雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

眼を失っても ・ 今昔物語 ( 14 - 19 )

2020-02-29 13:25:40 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          眼を失っても ・ 今昔物語 ( 14 - 19 )

今は昔、
備前国に住んでいる人がいたが、十二歳の時に両目を失った。
父母はこれを嘆き悲しんで、仏神に祈請したが何の験(シルシ)もなかった。薬を使って治療したが回復することは無かった。

そこで、比叡の山の根本中堂に連れて行き、そこに籠って心を尽くして回復を祈った。二七日(フタナノカ・十四日間)が過ぎて、この盲人の夢に、気高い様子の人が現れて告げた。「お前は前世の因縁によって盲目の身となったのである。今生では見えるようになることは無い。お前は前世において、毒蛇の身を受けて、信濃国の桑田寺(クワタデラ・未詳)の戌亥(北西)の隅にある榎の中に棲んでいた。そして、その寺には法華経の信奉者がいて、昼夜に法華経を読誦していた。毒蛇は常にこの信奉者が唱える法華経を聞いていた。毒蛇はもともと罪深く、食べ物もなかったので、夜ごとにそのお堂に入って、仏前の常灯の油を嘗め尽くしてしまった。そこで、法華経を聞いた功徳によって、蛇道を離れ今生では人の身を受けて仏にお会いすることが出来たが、灯油を食べてしまった罪により、両眼を失ってしまったのだ。それゆえ、今生において眼を開くことは出来ない。お前は、ただ速やかに法華経を学んで、その罪業から免れるがよい」と。そこで、夢から覚めた。

その後、心の中で前世の悪業を悔い恥じて、本国に帰って、夢のお告げを信じて、初めて法華経を習って、数か月のうちに自然と習得してしまった。
それからは、盲目といえども長年にわたり心を込めて法華経を昼夜に読誦した。そうすると、その効験はあらたかで邪気(物の怪)の病に悩む人があれば、この盲人に祈祷させると必ずその効験があった。
この盲人は、最期の時に至るまで、尊い姿を保って命を終えた、
となむ語り伝へたるとや。

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色黒を嘆く ・ 今昔物語 ( 14 - 20 )          

2020-02-29 13:24:54 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          色黒を嘆く ・ 今昔物語 ( 14 - 20 )

今は昔、
安勝(アンショウ・伝不詳)という僧がいた。幼くして法華経を習って、昼夜に読誦していた。
ところで、この安勝は体の色が大変黒かった。世間には、色の黒い人もいるが、この安勝ときてはまるで墨のようであった。そのため、安勝はそれを大変嘆いていた。色の黒いことを恥じて、人と交わろうとしなかった。
しかし、安勝は極めて道心が強かった。常に仏像を造り、経を写して、それを供養し奉っていた。また、貧しい人を哀れむ心があり、寒さに苦しんでいる人をみれば、知らない人であっても衣を脱いで与えた。病に苦しんでいる人を見れば、親しい人であるなしに関わらず嘆き悲しみ、薬を求めてきて施した。

このようにして長い年月を過ごしたが、やはり色の黒いことを恥じて嘆き、長谷寺に参って観音に申し上げた。「私は、どういう因縁があって、世間の人とは違って、このように体の色が黒いのでしょうか。願わくば、観音様、このわけをどうぞお教えください」と。
三日三夜籠って祈請していると、安勝の夢の中に、高貴な女性が現れた。姿形が美しく気高いこと限りない。とても、普通の人とは思えないほどである。この女性が安勝に告げた。「そなたは自分の前世を知らねばならない。そなたは前世において、黒い色の牛であった。そして、法華経の信奉者の近くにいて、常に法華経をお聞きしていた。それゆえに、畜生の身を棄てて今生では人として生まれ、僧となって、読誦しています。体の色が黒いのは、牛であった時の名残りなのです。そなたは、決して嘆いてはなりません。ただ熱心に法華経を信奉し続ければ、やがて、またこの身を棄てて兜率天(トソツテン・天上界の一つ。内院は弥勒の浄土。)に昇って、弥勒菩薩にお会いすることが出来るでしょう」と。そこで夢から覚めた。

その後、安勝は観音を礼拝し奉った。そして、前世と後世の因果を知ることが出来たことを喜んで帰って行った。それからますます法華経の読誦を続け怠ることがなかった。
遂に最期を迎える時には、尊い姿を保って命を終えた、
となむ語り伝へたるとや。

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犬の姿を引きずる ・ 今昔物語 ( 14 - 21 )

2020-02-29 13:24:23 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          犬の姿を引きずる ・ 今昔物語 ( 14 - 21 )


今は昔、
比叡山の横川(ヨカワ)に永慶(ヨウギョウ・伝不詳)聖人という僧がいた。覚超(カクチョウ・天台宗の僧。1034没、享年七十五歳)僧都の弟子である。
幼い時に比叡山に登り、師について法華経を習い、日夜に読誦した。後には、もといた山を去って、摂津の国の箕面の滝という所に籠り、法華経を読誦して熱心に修業した。

ある時、永慶が夜に仏前において経を誦して礼拝していると、そばに人がいて寝ていた。その人の夢に、老いた犬が仏前にいて、声高く吠えながら立ったり座ったりして礼拝しているもので、そこで目覚めた。
その人は、目が覚めてそばを見ると、永慶が仏前に座っていて、声をあげて読経しながら礼拝している。このような夢を、他の二、三人も同じように見て永慶に話した。
永慶はそれを聞いて、その意味を知るために、七日間食を断って、堂に籠り、「この夢のお告げの意味をお教えください」と祈請した。すると、七日目の夜の夢に、長老の僧が現れて告げた。「汝の前世の身は、耳の垂れた犬であった。その犬は、法華経の持者の僧房にいて、昼夜に法華経を誦するのを聞いていた。その功徳によって、犬の身を転じて人として生まれ変わり、僧となって法華経を読誦している。しかし、前世の犬の性が今も残っていて、他の人の夢には犬の姿に見えるのである。こう申す我は、竜樹(リュウジュ)菩薩である」と。そこで、永慶は夢から覚めた。

その後、永慶は前世の宿業(シュクゴウ・因縁)を深く恥じて、今いる所を出て、縁(ユカリ)のある所を尋ねて住みついて、日夜に法華経を誦して、六根(ロッコン・・眼、耳、鼻、舌、身、意の六つの感覚器官を指す。衆生に煩悩を起こさせるという。)の罪を懺悔した。
永慶は、法華経読誦の功徳によって、この後永く三途(サンズ・・地獄、餓鬼、畜生の三悪道を指す。)に戻ることなく、必ず浄土に生まれ変われるようにと願い続けた、
となむ語り伝へたるとや。

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ひたすら読誦 ・ 今昔物語 ( 14 - 22 )

2020-02-29 13:23:50 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          ひたすら読誦 ・ 今昔物語 ( 14 - 22 )


今は昔、
比叡山の西塔に春命(シュンミョウ・伝不詳)という僧がいた。幼くして比叡山に登り、師について法華経を習い、昼夜に読誦して、全く他の勤めはしようとしなかった。
昼は僧房にいて終日法華経を誦し、夜は当山の釈迦堂に籠って読誦した。もともと貧しい身の上で乏しいことが多かったが、ひたすら山に籠り続けて里に出て行くことはなかった。

このようにして、ただ法華経だけを誦して年月を送っていたが、ある時、夢の中に天女が現れて、体の半分は現し、体の半分は隠れている姿で、「汝は、前世に夜干(ヤカン・狐の異称)の身を受けて、この山の法華堂の天井の上に住んでいて、常に法華経を聞き奉り、法螺の音を聞いていた。その功徳によって、現世では人の身として生まれ、ここの僧となって法華経を読誦している。人の身には生まれ難く、仏法には出会い難いものである。いっそう励んで、信仰心を起こして怠ることがあってはならない」と告げた。そこで、夢から覚めた。

そこで、前世の果報(因果応報。前世の行いの報いのことで、必ずしも良いことを指すわけではない。)を知って、因果の道理を信じるようになった。
そして、いよいよ熱心に法華経を読誦して、六万部に及んだ。その後も多くの年月読誦を続けたが、その巻数を数えきれない。
最期にあたっては病を得たが、ひどく患うことはなく、余念なく法華経を誦しながら命を終えた、
となむ語り伝へたるとや。

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前世の報いを嘆く ・ 今昔物語 ( 14 - 23 )

2020-02-29 13:23:12 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          前世の報いを嘆く ・ 今昔物語 ( 14 - 23 )


今は昔、
近江の国に頼真(ライシン・伝不詳)という僧がいた。
ようやく九歳になる頃から、その国にある金勝寺(コンショウジ・717年に良弁僧正開基とされる。)という寺に住んで、僧が経を読誦するのを聞き取り、よく覚えて忘れることがなかった。
やがて、法華経一部を聞きおぼえて、そらでこれを誦した。そのようにして、長年この寺に住んでいるうちに、すっかり年老いてしまった。毎日休むことなく法華経三部を読誦して、決して怠ることがなかった。
また、法文を習い、その教理をよく理解して、知恵ある僧になった。ただ、この僧はものを言うときに、ふつうの人と違って、口をゆがめ顔面を動かして言うので、その様子が牛に似ていた。

そのため、頼真はこのことを恥じて、明け暮れに嘆いていた。
「私は、前世の悪業(アクゴウ)により、こう言う報いを受けたのだ。今生において懺悔しなければ、また来世で辛いことになるだろう」と思って、比叡山の根本中堂に参って、七日七夜籠って、「私の前世と後世の因果応報をお教えください」と祈念申し上げた。

第六日目の夜、夢に尊い僧が現れて、お告げになった。「僧[ 欠字あり。「前生に」らしい。]鼻の欠けた牛であったが、近江国依智郡(エチノゴオリ・現在の愛知郡)の官首(カンシュ・その地域の頭だった人。あまり身分の高くない役人を指すらしい。)の家に飼われていた。ところが、その官首は法華経八部をその牛に負わせて、供養するために山寺に運んだ。その牛は経文を負い奉ったので、今生において牛の身を離れて人として生まれ、僧となって法華経を読誦し、法文を悟ることが出来たのである。また、今生において法華経を誦した功徳によって、後生では生死を離れて菩提に至るだろう。但し、宿業(シュクゴウ・前世の因縁)はなお残り、口が牛に似ているのである」と。そこで夢から覚めた。

そこで、前世後世のことを明らかに知り、もとの寺に帰って、いよいよ悪道(アクドウ・・地獄・餓鬼・畜生の三悪道。)に堕ちることを恐れて仏道を求めた。
年七十に及び、法華経六万部を誦し終えた。いよいよ最期の時に臨んでは、何の苦しみもなく心静かに法華経を誦して命を終えた。

これを見聞きした人は、「きっと、極楽に生まれ変わった人に違いない」
となむ語り伝へたるとや。

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読誦ひとすじ ・ 今昔物語 ( 14 - 24 )

2020-02-29 13:22:16 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          読誦ひとすじ ・ 今昔物語 ( 14 - 24 )


今は昔、
比叡山の東塔に朝禅(チョウゼン・伝不詳)という人がいた。
幼くして山に登り出家して仏法の道を習おうとしたが、生まれつき頭が鈍くとても十分に習得できそうもなかったので、師は、「お前は理解力が劣っているので、学問には適していない。ただ、法華経を読誦して、ひたすらその勤行だけせよ」と教えたので、学問は止めて、師の教えに従って法華経を学んで、日夜に読誦して熱心に修業した。
昼は僧房において法華経を読誦し、夜は根本中堂に籠って修行した。そして遂には、法華経一部を暗誦できるようになった。

ある時、[ 欠字あり。人名が入るが不詳。]という優れた相人(ソウニン・人相や手相を見る人)が根本中堂に参り、礼拝堂に来ていたが、この山の多くの僧が集まってきて、「私の相を見てください」とそれぞれが頼むのに応じて、僧たちの吉凶を見てやっていたが、朝禅を見ると相じて言った。「あなたは前世では、白い馬の身でありました。それで、前世の習性が残っていて、体の色が白くおありなのです。また、あなたの声が荒々しく、馬が走る足音に似ているのも、みな前世の習性が残っているからなのです」と。

朝禅はこれを聞いて、相人が帰った後で、大勢の僧たちに向かって言った。「あの相人は口から出まかせを言っているのだ。顔かたちの様子を見たり、声を聞いたりして、命の長短やそれぞれの貧富を占うことは出来ても、どうして前世の事など知ることが出来よう。仏だけが前世の事をご存じなのだから」と。そして、相人の言葉を信じないで、根本中堂に籠って心を込めて、「私の前世の因果を教えてください」と申し上げた。

すると、夢に老僧が現れて朝禅に告げた。「相人が言ったことは真実である。決して嘘ではない。善悪の報いというものは、すへて影が体に添っているようなものである。汝は、前世において白い馬の身を受けていた。その時、一人の法華の持者がいて、その馬に乗ってひと時道を行ったことがあるが、その功徳によって汝は馬の身を転じて、今生では人として生まれ、僧となって、法華経を読誦して仏法に会うことが出来たのである。それほどであるのだから、自身が法華経を信奉し人に勧めて信奉させる功徳は大変なものである。汝、ますます心を込めて読誦し、なまけ怠ることことがあってはならない」と。こう教えられたところで夢から覚めた。
これにより、自分の前世の因果が分かり、相人の言葉を信じなかったことを後悔した。

本当の相人は前世の報いのことも占うものである。
朝禅はこれを深く信じて、このように仏道と出会えたことを喜び、その後は心を込めてますます修業に励んだ、
となむ語り伝へたるとや。

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山寺に住み続ける ・ 今昔物語 ( 14 - 25 )

2020-02-29 13:21:06 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          山寺に住み続ける ・ 今昔物語 ( 14 - 25 )


今は昔、
山城国綴喜郡(ツヅキノコオリ)に飯の岳(イイノタケ・未詳)という所がある。その戌亥(イヌイ・北西)の方角の山の上に神奈比寺(カンナビテラ・京都府綴喜郡に現存している。近世、この地に移築されたらしい。)という山寺がある。
その寺に一人の僧が住んでいた。幼い時から法華経を習って日夜に読誦していた。また、真言(シンゴン・祈祷で唱える経文などを梵語のまま読み上げる呪文の総称。)を信奉して長年修行をしていたので、それなりの霊験をあらわした。そこで、なおいっそう徳を積み重ねていった。

ところが、この僧は日頃から、「この寺を去って大きな寺に行きたい」という望みを持っていた。しかし、すぐに出て行くこともなく、行きたいと思いながら日を過ごしていたが、その願いはさらに強くなり、遂に出て行こうと決心したが、その夜の夢に、尊い老僧が現れて告げた。「わしは汝の前世の報いを説き聞かせようと思う。汝は前の世々はミミズの身であったが、常にこの寺の前の土の中にいた。その時、この寺に法華経の信奉者がいて法華経を読誦していたのを、ミミズはいつも聞いていた。その善根(ゼンコン・善い果報をもたらす行為。)によりミミズの身を離れて、今生では人として生まれ、僧となって法華経を読誦して仏道を修行している。これで分かるであろう、汝はこの寺に縁ある身なのである。されば、決して他の所に行ってはならない。かく申すわしは、この寺の薬師如来である」と。そこで夢から覚めた。
この夢のお告げにより、僧ははじめて前世の報いを知り、この寺に縁があることが分かって、他の所へ行くことを思い止まった。

その後は、長くこの寺に住んで、熱心に法華経を読誦して、「私は前世ではミミズとして、この寺の庭の土の中にあって、法華経を聞いたことによって、虫の身を離れて人と生まれて、僧となって、法華経を読誦している。願わくば、今生において法華経を誦する功徳によって、人間界を離れて、浄土に生まれて菩提(ボダイ・悟りの境地、極楽往生、冥福、など広く用いられる。)に至りたい」と誓いを立てて、修行を続けた、
となむ語り伝へたるとや。

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愛欲の罪 ・ 今昔物語 ( 14 - 26 )

2020-02-29 10:39:22 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          愛欲の罪 ・ 今昔物語 ( 14 - 26 )


今は昔、
河内の国丹比郡(タジヒノコオリ・現在の大阪府松原市周辺あたり)に丹治比経師(タジヒノキョウジ)という者がいた。
姓は丹治比氏で、住まいは丹治比郡である。このことから、名を丹治比の経師という。経を書写して生計を立てていた。

さて、白壁の天皇(光仁天皇)の御代に、その郡の中に一つの寺があった。野中の寺(現存しているらしい)という。
その里に、願を立てた人がいて、宝亀二年(771)という年の六月に、その丹治比の経師を招いて、かの野中寺において法華経を書写し奉ろうとした。
そこで、その辺りの女たちがその寺にやって来て、仏縁を結ぶために、清らかな水を汲んできてこの経を書く墨に加えた。その時、にわかに空がかき曇り、夕立が降ってきた。未申(ヒツジサル・午後二時から四時の頃)の頃である。
女たちは雨が上がるのを待つ間お堂の中に入った。堂内はとても狭いので、経師も女たちと同じ所にいた。そうしているうちに、経師は一人の女を見て、たちまち愛欲の心が起こってきて、欲情を押さえることが出来ず、うずくまって女の背中に取りつき、女の着物の裾をまくり上げて情交を遂げた。男根が女の体に入って行く間、手で抱きかかえていたが、突然、経師も女も共に死んでしまった。女は口から泡を吹き出していた。
これを見た人は、この二人を憎みさげすんで、すぐさまお堂から担ぎ出して、「これは、あきらかに仏法護神が罰せられたものだ」と、一同はののしり合った。

これを思うに、経師がたとえ欲情が盛んに起こり胸を焦がすような思いをしたとしても、経を書き奉っている間は思い止まるべきである。それなのに、愚かな行いで命を棄ててしまった。また、経師がそのような心を起こしたとしても、女はすぐに同意したりすべきでない。
この二人は、寺を穢し経を信じなかったので、たちまち罰を受けたのである。
現世で罰を受けることはこのようなものである。いわんや、後世での罪はどのようなものであろうかと、人々は悲しみ合った、
となむ語り伝へたるとや。

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悪口の報い ・ 今昔物語 ( 14 - 27 )

2020-02-29 10:38:38 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          悪口の報い ・ 今昔物語 ( 14 - 27 )


今は昔、
阿波の国名方郡殖村(現在の徳島市辺り)に一人の女がいた。名前を夜須古(ヤスコ)といった。白壁の天皇(光仁天皇)の御代のことである。
この女が願を立てて、法華経を書写し奉ろうと思って、麻殖郡(オエノコオリ・徳島県内)の苑山寺(エンザンジ・未詳)において、心を尽くして人に頼んで法華経を書写させた。

ところで、その郡に忌部連板屋(インベノムラジイタヤ・伝不詳)という人がいた。この人が、経を書写させている女人を憎んで、女の過失をあばき立てて悪口を言いふらした。すると、たちまち板屋の口が歪み顔がねじれ曲がった。板屋はそれをたいそう嘆き悲しんだ。しかし、それでもなお後悔することなく善行を積むこともなかった。そのため、口も顔も直らなかった。
このことを見聞きした人は、「これは疑いもなく、心を尽くして法華経を書写し奉る人をそしり憎んだためだ」と言った。

これを思うに、法華経に説かれていることに違うことがない。信仰心のある人は、熱心に法華経を読誦し書写する人を、仏のように敬うべきである。努々(ユメユメ)軽んじたり誹謗するようなことがあってはならない。法華経の読誦や書写は、優れた功徳なのだ、
となむ語り伝へたるとや。

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乞食僧といえども ・ 今昔物語 ( 14 - 28 )

2020-02-29 10:37:58 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          乞食僧といえども ・ 今昔物語 ( 14 - 28 )


今は昔、
山城の国相楽郡に高麗寺(コマデラ・渡来氏族の創建らしい。現存せず。)という寺があった。その寺に一人の僧がいた。名を栄常(エイジョウ・伝不詳)という。
また、同じ郡内に、一人の俗人(出家していない男)がいた。この男は、その栄常と親しい関係であった。

ある時、この男が高麗寺に行き、栄常の僧房を訪ね向かい合って碁を打っていた。その時、乞食僧がやって来て、法華経の[ 欠字あり。品名が入るが不詳。]品を誦して、食べ物を乞うた。
栄常はこの乞食僧が読誦する声を聞いて笑った。その上わざと口をゆがめて訛り声で乞食僧の真似をした。
俗の男は、これを聞いて、碁を打つ合いの手に「ああ恐ろしい」と言う。すると、打つたびに自然と俗の男が勝利した。栄常は討つたびごとに負けた。そのうちに、座ったままで口が歪んでしまった。
それで、驚き騒いで医師を呼んで診察させ、医師の言う通りに薬でもって治療したが、遂に治ることがなかった。

このことを見聞きした人は、「これは間違いなく、法華経を読誦する乞食僧を軽蔑して笑い、その声の真似をしたからだ」と、皆が栄常を謗り憎んだ。これは、まさに経文に説かれているとおりである。すなわち、「もしこの経を軽蔑して謗る者があれば、先々の世で、歯は欠け、唇は黒ずみ、鼻は平らに、足は曲がり、口は歪み、目は斜視になる」と。

これを思うに、世の人は、これを聞いて、乞食なりといえども法華経を読誦する者を、たとえ戯れでも努々(ユメユメ)軽蔑して笑うことなく、礼拝して敬うべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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