第二章 ( 十一 )
九月には、御供花(クゲ/クウゲ)が行われました。
今年は、六条殿の御所が新しくなって、いつもにも増して見栄えがするのですが、その上に新院(亀山上皇)の御幸まであり、「御供花行事の立ちあいに、深草院御所の女房の応援が欲しい」などと申し出があったものですから、女房方皆さまご準備に大わらわでございました。
ただ姫さまは、このところご気分がすぐれないご様子で、引きこもりがちな日を送っておられました。
しかし、御供花の行事には参らぬわけにはいきません。
御供花が終わった後、松茸を採りに伏見の御所に御所さま・新院の両院お揃いで御幸されるということで、近衛の大殿もお出でになることになっておりました。
ところが、どのような差し障りがあったのでしょうか、突然ご欠席となり、お手紙が届けられました。
『 伏見山幾万代(イクヨロヅヨ)か栄ふべき みどりの小松今日をはじめに 』
という、近衛の大殿の御歌に、御所さまのお返しの御歌は、
『 栄ふべきほどぞ久しき伏見山 生(オ)ひそふ松の千代を重ねて 』
というものでございました。
近衛の大殿と申し上げますのは、前関白鷹司(藤原)兼平殿でございますが、伏見山に御所さま御一統の繁栄を込められたものなのでしょう。(伏見山は、後深草院の皇統である持明院統の象徴)
中二日のご逗留でございましたが、賑やかな酒宴などもあり、両院はご機嫌よいご様子で、姫さまも少し元気になられたご様子でございました。
ところで、一昨年の七月のことですが、姫さまがしばらく里に下がられていた後御所に参られた時のことでございます。
姫さまは、裏表に小さな州流し(スナガシ・紙などに金・銀の砂子を散らしたもの)をして中央が縹色(ハナダイロ・薄い藍色)の紙に水だけを描いて、その水の上に白い絵の具で「くゆる煙(ケブリ)よ」とだけ書いた扇紙を樟木の骨とともに、張らせるためにある人のもとに依頼されました。
すると、その人の娘というのは絵の上手として知られた方なのですが、その扇紙を見て、一面の水に秋の野を描いて、「異浦(コトウラ)にすむ月は見るとも」と書きつけたものを持参されました。
いずれも、他の和歌の一部を引用したものです。
姫さまは、この扇を御所さまにお見せしましたところ、
「一人の筆跡には見えぬ。どのような関係の人の形見なのか」
と、いろいろとお尋ねになられるものですから、適当にお答えするわけにもいかず、姫さまはありのままを申し上げられました。
御所さまは、その絵の美しさに感心されておりましたが、やがて、浮気な恋心が高まって、やがて恋路に迷い込まれてしまったのです。あれから、足掛け三年ほどにもなりますが、折々に姫さまに恋の手引をねだられたりしていたようです。
ところが、どのような経路で進展したものでしょうか、十月十日の宵の頃に、その女性が参られるという手筈になったのです。御所さまはお心の置き所もないご様子で、格別なお心遣いで御仕度をなさっていましたが、中将の藤原資行(スケユキ)殿が参られて、
「御命令ありました御傾城(ケイセイ・美人)を、お連れしました」
との報告があり、姫さまが御所さまにお伝え申し上げますと、
「しばらく、車に乗せたままで、京極面の南の端の釣殿のあたりに留めておくように」
との仰せがございました。
* * *
九月には、御供花(クゲ/クウゲ)が行われました。
今年は、六条殿の御所が新しくなって、いつもにも増して見栄えがするのですが、その上に新院(亀山上皇)の御幸まであり、「御供花行事の立ちあいに、深草院御所の女房の応援が欲しい」などと申し出があったものですから、女房方皆さまご準備に大わらわでございました。
ただ姫さまは、このところご気分がすぐれないご様子で、引きこもりがちな日を送っておられました。
しかし、御供花の行事には参らぬわけにはいきません。
御供花が終わった後、松茸を採りに伏見の御所に御所さま・新院の両院お揃いで御幸されるということで、近衛の大殿もお出でになることになっておりました。
ところが、どのような差し障りがあったのでしょうか、突然ご欠席となり、お手紙が届けられました。
『 伏見山幾万代(イクヨロヅヨ)か栄ふべき みどりの小松今日をはじめに 』
という、近衛の大殿の御歌に、御所さまのお返しの御歌は、
『 栄ふべきほどぞ久しき伏見山 生(オ)ひそふ松の千代を重ねて 』
というものでございました。
近衛の大殿と申し上げますのは、前関白鷹司(藤原)兼平殿でございますが、伏見山に御所さま御一統の繁栄を込められたものなのでしょう。(伏見山は、後深草院の皇統である持明院統の象徴)
中二日のご逗留でございましたが、賑やかな酒宴などもあり、両院はご機嫌よいご様子で、姫さまも少し元気になられたご様子でございました。
ところで、一昨年の七月のことですが、姫さまがしばらく里に下がられていた後御所に参られた時のことでございます。
姫さまは、裏表に小さな州流し(スナガシ・紙などに金・銀の砂子を散らしたもの)をして中央が縹色(ハナダイロ・薄い藍色)の紙に水だけを描いて、その水の上に白い絵の具で「くゆる煙(ケブリ)よ」とだけ書いた扇紙を樟木の骨とともに、張らせるためにある人のもとに依頼されました。
すると、その人の娘というのは絵の上手として知られた方なのですが、その扇紙を見て、一面の水に秋の野を描いて、「異浦(コトウラ)にすむ月は見るとも」と書きつけたものを持参されました。
いずれも、他の和歌の一部を引用したものです。
姫さまは、この扇を御所さまにお見せしましたところ、
「一人の筆跡には見えぬ。どのような関係の人の形見なのか」
と、いろいろとお尋ねになられるものですから、適当にお答えするわけにもいかず、姫さまはありのままを申し上げられました。
御所さまは、その絵の美しさに感心されておりましたが、やがて、浮気な恋心が高まって、やがて恋路に迷い込まれてしまったのです。あれから、足掛け三年ほどにもなりますが、折々に姫さまに恋の手引をねだられたりしていたようです。
ところが、どのような経路で進展したものでしょうか、十月十日の宵の頃に、その女性が参られるという手筈になったのです。御所さまはお心の置き所もないご様子で、格別なお心遣いで御仕度をなさっていましたが、中将の藤原資行(スケユキ)殿が参られて、
「御命令ありました御傾城(ケイセイ・美人)を、お連れしました」
との報告があり、姫さまが御所さまにお伝え申し上げますと、
「しばらく、車に乗せたままで、京極面の南の端の釣殿のあたりに留めておくように」
との仰せがございました。
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