見を素直に受け入れて読み進めることです。それさえ心がけますと、実に楽しい読み物になりますし、そうでない場合には、暑さに負けない安らかな眠りを与えてくれます。きっと・・・。

(2010.08.03)
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さまよう人たち ・ 小さな小さな物語 ( 190 )

2011-01-12 09:48:48 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
行方の分からない高齢者が次々と判明しています。どうやら、大きな社会問題になりそうです。
今回の問題、東京で一人の高齢者の遺体が発見されたことに端を発しています。放置だったのか安置だったのかは分かりませんが、これはかなり衝撃的な事件でした。しかし、次々と所在が確認できない高齢者が判明してきたことに大騒ぎしているようですが、それほど驚くほどのことでしょうか。


昨日までの報道を見る限り、百歳以上の人で所在が確認できない人が話題になっていますが、これ、問題の核心を突いているのでしょうか。
と言いますのは、現時点では市町村などが百歳以上の人の所在を確認しているようですから、その年代の人が話題になるのは仕方ないとしても、現時点で所在が確認できないとされている人たちが、実際に行方が分からなくなったのは何歳の時だったかということです。百歳を越えてからという人は、おそらく殆どいないのではないでしょうか。
この問題は、百歳以上の人の問題ではないのです。


わが国では、毎年数百人の本人が確認できない死者があるそうです。その後に確認されたり、すでに失踪宣告を受けている人もいるのでしょうが、例えば、毎年五百人の身元確認が出来ない死者が発生した場合、三十年で一万五千人になります。つまり、わが国の総人口の中には生死が確認できない人が一万人や二万人はいるはずなのです。
そして、繰り返しますが、身元不明になる人は、百歳を越えてという人はごくごく稀なはずなのです。わが国の悲しい問題点を見間違えてはならないと思うのです。


ある国には、百五十歳だと自称している人がいたり、百八十歳だという人もいるらしいと、仲間うちの酒の席で笑った記憶があります。今、わが国も笑われる方の対象になろうとしています。
もしわが国が、本気で文化的な国家であり国民だと考えているのであれば、この問題を本質を間違えないように対策を考える必要があると思うのです。

(2010.08.06)
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平和な社会 ・ 小さな小さな物語 ( 191 )

2011-01-12 09:47:36 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
今日は長崎に原爆が投下された日にあたります。
八月は、六日の広島、九日の長崎、そして十五日の敗戦、と私たちにとって重い日が続きます。


今年は、原爆に関する行事に、若干の明るさがほの見えたような報道が聞かれます。オバマ米大統領の演説を機に、核兵器廃絶へ僅かながらでも歩を進めたような機運が感じられるからなのでしょうか。
世界で唯一の核被爆国である私たちは、やはり、全人類に対していささかの責務を負っているのかもしれません。
テレビで、大ファンである吉永小百合さんの被爆者たちの詩などの朗読会を中心とした番組を見ました。ずいぶん前から活動をされていることは知っていましたし、テレビ番組などでも観ましたが、その努力に頭が下がります。また、現広島市長の核廃絶への熱い思いや地道な努力もほんの少しばかり知る機会がありました。その他にも、私はもちろんですが、世間にあまり知られることもない状態で、長きにわたって広島・長崎の悲劇を語り伝え、平和の訴えを続けている人たちがたくさんいることでしょう。
核兵器のない平和な社会が一日でも早く実現されることを祈るばかりです。


ただ、私は、核兵器廃絶実現に対しては、悲観的な考えを持っています。全人類の知恵を集結することが出来れば、全ての核兵器を完全に凍結させることは可能かもしれません。しかし、それでもなお、戦争のない社会の実現は、さらにそれより相当先のことではないでしょうか。
核兵器の完全凍結に成功したとして、なお地球上から戦争や紛争を無くすことが出来なかった場合、果たして、スポーツのようにルールに定められた兵器だけで戦う戦争などあるものなのでしょうか。しかも、そのスポーツでさえ、ドーピングなどのルール違反や、有力国に都合のよいルール改正は後を絶たないのですから。


しかし、それでもなお、平和への祈りと努力を続けなければならないのだと思います。
中途半端な知識をもとに、この世から戦争はなくならないと考えている私のような者こそが、平和な社会実現への足かせになっているのかもしれません。
八月の、この暑くて悲しい季節には、平和への努力に貢献できない者は、せめて謙虚に祈ることにしましょう。

(2010.08.09)
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「長寿」は紛らわしい ・ 小さな小さな物語( 192 )

2011-01-12 09:46:30 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
百歳以上の人で所在が確認できないという騒動、調査が進むにつれてまだまだ増加しそうな勢いです。
但しこの問題、以前にも述べさせていただきましたが、百歳以上の人に対する所在確認が不十分だというような観点でとらえますと、本質を間違ってしまいます。


各自治体の調査がどの程度進んでいるのか知りませんが、その数はまだまだ増えるでしょうし、現在判明している所在不明者の中には、百二十歳を越えている人もいるようです。笑いごとではありませんが、もしかすると百五十歳の人も出てくるかもしれません。
この騒動については海外でも報じられていて、長寿社会の陰であるとか、放置されていた高齢者、といった観点で伝えられているものもあります。


また、わが国の大手メディアにおいても、「高齢者に対する配慮が欠けている」とか「高齢者福祉の貧しさが露見した」といった意見が散見されます。
わが国の高齢者福祉が十分でないことは認めるとしても、この問題を超高齢者に対する福祉の問題ととらえるのは、正しくないのではないでしょうか。
今回の騒動の発端は、死亡届を提出せず長年遺体が放置されていた事件が発覚したことからですが、この人の場合でも、所在(生存者として)が確認できなくなったのは、おそらく七十歳代のことです。全国の調査が進み、例えば百歳以上で所在が確認できない人が千人いるとしても、百歳以上になってから行方不明になった人は極めて少数だと思われます。
今回の騒動の問題点は、わが国の国民で、住民票(または戸籍)に基ずいて所在が確認できない人が何人いるのか、それが全く把握されていないということに問題の本質があるのです。百歳以上の人が登場するのは、放置されている期間があまりにも長過ぎるという証左に過ぎません。


今回、この問題を「長寿社会の陰」とか「放置されている高齢者」といった観点で意見を述べられる人が少なくないことに少々驚いています。
そういった意見の背景には、長寿社会とは豊かで幸せな老後が保障されるべき、という理念が働いているように思われます。でも、社会には、将来を担う子供たちがたくさんいます。現在の国民を背負うべき壮年たちの生活を護ることも軽視など出来ません。高齢者にだけ立派な理念が通用するなどあるはずがありません。
そもそも、「長寿」という言葉の意味は、広辞苑によりますと「寿命が長いこと。長生き。長命」ということであって、長生きという意味はあっても、めでたいという意味は含まれていないのです。「寿」などという紛らわしい文字が入っているため、少し間違えてとらえられている気がするのです。
長生きするということは、良いこともあるが良くないこともあるということをしっかり認識して、覚悟を決めて生きていかなくてはと考えています。

(2010.08.12)
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八月十五日 ・ 小さな小さな物語 ( 193 )

2011-01-12 09:45:10 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
今日、八十五日は六十五回目の終戦記念日にあたります。


「戦後は遠くになりにけり」「もう戦後ではない」などと言われたのも、もう遠い昔のことになりました。今日は六十五回目の終戦記念日だということは、戦前生まれの人は全て高齢者となり、年金を受け取って(一部の人は除きますが)いるわけです。
わが国が戦争に敗れたのは、もう、ずいぶん昔のことだという認識はありましたが、今朝の新聞を見て唖然としました。私が見ました新聞の一面トップの見出しは、某国の大したこともない政治的な変化を掲げていて、敗戦記念日という文字はその片隅でささやかに報じられていました。


私たち日本人にとって、第二次世界大戦の敗戦という事実は、それほど大したことでもないのでしょうか。
だいたいが、八月十五日が近づくと、靖国神社に参拝するや否やとか、海外メディアや政権がどんな反応を示しているかなどがニュースの中心になることが多く、あの数多の惨劇を繰り広げられたとされる大戦を真剣に見つめようなどという考え方は、ごくごく少数派なのでしょうか。
第一、「終戦記念日」などというネーミングが気に入りません。私たちは、戦争に敗れたのです。戦争への大義が有るとか無いとかということは別にして、戦争は自然に終戦を迎えたわけではなく、完膚なきまでに打ち負かされた上で終わったのです。広島や長崎の惨劇が語り継がれていますが、あの戦争で惨劇の当事者や関係者になった人の数は、それよりはるかに大きいのです。


八月十五日、今日は第二次世界大戦において敗れた日にあたります。つまり「敗戦の日」なのです。
大手メディアでさえ、もう二流のニュースとしてしか扱わないほど、あの敗戦は大したことはなく、六十五年は遠い昔なのでしょうか。
やはり、きっと、私たちはそう遠くない日に同じ過ちを繰り返すのではないでしょうか。

(2010.08.15)
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季節の小さな変化 ・ 小さな小さな物語 ( 194 )

2011-01-12 09:40:58 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
お盆も終わり、ぼつぼつ通常の生活体制に入る頃でしょうか。
子供の頃から、暑い暑いといっても、お盆が過ぎると朝夕はずいぶん涼しくなってくるということを、挨拶代わりにしていたものです。
しかし、なかなかどうして、残暑というよりは暑さの真っ盛りといった感じです。気象庁の予報では、当地は八月いっぱいは厳しい暑さとなるようです。


この暑さで、農作物の価格に影響が出ているようです。ロシアは小麦の輸出を停止したそうで、やがて私たちの生活にもいくらかの影響は出てくるのでしょう。
農作物ばかりでなく、今年はサンマがとれないそうです。近海の海水温が下がらないためだそうですが、一匹五百円のサンマなんて、買う人がいるのでしょうか。トロやウナギなどよりサンマの方が遥かに美味しいという人にとっては、一匹五百円のサンマも許せる範囲なのかもしれませんが、私もサンマが一番美味しい魚の一つと思っている方ですが、今年は缶詰を買いこんで、意地でも五百円のサンマなんか食べないつもりです。


わが家の小さな菜園も、今一つ元気がありません。トマトは素人の悲しさでしょうか、皮が固く大根風味だと、実にうまいことを言う人がいるのです。オクラもピーマンもぼつぼつですし、野菜不足を補うべく二度目のキュウリを植えていますが、これがまた、あれはテントウムシの仲間なのでしょうが、葉を見事にスダレ状態にしてくれています。自然の戦いに手を加えてはいけないと思い、どちらが勝つか見守っているところです。


今朝、散歩の途中でミンミンゼミの声をいくつも聞きました。気がついたのは今年初めてです。
暑さの象徴ともいえるセミの声ですが、当地ではクマゼミが主流となってしまい、ミンミンゼミの声を聞くのは夏の盛りを過ぎた頃になっています。この声を聞くと、ツクツクボウシの声も間もなくです。
異常気象だ、猛暑日の記録だなどと言いながらも、季節はどこかで確かに動いています。暑い暑いと言いながらでも、わずかながら季節が動く気配が感じられる頃になってきているのでしょうね。

(2010.08.18)
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タックスヘイブン ・ 小さな小さな物語 ( 195 )

2011-01-12 09:39:55 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
「タックスヘイブン」とは、租税回避地のことですが、無税か極めて低い税率が実施されている国や地域を指します。現在、この租税回避地にあたると指摘されている国や地域は、中米や太平洋諸島を中心に相当数あります。


わが国はじめ先進諸国は、企業のグローバル化などもあり、自国の税収の落ち込みや伸び悩みに苦慮しています。その原因の一つに、「タックスヘイブン」を悪用している部分もあると考えています。
わが国でも、租税回避地に設立されている関係会社の利益の一部を、日本本社の利益に加えて課税するなど対策はされていますが、うまく把握されていないことが多いようです。


この制度をどのように利用するかといえば、典型的なケースとしては、該当地に子会社を設立し、その子会社と日本本社との間で取引を行い、その場合に子会社に圧倒的に有利な条件で取引すれば、日本本社から子会社へ利益を移転することが出来ます。その子会社の利益は、極めて低い税率か無税ですから、大幅に納税額を減らすことが出来るのです。
実際は、こんな単純な方法では日本の国税当局に把握されてしまいますので、もっと巧妙な方法がとられているのでしょうが、税法上の正否はともかく、わざわざ租税回避地に子会社を作るのですから、企業にとって有利な納税手段を考えていることは確かなのでしょう。


それでは、タックスヘイブンと指摘されている国や地域はとんでもないことをしているのかというと、そんなことはありません。
そこに設立された企業の税金は、いくら膨大な利益を上げてもゼロかごく僅かです。しかし、法人を設立する際の登録税のようなものや、低額の市民税のようなもので収入を得ており、また、完全なペーパーカンパニーでなければ、雇用や消費が生み出されますので、小国が主体の該当国にとって重要な経済政策なのです。
ただ、タックスヘイブンにある資金はすでに1000兆円にも達しているともいわれ、テロや犯罪組織の資金隠匿場所になっている可能性も考えられ、また、どの国家の規制も罰則も受けることのない巨大企業が生み出される懸念もあります。
そう考えると、完全に野放しにしておくことはできませんが、その気になれば税金の低い国や地域はたくさんあるのですね。わが国も、大企業や高額所得者への税率をもっと上げろという意見もありますが、この国に引き留めておく対策の方がもっと重要な気もするのです。

(2010.08.21)
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処暑の候 ・ 小さな小さな物語 ( 196 )

2011-01-12 09:38:26 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
昨日、八月二十三日は、二十四節気の一つ「処暑」にあたります。つまり、次の「白露」までの十六日間は、処暑の候にあたるわけです。


二十四節気は、太陽の運行をもとに一年を二十四に分けていますので、一つの期間は十五日ないし十六日となります。さらに一節気の期間を三つに分けたものを七十二候といいます。一つの候は五日ほどになりますが、先人たちは五日ごとの僅かな気候の変化を微妙に感じ取っていたのでしょうか。


「処暑」とは本来、暑さがおさまる頃を指しています。
連日の真夏日に熱帯夜、この厳しい暑さは簡単にはおさまらないとの予報もあり、何が「処暑」だというご意見もあることでしょう。
この二十四節気は、中国内陸部で誕生したものなので、わが国の気候と若干のずれが生じることは事実です。しかし、昨日はツクツクボウシの声を初めて聞きましたし、ギラギラと輝く太陽に何の変化もないようですが、朝夕の空の模様は明らかに変化してきています。やはり、季節は動いているのです。


私たちは、一か月とか一週間という単位で生活のリズムをとっています。体調や精神面のバイオリズムも週単位で保たれ変化しているように思われます。確かに一週間というのは手頃な期間であり、記憶や計画などの面からも適切なリズムなのかもしれません。
ただ、そこには季節感がありません。二十四節気が珍重された背景には、農作業が生活の中心であったということでしょうから、現代生活では重視されないのは当然だともいえます。
しかし、私たちは機械的なリズムだけでは耐えられないような本能を持っているのではないでしょうか。お盆やお正月には多くの人が帰郷し、日頃神仏には縁遠い人がお彼岸にはお参りしたり、花より団子を絵に欠いたような人がお花見に興じるのも、日頃のリズムの疲れを癒しているのではないでしょうか。
たまには、二十四節気を思い出してみるのも良いものですよ。

(2010.08.24)
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どこもかしこも暑くて ・ 小さな小さな物語 ( 197 )

2011-01-12 09:37:28 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
暑い日が続いています。
暑い暑いという挨拶も、こういつまでも続くと馬鹿の一つ覚えと言われそうです。


それにしても、暑いのはお天気だけではないようです。
プロ野球某球団は、見事なまでのホットな戦いを見せてくれて、何と22得点ですよ。そして、その翌日は、期待にたがわず、僅かに1得点、全くこっちが暑くなってしまいます。
政権与党も、暑い戦いが始まりした。何がどうなっていて、何をどうすればどうなるのか、何もかもよく分かりませんが、猛暑という時流に乗るべく暑い戦いになりそうなことだけは確かなようです。
こう何もかも暑くてはたまりませんよ、と愚痴っていますと、世の中よくしたもので、景気はどんどん冷え込んでいるようです。


円高・株安が進んでいて、産業界は厳しい局面を迎えているようです。しかも、経済が厳しいのはわが国だけでなく、かつての先進諸国はほぼ全滅状態のようです。
この数年の状況を考えてみますと、わが国の経済不況というものは決して一つや二つの原因によるものではなく、いわんや単なる循環などではないと思われます。わが国がバブルの時代と言われた頃のことを考えてみますと、やはり社会構造が、それも地球規模での社会構造が変動しているように思われます。
たいして働きもせずに豊かな社会が実現するためには、相当の犠牲を強いられる地域や人々が必要だということで、そういうことが通じない時代が来つつあるのかもしれません。


しかし、この猛暑、景気面からいえば、基本的には好材料のはずなのです。だって、前年比大幅な売り上げ増を示している商品や業界は少なくない筈です。
円高が深刻さを増していますが、そうそう一方的に悪いことではない筈です。にんまりしている企業は少なくない筈ですし、私のなけなしの貯金も、ドル換算すれば、あるいはユーロ換算すれば、若干お金持ちになっているのですからね。
いずれにしても、悪い面ばかり考えずに、もっと良い面を積極的に見つけていかないと、わが国の経済は崩壊に向かう可能性もあります。こんな時に政界は何をしているのかと無策を批判する人もいますが、もともと政策にそれほど期待しているわけではないのですから、むしろ無駄な手出しをしてくれないことを感謝して、それぞれが明るいものを見つけ出しましょうよ。

(2010.08.27)
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二百歳登場 ・ 小さな小さな物語 ( 198 )

2011-01-12 09:36:28 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
高齢者の行方不明騒動、どんどん広がりを見せ、ついに二百歳の人が登場しました。
予想以上と言いますか、不謹慎を承知の上で申し上げるならば、期待通りの展開を見せています。
それは、相変わらず高齢者福祉という観点からの報道が多いようですが、違う観点からの、極めて冷静な意見も表面化してきています。


今回のこの騒動には、幾つかの問題が包含されていて、それを表面化させてくれたということでは大変意味のある騒動と言えます。
すでに歴史上の人物の範疇と思える人と同い年であるとか、どんな事件の目撃者であるとかといった、おもしろおかしいコメントはともかく、表面化してきた問題点を整理してみましょう。


一つ目は、年金などの不正受給を目的とした犯罪性です。これまでのところそれほど大きい比率ではないようですが、外国では大きな比率を占めている例もあるようです。
二つ目は、高齢者福祉という観点です。当コラムで繰り返し述べていますように、この騒動は高齢者福祉の観点としてとらえるべきでないというのが私の意見です。住民票や戸籍からの行方不明者は、今回表面化しつつある人数より、百歳未満の人の方が遥かに多いはずだからです。しかし、今回の報道などから明らかになってきている事実として、例えば高齢者に対するお祝金などを届けた場合に、その所在がはっきりしない場合のフォローの不十分さです。それは単に官庁ということではなく家族の責任ともいえます。従って、高齢者の保護という問題をもっと真剣に考える必要があります。
三つ目は、戸籍や住民基本台帳の正確性あるいは連動の問題です。この問題を論じるのは別の機会に譲るとして、今のままの運営で良いとは思われません。少なくともある年齢以上の人に対するメンテナンスは必要なのではないでしょうか。


他にも今回の騒動により、わが国の社会組織の矛盾点が指摘されています。
その中でも、個人情報保護条例の問題や、住民基本台帳の運営方法などは今後議論が高まりそうな気がします。
ただ、今回の騒動をもって、わが国の人口は正しいのかとか、社会組織は未開地並みだという意見が散見されますが、とんでもないことです。大体、全国民の所在地が全て管理されている国家なんて気持ちが悪いと思いませんか。
もっと、私たちの社会組織を信用し自信を持ちましょうよ。

(2010.08.30)
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