君来ずは ひとりや寝なん 笹の葉の
み山もそよに さやぐ霜夜を
作者 藤原清輔朝臣
( No.616 巻第六 冬歌 )
きみこずは ひとりやねなん ささのはの
みやまもそよに さやぐしもよを
* 作者は、藤原北家末茂流に属する貴族である。また、六条藤家の三代目にあたる。( 1104 - 1177 )治承元年(1177)六月没。享年七十四歳。
* 歌意は、「 あなたが来ないからといって、一人で寝ることなど出来ましょうか。笹の葉が山全体をさやさやとざわめかしている このわびしい霜夜なのですから。 」といった、ごくごく分かりやすい意味と思われる。
この和歌は、「冬歌」に載せられているが、この時代の多くの歌がそうであるように、恋歌に加えられてもいいと思われる内容で、特徴としては、筆者は男性であるが、訪れる人を待つ女性の立場で歌われている。
* 作者は、六条(藤原)家の三代目とされるが、初代は藤原顕季。母が白河天皇の乳母であったこともあって昇進し、受領階級から正三位修理大夫にまで昇進した。この時六条修理大夫と称したことから子孫も六条を称するようになった。
二代目である父の顕輔も、正三位左京大夫にまで昇っている。ともに歌人としても優れ、特に父の顕輔は、崇徳院から勅撰和歌集である「詞花和歌集」の撰集を命じられ、清輔もその補助にあたったが、意見が対立し清輔の意見はほとんど受け入れられなかったらしい。
* 父との対立は歌道に関することばかりでなく、官位昇進についても支援が受けられず、弟・重家に遅れることとなり、正四位下で止まっている。
弟の重家は、従三位迄昇進し、六条藤家の四代目となり、その子供たちも公卿に昇り、六条藤家の繁栄を担っている。
歌道に関しては、祖父や父を上回る力を見せており、幾つもの歌学書を著している。しかし、不運な事には、二条院に重用されて「続詞花和歌集」を撰集したが、奏覧前に二条院が崩御、勅撰集として日の目を見ることが出来なかった。
* 清輔と重家の関係も、当然微妙なものがあったと推定されるが、こと歌道に関しては、当時勢力を誇っていた藤原俊成・定家らの御子左家歌学に対して六条歌学の存在感を示すことが出来ていたのには、清輔の才能もさることながら兄弟が協力関係にあったと考えたい。
作者清輔は、歌人として当代一流の人物であったことは自他ともに認められる存在であったと考えられるが、その生涯は、個人的には、どこか屈折したものを感じてしまうのである。
* 清輔の和歌は、「新古今和歌集」には十二首選ばれている。その中の一首は、小倉百人一首にも選ばれてる。本稿において、清輔の代表歌としては、むしろそちらの方が適しているとも考えたが、あまりにも私個人が描く清輔像にピッタリすぎるので、あえて外したという経緯がある。最後にその和歌をご紹介する。
『 長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき 』
☆ ☆ ☆