『 女帝輝く世紀 (3) 』
我が国の女性天皇
我が国の天皇は、神武天皇から今上天皇まで百二十五代を数える。
この中に女性天皇は十代であり、あとの百十五代は男性天皇であるから、わが国の皇位は男性中心に引き継がれてきたことは否定できない。女性天皇のうち二人は重祚(チョゥソ・一度退位したのち再び即位すること)しているので、人数では八人となり、男女差はさらに広がる。
しかし、我が国の歴史を天皇の在位から見てみると、ほぼ実在が確実視されている千数百年のほとんどが男性天皇であることは確かであるが、すべての期間が男性天皇中心であったかということになると、少し違う。明らかに女性天皇が中心であったと考えられる時代がある。
それが、飛鳥時代から奈良時代の期間であり、本稿の表題とした、『女帝輝く世紀』であったと考えられるのである。
因みに、歴代の女性天皇の在位期間を列記してみよう。(西暦年)
33代 推古天皇 ( 592~628 )
35代 皇極天皇 ( 642~645 )
37代 斉明天皇 ( 655~661 )
41代 持統天皇 ( 690~697 )
43代 元明天皇 ( 707~715 )
44代 元正天皇 ( 715~724 )
46代 孝謙天皇 ( 749~758 )
48代 称徳天皇 ( 764~770 )
109代 明正天皇 (1629~1643)
117代 後桜町天皇 (1762~1770)
このうち、明正天皇と後桜町天皇は江戸時代になってからの天皇である。明正天皇は後水尾天皇の皇女であるが、母は徳川二代将軍秀忠の娘和子であることから分かるように、朝廷と徳川幕府との軋轢の中での即位と推定される。後桜町天皇は、摂関家をはじめとした朝廷内の混乱を避けるためであったといわれている。
いずれにしても、本稿においては、この二天皇は対象外の時代となる。
本稿のテーマである「女帝輝く世紀」とは、推古天皇が即位した時から称徳天皇が崩御するまでのおよそ百七十八年間を指す。
その期間の女性天皇の在位期間はおよそ九十五年間であり、この期間の男性天皇七代の在位期間はおよそ八十三年間ということになる。
我が国の起源をどこに置くかということについては安易に確定できないが、継体天皇の即位からだけでも千五百年に及ぶ天皇の在位期間があり、そのうちの百七十八年間だけを切り取って「女帝輝く世紀」と特別扱いすることに異論もあろうが、百七十八年間は決して短い期間でもない。
そして、この期間は、現在の私たちが認識している時代区分からいえば、飛鳥時代と奈良時代のほとんどを占めており、その後の我が国の政治・文化などに大きな影響を与える出来事が包含されている時代なのである。
☆ ☆ ☆
我が国の女性天皇
我が国の天皇は、神武天皇から今上天皇まで百二十五代を数える。
この中に女性天皇は十代であり、あとの百十五代は男性天皇であるから、わが国の皇位は男性中心に引き継がれてきたことは否定できない。女性天皇のうち二人は重祚(チョゥソ・一度退位したのち再び即位すること)しているので、人数では八人となり、男女差はさらに広がる。
しかし、我が国の歴史を天皇の在位から見てみると、ほぼ実在が確実視されている千数百年のほとんどが男性天皇であることは確かであるが、すべての期間が男性天皇中心であったかということになると、少し違う。明らかに女性天皇が中心であったと考えられる時代がある。
それが、飛鳥時代から奈良時代の期間であり、本稿の表題とした、『女帝輝く世紀』であったと考えられるのである。
因みに、歴代の女性天皇の在位期間を列記してみよう。(西暦年)
33代 推古天皇 ( 592~628 )
35代 皇極天皇 ( 642~645 )
37代 斉明天皇 ( 655~661 )
41代 持統天皇 ( 690~697 )
43代 元明天皇 ( 707~715 )
44代 元正天皇 ( 715~724 )
46代 孝謙天皇 ( 749~758 )
48代 称徳天皇 ( 764~770 )
109代 明正天皇 (1629~1643)
117代 後桜町天皇 (1762~1770)
このうち、明正天皇と後桜町天皇は江戸時代になってからの天皇である。明正天皇は後水尾天皇の皇女であるが、母は徳川二代将軍秀忠の娘和子であることから分かるように、朝廷と徳川幕府との軋轢の中での即位と推定される。後桜町天皇は、摂関家をはじめとした朝廷内の混乱を避けるためであったといわれている。
いずれにしても、本稿においては、この二天皇は対象外の時代となる。
本稿のテーマである「女帝輝く世紀」とは、推古天皇が即位した時から称徳天皇が崩御するまでのおよそ百七十八年間を指す。
その期間の女性天皇の在位期間はおよそ九十五年間であり、この期間の男性天皇七代の在位期間はおよそ八十三年間ということになる。
我が国の起源をどこに置くかということについては安易に確定できないが、継体天皇の即位からだけでも千五百年に及ぶ天皇の在位期間があり、そのうちの百七十八年間だけを切り取って「女帝輝く世紀」と特別扱いすることに異論もあろうが、百七十八年間は決して短い期間でもない。
そして、この期間は、現在の私たちが認識している時代区分からいえば、飛鳥時代と奈良時代のほとんどを占めており、その後の我が国の政治・文化などに大きな影響を与える出来事が包含されている時代なのである。
☆ ☆ ☆