雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

地獄の沙汰 (1) ・ 今昔物語 ( 14 - 29 )

2020-02-29 10:37:10 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          地獄の沙汰 (1) ・ 今昔物語 ( 14 - 29 )


今は昔、
[ 欠字あり。天皇名が入るが不詳。「醍醐天皇」の可能性が高い。]の御代に、左近少将橘敏行(藤原姓が正しいとも。人物断定できない。)という人がいた。和歌の道に優れていた。また、優れた能書家でもあった。
そこで、知人たちに求められるままに、法華経を六十部ばかり書写し奉った。

ところが、この敏行が急に死んでしまった。
敏行自身は、「死んだぞ」とも思わないのに、突然恐ろしい姿の者どもが走り込んできて、自分を捕まえてむりやり連れて行こうとするので、「たとえ天皇のお咎めを受けたとしても、自分ほどの身分の者を、このようにむりやり捕まえて連行するのは、全く納得がいかぬ」と思って、連行しようとしている人に、「私にどのような過ちがあって、こんなひどい目を見るのだ」と訊ねると、使いの者は、「わしは何も知らぬ。ただ、『間違いなく連れて来い』という仰せを受けたので、捕えて連れて行くだけだ。ところで、お前は法華経を書写し奉ったことがあるか」と言った。

敏行は、「書写し奉った」と答えた。
使いは、「自分のために、いかほど書き奉ったか」と言う。
敏行は、「自分のためにとは思っていない。ただ知人のために、二部ばかり書き奉ったであろう」と答えた。
使いは、「おそらく、その事に関しての訴えで召し出されたのであろう」とだけ言うと、他の事は何も言わず歩いて行くと、非常に怖ろし気な軍兵共が、甲冑を着ていて、眼を見ると稲妻の光のようで、口は炎を出しているようで、鬼のような姿で馬に乗っている者が二百人ばかりやって来た。
これを見て敏行は、心は動転し肝はつぶれ、卒倒しそうになったが、連行している者に威圧されて、茫然とした状態で歩いて行った。
やって来た軍兵共は、敏行を見るとそのまま引き返して、先行していく。

敏行はその一行を見て、「あれはどういう軍兵なのだ」と訊ねると、使いは、「お前は知らないのか。あれは、お前に経を書かせた者どもが、その経を書写した功徳によって、極楽にも参り、天上界あるいは人間界に生まれるはずであったのに、お前がその経を書写するにあたって、精進することなく、肉食もいとわず、女人にも触れ、心中に女の事を思い浮かべながら書き奉ったので、それが功徳にはならず、狂暴な身に生まれてしまったので、お前を恨んで、『あいつを捕らえて、我らに与えてください。この恨みを果たそうと思います』と訴えてきたので、本来なら今は召し出される道理はないのだが、この訴えによって道理(寿命のことを指している。)に反して召し出されたのだ」と答えた。

敏行はこれを聞いて、身が砕けてしまうような思いがして、また訊ねた。「それでは、あの軍兵共は、私を得てどうしようというのだ」と。
使いは、「愚かなことを聞くものだ。あの軍兵共が持っている剣で、お前の体をまずは二百に切り刻んで、それぞれが一切れずつ取るだろう。その二百切れの一切れごとにお前の心があり、それぞれが痛みに苦しむだろう」と言う。
敏行はこれを聞くと、堪え難い心地はたとえようがない。そして、悲しみながら、「その事から、どうすれば逃れることが出来ますか」と訊ねた。使いは、「わしにはどうすることもできない。いわんや、助ける力などない」と言う。

敏行はもう歩く気力もないままに進んでいくと、大きな河が流れていた。その河の水を見ると、濃くすった墨のような色をしている。
敏行は、「怪しげな水の色だなあ」と思って、「この河の水は、どうして墨の色をして流れているのですか」と使いに訊ねると、使いは、「これは、お前が書き奉った法華経の墨が、河となって流れているのだ」と答えた。敏行はさらに訊ねた。「それにしても、どうして墨が河に流れているのですか」と。使いは、「清浄な心で、真心をこめ精進して書いた経は、すべてが竜宮(竜王の宮殿。大海の底にある。)に納まってしまう。お前が書き奉ったような不浄で怠け心でもって書いた経は、広い野に棄て置かれるので、その墨が雨に洗い流されて、その墨が河となって流れているのだ」と答えた。
これを聞くにつけ、いよいよ怖ろしくなること限りなかった。

敏行は泣く泣く使いに訊ねた。「やはり、どうにかしてこの事から助かりたい。その方法を教えてください」と。使いは、「お前のことは、とても可哀そうだと思うが、お前の罪は大変重いので、わしの力ではどうにもならない」と言う。
その時、別の使いの者が走ってきて、「連れてくるのが遅いぞ」と叱責した。それを聞いて使いの者どもは、敏行を前に立てて急いで連行していく。
やがて、大きな門があった。そこには、引っ張られている者や、首や足に枷(カセ)をはめられた者が、数知れないほどの者が四方八方から連れて来られている。それらが集められ、居所がないほどである。

門から中を見ると、先ほどの軍兵たちが眼を怒らせて、舌なめずりして、全員がこちらを見て、「早く連れて参らぬか」と言うような様子で歩き回っている。その様子を見ると、敏行は気を失いそうになった。
そこで、敏行は使いに聞いた。「それにしても、何か手段はないでしょうか」と。すると使いは、「四巻経(シカンギョウ・金光明経のこと。)を書き奉ろうという願を立てよ」と、そっと教えた。そこで敏行は、まさに門を入ろうとする時に、
心の内で「私は四巻経を書いて供養し奉り、この罪を懺悔します」と言う願を立てた。
しかし、その時には、使いは敏行を連行して閻魔庁の前に引き据えた。

                          ( 以下 (2) に続く )

     ☆   ☆   ☆

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地獄の沙汰 (2) ・ 今昔物語 ( 14 - 29 )

2020-02-29 10:36:31 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          地獄の沙汰 (2) ・ 今昔物語 ( 14 - 29 )
 
            ( (1) より続く )

さて、敏行が引き据えられると、閻魔庁の役人が出てきて、「この者は敏行か」と訊ねると、引き立ててきた使いの者は、「さようでございます」と答えた。
すると役人は、「しきりに訴えがあるぞ。なぜ連れてくるのが遅かったのだ」と言うと、使いは、「召し取るや、すぐに連行してまいりました」と答えた。
役人は、「さて、敏行、よく聞け。お前は娑婆(シャバ・人間界。)でどんな功徳をつくったのか」と訊ねた。
敏行は、「私は格別功徳らしいものはつくっておりません。ただ、人の求めに応じて、法華経を二百部書き奉ったことがございます」と答えた。
役人は、「お前の本来の寿命は、今しばらくあるはずだが、その経を奉る時に、不浄で怠惰な気持ちで行ったので、その訴えが出され、このように召し出されたのだ。ただちにその訴えを申し出た者たちにお前の身柄を与え、彼らの思いのままに任せるべきである」と言った。
そこで敏行は、恐れ恐れ申し上げた。「私は、四巻経を書いて供養し奉ろうとの願を立てました。ところが、未だその願を遂げぬうちにこのように召し出されてしまいましたので、もはやこの罪を償う方法もございません」と。

役人はこれを聞くと、驚いて、「そのような事があったのかどうか、急いで帳簿を調べてみよ」と指示すると、下役は、大きなな帳簿を取って繰り開くのを、敏行はそっと覗いてみると、自分が罪をつくったことが一事も漏らすことなく記されていた。その中に、功徳のことは記されていない。ただ、この門に入ろうとした時に立てた願のことが、一番最後に「四巻経を書いて供養し奉ろう」と記されていた。
下役が帳簿を調べ終る最後の所に、この事が記されていた。
下役が、「最後の所に記されています」と申し上げると、役人は、「そういうことであれば、今回は放免として、その願を遂げさせて、その上で改めて沙汰すべきである」と裁定が下ると、先ほどの軍兵は皆姿を消してしまった。

役人は敏行に、「お前は確かに娑婆に返って、必ずその願を遂げよ」と仰せられ、許されたと思ったところで敏行は生き返った。
見てみると、妻子が泣き悲しみ合っている。死んでから二日目に、夢から覚めたような心地で目を見開くと、妻子たちが生き返ったと喜び合っていた。
敏行は、願を立てた功徳によって許されたことは、よく磨かれた鏡に向かい合ったように明らかなことに思われ、「私は、体力を回復させ、心身を清浄に保ち、心を尽くして四巻経を書いて供養し奉ろう」と思った。

こうして、月日が過ぎ、健康も回復したので、四巻経を書き奉るための料紙を準備し、経師(キョウジ・ここでは経巻の表具師らしい。)に預けて継ぎ合わせ罫を引かせて(欠字あり一部推定。)、書き奉ろうと計画したが、この男はもともと好色な性格で、経典の方に身が入らず、女の所を訪れたり、女に懸想して気のきいた歌を詠もうと思ったりしているうちに、冥途での事などすっかり忘れてしまって、四巻経を書き奉ることもなく、その寿命が尽きたのか、遂に死んでしまった。

その後、一年ばかり経って、紀友則という歌人の夢に、敏行と思われる人が現れた。その姿は、敏行らしいとは思われるが、顔かたちが例えようもないほど奇怪で怖ろしい。その者が、生前語ったことなどを話し、「四巻経を書き奉るという願によって、しばしの命を助けられ娑婆に返らせていただいたが、やはり、怠け心が起こり、その経を書き奉ることなく死んでしまったので、その罪によって、このように、例えようもない苦しみを受けています。[ この後文意がつながらないので、欠文があると思われるが、不詳。他の文献には、「三井寺のある僧にかかせて・・・」といった分があるらしい。]その料紙は、あなたの御許にあるはずです。それを探し出して、四巻経を書き、供養し奉て下さい。事の事情は、あなた(友則を指すらしい)にお尋ねせよ』と大声を挙げて泣く泣く話したところで、夢から覚めました」と語るのを友則は聞き、また、自分の見た夢を語り、二人(友則と三井寺の僧らしい。)は指し向かいで泣くこと限りなかった。
その後、紙を探し出し僧に渡して、夢のお告げにより見つけ出したことを詳しく話した。僧は紙を受け取り、真心をこめて自ら書写して供養し奉った。

その後、また、故敏行が同じように二人の夢に現れて、「私はこの功徳によって、堪え難いし苦しみから少し免れることが出来ました」と言って、心地良さげに、姿形も前に見た時と変わっていて、喜んでいるように見えた。
されば、愚かな人は遊び戯れに心ひかれて、罪の報いがあることを知らずに、このような事になるのだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 古今和歌集 巻十六に
「 藤原敏行朝臣の見まかりにける時に、詠みてかの家につかはしける 紀友則 」という前書きで、
  『 寝ても見ゆ 寝でも見えけり おほかたは 空蝉の世ぞ 夢にはありれる 』
という哀傷歌がある。

     ☆   ☆   ☆

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冥途からの生還 ・ 今昔物語 ( 14 - 30 )

2020-02-29 10:36:01 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          冥途からの生還 ・ 今昔物語 ( 14 - 30 )


今は昔、
信濃国小県郡嬢の里(チイサガタノコオリ オンナノサト)に、大伴連押勝(オオトモノムラジオシカツ・伝不詳)という者がいた。
大伴氏の者たちが協力して、その里の中に寺を造り、氏寺として崇(アガ)めていた。

ある時、押勝は願を立てて、「大般若経を書写し奉ろう」と思って、その資金を集めようとした。その後、とうとう押勝は剃髪して僧となって受戒し袈裟を着て、熱心に仏道修行した。常にその氏寺に住んでいたが、宝亀五年(774)という年の三月に、寺の檀那たちの間で争い事が起き、押勝はひどく打ちすえられて即死してしまった。
押勝の眷属(ケンゾク・親族や従者など)たちは相談して、「人を殺した罪を、すぐさま報復してやろう」と、押勝の身を火葬にすることなく、適当な場所を定めて墓を造り、押勝の遺体を埋葬した。

すると、五日を経て押勝は生き返り、墓から出てきて親しい者たちに語った。
「わしが死んだとき、使いの者が五人やって来てわしを連行していった。途中に大変険しい坂があった。坂の上に登り立って見ると、三つの大きな道があった。一つはまっすぐで広い。一つは草が生えていて荒れている。一つは藪になっていて塞がれていた。道の分疑点の所に閻魔王の使者がいて、わしを召したわけを告げた。閻魔王は平らな道を指し示して、『ここから連れて行け』と命じた。
そこで、五人の使いは分岐点からわしを連れて行った。道の終りの所に大きな釜があった。それから湯気が立ち、炎が燃え上がり、波立っているような音が雷が響くようであった。使いたちは、たちまちわしを捕まえてその釜の中に投げ入れた。ところが、釜の中は涼やかで、しかも釜は割れ裂けて四散してしまった。
その時、三人の僧が現れて、わしに訊ねた。『お前は、生前どのような善根を作ったのか』と。わしは、『自分は善根など作っていない。ただ、大般若経六百巻を書写し奉ろうと願を立てましたが、いまだ果たしておりません』と答えた。すると僧は、三つの鉄口(意味不詳。他の文献から「鉄札」らしい)を取り出して調べたが、わしが申し述べた通りであった。僧はわしに、『お前は確かに願を立てている。また、出家して仏道を修行している。これは善根ではあるが、寺の物を用いているのでお前の身を滅ぼすことである。お前は人間に戻って、速やかに願を成就して、寺の物を使った罪を償え』と告げられて、放免となり、先ほどの三つの大きな道の所を過ぎて坂を下る、と思ったところで、生き返ったのだ」と。

されば、般若経の威力によって冥途から返ってくることが出来たのである。この話を聞く人は、ぜひとも般若経を信じ敬うべきである、
なむ語り伝たるとや。 (最終部分、少し違う文体になっている。)

     ☆   ☆   ☆

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お経との再会 ・ 今昔物語 ( 14 - 31 )

2020-02-29 10:29:04 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          お経との再会 ・ 今昔物語 ( 14 - 31 )


今は昔、
聖武天皇の御代に、河内国の[ 欠字 ]の郡(コオリ)の[ 欠字 ]の郷(サト)に一人の女人がいた。姓は利荊の村主(トカリノスグリ)というので、呼び名を利荊女(トカリメ)という。幼い時から身は清くして知恵も優れていて、因果の道理を信じて三宝(仏法僧)を敬う心があった。常に般若心経を誦することを生活の中心にしていたが、その経を誦する声が非常に尊かった。そのため、多くの僧や俗人(一般人)たちに可愛がられること限りなかった。

ところが、この女がある夜寝ている間に、これといった病気もないのに死んでしまった。そして、すぐさま閻魔王の所に至った。閻魔王はこの女を見て、床から立ち上がり、敷物に女を座らせて言った。「我は伝え聞いているが、お前は立派に法華経を誦するそうだな。されば、我はその声を聞きたいと思う。そのため、しばらくの間お前を招いたのである。願わくば、速やかに誦して、我に聞かせてくれ」と。
女は閻魔王の申し出に従って、般若心経を誦した。閻魔王はこれを聞いて、感動して座を立ち、ひざまずいて、「これは極めて尊いかな」と仰せられた。

その後、三日経って女は送り返された。そこで、女が王宮の門を出ると、そこに三人の人がいた。みな黄色の衣を着ていた。女を見て喜んで、「わしらはそなたに長らくあっておらず、会いたいと思っていたのだ。たまたま今会うことが出来た。嬉しいことこの上ない。速やかに返りなさい。わしらは今日から三日経って、奈良京の東の市の中で、必ずそなたと会えるだろう」と言うと、別れて去っていった。
女はこの言葉を聞いても、その三人が誰なのか分からなかった。
女は、「返ろう」と思うや生き返った。

その後、三日目となり、女はわざわざ東の市に行き、一日中待っていたが、冥途で約束した三人は現れなかった。
そのうち、賤しげな者が一人、東の市の門から市の中に入ってきて、経を捧げ持って「誰かこの経を書いませんか」と売りながら、女の前を過ぎて行った。そのまま市の西の門から出て行こうとしていたが、女は経を買おうと思って人を遣って呼び戻して、経を開いて見ると、女が昔書写し奉った梵網経二巻と般若心経一巻であった。
書写した後、まだ供養していないうちにその経を失くしていたのである。長年探し求めていたが、見つけることが出来なかったが、今その経を見つけることが出来て嬉しく、経を盗んだ人が誰か分かっていたが、その事は追及しないで値段を尋ねると、一巻の値段が銭五百文だという。女は言い値のままに支払って、経を買い取った。
女は、その時はじめて思い当たった。「冥途において再会を約束した三人は、この経であられたのだ」と知って、喜んで帰って行った。
その後、法会を設けてこの経を講読して、熱心に受持し日夜怠ることがなかった。

世の人々はこれを聞き、この女を尊び敬い、決して軽んじることはなかった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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般若心経ひとすじ ・ 今昔物語 ( 14 - 32 )

2020-02-29 10:27:41 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          般若心経ひとすじ ・ 今昔物語 ( 14 - 32 )


今は昔、
百済国より渡来してきた僧がいた。名を義覚(ギカク・伝不詳)という。
その国が滅ぼされた時に日本に渡来して、難波の百済寺(現存していない)に住んでいた。この人は背丈が高く七尺あった。広く仏教を学び知恵も深かった。もっぱら、般若心経を読誦して日夜怠ることがなかった。

その頃、同じ寺に一人の僧がいて、夜半に僧房を出て歩いていて、ふとその義覚の部屋を見ると、光が見えた。僧はその光を不思議に思い、そっと近寄って部屋の中を覗いてみると、義覚は端座して経を読誦していた。その口からは、光を発していた。
僧はこれを見て、驚き怪しんで、自分の僧房に帰った。そして翌日、寺の僧たちにすべてこの事を語った。寺の僧たちはそれを聞いて、たいそう尊びあった。

ところが、義覚は弟子に語った。「私は、一夜に般若心経を一万べん読誦している。ところが、昨夜経を誦している時、目を開いて見ると、部屋の内の四方が光り輝いていた。私は『不思議なことだ』と思って、部屋から出て周りを廻ってみたが、部屋の中に光がなかった。部屋に帰って見ると、戸がみな閉っていた。全く不思議なことだ」と。
まことに疑いなく、この人は只の人ではない。義覚は般若心経を誦することを生涯怠らなかった。
この事を見聞きした人は、般若心経の霊験を信じて、聖人の徳行を尊んだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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罪業深くとも ・ 今昔物語 ( 14 - 33 )

2020-02-29 10:26:44 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          罪業深くとも ・ 今昔物語 ( 14 - 33 )


今は昔、
奈良の右京の薬師寺に一人の僧がいた。名を長義(チョウギ・伝不詳)という。
長年その寺に住んでいたが、宝亀三年(772)という年に、にわかに長義は両目がつぶれて物を見ることが出来なくなった。そのため、長義は日夜にこれを嘆き悲しんで、医師を招いて薬を用いて治療したが、その効果はなく五か月が過ぎた。

そこで、長義が心中、「私は、前世の悪因によって盲目となった。されば、般若経を転読(テンドク・長い経典を略して読誦する方法。真読の対。)させて悪業を滅するべきだ」と思って、多くの僧を招いて、三日三夜の間、金剛般若経を転読させて、心から罪業を懺悔した。
すると、三日目になると、両眼はみるみる明らかになり、もとのように物を見ることが出来るようになった。その時、長義は涙を流して喜び尊んで、法華経の験力のあらたかなことを深く信じて、ますます信仰心を起こして読誦して、恭敬し供養し奉った。その寺の僧たちもこれを聞いて尊ぶこと限りなかった。

しからば、前世の罪業を滅するためには、金剛般若経に過ぎるものはない。罪業滅すれば、かくのごとく、病がいゆること疑いない。信仰心のある人は、この話を聞いて、もっぱらこのお経を受持し読誦し奉るべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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霊験あらたか ・ 今昔物語 ( 14 - 34 )

2020-02-29 10:26:11 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          霊験あらたか ・ 今昔物語 ( 14 - 34 )


今は昔、
山崎に相応寺という寺がある。
その寺に壱演(イチエン・真言宗の僧。867年没。)という僧が住んでいた。この人は俗人であった時、内舎人(ウドネリ・宮中の雑務を担当し、行幸の供奉警護に当たった。)大中臣正棟(オオナカトミノマサムネ)といって、奈良の西の京に住んでいた。
道心を起こして出家した後、池辺の宮(イケベノミヤ・平城天皇の第三皇子)と申されるお方の弟子として唐に渡った。そこで、真言を習い行法を修行すること怠ることがなかった。
帰朝した後は、かの相応寺に住んで、真言の行法を修行し、また、日夜に金剛般若経を読誦した。

やがて、尊い僧であるとの評判が高くなっていった。
当時は、水尾天皇(ミノヲノテンノウ・第五十六代清和天皇のこと。)の御代であったが、隼(ハヤブサ)という鳥が仁寿殿(ジンジュデン・平安京の内裏中央の紫宸殿の北にある殿舎。)の庇の上長押に巣を作った。天皇は、これを見て驚き怪しんで、優れた陰陽師たちを召して、この事の吉凶をお問いになられると、陰陽師たちは占なって、「天皇が重き物忌をなさらねばならないことです」と申し上げた。
天皇は恐れおののいて、方々の社寺で加持祈祷が行われた。しかし、いまだその効験が現れないので、いよいよ謹慎し、恐れられること限りなかった。

そうした時、ある人が奏上して、「山崎という所に相応寺という寺があります。その寺に長年住んでいて、日夜に金剛般若経を読誦している聖人がいるそうです。名を壱演と申します。現世の名利(ミョウリ・名誉と利得)を離れて、後世の菩提を願う者です。彼を召し出して祈祷させますれば、必ず霊験が現れましょう」と申し上げた。
天皇は、それではその者を召し出すように仰せになり、使いを遣わしたところ、即座に使者と共に参内した。
そこで、仁寿殿に上がらせて、かの隼が巣を作った所で、金剛般若経を数回読誦させた。四、五回ばかり誦した時、たちまち隼が四、五十羽ばかり外から飛んできて、一羽ごとに巣をくわえて飛び去って行った。
それを見て、天皇は壱演を礼拝し、尊ばれること限りなかった。褒美を与えようとなされたが、壱演は辞退して帰って行った。

その後は、壱演は尊い僧だとの覚えが高まり天皇は帰依なさった。
その頃、天皇の母方の祖父である白河の太政大臣(藤原良房のこと。)と申す方が、老齢の上に重病にかかり何日も寝込んでいて、あちらこちらの寺社で加持祈祷がされていた。中でも、尊いと評判の高い優れた僧たちを召して、特別に祈祷をさせなさったが全く効験がなかった。
そこで、天皇はこの前の隼の事を思い出されて、壱演を召しに使いを送った。壱演が召しに従って参上し、大臣の御枕元にて金剛般若経を読誦すると、何度も読み返さないうちに大臣の御病は平癒された。そのため、天皇はいよいよ壱演を尊ばれること限りなかった。その思いは極めて強く、遂に権僧正の官位を授与された。その後は、世間の人は挙って壱演に帰依したのである。

これを思うに、金剛般若経は罪業を滅する経典なのである。然れば、罪を滅して功徳を得られることはかくの如しである。
薬師寺の東に、唐院という所がある。ここがこの僧正の住処である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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真心が霊験を導く ・ 今昔物語 ( 14 - 35 )

2020-02-29 10:25:22 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          真心が霊験を導く ・ 今昔物語 ( 14 - 35 )


今は昔、
極楽時(京都市伏見区深草にあった。)という寺がある。その寺に[ 欠字あり。名前が入るが意識的な欠字らしい。]という僧が住んでいた。この寺は、堀河の太政大臣(藤原基経を指す。891年没。)と申す人が造られた寺である。

さて、その大臣の御名は基経と申されるが、熱病にかかられて何日も重病の状態であったので、方々の寺社で加持祈祷が行われた。中でも、霊験あらたかで尊いと名高い僧たちがことごとくお邸に集まって、あらゆる祈祷を行った。
ところで、この極楽時の僧は、世間に名僧と噂されることもなかったので、このお邸に祈祷のために召されることもなかった。けれども、この僧は心中「私がこの寺に平安に住むことが出来ているのは、この殿のおかげである。この殿がお亡くなりになれば、どこへも行く所がない」と思って、嘆き悲しんで、長年受持し奉っている仁王経(ニンノウキョウ・・法華経、金光明最勝王経とともに護国三部経の一つ。)一部を持って、そのお邸に参上した。
お邸には、大変人が多くて、ざわついていたが、中門の北の廊の隅にそっと座って、余念なく心を込めて仏を念じて、仁王経を読誦し祈祷し奉っていたが、お邸内の人々は、そのそばを通って行き帰りしていたが、誰もまったく気にする人はいなかった。

四時間ばかり経つと、重病で臥していた殿が、苦しげな息の下で人を呼び、「極楽寺の[ 欠字あり。僧名が入るが意識的に欠字にしている。]大徳(ダイトク・高僧を指すが、ここでは尊称。)とかいう僧はおいでか」と尋ねた。尋ねられた人は、「中門のわきの廊におりました」と答えた。そこで殿は、「その者をここに呼べ」と言った。
これを聞いた人は不思議に思いながら、「この僧は、特別尊いという評判もなく、多くの僧を召すにあたってもその数の中に入っていないのに、参上している合点がいかないことなのに、このようにお召しがあるとはどういうことだろう」と思ったが、その僧の所に行き、殿がお召しの旨伝えると、その僧は伝えに来た人の後ろについて参上した。
優れた僧たちが居並んでいる後ろの縁(エン)にそっと座った。
殿が「参ったか」と尋ねられたので、「南の縁に控えております」とお答えした。「この中に呼び入れよ」と殿が仰せになり、その僧を殿が臥している所に召し入れた。病が重く殿はほとんど何も申されなかったのに、この僧をお召しになる時になると、少しご気分がよろしくなったように見えた。僧を召し入れて、僧は枕元の御几帳の外に伺候した。

すると、殿は自ら御几帳の帷(カタビラ・垂れ布)をかかげて、頭を持ち上げて仰せられた。「我は今、夢を見ていたが、我の近くに極めて怖ろし気な鬼どもがいて、それぞれが我が身を痛めつけて責めさいなんだが、そこに髪をみずらに結った端正な童が、楚(スハヘ・小枝などで作った木のムチ。)をもって中門の方から入ってきて、この鬼どもをその楚で打ち払うと、鬼どもは皆逃げ去ってしまった。我は『あなたはどちらの童子で、なぜこのような事をするのですか』と童に尋ねると、童は『極楽寺の[ 欠字。僧名が入る。]が殿の病気について祈念して、今朝より参って中門のわきの廊に座って仁王経を誦していますが、一文一句、余念なく心を尽くして誦する霊験が顕れて、仁王経の守護神が、【苦しめている所の悪鬼どもを追い払え】と言い付けがありましたので、私がやって来て追い払ったのです』と言った。我はそれを聞いて、『ありがたいことだ』と思ったところで夢から覚めた。すると、病はかき拭ったようにさわやかになったので、『まことにそのような僧が参っているか』と確かさせたところ、『今朝から伺候して仁王経を誦しております』と言うので、嬉しく思い、その礼を言おうと思ってこのように招き入れたのだ」と。
そして、僧を礼拝し、衣紋棹にかけてある御衣装をお取り寄せになって与えられ、「あなたは、ただちに寺に帰って、いっそう祈請してくれ」と仰せられた。

僧が喜んで退出していく時、ご祈祷の僧たちや邸内の人たちがかの僧を見る様子は、尊敬に満ちていた。中門のわきに一日中座っていた時の全く無視されていたのと比べると、極めて感慨深く尊いことである。
寺に帰ったあとも、寺の僧たちが接する様子は極めて尊敬に満ちたものであった。

されば、祈祷というものは、僧がきれいとか汚いかとにはよらない。ただ、誠の心をつくすところに霊験は現れるのである。極楽寺の僧に験力が劣る人など、招かれた多くの僧の中にいるはずがない。だから、「母の尼君に祈らせるべきだ」という諺は、この事を言い伝えたものである、
となむ語り伝へたるとや。

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前世の贖罪 ・ 今昔物語 ( 14 - 36 )

2020-02-29 09:12:17 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          前世の贖罪 ・ 今昔物語 ( 14 - 36 )


今は昔、
伴義通(トモノヨシミチ・伝不詳。推古天皇の御代の頃の人か?)という人がいた。重い病気にかかったため、にわかに両耳が聞こえなくなった。また、悪質な瘡が全身に出来て、長い年月を経ても治癒することがなかった。

そのため、義通は「これは、現世での報いではあるまい。前世の罪による報いであろう。今生において善業を積まなければ、後世の報いはまたこのようになるのだろう。されば、善根を修めて後世の菩提を祈ることが大事だ」と思って、ただちに仏堂を飾り大勢の僧を招いて、まずは我が身を清めるために香水(コウズイ・仏に供える清浄な水。)を浴びて、「罪を滅するためには方広大乗経(ホウコウダイジョウキョウ・方広経ともいい、大乗経典の総称。法華、華厳、阿弥陀などの諸経を指すことが多い。)に勝るものはあるまい」と思い、この経を講じさせた。そのうち、義通は僧に「私はたった今、片方の耳に一人の菩薩の御名をお聞きしました。なにとぞ、御恩を垂れ慈しみ下さいますように」と申し上げて僧を礼拝すると、もう一つの耳も聞こえるようになった。
そこで、義通は感激し尊んで、いよいよ心を込めて方広経を講読させた。

この話を聞いた人は、遠くの人も近くの人も、尊く思わなかった人はいなかった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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牛に教えられる ・ 今昔物語 ( 14 - 37 )

2020-02-29 09:10:56 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          牛に教えられる ・ 今昔物語 ( 14 - 37 )  


今は昔、
大和国添上郡山村の里に住んでいる人がいた。
十二月に、「方広経(法華、華厳、阿弥陀経などを含む大乗経典の総称。)を転読(テンドク・長い経典を略して読誦する方法。真読の対。)させて、前世の罪を懺悔しよう」と思って、僧を招くために使いを遣った。
使いは「いずれの寺の僧をお招きしましょう」と尋ねた。主は「どの寺であってもよい。出会った僧をお招きしなさい」と答えた。
使いは主に命じられるに従い、出て行くと、道で一人の僧に出会った。その僧を招いて、家に連れて帰った。家の主は心をつくして供養した。

その夜、僧はその家に泊まった。家の主は布団を持ってきて僧の上にかけた。
僧はその布団を見て、非常に欲しくなり、心の中で「明日にはきっとお布施を頂けるだろう。しかし、それを貰わないで、この布団を盗んで、今夜のうちに逃げよう」と思って、真夜中頃に人の居ない隙を狙って、布団を持って出て行こうとすると、声があって「その布団を盗んではならない」と言った。僧はその声を聞いて大いに驚き、「密かに逃げ出したと思っていたのに、人に見られていたとは知らなかった。今のは誰が言ったのか」と思って、立ち止まって、声がした方をうかがい見たが、誰もいない。ただ、牛が一頭いた。
僧は、この声に恐れて、引き返してこの家に留まった。

そして、よく考えてみると、牛が物を言うわけはなく、不思議なことだと思いながら寝た。
その夜の夢で、僧が牛のそばに近づくと、牛が「我は、実はこの家の主の父である。前世において、人に与えるために、無断で我が子の稲を十束取った。今、その罪によって、牛の身となり、その罪の償いをしている。お前は出家の身ではないか。何ゆえ安易な気持ちで布団を盗んで逃げるのか。もし我が申すことの虚実を知ろうと思うなら、我がために座席を設えよ。我がその座席に座るならば、確かに父だということが分かるだろう」と言った。僧は、そこで夢から覚めた。

僧は恥ずかしく思い、明くる朝、人を遠ざけて家の主を呼んで夢のお告げを話した。
家の主は悲しんで牛の近くに寄って、藁の座を敷いて、「牛よ、まことに我が父であられるなら、この座に登りたまえ」と言った。牛は、すぐに膝をかがめて藁の座に登って座った。
家の主はそれを見て、声をあげて泣き悲しんで、「この牛は、本当に我が父であられる。ただちに、前世の罪をお赦しいたします。長年父上と知らずお使いした我が罪をお赦し下さい」と言った。
牛はそれを聞き終り、その日の申の時(サルノトキ・午後四時頃)になると、涙を流して死んだ。

その後、家の主は、泣く泣く昨夜かけてやった布団とその他の品物を僧に与えた。
また、その父のために法会を営んだ。僧は、「布団を盗んで逃げだしていたならば、この世においても後の世においても悪い報いを受けたことだろう」と心の内で思うのである。
僧が語るのを聞き継いで、
此(カク)なむ語り伝たるとや。

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