雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

記録更新 ・ 小さな小さな物語 ( 199 )

2011-01-12 09:35:19 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
暑い暑いと言うのも、いかにも能の無い話ですが、気象庁が発表した6~8月の平均気温は、統計開始以来最高の暑さだったようです。
真夏日の回数、猛暑日の回数、熱帯夜の回数、多くの観測地点で過去の記録を更新しており、9月になってもなお暑さは衰えを見せておらず、記録に上乗せされそうな勢いです。


暑さの新記録、寒さの新記録、台風の発生回数等々、気象に関するものだけでも多くのデーターが記録されています。そして、それらの記録が更新されるとにぎやかに報道されます。
しかし、どうでしょうか。
確かに、自然現象の変化や、異常気象に伴う健康被害や経済活動への影響など、素人が考える僅かな変化が、個々の分野によっては甚大な影響を与えるのでしょう。このことは十分理解できるのですが、それにしても、報道の多くは興味本位のようなものを感じてしまうのです。


誤解されると困るのですが、興味本位の報道が悪いといっているのではないのです。
大体、人間という生き物は、古来、記録更新が好きな動物なのです。あらゆるもののデーターを取り、記録し、その更新にチャレンジしたり、その報道に一喜一憂するのが好きなものです。あの有名な「ギネスブック」などその最たるものではないでしょうか。


記録更新ということになれば、スポーツの世界が連想されます。多くのデーターが蓄積され、その更新に多くの人がまさに命をかけています。
例えば、100m競争においては、100分の何秒という世界でしのぎが削られています。ほんの僅かな差が世界に知れわたるランナーを誕生させ、少し劣れば、ちょっと走るのが早い兄さんになってしまいます。あらゆるものを犠牲にしても記録更新を目指すわけです。
ただ、私たち普通の生活をしているものにとっては、少しくらい走るのが早いとか遅いとかで人生が大きく変わるわけではありません。そう、猛暑日が二日や三日増えても、耐えられないことなどないですよ。
ここは、この夏、暑さに関してどの程度の記録更新ができるのか楽しむことにしましょうよ。

(2010.09.02)
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食料自給率 ・ 小さな小さな物語 ( 200 )

2011-01-12 09:34:03 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
食料自給率について考えることありますか。
この問題にそれほど興味のない人でも、わが国が食料の多くを輸入に頼っているということはご存知だと思います。テレビなどで、私たちの日常の食卓に乗せられている食品の生産地が、実に多くの国々に広がっていて、わが国で生産されるものはコメを除けば、見つけだすのが大変だと言わんばかりに報道されることがあります。


かつて、人間が生活するのに最もな必要なものは、「衣食住」とされたものです。
「衣」は、化学繊維がありますから、形振りさえ構わなければ、自給できるだけの生産体制は可能でしょう。その前に、二年や三年、衣料品が手に入らなくても最低限の生活は守られるのではないでしょうか。
「住」は、程度はともかく、わが国には、国民全体が雨露をしのぐだけの住居が存在しています。夢のマイホームなどという言葉が、未だに死語にならずに存在していることは確かですが、大規模なパニックが起きても、生存していくに足る住居はそれほど心配することはないでしょう。
このように、「衣」と「住」は、よほどの天変地異でもない限り、それほど深刻な問題はないと言えます。但し、石油の供給に不安がないという前提は付きますが。
しかし、「食」は、そうでもないようです。


現在、わが国の食料自給率は40%程です。これはカロリーベースで計算したもので、アメリカ・フランスは100%を越えており、ドイツ80%、イギリス65%といったように、先進国の中ではダントツのべったです。
現に、この夏の猛暑で、ロシアが小麦の輸出を停止したというニュースがありました。食料に限りませが、大規模な災害や戦争などが発生した場合、世界の国々は、まず自国民の必要量確保に走ります。みんなで公平に分けましょうという論理などは絶対に起こりません。
そう考えますと、わが国の食料自給率が40%というのは、いかにも低すぎると思いませんか。


わが国では、政府が食料自給率について説明する場合は、カロリーベースによるのが主で、それが40%というわけです。しかし、この指標を主に用いているのは、韓国くらいで、多くの国では生産額ベースのものが用いられていて、それだと、わが国は70%になります。
わが国が低い指標となるカロリーベースを用いているのには政治的な背景もあるようですが、もし、世界的な食料パニックが発生した場合には、重要なのは生産金額ではなく、確保できるカロリー量になるともいえます。
現在政府は、カロリーベースの食料自給率を45%に引き上げる策定をしているようですが、この目標が達成できればわが国の食料の安定供給に一応の目処が立つものなのかどうか、もっと説明する必要があるのではないでしょうか。

(2010.09.05)
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小さな小さな物語  目次

2011-01-12 09:26:44 | 小さな小さな物語 第一部~第四部

   小さな小さな物語  目次 ( No.201 ~ No.220 )


    201   パンの他に何が必要か
    202   おいしい水
    203   水資源
    204   矛盾だらけ
    205   よみがえれ特捜部


    206   ガンバレ検察
    207   自給自足
    208   本当の狙い
    209   リセット
    210   ノーベル賞はすごい  


    211   三権分立
    212   チリの奇跡
    213   クマったことです
    214   自己決定の限界
    215   強い者は強ければよいのか


    216   二足のわらじ
    217   仕分けられて
    218   埋蔵金の在り処
    219   打たれっぱなし
    220   なにやらゆかし 

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パンの他に何が必要か ・ 小さな小さな物語 ( 201 )

2011-01-12 09:25:10 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
前回の当ブログでは、食料自給率について述べさせていただきました。
わが国の食料自給率が、先進国といわれる国の中で極めて低いということは事実です。そこには、統計の取り方や、国情の違いなど様々な理由があると思われますし、今さら、わが国だけが自給自足で生活の安全を保つことが出来るなどあるはずがありません。
しかし、わが国の食料生産体制が、極めて貧弱であることだけは厳然たる事実だと思います。


さて、少し視点を変えて、私たち、というより人間は食べ物なしでは生きていくことが出来ません。
水さえあれば相当期間生き延びられるという話もありますが、そういうことではなく、私たちがそれなりの満足感を得ながら生きていくためには、何が必要なのでしょうか。
「人はパンのみで生きられるものではない」といった言葉もありますが、私たちには、パンの他に何が必要なのでしょうか。


わが国においても、五十年ほど前までは「エンゲル係数」というものが生きていました。家計の総支出の中の食費の占める割合のことで、その比率が高いほど生活は貧しいと考える、ドイツの学者が考えだした理論です。
現在の日本ではすでに死語に近い状況です。普通のサラリーマン家庭においては、確かに食費は馬鹿になりませんが、教育費や、交際費や、レジャー関連費などの方が頭が痛いかもしれません。いつ終わるのか考えたくもないような住宅ローンを一番に挙げる人もいるでしょう。車も古くなってきたし、テレビも買い替えろと言うし、クーラーももう一台必要だと言うし・・・。食費以外のことが家計を締め付けています。
しかし、人間のギリギリの生存環境を考える時には、食料の重要性の高さは何ら変わりはないと思われます。


それでは、再び標題に戻り、私たちはパンの他に何を必要とするのでしょうか。
わが国の平均的な家庭の生活水準は、現在の状況より大きく改善することなどないような気がしています。現在は不況だと声高に言われていますが、本当にそうなのでしょうか。世界中の多くの国の人たちの生活実態がどのようなものなのか正しく知りませんが、現在の私たちの生活は大幅に改善されなくてはならないほどひどいものなのでしょうか。もちろん、これは平均値としての話であって、個々の事情は別にしてのことですが。
私たちの消費生活は、地球規模で考えた場合、ぼつぼつ限界に近いほどの水準なのではないでしょうか。
しかし同時に、現在の生活が豊かなものとして満足できている人など、ごく少数派ではないでしょうか。
私たちは、パンだけでは豊かに生きることなど出来ません。それでは、他に何が必要なのか、私たち一人一人が真剣に考えることが大切なように思われるのです。

(2010.09.11)
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おいしい水 ・ 小さな小さな物語 ( 202 )

2011-01-12 09:23:56 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
日本人に限らないことだと思いますが、食べ物に対して微妙な差異を求める人は少なくないようです。
行列のできるラーメン店や、ロールケーキの店などがテレビで紹介されようものなら、その後しばらくは大変な混雑になるようです。評判が高くなりすぎたため、店外の行列が長くなり周辺からの苦情に対応することが出来ず廃業に追い込まれたという、笑っていいのか同情すべきなのか判断に迷うニュースもありました。


グルメ振りをあまり振り回されると少々嫌みですが、ある食品についてかなりのこだわりを持つ人は少なくないようです。
タバコなどはその最たるものでしょうが、酒などのアルコール飲料もそうですし、「肉じゃが」の材料や味付けなどだけでテレビ番組が成り立つほど、こだわりの強い人は少なくありません。
飲料水にもそのような面があるようです。


わが国に、個人所有の乗用車がちらほら見え始めた頃、「中東では、ガソリンより水の方が高いらしい」という当時としては冗談だとしか思えないような話がありましたが、現在の日本では、ペットボトル入りの飲料水はガソリンより高いのが普通になってしまいましたよね。
500cc入りのペットボトルが100円で売られていても大して苦情を聞くことがないのに、ガソリンが500ccあたり100円になろうものなら、国をあげて大騒ぎするのは、あれは何なのでしょうか。


最近の水道水は高度浄水処理されているものが大半で、味は極めて良好なのだそうです。かつての大都市の水道水の不味さを知っている私などはなかなか納得できないのですが、この夏、水道水をコップに入れて冷蔵庫に入れていて大分飲んだのですが、日頃遥々遠方から取り寄せているペットボトル入りの水とは、少なくとも味に差はないようです。
飲料水を水道水にすれば、一日2000cc飲んだとしても、その費用は1円にも満たないそうです。
現在、すでに多くの資源が世界規模で争奪戦が起こりつつあります。「水」も、そう遠くない日に争奪戦の対象になりそうな予感があります。
その日に備えて、水グルメもいいですが、水道水の味を見直してみませんか。

(2010.09.14)
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水資源 ・ 小さな小さな物語 ( 203 )

2011-01-12 09:22:51 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
水の惑星といわれる地球。
私たちの生命の源泉であり、空気とともに私たちの生活を支える最も根源的なものといえます。そして、それらは、無尽蔵に存在し、ごく自然に循環されているものと考えられていました。
しかし、そのどちらもが、決して無尽蔵ではないということが私たちの生活を脅かせつつあります。
今回は、そのうちの「水」について考えてみました。


地球上には、およそ140京トンの水が存在しているそうです。これがどれほどの量なのか例えようが分からないのですが、とにかく膨大な量です。地球上の全人類が、少々無茶な利用の仕方をしてもビクともしないだけの量を造物主は用意してくれていたようです。
しかし、残念ながら幾つかの問題があるのです。
まず、地球上にある水は、そのほとんどが海水だということです。不思議なことに海水は私たちの生活用水としては、ごく一部の利用方法以外には役立ちません。それでは、淡水はどれほどかと言いますと、全体の2.5%程度に過ぎないのです。
さらに、その淡水の70%は、南極や北極や氷河として固定されていて、残りの大半も地下水となっています。私たちが、湖や河川から採取できる淡水は、全体の0.01%程に過ぎないそうです。


水資源の難しさは、地域差が極めて大きいことにもあります。砂漠地帯を考えてみるだけでも分かることですが、その片寄りは激しく、また移動させるのは、石油よりはるかに高価なミネラルウォーターのような形ならともかく、経済的にとても難しいことのようです。
増加を続ける世界人口を養うだけの食料を確保することは大変難しいことのようですが、あらゆる食料の生産には水資源が必要だということを忘れてはなりません。わが国の食料自給率の低さが問題になっていますが、もし100%の自給率を達成させるとすれば、農地の問題ばかりでなく、現在わが国で使われている全水資源に近いほどの「新たな水資源」が必要になることも考慮しなくてはなりません。


このように、水資源の問題は砂漠地域など限られた地域の問題ではありません。
わが国は、水資源に恵まれているように考えられがちですが、確かに面積当たりの年間降雨量は世界平均を上回っていますが、人口一人当たりということになると世界平均の三分の一程なのです。その上、わが国の河川は大陸の国と違い急流が多いため直接海に流れてしまう比率も高いのです。水資源の効率的な利用が特に必要な国だといえるのではないでしょうか。
おそらく、そう遠くない将来、太陽エネルギーの利用が世界のエネルギー問題の鍵となり、海水からの淡水化が世界の水資源問題の重要な鍵となるのではないか、そう思えてならないのです。

(2010.09.17)
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矛盾だらけ ・ 小さな小さな物語 ( 204 )

2011-01-12 09:21:44 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
矛盾していることって、多いと思いませんか。
この夏は、政治に関することや、裁判に関することを話題とした報道が特に多かったと思うのですが、これらの中でも矛盾していると思われることが数多く感じられました。


『矛盾』という言葉は、ご承知のように「韓非子」にある故事から生まれています。
すなわち、矛と盾を売っている商人が、「この矛はどんな盾でも突き通せる」と説明し「また、この盾はどんな矛をも通さない」と説明し売ろうとしていたので、「それでは、その矛でその盾を突けばどうなるのか」と客が訊ねたところ返答することが出来なかった・・・、という大変有名な故事です。


中国の思想家などの教えや説話から生まれた言葉は数多くありますが、この『矛盾』という言葉ほど今日の社会で輝いている言葉は少ないのではないでしょうか。
現在のわが国の政治の指導的立場にあると思われる人物たちが、「韓非子もびっくり」というほどの矛盾に満ちた発言をしていますし、裁判に関する当事者たちにも見えます。さらに、それらを論評している人たちの意見もよほど注意していないと、今日と明日とでは、見事なほどに「矛」と「盾」とを使い分けていることがあります。
故事にある武器商人は、商売熱心のあまり調子に乗り過ぎたところを客に指摘されたのでしょうが、現在の日本では、矛盾していることなど百も承知の上で、この二つの武器をうまく使いこなしている人が少なくないものですから、住みにくいはずなのです。


しかし、考えてみますと、そうそう目くじら立てて『矛盾』を非難することなどないのかもしれません。
なぜなら、私たちの日常生活は、多かれ少なかれ『矛盾』の上に成り立っているようなものなのですから。
むしろ問題なのは、一部の人が、本当に強靭な矛を持っており、その人たちに限って強固な盾を隠し持っていることにあるのではないでしょうか。矛盾に満ちた生活を送っている私たちも、「矛」も「盾」も持ってはいます。時には一人前にそれらの武器を振りまわしたりもするのですが、「強靭な矛」や「強固な盾」にかなうはずなどありません。それが問題なのです。
まあ、いくら嘆いてみても、「強靭な矛」も「強固な盾」も、取り上げることは簡単なことではなさそうです。私たちとして出来ることは、「最も弱い矛」と「最も弱い盾」で身を護っていることを認識して、それらの武器を振りまわさなくて済むような手段を心がけるべきなのでしょうね。

(2010.09.20)
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よみがえれ特捜部 ・ 小さな小さな物語 ( 205 )

2011-01-12 09:20:02 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
検察による証拠物の改竄という、とんでもない事件が発生しました。
事実関係の確認はまだこれからなのでしょうが、当事者が早々と逮捕されるという状況からして、相当確信的な犯罪が行われていたと推定されます。
逮捕された人物は、大阪地検特捜部のエースとも目されていた人物のようで、検察組織はもちろん社会全体に及ぼす影響は小さなものではないでしょう。


幸か不幸か、私は地検特捜部が担当するような犯罪に関わったことはありませんが、この特捜部という所は、一般庶民が弾みで犯してしまうような事件にかかわることはなく、汚職や大規模な詐欺など、一般庶民の道徳や規範などでは手も足も出ない犯罪に対して、社会正義を守る最後の砦として存在しているはずのものなのです。
普通の警察組織などでさえとても太刀打ちできないような巨悪に対して、ちょうど水戸黄門における印籠のように、最後の最後には正義を護ってくれる伝家の宝刀のはずなのです。


特捜は巨悪な犯罪者や組織と対抗するのですから、その相手もとてつもなく大きな力を有しています。暴力的な力もあるでしょうし、ルパンもびっくりという知識を有しているでしょうし、政治権力さえ動かす力も持っているかもしれません。
そのような巨悪に対する捜査は、幼稚園児をあやすような取り調べで真実を解明することなど出来ないでしょう。人権問題に発展するほどの取り調べや、私有権を束縛するような調査も必要なのでしょう。
しかし、厳然たるべき物的証拠に対しては、いささかの加工も許されるはずはありますまい。


事件の進展は見守っていくしかありませんが、私は相反する二つのことを懸念しています。
一つは、今回の事件は氷山の一角に過ぎず、同じようなことが日常茶飯事というほどではないにしても、数多く行われているのではないかということです。それは、単に冤罪を産むということばかりでなく、起訴すべき巨悪を故意に取り逃がしているのではないかという懸念です。
今一つは、この事件により検察組織の力が弱まるのではないかという懸念です。一般庶民の多くは、とてつもない巨悪を退治してくれるのは政治の力によると考えている人は少数派で、警察および検察による抑止力こそが正義の担い手と考えている人の方が多いはずです。中でも、東京・名古屋・大阪に設置されている特捜部は、一般庶民にとっては水戸黄門の印籠なのです。
最高検は、この事件の真相を赤裸々に発表し、一日も早く「この印籠が目に入らぬか」と登場して一般庶民のうっぷんを晴らす存在を取り戻してほしいと願うばかりです。

(2010.09.23)
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ガンバレ検察 ・ 小さな小さな物語 ( 206 )

2011-01-12 09:18:42 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
検察に対する風当たりが厳しくなってきています。
大阪特捜部の検事が逮捕されるという事件、どうやらその上層部まで責任が及びそうな気配を見せています。また、逮捕された検事に関して、これまでの取り調べについても問題があるような話もちらちら見え出しています。


前回の当コラムにも書かせていただきましたが、検察はわが国の正義を守る砦だと思うのです。このことは、何がなんでも、そうあってもらわなくてはならないのです。
その中心的なメンバーに問題があったとすれば、これは厳しく対処してもらわなくてはなりません。その上司に管理不十分なところがあるのなら、本人以上の責任を負ってもらわなくてはなりません。問題検事の日常行動に対して、相当の問題を感じながら知らぬ振りをしている同僚や後輩がいるのであれば、厳しい再教育が必要でしょう。


かつて私が経験した一般的な会社の場合でも、同僚を疑っていたのでは仕事にならないという面は確かにありました。
検察組織というものがどういうものなのか私は知りませんが、一般的な会社よりはるかに優れた人材が揃っており、普通の人より遥かに高い正義感を有している人材が集まっている組織だと思うのです。
しかし、残念ながら人間はそれほど強いものではないと思うのです。
一見仕事が出来るように見えるものの人格が歪んでいる人物。わが身大切なのは誰も同じなのだと思うのですが、あまりにも極端に過ぎる人物。いつの間にか社会規範を踏み外してしまっているのに社会正義を振りかざしている人物。何かのはずみで社会正義に背を向けてしまった人物、等々・・・。
どんな組織であっても、組織が大きくなればなるほどそういう人物は出てくるものです。優秀な人材が多いとされる組織ほどより悪質な反社会的な人物が存在するものです。
検察組織とて、その例外であるはずなどありません。


今回の事件が、全く一検事の不祥事なのか、意識的であるか否かはともかく組織的な関与があるのか、そのどちらだとしても、そんなことは当然起こりうることなのです。これまで皆無であったとすれば、むしろそのことこそ問題なのです。
再発防止に努めてもらわないといけないことは当然ですが、絶対に、同じような事件は起こるはずです。
大切なことは、そのような不祥事を、いかに多くの人がチェックできるのか、いかに早く発見することが出来るのか、いかに正確な調査が出来るのか、そして、いかに厳しい対処が出来るのかということだと思うのです。
捜査のプロに勝手なことを書いていますが、今回の事件を一日も早く明らかにして、厳しい社会の批判に負けることなく、これまで以上に堅固な社会正義の砦を築いてほしいのです。繰り返しますが、多くの一般市民が、検察こそが社会正義の最後の砦だと思っているのですから。
『ガンバレ検察』と、必死にエールを送ります。

(2010.09.26)
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自給自足 ・ 小さな小さな物語 ( 207 )

2011-01-12 09:17:25 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
尖閣諸島をめぐる厳しい状態が続いています。
遠い昔のことはともかく、米国から沖縄返還を受けた際に、しっかりとした領土確保の対策がなされなかったことが今日の問題を招いていると思われ、残念でありません。


問題が発生してしまってから、あれやこれやと挙げ足を取るのはどうかと思いますが、今度こそはこの問題を忘れないでしっかりとした保安対策を策定構築してほしいものです。
と、言っても、それが簡単なことでないことも、私などにもよく分かっています。
外部からの圧力に抗するためには、強力な兵力を有することが最も有効なことは昔も今も変わりがありません。多くの紛争が話し合いで解決できるとか、現に多くの例があると声高におっしゃられる方も少なくありませんが、その話し合いは、兵力をバックにしてのことだということを見落としてはならないでしょう。しかし、わが国が世界に物申すほどの兵力を持つことなど、財力からも、国民意識からしても、不可能といえます。
世界中に一つの正義が確立されて、あらゆる紛争がその正義に照らして解決される時代が来るはずだと私も願っている一人ですが、それはおそらく何百年か何千年か先のことでしょう。


今回のことで、私たちは、わが国は非常に不安定な条件の上で存立していることを知りました。
多くの資源を海外に依存しているわが国は、常にその輸出入ルートを押さえられる危険と背中合わせに繁栄しているのです。かと言っても、わが日本列島をどこまで掘り進んでみたところで、石油にしろその他の鉱物資源にしろ、無いものは無いのです。
武力も駄目、資源も駄目というわが国は、結局、海外からの圧力を少しでも和らげる方法は、こすっからく立ち回って世界中の国にヨイショをするか、自給自足を目指すしかないのでしょうか。


この時代に「自給自足」など冗談にも程があるといわれる意見もあるでしょうが、何の何の、これはなかなか有効な対策なのです。なにも貿易を全てやめてしまわなくても、主要な物資を自給できる体制を整えていくことは、一億を越えるような人口を有する国家にとって当然のことではないでしょうか。
その第一歩は、食料自給率のアップです。極端に厳しい自然条件にある国家ならともかく、わが国が国民の生存に必要な食料を自給することなどそれほど難しくない筈です。
それと、鉱物資源の乏しいわが国が進むべき方向は、海水の利用と太陽光熱の利用に道を求めるべきではないでしょうか。
それともう一つ、円高に苦しんでいる今こそ、一兆円や二兆円などといったちゃちな市場介入などやめて、せめて百兆円程度の資金を海外の資源会社に投資したらどうでしょうか。そのため少しばかりは円が弱くなるでしょうが悪い影響など知れています。資金源も、今さら国家の借金が百兆円や二百兆円増えたところでどうってことありませんよ。
わが国が、ゆったりと、心豊かな人が集う国家となるために、誰か知恵を絞りだしてくれないものでしょうか。

(2010.09.29)
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