雅工房 作品集

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僧正遍昭伝記 (1) ・ 今昔物語 ( 19 - 1 )

2023-01-23 14:29:11 | 今昔物語拾い読み ・ その5

       『 僧正遍昭伝記 (1) ・ 今昔物語 ( 19 - 1 ) 』


今は昔、
深草の天皇(第五十四代仁明天皇)の御代に、蔵人頭右近少将良峰宗貞(ヨシミネノムネサダ・良岑とも。)という人がいた。大納言安世(ヤスヨ・良岑氏。桓武天皇の皇子。)という人の子である。
容姿美麗にして、正直な心の持ち主であった。学識も人に勝っていたので、天皇は格別親しく可愛がっておられた。そのため、周囲の人は彼を憎み、良く思わなかった。
その時の春宮(トウグウ・皇太子)は天皇の御子であられたが、この憎しみを抱く側近たちは、事あるごとに、この頭少将(トウノショウショウ・蔵人頭と少将を兼ねている)のことを春宮にあしざまに申し上げていたので、天皇と春宮は親子の仲ではおありだったが、春宮はこの頭少将を何かにつけ不届きな奴だとの思いが積もっていた。
頭少将は春宮の気持ちを承知はしていたが、天皇がこのように可愛がり親しく接しられるので、こうしたことを気にかけることなく、日夜朝暮に怠ることなく宮仕えを務めていたが、天皇が病となり、数か月病床におつきになったので、頭少将は胸が張り裂けるばかりに嘆き悲しんだ。
しかし、その甲斐もなく天皇は崩御なさったので、頭少将は闇夜に向かうような心地がして、身の置き所がない思いで、心の内で、「この世は幾ばくもない。法師となって、仏道の修行をしよう」と思い込むようになった。

ところで、この少将は、宮方(皇族)の娘を妻として、たいへん仲睦まじく過ごしていて、男子一人女子一人を儲けていた。
「妻は他に身寄りが無く、自分以外に頼るべき人がいない」と思うと、少将はとても心が苦しくかわいそうに思ったが、出家を望む心を抑えることが出来ず、天皇の御葬送の夜の儀式が終った後、人に何も告げずことなく姿を消してしまったので、妻子や使用人たちは泣き惑い、聞き及ぶ限りの山々寺々を捜し回ったが、まったく消息を掴むことが出来なかった。

その少将は、御葬送の明け方に、比叡山の横川(ヨカワ・東塔、西塔とともに比叡山三塔の一つ。)にたった一人で登り、慈覚大師(ジカクダイシ・・( 794 - 864 ) 最澄の弟子。天台宗山門派の祖。)が横川の北にある谷の大杉の洞に入られて、法華経を書いておられるところに参って、そこで法師になった。
その時に少将は、ひとり言に、
『 たらちねは かかれとてしも むばたまの わがくろかみを なでずやありけむ 』
( わが母は このように法師になれといって わが黒髪を 撫ではしなかったであろうに )
という歌をつぶやいた。

その後、慈覚大師の御弟子となって、仏法を学び、さらに深く学び進んで、熱心に仏道修行をしているうち、風の便りに新しい天皇(文徳天皇)が即位なさって、諒闇(リョウアン・服喪の期間)なども終って、「世間の人は皆衣の色が変わった(喪服からふつうの衣服に戻ったさま)」と推察するにつけ、ものの哀れを感じて、入道(宗貞のこと)はひとり言で、
『 みな人は 花の衣に なりぬらむ こけのたもとは かはきだにせず 』
( 世の人は皆 華やかな衣に 着替えたことだろう わが僧衣のたもとは 涙で乾くことさえない ) 
と詠んだ。
このようにして、修行を続けているうちに年月が流れた。

                   ( 以下 ( 2 ) に続く )

       ☆   ☆   ☆ 



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