「京都アニメーション放火殺人事件」の公判が始まったというニュースを見ました。
三十六人の犠牲者を出したあの痛ましい事件ですが、加害者が重傷を負っていたこともあり、公判に漕ぎ着けるのに、四年もの歳月を要してしまいました。しかも、果たして正常な裁判を行うことが出来るのか、個人的には疑問を感じています。
あの残忍な犯罪がなぜ行われてしまったのか、当初から様々な専門家とされる人たちが意見を述べられていました。そうした中には、必ずと言っていいほど、事件か起きた背景とか、加害者の生い立ちなどについて、あるいは社会の責任といったことが語られます。確かに必要なことなのでしょうが、多くの場合はきれいごとのような気がしてしまいます。
それに、「三十六人の犠牲者」と報じられることが多いですが、堪えきれないほどの心身の痛みを受けた人の数を考えますと、膨大な数が想像され、ただ、ただ、唖然としてしまいます。
残念ながら、国内における犯罪を劇的に減少に向かわせる手段は、ないように思えてなりません。
命を落したり、回復困難なような障害を受けた方々だけでも相当な数に上るのでしょうが、その後ろには、数倍の近しい関係者の人がおり、時には、壊滅状態になってしまった家庭の数も少なくないと考えられます。
何のデーターも持たない意見ですが、一つの犯罪において、そこから発生する個人や家庭の深い傷は、そのほとんどは各自の努力で解決させるしか仕方がないのが、わが国の現状ではないでしょうか。
折から、ロシアによるウクライナ侵攻の悲惨な場面の映像を見ますと、惨禍に遭った人々やその周辺の人々が、それなりの生活を送れるようになるまでに、どれだけの時間とお金と、表現の方法を知らないのですが、精神の歪みを回復させるまでの膨大な何かが必要なのではないでしょうか。
幸いにも、わが国は、あの惨憺たる敗戦からこちらは、戦乱を経験せずに来ています。ありがたいことですが、近隣諸国と事ある毎に様々な摩擦が起きていることを考えますと、いつまでもこの状態を続けるためには、より大きな努力と工夫を必要とされているのでしょう。
そうした大きな問題の数々は、為政者や然るべき指導者の方々にお願いするしか仕方がないのでしょうが、私たちの日常生活の回りにも、危険がいっぱい存在しています。
ほんの小さな犯罪や事故であっても、当事者となった個人や家庭は大きな影響を受けます。被害者はもちろんで、加害者とても同様です。
善悪つけがたい犯罪や事故もありますが、それがはっきりしている場合でも、加害者側にも言い分はあるのでしょう。ただ、悪い方が悪いことは確かですが、私たちの社会は未だに連座制の風潮が強く、重大犯罪でない場合でも、一人の加害者が家庭を崩壊させてしまう例は数限りなくあります。
そうした犯罪の一つとして、無人販売所での窃盗事件が時々報じられています。「人を信用して成り立っている商売をぶち壊している」と指摘しているコメンテーターの人がいました。もしかすると、人前では自分もその様な意見を述べるかも知れないのですが、実は、その正反対の意見を持っています。
人を信じる、人は正直なものだ、といった考え方は大切にしたいと思います。しかし、同時に、人はそれほど強く正しい時ばかりではないような気がするのです。未だに、タバコのポイ捨ては後を絶ちません。自転車事故の多くはルール違反が絡んでいるようです。ちょっとしたミスや横着は、多くの人がついついやってしまうものではないでしょうか。
無人販売店での窃盗も、「盗む奴が悪い」と言うのが100%正しいのでしょう。しかし、もし、そうした店舗がなく、販売員や万全のセキュリティがあれば、「出さなくてもよい犯罪者を生まなかったのではないか」と考えてしまうのです。
小さな犯罪に踏み切らせない、それも社会力の一つだと思うのです。
( 2023.09.06 )
つい最近、木喰上人を紹介しているテレビ番組を見ました。
番組では、ある地域で何体もの「木喰仏」が伝えられていることが紹介されていましたが、いずれも、素朴でにこやかな笑顔の仏さまばかりなのが印象的でした。
実は、木喰上人という名前は知ってはいましたが、円空さんのように、多くの仏像を自ら彫った遊行僧だという程度の知識しかありませんでしたので、少し調べてみました。
ここに登場してくる木喰上人は、1718 年(享保三年)に甲斐国、現在の山梨県南巨摩郡身延町で生れました。生家は伊藤家という名主ですから、決して貧しい出自ではなかったと考えられます。
ところが、1731 年、十四歳(数え年)の時に、「畑仕事をしてくる」と言って家を出ると、そのまま家出してしまったというのですから、なかなかドラマチックです。何が不満だったのか、何か思うところがあったのか、そのあたりは伝えられていないようですが、江戸に向かったと考えられています。
ただ、時の徳川将軍は八代吉宗で、元禄期などを経て危機的状態にあった幕府の財政に大鉈を振るっていた時代(享保の改革)ですから、江戸から離れているとはいえ、その影響もあったのかも知れません。
1739 年、二十二歳の時に、相模国の大山不動で出家したようです。
1762 年、常陸国の羅漢寺で師僧の木食観海から木食戒を受け、木食行道と称したようです。それから間もなく、「木喰」と名乗るようになったようです。私などはこの名前で承知していますが、七十六歳の時に「木喰五行菩薩」、八十九歳の時に「木食明満仙人」と改めています。とはいえ、まさか自分で「菩薩」と称したりはしなかったと思うのですが。
亡くなったのは、1810 年、行年九十三歳でした。
「木食」と称する僧は、たくさんいたようです。木食戒というのは、五穀などを断って、木の実や野草のみを食べて修行を続ける僧のことです。
例えば、平安時代末期から鎌倉時代にかけての人物に、木食行勝( 1130 - 1217 )という真言僧は、様々な霊験を示したとされます。
秀吉の時代の人物である、木食応其( 1536 - 1608 )は、大規模工事に巧みで秀吉に重用されたようですが、秀次がらみでは苦しむ場面もあったようです。また、高野山の復興に尽力したとも伝えられています。
さて、本稿の木喰上人が、全国行脚に出立したのは、1773 年で五十六歳の時でした。
その足跡は、弟子の木食白道( 1755 - 1826 )と共に、北海道(有珠山麓)から鹿児島県に至っています。
この木喰上人と言えば、あの印象的で温かな仏像が連想されますが、伝えられている作品などから、正式に彫り始めたのは六十一歳の頃のようです。「千体造仏」を祈願したともされますが、各地に膨大な作品を残したようです。現在確認されている作品だけでも600体を超えているようですが、消失や盗難が確認されている物、木喰か否か確認できていない物などもあり、おそらく、作成された仏像などは千体を遙かに超えていたのではないでしょうか。
よく比較される円空は、生涯に12万体の作品を造ったと言われ、現在確認されている物でも5300体以上だそうですから、数の上では比較になりません。
しかし、木喰上人の残してくれた、何ともいえない温かく心にしみる笑顔の仏さまは、その現代的にも感じられる作風と共に、もっともっと親しみたいと思います。
木喰を少し調べてみようと思ったのは、その生き様から何かを頂戴できるのではないかという考えもあったのですが、余りにも圧倒的で、遠すぎる存在に感じてしまいました。ただ、九十一歳頃までは作品を造り続けたようですし、しかも、一貫してあの笑顔を生み出し続けていたという生き様は、及ばないまでも大切に頂戴したいとも思いました。
( 2023.09.09 )
今、当地は雨が降ったり止んだり、断続的に遠雷が聞こえてきます。
夜中には、少々恐いほどの雷さんに襲われましたが、今のところは近付いてくる気配はなさそうなので良かったと思っています。
しかし、考えてみますと、遠雷といっても、どこもが遠雷というはずはなく、どこかは激しい雷雨に襲われているのでしょうが、お気の毒という気持ちが皆無ではありませんが、近付いてくるなよ、という気持ちの方が遙かに大きいというのが、本音です。
雷さんから逃げ出す方法は、有るようで、なかなか無いようです。
現在であれば、雷雲の位置はほぼ掴めますから、車で逃げ出すことも出来ますし、頑丈な建物に逃げ込んで目を閉じて耳を塞いでおれば、自分の身は守れます。しかし、自宅が頑丈なマンションなどでない場合には、雷さんから逃げるのは大変です。科学が進んだとはいえ、わが家を雷から守る手段を私たちは持っていません。避雷針は唯一といっていい手段ですが、あれは、雷さんを呼び寄せて地中に逃がす物です。
江戸時代以前となりますと、雷さんから逃げ出すのは大変でした。蚊帳に入ってヘソを隠して「くわばら、くわばら」と唱えるくらいで、大寺院などが失われた原因に、落雷による火災が上位を占めます。また、「くわばら、くわばら」という呪文は、落雷を菅原道真の祟りだとして、「ここは、あなたの領地である『桑原』ですよ」と唱えて、ここに落ちてはいけないよ、と訴えているのだという説があります。
どの程度効果があるのかはデーターがありませんが、「他所に落ちるのは良いですよ」と言っているようですから、私の今の考えと余り違いが無いようです。
雷さんを他所に押しつけようというのもとんでもないことですが、地震や台風や大雨など、いくら防御手段を計るとしても、ごくごく限られた対策しか出来ません。地震予知が正しくなされたという話は知りませんし、台風の進路を変更させたり消滅させる手段を私たちは持っていません。
そういう現実のもとでは、台風にこちらに来ないでくれ、震源地が遠くで良かった、と喜んだり願ったりするのを責めることなど出来ませんが、考えようによっては、自分だけは難儀を避けたいと言うことでもあるわけです。
自然災害が相手であれば、何だかばかばかしい話のように見えますが、これが人為的なことだとすれば、少し様子が変ってきますし、今、私たちはその責任を問われているのかも知れません。
ある芸能事務所の犯罪が、ここに来て破裂してしまいました。この犯罪は、相当以前から噂されていたことですし、噂だけでなく、実名で訴えた人もありましたが、結果としては、寄ってたかって押さえ込んでしまったようです。それが、主犯者が亡くなったことによって、ようやく現在の状態に至ったのでしょうが、もし、その人物が健在であれば、まだまだくすぶり続けていたのではないでしょうか。
先日行われたその事務所の記者会見では、様々勉強させて頂きました。おそらく、そう遠くないうちに、社名を残すなどはとても無理で、改名程度で収束できるとも思われませんが、同時に、解決に当たろうと立ち上がっている方々の決断に敬意を払いたいと思いました。
そして、この事件の張本人は論外としても、このくらいは仕方がないと見て見ぬ振りをしてきた人、自分だけ傷つかなければ良いとうまく立ち回った人、自分に火の粉が掛からぬようにと逃げ出した人、さらには、まるで正義の味方のように質問をしていた側にも、相当の責任が有るのではないでしょうか。
残念ながら、ブラック企業と呼ばれるような職場や団体が、わが国にはたくさん存在しているようです。そうした企業などが大手を振って存在している背景には、「これくらいは仕方がない」「知らないことにしよう」「自分さえ波を受けなければ」といった程度の物が積み重なっているのではないでしょうか。
今回の事件は、まれにみる特殊な事件であることは確かですが、私たちひとりひとりにも、知らず知らずのうちに犯罪に加担していないか、問われているような気もするのです。
( 2023.09.12 )
かなり前のことですが、こんな経験をしたことがありました。
散歩の途中で、50円硬貨が落ちているのを見つけました。そのまま通り過ぎようかとも思ったのですが、何だかそれも気が咎めるような気がして、拾い上げてしまいました。
ところが、拾ってしまいますと、これをどうするかというのがなかなか難問です。ポケットに入れてしまえば事は簡単ですが、さすがに気が引けますし、と言っても、交番に届けるわけにもいきません。小学生ならともかく、いい年したオヤジが届けたりすれば、交番のおまわりさんも手間が大変でしょう。かといって、もう一度道端に置いておくわけにもいきません。
結局、あるったけの知恵を絞った上の結論は、近くにあるお地蔵さんの賽銭箱に入れさせて頂きました。
さて、この時のことを思い出すと、ついつい考えてしまうことがあります。
50円硬貨の処理としては、相当勝れた処置だったと自分では思っているのですが、これが500円硬貨だったとすれば、どうしたかなと考えますと、おそらく同じ結論だと思うのですが、5万円だったらどうしていたのでしょう。
おそらく、そのくらいの金額で警察のお世話になるわけにもいきませんから、交番に届けたと思います。それでは、500万円だったらどうか、5億円だったらどうか、と連想していきますと、心の揺らぐ部分が無いとも言えません。恥ずかしながら。
もっとも、5億円となりますと、全部1万円札でもかなりの嵩(カサ)になりますから、道端に転がっているわけはないでしょうし、一見して金額が分るはずもありませんが、犯罪と承知していても、勝負してみようかな、という気持ちが起るかも知れません。
幸い私の場合は50円硬貨でしたから、一世一代の勝負をして犯罪者になる危険を免れましたが、実は、世間には、同じような問題がたくさん転がっているのではないでしょうか。
多くの人々は、不平や不満を抱えながらも、とびきり立派な行いをしないまでも、犯罪行為に走ることなく生活を送っています。少々の意地悪や無礼な行いはあるとしても、他人様の人生を歪めるほどの行いは慎んでいる人がほとんどです。
それが、ちょっとした切っ掛けで、犯罪に走ってしまったり、他人様や時には近しい肉親にさえ立ち直れないほど傷つけてしまうことが起きています。
起るべくして起きた犯罪という物も少なくないのでしょうが、私が落とし物と出くわしたような、それがなければ起こさない犯罪を犯してしまった人も少なくないのではないでしょうか。
大学生となり、まだまだ未熟とはいえ、それなりの学問を積んできたはずの人が、麻薬に手を出してしまう事件が後を絶ちません。
高齢者施設において、それも相当重篤な人に対する非人道的な行動が、明るみに出ることが度々あります。
残念ながら、わが国ほどの人口があれば、犯罪のない社会など望む方が無理ですし、あらゆる場面で、不公平や不条理なことも発生してしまいます。ただ、それは仕方がないとしても、その場面場面で、一人の人生を大変辛い状態に追込んでいる可能性があるのが現実です。何か、負の環境のような物が存在しているような気がするのです。
大変漠然とした話ですが、ちょっとした不注意から、出さなくてもいい犯罪者を生んでいる事件が気になって仕方がないのです。
( 2023.09.15 )
企業が栄枯盛衰を味わうことは、何も珍しい事ではありません。
若い頃、大企業40年説を滔々(トウトウ)と語って下さった中小企業の経営者の方を時々思い出します。この説がどの程度説得力があるものか検証したことがないのですが、当時は、非常に惹かれて、仕事がらみの中で何度かお話を聞かせていただきました。
その方のお説によりますと、優良企業とか、好調な業界といったものでも、40年の間には相当の危機を経験するので、それを乗り越えてこそ一人前の企業となる。従って、業歴が40年以下の優良企業の中には、勢いだけや幸運だけで業績を上げている所も少なくない、というものでした。確かに、40年が正しいかどうかはともかく、超優良企業が零落したり、成長産業が永久に続くものではないことは、確かなことです。
その方は、こんな話もしてくれました。
その方は、脱サラで起業なさった人で、超有名企業を30代で退職し、サラリーマン時代とは全く違う業界で、10年余りで規模は小さくても優良企業とされる企業に育て上げていました。
私の「脱サラされる時には、かなり勇気がいったでしょう」という質問に対して、「無かったといえば嘘になるが」と言いながらも、「サラリーマン時代は、評価してくれる人は、直接の上司などごくごく限られた人しかいない。しかも、ほとんどの場合は、無難に無難にと波風が起きない形になってしまう。その点、起業すれば、努力の結果はほとんどそのまま評価される。しかも、多くの取引対象者の、ごくごく一部から評価されると、商売は成り立つ。自分の場合は幸運だったのかも知れないので、人には勧められないが」と話してくれました。
そして、「ほんとうは、評価してくれる人がいようがいまいが、自分を磨くことが一番大切なんでしょうなぁ」と仰いました。きっと、ふらふらしている私を諫めてくれたのでしょうねぇ。
今、悪い意味で、世間で注目されている企業が二つあります。
話題の芸能会社も中古車関連会社も、報道されている内容が正しいとすれば、一人あるいは数人の、とんでもない経営者によって引き起こされた『事件』だと思うのですが、その事後対策は、法的な面も含めいずれ結論が出るでしょうが、そこに所属しているタレントや社員の人たちのことを考えますと、本当にお気の毒だと思います。
会社員は、所属する企業や接する上司などに運命を委ねているような部分があるのは否定できません。今回のような企業に属してしまった場合、個人の努力が虚しくなってしまうのではないかと、想像してしまいます。
「人は幾つになっても、どんな環境においても、自分を磨かなければならない」
これは、別のお方の訓戒ですが、ご立派過ぎて余り参考にならないように思っていました。
とんでもない企業や組織が登場するのは、残念ながら、時々とはいえ絶え間なく報道されます。ごく普通の会社員としては、手の打ちようもないというのが現実ですが、不運だったと嘆くしか手段がないのは、まことに辛いところです。
そうしたことを考えていきますと、ご立派過ぎると敬遠していた言葉も、もう少し真面目に付き合うべきなのかも知れません。そしてそれは、決して若い人に限ったことではなく、歳を重ねていくほどに、意味を増してくる言葉なのかもしれない、と思うようになっているのです。
( 2023.09.18 )
いま読んでいる「今昔物語」の中に、孔子が大盗賊に、悪事を改めさせるために会いに行き、相手が余りに怖ろしげな為に十分な説得ができず、しかも相手の方が理路整然としている部分もあって、逃げ帰ったという話があります。
この話から、「孔子の倒れ(クジノタオレ)」という言葉が生れたそうで、「いくら立派な人でも、失敗することがある」といった意味で使われるようです。
ただ、この物語の一部分は、なかなか難解で、正しく意訳できているのかかなり危なっかしいのですが、孔子でさえ失敗するくらいですから、私如きが失敗を恐れる必要はあるまいと、突っ走ってしまいました。
ただ、この物語は、なかなか面白い部分が含まれています。
この物語の中では、孔子は持論を展開すれば、いくら大悪党でも改心させられると思っていたようですが、伝えられている歴史によれば、孔子はなかなか思うような公職に就くことが出来なかったようですから、現代の私たちが考えているほど、その教えは、当時の人に受け入れられていなかったのではないかと、感じました。
また、完全武装した大悪人の前では、いかな孔子といえども、正義論をぶつけても腰が引けていて、全く通じなかったというのは、いろいろ考えさせられてしまいます。
現代社会においては、民主国家と言われる国においては、文民統制(シビリアン コントロール)を基盤とした政治体制が敷かれています。
しかし、世界全体を見ますと、残念ながら、多くの地域で、大砲が人々を支配している地域が少なくありません。ロシアによるウクライナ侵攻は、武力優位の政治体制が、限定的な地域に存在しているのではなく、超大国でさえ、というより、超大国なればこそ、武力により他国を押しつぶすシナリオを明確に抱いているのではないかと、考えてしまいます。
また、大国が絡んだ国家間の武力闘争はそれほど多くないようですが、それぞれの国内においては、民族やその他の理由によって、強圧的な政治が行われているらしいことは、漏れ伝えられている物だけでも少なくありません。
わが国は、第二次世界大戦の惨憺たる敗戦を教訓として、その後、今日まで、他国との武力紛争に巻き込まれないで来ています。ここに来て、国力の凋落が云々されることもありますが、平和な時代を過ごさせていただいています。
しかし、ある国の大使の方が、わが国の防衛に対する考え方に懸念を示しておられました。その方の国は、旧ソ連圏の小国で、近隣諸国との緊張が厳しい環境にあります。そのお方によれば、わが国も、例え周囲が海に囲まれているとはいえ、隣接国は、緊張を強いられる国家であることをもっと意識すべきだとお考えのようです。
すでに、多くの国が核兵器を所有してしまい、米国とロシアだけで、数日で使用できる物だけでも数千発に及ぶそうです。そう遠くない日に、中国もその数に近付くのでしょう。
そうした世界情勢を考えれば、わが国がわが国であり続けられるためには、外交力を主体に置くしかないのでしょうが、あの孔子でさえ、いくら熱弁を振るっても、全く通じない相手がいたことも、忘れてはならないような気がするのです。
( 2023.09.21 )
「なぜ山に登るのか。 そこに山があるからだ」という言葉を、久々に耳にしました。
いわゆる人生訓といった類いとして使われていましたが、最近では珍しいのではないでしょうか。
「そこに山があるから登るのだ」といった言葉は、今でも時々お目に掛かりますが、多くの場合は、一種のパロディーのような形で使われることがほとんどです。
しかし、この言葉は、登山に関する記事から生まれた物ですので、『山』は決して抽象的な意味ではないようです。また、これに関しては、有名な逸話があります。ご存じのお方が多いと思いますが、簡単に紹介させていただきます。
この言葉の語源と考えられているのは、1923 年のニューヨーク・タイムズに載った記事のようで、「なぜ、あなたは、エベレストに登りたかったのですか」という質問に対して、イギリスの登山家マロリーは、「 Because it's there 」と答えたそうです。
この言葉を、わが国では「そこに山があるからだ」と紹介されたようで、そのため、質問も「なぜ山に登るのか」と簡略化され、「なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ」という、実に哲学的な意味を持った言葉として使われることになったようです。
当時、エベレスト登山に挑戦することは、おそらく、現在では月世界に向かうほどの大冒険だったのでしょうから、こういう記事が掲載され、当然「エベレスト」その物が注目されており、マロリーの応答も「そこにエベレストがあるからだ」と受け取るべきで、一般的な山ではマロリーの意図は通じないと思われます。
ジョージ・マロリー( 1886 - 1924 )は、イギリスの登山家です。
1852 年、インド測量局によって、「P-15」と呼ばれていた山が、世界最高峰であることが明らかになったことから、前長官の名前に因んで「エベレスト」と名付けられました。その高さは、8848mとされていましたが、その後の測量技術の進歩により、若干の変動はありますが、現在もほぼそれに近い数字とされています。測量技術の他、若干の地殻変動もあるようです。
さて、エベレストが地球上の最高峰とされてから、登頂の計画は数多く検討されたようです。特にイギリスは、国威を懸けて挑戦したようです。
第一次遠征隊は1921年に実施されました。マロリーも一員として参加していますが、この回は、調査が主体で、頂上へのアタックは行われなかったようです。
第二次遠征隊は1922年に行われ、マロリーも加わったアタック隊が3回頂上目指しましたが失敗に終りました。ただ、この時には、8321m地点まで達していて、当時の最高地点だったようです。
そして、第三次遠征隊は1924年に行われました。
この時、マロリーとアーヴィンのアタック隊が頂上を目指しました。8077m地点で二人のサポートに当たっていたメンバーのオデールは、突然雲が切れて晴れ渡った山壁を頂上に向かう二人の姿を確認しました。しかし、再び雲に覆われてしまい、それが二人の姿を見た最後となりました。
マロリー37歳、アーヴィンはまだ22歳でした。
その後、長い間、二人が最高峰に到達したのかどうかが議論の対象となりました。それは、現在においても、時には話題に上がることがあり、登頂に成功した証拠は見つかっていませんが、失敗したという明確な痕跡もないようです。
その後、捜索隊をはじめ、幾つもの登山隊が、二人の痕跡を求めましたが、マーロンの遺体が発見されたのは1999年のことで、アーヴィンの遺体は、何体か可能性がある情報もあるようですが、未だに確認されていません。
エベレストは、1953 年に初登頂に成功していますが、今も世界中の登山家にとって、憧れの山のようです。
今放映されているNHKの朝ドラは、植物学者の物語です。残念ながら私にはその研究の凄さは余り理解できていませんが、あれほど夢中になれるのだと、感動しています。
長く厳しかった夏も、どうやら終りを迎えそうです。「秋の夜長」などという言葉はすでに死語かもしれませんが、少し時間を作って、自分が近付くことも出来なかった分野で、様々な活躍を見せた人物の伝記のようなものを、一冊か二冊でも読んでみるというのはいかがでしょうか。
( 2023.09.24 )
「スポーツの秋」と言っても、残念ながら私はテレビ観戦がほとんどですが、ありがたいことに、このところは時間が足らないほど様々にスポーツが放送されています。
この数日でいえば、ラグビーと女子バレーをじっくりと見る機会がありました。
どのスポーツでも言えることでしょうが、やはり、実力差というものはあるもので、それが大差であれば、単なる頑張りや運不運程度では、勝敗は左右されないような気がします。
ただ、今行われているラグビーワールドカップで言いますと、日本が戦ったいるプールDの5チームを見ますと、私などが見ても、やはりインクグランドがかなり強いと感じますが、敗れたとはいえ、日本チームにチャンスが全くなかったかといえば、ひいき目もあるでしょうが、少なくとも前半戦あたりまでは、互角に近い戦いを続けていたような気がします。
あの戦いを「紙一重の差」というのは、かなり無理があるとは思いますが、局面局面を見ますと、あと一歩早く、あと一瞬早く、といった部分は数多く見られました。それらを制しておれば、あの試合も勝ちがあったかもしれないというのは、きっと、素人の考えなのでしょうね。
時代小説などに登場してくる剣豪は、「紙一重」の所を見切るそうですから、素人が見ると僅かの差でも、プロや達人にすれば、勝敗や生死を分ける確固たる分岐点が存在しているのかもしれません。
故人となられたある大経営者のお方は、「紙一重の差が、大きな差を生む」といった言葉を残されています。
日々の、ほんの少しの積み重ねが、大きな差となって顕われてくるのは、経営に限らず、スポーツであれ、学問であれ同様でしょうし、私たちの日々の生活においても、ほんの少しの工夫や辛抱が、例え小さくても何らかの実りを与えてくれるのかもしれません。
やはり、テレビで、花火大会の様子を放送している場面で、まだ若いお父さんが、幼い子供を肩車して見せているところが写し出されていました。仕掛け花火を見ようとしているのでしょうか、お父さんは一生懸命に背伸びをして、子供さんに少しでも楽しませてやりたいと必死のようです。
その一瞬の映像が、実に微笑ましく、感動しました。
おそらく、精一杯頑張って背伸びをしたところで、10cmも高くなるかならないかの差だと思うのですが、その一瞬は、あの親子にとって、掛け替えのない時間を演出しているのではないでしょうか。
ほんの少し背伸びしてみる・・。もしかすると、それによって、何かと違う物が見えるかもしれない、そんな気もするのです。
( 2023.09.27 )
9月30日は、官公庁や3月決算の企業などでは、ちょうど中間にあたります。
そういう事もあって、テレビの番組や、スタッフの入れ替えなども数多く見られます。
NHKのBSで再放送されていた「あまちゃん」をほぼ全部見ました。初回の時も見ていますので、あらすじは分っているつもりですが、今回も楽しく見させていただきました。
このドラマは、ドラマその物や出演者のすばらしさもありますが、その背景に東日本大震災があることも、強く心に掛かりました。
何もこのドラマに限ったことではありませんが、特に再放送されたドラマでは、そこに流れる背景や、おそらくプロの俳優さんではないと思われる人々の姿に、興味を惹かれることがよくあります。
ドキュメンタリー番組の場合、それが悲惨な事件や事故などにまつわる物であれば、背景のような通りがかりの人物などでも生々しすぎて、どうも、そうした人物が今どうしているのだろうかなどと思い描くことは、気が引けてしまいます。映像が迫真であればあるほど、むしろ目をそらしたくなってしまうのです。
映画やドラマ作りの世界のことは、私は全く知らないのですが、一つの作品を作り上げるのには、ずいぶん大勢の人たちが加わっているのでしょうね。
それが、朝ドラのように半年にも及ぶ作品となれば、人数も時間も相当の量となり、主役やその周辺の人たちにとっては、ちょっとした人生を経験することになるのではないでしょうか。若い主役級の俳優さんなどは、おそらく、その番組作りを通して、大変な成長をなさるのではないでしょうか。
しかし、やはり私は、プロなのかどうか分らないような、ちょっとした通りがかりや、つい映像に入ってしまったような人物も、気になることがよくあるのです。
映画やドラマといっても、ハリウッドの大スペクタル映画ともなりますと、タイトルと共に紹介される俳優やスタッフの人はごくごく限られていて、いわゆるその他大勢と言われるような俳優やスタッフなどは大勢いて、さらにエキストラや背景のように写り込んでしまった人などを加えますと、一つの作品の完成には、どれほどの人が加わっているのかと驚いてしまいます。
そして、もしかすると、私たちが生きている環境も同様のことが言えるかもしれません。
私たちは、多くの人の人生にとって、通行人AであったりBであるかも知れません。あるいは、そうした役につくこともなく、ほんの後ろ姿が写っただけか、大群衆の一人程度の役割しか果たしていないことの方が多いのでしょう。
同時に、私たち自身の人生を考えてみますと、この場合は、紛れもなく私たち自身が主役です。その演技がいくら拙くとも、変更や代役は存在しておらず、ずっと続けることになります。そして、そこにも、名前が紹介されるようなメンバーだけでなく、名前も知らず、会ったことさえ覚えていない人たちが、私たちが考えているより遙かに多く存在しているのではないでしょうか。
慎ましやかで、首をすくめているような我が人生にも、ハリウッドの大スペクタル映画が逃げ出すほどの出演者が存在しており、そのお陰で、ささやかとはいえこの人生が成り立っているのかもしれません。
「袖振り合うも他生の縁」という言葉もありますが、心したいものです。
( 2023.09.30 )
このところ、あるテレビの再放送番組を楽しんでいます。
それは時代劇で、主人公の旗本の男は、賄やおべっかがまかり通る宮仕えに嫌気がさして、隠居を望んでいたのですが、妻とは死に別れ、子供がないので、さてどうするかと思っていたところで、現実社会では少し無理があると思われるような男を養子にすることが出来て、めでたく家督を譲ることが出来て、隠居の身となり、隠居修行に励むのですが、なかなか俗世間を離れられず、様々な事件に遭遇するという、とても楽しいストーリーです。
実は、このドラマのように、隠居あるいは隠居もどきの人物を主人公とした作品は、結構あるようです。
時代劇では、今回のドラマと酷似したような人間模様の作品もありますし、主人公は別にいるが、その周辺に現役を退いた人物がいて、結構重要な役回りをする、と言った作品はさらにたくさんあります。
現代劇でも、サスペンス物で、引退した元刑事や元検事などが活躍したり、ホームドラマと言われるような作品には、必ずと言っていいほど、主人公とは別に、頑固親父であったり、何とも味のあるおばあちゃんであったりが、折々に登場し、そうした人の活躍具合が作品の人気や品格に大きな影響を担うことは少なくありません。
さて、今、私たちの周辺を見回してみた場合、「ご隠居さん」というような人物は、どの程度存在しているのでしょうか。
現役を離れ、それなりの年齢に達しているという条件だけを見ますと、周囲には「ご隠居さん」が溢れています。私もその一人です。
しかし、どうでしょうか。自分が主人公ではない一つのドラマが存在していると仮定した場合、私を含めた現在の「ご隠居さん」は、そのドラマに、ピリッとしたもの、ほのぼのとしたもの、切なく胸に迫るもの、などといったものを与えるだけの存在感を示しているでしょうか。それ以前に、自分が「ご隠居さん」だと認識している人がどの程度いるのでしょうか。
これは、私個人が持っているイメージなのですが、「ご隠居さん」と言えば、長年携わってきた仕事から離れ、しかも、ある程度余裕のある生活が確保できていることが条件のように思っていました。そのイメージからは、残念ながら私は「ご隠居さん」にも入れませんし、ドラマに登場するような「ご隠居さん」となれば、とてもとても遠い存在です。
しかし、私たちは、年齢は重ねますし、会社などに勤めている場合は、いずれ退職することになりますので、「ご隠居さん」になれなくても、「ご隠居もどき」にはなりたいものです。
現代の社会においては、旅行などその気になれば、ごく普通の人であっても膨大な消費の機会が散らばっています。少々の貯え程度では、よほど精神的にしっかりしていなくては、かつての「ご隠居さん」のようになるのは難しそうです。
その一方で、「人生五十年・・」などは歴史の世界となり、近いうちに「人生百年・・」という現実も多くの人が経験することになるでしょう。もしそうだとしますと、「新しいご隠居さん像」を描いていく必要がありそうです。
どうした姿を以て、「新しいご隠居さん像」とするかは難しいところですが、健康に対する考え方や、安定した生活基盤だとか、様々な条件を考慮することが必要なのでしょうが、その中に、「死ぬまでは人生の現役だ」といった心意気が必要な気がしています。
( 2023.10.03 )