『 圧倒的な勝利 』
箱根駅伝 青学大が完全優勝
往路に勝利した青学大は 復路はさらに強さを発揮
大会新記録で 総合優勝を果たした
青学大の強さが目立つ大会であったが
シード権争いなど 随所に感動的な場面を演出してくれた
ただ 場面場面で勝利した選手には 拍手を送りたいが
追い抜かれた側の選手のことを思うと 胸が痛む
しかし 年月が過ぎれば
今は惨めに感じている体験も さらに サポートに回った選手も含めて
いかにすばらしい舞台に立っていたのかと 感じる日が来るはずだ
関係者の方々も含め 見事な大会に 感謝と拍手を送ります
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『 花の散るらむ 』
桜の花の散るをよめる 作者 紀友則
久方の 光のどけき 春の日に
静心なく 花の散るらむ
( 巻第二 春歌下 NO.84 )
ひさかたの ひかりのどけき はるのひに
しずこころなく はなのちるらむ
* 歌意は、「 日の光が のどかな春の日なのに 落ち着きもなく なぜ花は散っていくのだろう 」といった、満開の花が散り始めるのを惜しむ、ゆったりとした歌といえます。
この和歌は、小倉百人一首にも選ばれていますが、教科書にも多く登場していて、私たちに馴染み深い和歌の一つでしょう。
* 作者の紀友則(キノトモノリ)は、古今和歌集の撰者の一人です。
古今和歌集の撰者については、その仮名序の中で(真名序でも同様)今上天皇(醍醐天皇)により、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の四人が任じられていることが分かります。古今和歌集の編集の中心人物は、仮名序を書いたとされる紀貫之と考えられています。実際そうなのでしょうが、天皇から任じられた時点での順位は、紀友則が筆頭でした。ただ、紀友則は古今和歌集の完成前に亡くなっています。
* 紀氏は、その祖先は武内宿禰にまで繋がるとされ、武門の一族として大和朝廷に仕えた古代豪族の一つです。友則の時代でも、枝分かれしながらも多くの貴族を輩出していますが、その地位は余り高いものではないようです。友則も官位は六位止まりであり、あの貫之でさえ、従五位上までだったのです。
友則の父・有友も、従五位下に昇ったのは亡くなる前年のことで、守護を務める地位にまで至っておらず、友則の母の名前も伝えられていません。
理由ははっきりしませんが、友則が官位を得たのが四十歳を過ぎていたようですし、いわゆる貴族と呼ばれるほどの地位を得ることは出来なかったようです。
* とはいえ、一般庶民や百姓身分に比べると、遙かに恵まれていたのでしょうし、和歌の世界においては、一流歌人としての評価を受けていたようです。
つまり、文人としての能力は一流として評価され、宮中の華やかな舞台での活躍もあったと考えられます。
紀氏の末裔は、池田氏や堀田氏なども含め武家や社家に広がり、近代まで繁栄を続けていますが、文人としての紀氏の全盛は、この友則や貫之の時代だったように思われるのです。
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