雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第六十三回

2015-07-12 09:06:20 | 二条の姫君  第二章
               第二章  ( 二十一 )

姫さまが座を離れました後の様子をお伝えしましょう。
酒宴も半ばが過ぎて、かねてからの予定通りに両院が入られましたが、明石の上の代役の琵琶を弾く者がおりません。
事の有様を御尋ねになられますと、東の御方はありのままに申し上げられました。
「道理だ。あが子(院が二条を呼ぶ時の愛称)が座を立ったのももっともだ」
と言われて、局を尋ねられましたが、
「すでに御所を退出いたしました。お召があれば差し上げるようにと、お手紙を預かっています」
と、姫さまの下仕えの者が申し上げたものですから、御所さまはがっかりとなされ、折角の座は気まずい雰囲気になってしまいました。

姫さまが書き残された御歌は、新院も御覧になられて、
「たいそう心憎いことです。今宵の女楽は、今さら面白くもないでしょう。この歌を頂いて帰りましょう」
と申されて、還御なされたということでございます。
こうなった以上は、今参り殿も自慢の笙の琴を弾くことも出来なくなってしまいました。
「隆親大納言のやり方は正気の沙汰ではない。二条の局の振舞いは、心憎かった」
と、皆さまが申され、姫さまを咎められる言葉はなかったそうでございます。

翌朝まだ早い時間に、四条大宮の姫さまの乳母殿のもとや、六角櫛笥の久我の尼上のもとなどに、御所さまがお使いを下さって、姫さまをお探しになられましたが、いずれも「行方は分かりません」と申し上げるばかりだったそうでございます。
そのように、御所さまはさらにあちこちとお尋ねになられましたが、誰も姫さまの居場所を答えることはできませんでした。
姫さまにはそのような様子が噂として伝わってきておりましたが、これは良い機会なので憂き世を離れていようなどと申されておりましたが、十二月の頃からご妊娠の徴候がはっきりとしてきていて、そうそう勝手は出来ない体調だったのです。
それでも姫さまは、しばらくは隠れていて、この妊娠と出産の時期を過ごして、身二つになった後には、ご出家しようと考えておられたのです。

姫さまは、これから後は永久に琵琶の撥を取るまいとご決心なされていて、後嵯峨院から頂いた琵琶を石清水八幡宮に奉納されました。
その時、故御父上の大納言殿が書き残されていた文書の裏に、法華経をお書きになられ(石清水八幡宮は、神仏習合の神社)、経をお包になられる紙に次の御歌をお書きになられました。
『 この世には思ひ切りぬる四つの緒の 形見や法(ノリ)の水茎の跡 』

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二条の姫君  第六十四回

2015-07-12 09:04:49 | 二条の姫君  第二章
               第二章  ( 二十二 )

思い起こしますと、初めて有明の月殿から「折らでは過ぎじ・・」などと言う大仰な言葉を姫さまが受け取ったのは、一昨年の春三月十三日のことでございました。
その後もいろいろと経緯があり、必ずしも姫さまのご本意ではありませんが、法親王は有明の月とお呼びする存在となってしまわれました。
去年の暮れには、恐ろしいほどの起請文などが届けられ、姫さまは大変な覚悟で別離を伝えられたのでございます。

それが今年の三月十三日には、御所さまと新院とのお遊びの行き掛かりから御所を退出されることになってしまわれました。大切な琵琶もすでに奉納されてしまわれました。
御父上の大納言殿がお亡くなりになられた時には、姫さまも隆親殿も今後は親代わりにと思っておられたはずですのに、
「自分の言うことを聞くことができず、御所を退出してしまうような者は、自分が生きている間は参上することなど出来ないはずだ」
などと公言されているそうですので、姫さまを後見なさるべき方々のつれなさは、たとえ姫さまにも責められるべきことがあるとしても、故御父上の大納言殿からのご厚情は、どこへ忘れてきたというのでしょうか。

この間にも、御所さまはあちらこちらに使いを出されているようですし、雪の曙殿も山深い寺院までも考えられる限りの場所を尋ねられているということでございます。
しかし姫さまは、お姿をお見せになるつもりはないらしく、やがて、法文聴聞の結縁に良いと思われたのでしょうか、以前にもお世話になったことのある尼僧・真願房殿の庵室に移られて、引き続き身を隠されておりました。

そうこうしておりますうちに、四月の賀茂祭の頃となりました。
祭の御桟敷を隆親の大納言殿が用意されて、両院が御幸されて大騒ぎであったという噂が聞こえて参りました。
また、同じ四月の頃ですが、天皇と春宮のご元服に、大納言で歳をとった人が参入することになりましたが、「前官者(退任した者)では駄目だ」ということなので、隆親殿は資格外になってしまいます。そこで、息子の善勝寺の隆顕大納言殿から、そのお役を一日借りて、隆親殿が改めて大納言に任じられて参入することになりました。
「たいへん神妙なことだ」ということで、無事お勤めを果たされたのですが、どういうことなのでしょうか、隆顕殿に返されるはずの大納言のお役は、そうではなくて、藤原経任(ツネトウ)殿が権大納言に就かれたのです。

予期せぬことに、善勝寺の隆顕大納言殿は、正しくは前の大納言ということになりますが、落ち度もないのに理由もなくお役を剥奪されたのは、父隆親大納言殿が企んだことだと思い、深く憎まれました。
隆親殿が、現在の正妻の子である隆良中将殿を参議に任じていただくよう運動していたこともあって、隆顕殿の大納言のお役を返上することで実現させ、隆良殿に隆顕殿を追い越させる企てなのだと、同じ家に住んでいながらかいのないことだとお怒りでした。そして、奥方の父九条中納言忠高殿の邸に移り住んだという話が伝わってきました。

さすがに姫さまは大変驚かれたご様子でした。
隆親の大納言殿とは不愉快ないきさつで別れたままですし、善勝寺の隆顕大納言殿とも有明の月殿との一件もあり、決して好意をお持ちではないのでしょうが、何といっても善勝寺の大納言殿はご親戚関係では一番後見してくれてきた御方なのです。
姫さまはご訪問も考えられたようでしたが、御身を隠されておられる状態でもあり、お手紙にて、「これこれの所に居りますので、お立ち寄りください」とお報せなさいました。

善勝寺の大納言殿からは、早速にご返事がありました。
「行方不明と聞いてからは、どう対処すればよいのか気がかりだったので、嬉しい頼りでした。早速、夜になればお訪ねして、気がかりだった日々のことなどお話しましょう」
などと書いていて、夕暮れ時に訪ねて来られました。

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二条の姫君  第六十五回

2015-07-12 09:02:48 | 二条の姫君  第二章
               第二章  ( 二十三 )

四月の末頃のことなので、一面の新緑の中に、遅咲きの桜が格別くっきりと白く残っているところに、月がたいそう明るく顔を出してはいるものの、木陰は暗く、鹿がたたずみ歩いているなど、絵に描きとめたいような景色で、寺々の初夜を告げる鐘の音が、今しも聞こえて参りました。
ここは、三昧堂に続く廊下なので、初夜の念仏がすぐ近くに聞こえてきます。

回向を終えて出てくる尼僧たちの麻衣の姿は、とても侘しげに見えるのでしょうか、隆顕大納言殿は感慨深げでございました。
これまでは、思い悩むこともなく、誇らしげに自信に満ちた行動をなされていた御方が、ひどく気落ちされているようで、長絹の狩衣の袂も、涙に濡れているかと思うご様子でした。
「今となっては、恩愛に繋がる世俗の家を捨てて、真実の道に入ろうと決意はしたが、そなたの故御父上の大納言殿がくれぐれもそなたをお世話するようにと申し置かれたことを思うと、私までがその言葉を無にしてしまうのかと、決心を鈍らせるのだよ」
などと、切々とお話になられました。

姫さまは、熱心にお聞きになり、隆顕大納言殿のお苦しみや姫さまを後見しようとされていることの一方でないことに、懐かしさなども入り混じられたのでしょうか、涙を溢れさせておられました。
そしてまた、この大納言殿までがご出家となれば、姫さまを親身にご後見して下さる方はいなくなってしまうのではないかと、姫さまの先々の不安が高まるのです。

「わたしは、このような体ですので、この時期を過ごしてからは山深く世を捨てる決意ですので、大納言殿と同じ墨染の姿になるのでしょうか」
と、姫さまは寂しげに語られておりました。
お二人は、なおこの世の憂きことなどを互いに語り合っておられましたが、そのうちに、
「それにしても、いつぞやは、法親王の恐ろしい御手紙を見てしまった。この身に過失はないが、どうなることかと身の毛もよだつ思いだった。早くも、そなたといい私といい、このような事態になってしまったのは、本当にあの御方の執念なのかもしれない」
と、隆顕大納言殿は法親王とのことを話題にされました。

「そうそう、そなたがどこにもいないということで、御所さまがあちらこちらとお捜しになられていた頃、あの御方が院に参られましたが、その帰りの途中、『本当か、これこれだと聞くのは』とお尋ねになったので、『行方不明だと、今日までのところはそう聞いています』と申し上げたところ、どうお思いになられたのか、中門のあたりに立ち止まられて、しばらくは物も仰らないで、涙がこぼれるのを檜扇で隠すようにされながら、『三界無安、猶如火宅』(サンカイムアン、ユニョカタク・法華経にある偈で、衆生が流転する迷いの世界の不安は、まるで火事で焼けている家のようなものだ、の意)と口ずさんで、退去されました。普通の人が、恋しい・悲しい・驚いた・ああ、などと言い続けるよりも、いっそう哀れに感じましたよ。本尊に向かって念誦される御姿を思うにつけ、まことに哀れでした」
と、しんみりと話されました。

姫さまも、「悲しさ残る」などという御歌を詠まれたあの月の夜のことを思い出されていたのでしょうか、しんみりと涙ぐんでおられました。
異常なまでの執念にとても大きな恐怖を感じていた御方ですが、現在の環境と、やはりひとときは契りを交わした御方ですから、姫さまのお心も揺れ動いていたのでしょうか。

夜が明けると、お互い世間に対して憚られる身なのでと、「いわくありげな朝帰りめいているなあ」などと言いながら早々にお帰りになられましたが、すぐさまお手紙がありまして、
「昨夜の哀れといい、今朝の名残といい、真実の道に入られる時にはお見捨てにならないように」などとあり、和歌も添えられておりました。
『 はかなくも世のことわりは忘られて つらさに堪へぬわが袂(タモト)かな 』

姫さまのご返事にも、「まことに、憂きことはこの世のならいと知りながらも、つい嘆いてしまうのはこのようなことかと、悲しみも加わって」などとお書きになり、ご返歌なさいました。
『 よしさらばこれもなべてのならひぞと 思ひなすべき世のつらさかは 』

     * * *


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二条の姫君  第六十六回

2015-07-12 09:00:59 | 二条の姫君  第二章
               第二章  ( 二十四 )

雪の曙殿は、姫さまの行方が分からなくなったことをご心配されて、春日の御社に二・七日籠っておられましたが、十一日目の夜に、二の御殿の御前に姫さまが変わらぬ姿でいるという夢を見られまして、すぐに向かわれました。

その途中の藤の森とかいう辺りで、善勝寺の隆顕大納言殿の中間が、細い文箱を持っているのに出会いました。雪の曙殿は、何か直感するものがあったのでしょうか、中間が何も言わないうちに、かまをかけて、
「勝倶胝院(ショウグテイイン)から帰るところだな。二条殿のご出家は、いつはっきりと決まると聞いているのか」
と言われますと、中間は、事情をよく知っている方と思ったようで、
「昨夜、九条邸から大納言殿(隆顕)がお出でになられましたので、私もお供しておりましたが、今朝またお使いを命じられ帰るところですが、ご出家のことは、いつとまでは承っておりません。確かに、ご出家はなさるようですが」
と答えられたそうでございます。

雪の曙殿は、思惑通り姫さまの在り処を聞き出すことに成功され、大変嬉しく思われて、供の者が乗っている馬を神馬として春日社に寄贈され、昼の間は世間の目がありますので、ご自身は醍醐にある縁故の僧房に行かれたそうでございます。

もちろん、そのようなことは姫さまがご存知あるはずはなく、夏木立をぼんやりと眺めながら、僧房の主である尼御前の前で、唐の善導和尚の御事などを教えていただいている夕暮れ時のことでございました。
その縁先にどういう用なのか上がる人がいました。姫さまも気付かれたようですが、尼たちのうちのどなたかとでも思っていたようですが、さやさやとなる装束の音は少し様子が違うものなので、姫さまがそちらを向かれますと、障子を細めに開けて、
「気強くも、身をお隠しになられたけれど、神のお導きで、このように尋ね当てることが出来ました」
という声は、雪の曙殿だったのです。

「これはまあ、どうしてここに」
と、姫さまの驚きようは尋常ではありませんでしたが、懸命に気持ちを押さえられて、
「何もかも、世の中のことすべてが恨めしくなって御所を出ましたからには、何方とも、人を区別してお逢いしたりしなかったりするようなことはできません」
と強く申されて、その部屋を出ていかれてしまったのです。
いつものように、どうすればあのような優しいお言葉が出てくるのだろうかと思われるほどの優しさは、姫さまのお心に伝わっていないはずはありませんが、強くご決心した上でのことだけに、二度と帰参するつもりはないと繰り返され、このような身であれば、何方も帰りを待ってなどいないはずだと付け加えられました。

雪の曙殿は姫さまの後を追い、
「御所さまが、あなたのことを心配され、あちらこちらと尋ねられているのは、並大抵の愛情からではありますまい。この度のことは、隆親大納言の老いのひがみから起こってしまったことなので、何としてもこの度は、御所さまのお気持ちを汲んで帰参なさるのがよい」
などと姫さまに繰り返し申し上げられ、次の日も此処に留まられました。

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二条の姫君  第六十七回

2015-07-12 08:59:49 | 二条の姫君  第二章
               第二章  ( 二十五 )

次の日、雪の曙殿は、善勝寺の大納言殿にお見舞いの手紙をお書きになって、
「二条の局が此処に居りましたのを思いかけず尋ね当てました。ぜひ、お目にかかりたい」
と、連絡を取られました。
「何とか工夫して、ここへおいで下さい」という雪の曙殿の懇切な内容に、善勝寺の大納言殿はこの日の暮方に再びお見えになりました。

「つれづれのお慰めのために」という姫さまのお申し出で、お酒の席をご用意していただきました。
雪の曙殿、善勝寺の大納言殿、そして姫さまのお三人は、夜を徹して御酒を酌み、積るお話を語り明かされました。
そして、夜も明けゆく頃になって、雪の曙殿は、
「この度のことは、貴殿がたまたま二条の局のことを聞き出したということにして、御所さまに申し上げるのがよいだろう」
などと、お二人は申し合わされて、共に朝早いうちにお帰りになられました。

お二人がそれぞれにお帰りになられるのを、姫さまはたいそう名残惜しげなご様子でございました。
「せめてお送りいたしましょう」
と、姫さまは外までお見送りに出られました。
善勝寺の大納言殿は、桧垣に夕顔を織った縮の狩衣で、「帰り道が不体裁であろうか」などとためらいながら、まだうす暗いうちにお帰りになりました。

雪の曙殿は、西に沈む月がまだ明るく照らす頃に、薄香色(黄色を帯びた薄赤色)の狩衣を召されていて、車を準備される間、建物の端の方に出て、庵主殿にも「思いかけずお目にかかれて、嬉しく思います」などとご挨拶なされますと、庵主殿も「十念成就の終りに、阿弥陀三尊のご来迎をお待ちしている柴の庵に、思いがけぬお人のお陰で、時折墨染でないお姿でお訪ねくださる方があるのは、山賊(ヤマガツ・自分を謙遜しての言葉か)にとっては光栄なことでございます」などとご挨拶されていました。

「それにしても、残る山並みがないくらいに捜して、三笠の御神(春日明神)のお導きで行方が分かるかと参詣して、夢の中であなたの面影を見ました」
などとお話されておりましたが、まるで住吉物語に出てくる少年のような不思議なお話でした。
夜明けを告げる鐘の音が、いかにも出立を急がせるように聞こえてきますと、雪の曙殿は歌を口ずさみながら車に向かわれましたが、姫さまはその歌を繰り返しお尋ねになりました。
『 世の憂さも思ひつきぬる鐘の音(オト)を 月にかこちて有明の空 』
と、繰り返されてご出立なさいました。
姫さまも、堪えがたい切なさの中で、御歌を残されております。
『 鐘の音に憂さもつらさも立ち添へて なごりを残す有明の月 』 

     * * *

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二条の姫君  第六十八回

2015-07-12 08:58:39 | 二条の姫君  第二章
               第二章  ( 二十六 )

今日こそは、一筋に思い定めた道に入ろうと思うお心は、決して軽々しいもではなかったはずですが、姫さまをめぐる予期せぬ出来事が障害になっていたことも確かでございます。
そのことは、庵主殿も気になされて、
「どうやら、この度の方々は、御所さまにあなたが此処に居ることをご報告されたと思われます。たびたび差し向けられます御使者に、知らぬ顔を続けるのは気が咎め、畏れ多いことでもございます。この上は、小林の方へお移り下さい」
と言われました。
庵主殿の言われることはまったくその通りなので、姫さまは牛車の手配などを善勝寺の大納言にお願いして、再び伏見の小林という所へ向かいました。


御乳母殿の母である伊予殿は、
「まあ、お珍しい。御所さまからは、「二条の局はここに居るか」とたびたびお尋ねがありました。菅原清長殿も、何度もお出でですよ」
などと姫さまにお話しなされましたが、姫さまには御所辺りのことが突然身近に迫ってきたような気がしたのでしょうか、「三界無安、猶如火宅」と経を唱えられていた有明の月殿の面影が浮かんで来たとかで、少しおびえているように見えました。

幼くして御母上を亡くされた姫さまですが、御父上や御所さまの深い愛情に育まれて、繊細ながらも穏やかなお心の持ち主にお育ちになられましたが、いつの頃からか、愛欲の渦に巻き込まれることの多い身の上になられていたのでしょうか。
四月の空は、ともすれば村雨を見ることが多いうえに、音羽の山の青葉の梢に宿っているのでしょうか、時鳥(ホトトギス)の初音を今初めて聞くことさえも、姫さまには物思いにふける原因になってしまうようでした。

まだ夜明けにはずいぶん間があると思われる頃に、尼たちは起き出して後夜の勤行を行うのですが、その時即成院の鐘が鳴らされるので、姫さまも目を覚まされてしまい、起き出して経をお読みになり、そのまま一日が始まるのです。
やがて日も高くなる頃、また雪の曙殿からお使いが参られました。いつでしたか、茨を切り払ったことのあるご使者です。

お手紙には、名残惜しさなどをお書きになられた後、姫さまが折につけ気にかけておられました、生まれてすぐお別れになったお子のことが書かれておりました。
「この春頃から患っていたが、ひどく重い状態なので、陰陽道の者たちに尋ねたところ、『生みの親であるあなたがお心にかけておられるせいです』と言うのです。まことに親子の恩愛は尽きないことであるのですから、都においでの間にお会いさせましょう」
と、いった内容のものでございました。

日頃から気にかかっていたとはいえ、いざお会い出来るとなると、姫さまのお心は微妙に揺らぎ、ふと申されるには、
「さあ、わたしはあの子のことを、恋しい、愛しいとまで焦がれていたわけではないが、『おもはぬ山の峰をだに』(「あしかれと思はぬ山の峰にだに おふなるものを人のなげきは」という和泉式部の歌を引いている)と言うように、今年は幾つになったのかなどと、一目見ただけのあの夜の面影を偲ぶ心を消すことなど出来ない。それが、あの子に憂き思いをさせているのか」
と、悲しげでありました。

「何よりも驚きました。また、然るべき機会がございましたら」
と、姫さまは感情を押さえられたご返事をなさいましたが、その後は、心ここにあらずといったご様子で、次にはどのような便りを聞くことになるのだろうかと、おびえておられるのが痛ましゅうございました。

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二条の姫君  第六十九回

2015-07-12 08:57:39 | 二条の姫君  第二章
               第二章  ( 二十七 )

その日もやがて暮れて、いつもの初夜の勤行に姫さまも参加なされましたが、その後お一人で常座(ジョウザ・一人座して念ずること)されるために持仏堂にお入りになりましたが、たいそう高齢の尼がすでにお座りになっていて、経を読んでいるのでしょうか、「菩提の縁・・・」などと言うのが聞こえてきて、姫さまはとても心強く感じられたようです。

ちょうどその時でした、折戸の開く音がして、何方かが入って来たようでした。
姫さまは特に気にされたご様子はありませんでしたが、仏の御前の明り障子を少しばかり開けてみますと、御手輿(タゴシ・手で腰のあたりの高さに支えて運ぶ輿)で、北面の下臈二人ばかりと、召次などの御供だけで、御所さまがお出でなさっていたのです。

さすがに姫さまはたいそう驚かれましたが、すでにお座りになっておられた上、ごく間近でご視線さえ合わせてしまったのですから、今さら逃げ隠れなど出来るわけがございません。
姫さまは、そしらぬふりを装って御仏の方にお顔を向けておられましたが、御手輿はそのまま姫さまの横におつけになられました。
御所さまは御輿からお降りになると、
「たいへんな思いをして尋ねて来たよ」
などと仰せになられましたが、姫さまはご挨拶もなされずに御仏の方を向いたままでした。
姫さまのそっけない態度にはらはらいたしましたが、御所さまは特にご機嫌を損じられたご様子はなく、「輿を戻して、車の用意をするように」とお供に申し付けられました。

御車をお待ちになる間にも、
「出家しようと決心していると見えたので、尋ねてきたのだ」と、何度も申され、「兵部卿(隆親大納言)への恨みが、私にまで恨みとなるのか」と、仰せになられました。
まったくその通りで、姫さまにもそのことはお分かりなのですが、何かと憂きことの多いこの世なので、この機会に逃れたいというお気持ちも強く、いつになく姫さまはお逆らいになっておられました。

「嵯峨殿に行っていたのだが、思いがけずそなたのことを聞いたので、いつものように使いを立てたのではどうなるか分からないと思い、伏見殿に行くと言って此処へ参ったのだ。そなたにもいろいろと思うところはあるのだろうが、この間からの気掛かりを晴らしたいので、今は心を静めて、一緒に参ろう」
と、御所さまに切々と訴えられて、さすがに姫さまもこれ以上我を通すこともできず、御車に同乗なさることになりました。

その夜は、御所さまは御車の中で姫さまを離そうとはされず、
「あの事件は私の知らないことだ。また今後も、どのようなことがあっても、他の后妃たちに肩身の狭い思いをさせるようなことは決してしない」
と、天照大神や八幡大菩薩を引き合いに出されてお約束されますので、姫さまもあまりに畏れ多く、ついに御所にお戻りになることをお約束なさいました。

すっかり辺りが明るくなった頃、御所さまはお帰りになられました。
ここしばらくの間、姫さまはただご出家のことばかりをお考えでしたが、御所さまの御真情に心が揺らいだことは、この憂き世を出るべき時期はまだ先なのだと感じられたようでございました。
そして、同時に思いつめていた重いお気持ちも解き放つことが出来たのでしょうか、御所さまとのお約束通り御所にお戻りになられました。

ただ、姫さまの局の品々はすべて実家に移していましたので、姫さまの叔母にあたる京極殿の局に入られました。
御所のお言葉に従ったとはいえ、憂き世のしきたりなどは姫さまには億劫のようでございましたが、月末には御所で着帯をするなど定められたことを避けるわけにはいかず、先の二度のお産など過ぎし日のことを思い返されておられるようでございました。

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二条の姫君  第七十回

2015-07-12 08:55:38 | 二条の姫君  第二章
               第二章  ( 二十八 )

さて、夢の中の出来事のように、生まれてすぐお別れしてしまった姫さまのお子さまは、依然はかばかしくないとのことでございました。
そのため、雪の曙殿はご苦心なさいまして、思わぬ人の家でご対面されました。

「五月五日には、母の命日を弔いに出かけますので、そのついでに」と、当初姫さまはご希望されておりましたが、
「五月は何かと憚る上、お墓参りのついでというのは縁起か悪い」ということで、四月の終りの日に姫さまは案内されたところに参られました。
すると、紅梅の浮織物の小袖でしょうか、二月から伸ばし始めたということで、ふさふさとした髪は美しく、夜の淡い光の中でも輝いている程に可愛い女の子でございました。

雪の曙殿の奥方が、折しも、出産したものの亡くなってしまった赤子の代わりとして連れていったもので、人々は皆その赤子だと思っているそうです。
将来は天子にまみえることを念じて、禁中での交じらいをすることを思って養育しているとのお話でございました。
姫さまは、まことに愛らしく、しかも西園寺家の姫として養育されていることに安心されたようですが、同時に、自分の手元から遠く離れてしまっているのだと、切ない思いも味わっていたようでした。
そしてさらに、このような姫さまの二心を御所さまが全くご存知ないということに、恐ろしさを感じてもいるようでした。

そして、日は過ぎ、八月の頃のことでございます。近衛の大殿が参上なさいました。
「後嵯峨院がお隠れの折り『後深草院をくれぐれもお目にかけて、後見するように』と仰られた」
ということで、いつも参られ、御所さまもおもてなしをされておりましたが、常の御所で内々のお酒盛りなどされているうちに姫さまをご覧になって、
「これはこれは、行方不明なったと聞いていたが、いったいどのような山に籠っておられたのです」
と申されました。

「実際、神仙の術でなくては尋ね出しにくかったのだが、それが見つかったのだから、この子は蓬莱の山にでも籠っていたのであろう」
と御所さまは答えられましたが、その話のついでに、
「もともと、兵部卿の老人のひがみは、とんでもないことです。隆顕の大納言譲位のこともあきれたことです。どうしてこのような御沙汰がなされたのかと思います。
それにしても、琵琶の道はすっかり捨ててしまわれたのですか」
と大殿は姫さまに尋ねられました。

姫さまが特に申し上げることもなく侍っておられますと、
「その身一代ばかりでなく、子孫までもと、深く石清水八幡宮にお誓い申し上げたということだ」
と、御所さまが仰いました。
「まだお年もお若いのに、まことに残念なご決心をなされたことだ。もともとあの四条家の人々は、並々ならず家を大切になさいます。村上天皇から久しく続いて廃れないのは、村上源氏諸流の中で、ただ久我家のみでございます。あの傅(メノト)の仲綱は久我重代の家人でございますのを、岡屋摂政殿下が不憫に思われる仔細がありまして、『兼参(ケンザン・両方の家に仕えること)せよ』と仰ったところ、『久我の家人です。どうすればよろしいでしょう』と申しましたのに対して、『久我大臣家は諸家には準ずべきではないので、兼参して差し支えない』と摂政殿下自ら文で申したと、伝えられています。
隆親の兵部卿が『わが娘は、二条の叔母だから、上座に着くべきだ』と申したというのも、おかしなことです。前の関白が新院に参られて伺候されていた時、世間話のついでに『女性の才能では、歌に優るものはない。あのような苦々しい出来事の中で、二条局の書き残した歌が耳に残った。具平(トモヒラ)親王から八代続く古い家柄とはいえ、まだ年若いのに、まことに感心な心遣いだ。この新院御所に仕える仲綱は、その人の家人だが、その人が行方不明になったと山々寺々を捜し歩いていると聞いて、どうなっているのか私まで落ち着かないのだ』と、話されていたと伺いました」
などと、大殿は申し上げられました。

姫さまのことを、御所さまの御前でこれほどまで明らかに擁護されるお言葉に、姫さまはただうつむいておられました。

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二条の姫君  第七十一回

2015-07-12 08:54:24 | 二条の姫君  第二章
               第二章  ( 二十九 )

さらに、近衛の大殿は、
「ところで、息子の中納言中将兼忠は、今様の才がございます。出来ることなら、今様の秘伝をご指導ください」
と申されました。
「もちろん、そうしよう。京の御所では何かと面倒だ。伏見で伝授しよう」
と、御所さまはお約束なさいました。

「明後日に」ということになり、急なお出かけとなりました。
披露しないことなので、人は大勢は参られません。御食事は簡単なものを召しあがるということで、台所の別当一人などをお連れになったようでした。
姫さまは、たまたまあちらこちらへと外出なさるご用があり、お疲れのご様子の上、御衣裳も少々着崩れ気味でございましたが、「参れ」との仰せがあり、例の事件以来兵部卿殿にお世話をかけることは避けておりましたので、この御衣裳のままではと困っておりますと、女郎花の単衣襲、袖に秋の野の草花を刺繍して露を置いた赤色の唐衣を重ねて、生絹(スズシ)の小袖や袴など、いろいろと雪の曙殿がお届下さったのは、本当にありがたいことでございました。

近衛の大殿・前の殿・中納言中将殿、そして西園寺殿(雪の曙)・三条坊門殿・源師親殿の他に公卿はお見えでありません。
「善勝寺(隆顕)は、九条の邸からは近い距離だ。この伏見の御所には、ご遠慮申し上げる必要はあるまい」
ということで、たびたびお誘いされましたが、「蟄居中の身なので畏れ多い」ということで参上されませんでした。
そこで、御所さまは菅原清長殿を後使者として遣わされたので、参上されました。
思いがけないことに白拍子を二人召し連れてこられたが、そのことは誰も気付きませんでした。
下の御所の広間で今様伝授のことは行われましたが、白拍子は上の御所の方に、車ごと止め置かれていたのです。

遊宴が始まってから、善勝寺殿は御所さまにその旨を申し上げられました。
御所さまは面白がられて、白拍子をお召しになられました。姉妹だということでした。
姉は二十歳あまり、蘇芳の単衣襲に袴、妹は女郎花の単衣襲で、無地の水干に萩を袖に刺繍し、大口袴を着ている。姉は春菊、妹は若菊という名前でした。
白拍子の芸を少しばかりお見せしましたが、「舞姿も御覧になる」という御所さまのご意向が伝えられました。白拍子は、「鼓打ちを連れておりません」と申し上げる。
それではということで、その辺りで鼓を探し求めて、善勝寺殿が打つことになりました。

まず、若菊が舞いました。その後、御所さまは「姉を」と所望されました。
姉は、舞は長らく舞っていないのでと、しきりに申し上げて辞退されましたが、なおも懇切に望まれましたので、袴の上に妹の水干を着て舞いましたが、少し変わっていて、なかなか面白い出来でした。あまり短くない物をということで、祝言の白拍子を舞いました。

御所さまは、いつになくたいそうお酔いになった後、夜が更けてすぐに白拍子は帰されましたが、それもご存知ないご様子でした。
集まっておられる方々は、この夜は皆さま伺候申し上げて、明日揃って還御なさるということになりました。

     * * *



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二条の姫君  第七十二回

2015-07-12 08:52:47 | 二条の姫君  第二章
               第二章  ( 三十 )

姫さまは、伏見殿にある筒井の御所にちょっとしたご用があるとかで、御所さまがお寝みになっている間に、お出かけになりました。
激しい松風の音が身に染み、人を待っているかのような虫の声も、袖の涙に声を添えるかと思われる風情で、待ちかねていた月が澄んだ姿を見せたばかりの頃で、姫さまがご想像されておられたより、寂しげな様子でございました。

姫さまは、御所に帰ろうとされましたが、山里の御所の夜なので、人は皆寝静まっていると思われるので、湯巻(入浴の時、体に巻く)姿で通っていますと、筒井の御所の前の御簾の中から、袖を引っ張る人がいたのです。
「おお、恐い」
と、姫さまは大声を出されました。本当に化け物にでも襲われた気になったのでしょう。

「夜の声には、木魂というものが訪れるというから、ひどく気味が悪いものですな」
という声は、近衛の大殿のようでしたが、恐ろしさがおさまることはなく、袖を捉えられたまま行き過ぎようとされましたが、袂がほころびてしまいそうになってもお放しにならないのです。
他には人の気配はなく、そのまま御簾の中に引っ張り込まれてしまったのです。
筒井の御所全体は寝静まっています。
「これは、どうしたことだというのです」
などと姫さまは申されましたが、どうすることもできません。

「思い初めてから長い年月になる」
などという近衛の大殿の言葉は、ありふれた聞き慣れたものですし、ああ面倒なことになったと思われますし、あれやこれやと約束をされるのも通り一遍のことと思われ、姫さまは何とかその場を逃れようとなさいました。
「夜が長いので、御所さまがお目を覚ましてお尋ねになります」
と言い訳をして出て行こうとしましたが、
「どのようにしてでも時間を作って、戻ってくると誓え」
と言われるのを逃れようもなく、四方の神社の名にかけて誓われましたが、誓いを守らなかった時の結果が恐ろしいと思いながらも、姫さまはようやく御簾の外に出ることが出来ました。

また酒宴を開くとて、皆さまが集まって大騒ぎになりました。
御所さまは、またもたいそうお酔いになって、
「若菊を早く帰してしまったのが残念だ。明日も逗留することにして、もう一度召し出せ」
と仰せになられました。
周りの人々がご承知なさいますと、御所さまは満足されて、またまた御酒を過ごされてお寝みになられましたが、近くに控えられた姫さまは、うたた寝の中で見た夢のような経験の名残は、現実のものとも思われない気持ちで、まんじりともされないうちに夜は明けてきました。

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