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十一時頃、雨が小降りになった。
空も山も道も、何もかもがもやに包まれているような状態だったが、私は歩いてみることにした。山頂まで行くのは時間的に無理であるが、このまま一日中宿にいるのはかなりの苦痛であった。男が出発したあとは、宿の客は私一人なのだ。
宿の主人は、雨は一時的に止んでいるだけなのだから無理をするな、と何度も言ってくれた。それでもなお、たとえ一時間だけでも歩いてみたいと突っ張る私に握り飯を包んでくれた。そして、間道には入らないことと上に登り過ぎないことを、くどいほど念を押してくれた。
まだ若かった私は、親切に感謝しながらも「大丈夫だよ」と心の中では思っていた。
幸い雨は止んでいた。もちろん太陽の姿はどこにも無かったが、空の一角が雲が切れて少し明るくなっていた。
私はバス道をしばらく歩いてから登山道に入った。
上の方はどうなっているか分からなかったが、登山道はよく整備されていて小さな車なら通れそうである。
私は道路の状態に安心し、宿で考えていたように案内書にある見晴台まで行くことにした。片道二時間程の距離なので、少々の雨なら危険はないと思ったからである。
私は山歩きが好きで、それもどちらかといえば一人で行くのが好きであった。
ただし、それは登山というほどのものではなく、整備された登山道以外を歩く技術はなく経験もなかった。そのことは、私自身十分承知していた。
その登山道は、上へ行くというより山を大きく巡っていた。もちろん上り勾配ではあるが東京郊外のハイキングコースと大差なかった。宿の主人が間道に入るなと注意してくれていたのは、上級者のコースがあるのかもしれなかった。
私の場合は見晴台が目的場所なので、間道があっても入る必要がなかった。それに、時々やってくる雨は激しくなかったが、空は再び暗さを増していた。
予定の二時間を少し過ぎて、見晴台に到着した。
見晴台といっても特別な施設があるわけではなく、北に向かって展望が開けている場所に丸太で作られたベンチが一つ置かれているだけである。私はベンチは使わず、二本ある木の陰で雨を避けながら握り飯を食べた。
天気が良ければ遠くの連山が望める場所だが、見えるものはまっ黒な雲だけであった。眼下に広がっている樹海も雲に覆われていた。
それでも、天を包むまっ黒な雲と樹海に広がる薄墨色の雲の対照は、今まで見たことのないものであった。
「彼はどこへ行こうとしていたのだろうか」
樹海に広がる雲が天の雲と交わる辺りを見渡しながら、私は明け方に見た山道を行く男のことを思いだしていた。そして、あれは夢だったのかもしれない、とも思った。
握り飯を食べ終わりリュックサックを背負い直したとき、まるでそのタイミングを待っていたかのように激しい雨がやってきた。
一瞬のうちに、天を包む雲と樹海に広がる雲は一体となって、全ての視界を覆い尽くした。
私は土砂降りの雨の中を下り始めた。相当激しい雨だったが、辺りの暗さが怖いほどで、とても木の下で小降りになるのを待つほどの根性は私にはなかった。
真っ暗闇というほどではないが視界は殆どなく、ただ足元だけを見つめて歩いた。幸い来た道を戻るので不安は少なかったし、大部分が緩やかな下り道なので進むのは楽であった。
ただ、山側から流れ出てくる水は川のようになり歩き難くなっていったが、谷側は足を踏み外す危険があったので、山側に添うようにして歩いた。
樹木に囲まれているような道の連続で、ますます暗さを増しているように感じていたが、ふと立ち止まって見上げてみると、樹林の切れている部分は雨足が白く光っているように見えた。
何の光に反応しているのか、勢いよく落ちてくる雨粒の一つ一つが、きらきらと光って見えた。そして、その光輝く雨粒は、足元から空に向かってV字型に広がっていた。
きらきらと光り輝く一粒一粒は、次々と足元から沸き上がり、渦を巻き、大きくうねりながら天に向かって上って行っているように見えた。
私は、激しく降り続く雨の中で、その光景に見惚れていた。
それにしても、あんなに大きなリュックサックを背負って、朝早くから彼はどこへ行こうとしていたのだろうか・・・。
そして、朝早く山道を行く男のことと共に、お母さんのあの話が浮かんできていた。
・・・怒れる雪も優しい雪も、どれもみんな雪は雪。最後の最後には、わたしたちみんなを受け入れてくれることを知っています・・・
十一時頃、雨が小降りになった。
空も山も道も、何もかもがもやに包まれているような状態だったが、私は歩いてみることにした。山頂まで行くのは時間的に無理であるが、このまま一日中宿にいるのはかなりの苦痛であった。男が出発したあとは、宿の客は私一人なのだ。
宿の主人は、雨は一時的に止んでいるだけなのだから無理をするな、と何度も言ってくれた。それでもなお、たとえ一時間だけでも歩いてみたいと突っ張る私に握り飯を包んでくれた。そして、間道には入らないことと上に登り過ぎないことを、くどいほど念を押してくれた。
まだ若かった私は、親切に感謝しながらも「大丈夫だよ」と心の中では思っていた。
幸い雨は止んでいた。もちろん太陽の姿はどこにも無かったが、空の一角が雲が切れて少し明るくなっていた。
私はバス道をしばらく歩いてから登山道に入った。
上の方はどうなっているか分からなかったが、登山道はよく整備されていて小さな車なら通れそうである。
私は道路の状態に安心し、宿で考えていたように案内書にある見晴台まで行くことにした。片道二時間程の距離なので、少々の雨なら危険はないと思ったからである。
私は山歩きが好きで、それもどちらかといえば一人で行くのが好きであった。
ただし、それは登山というほどのものではなく、整備された登山道以外を歩く技術はなく経験もなかった。そのことは、私自身十分承知していた。
その登山道は、上へ行くというより山を大きく巡っていた。もちろん上り勾配ではあるが東京郊外のハイキングコースと大差なかった。宿の主人が間道に入るなと注意してくれていたのは、上級者のコースがあるのかもしれなかった。
私の場合は見晴台が目的場所なので、間道があっても入る必要がなかった。それに、時々やってくる雨は激しくなかったが、空は再び暗さを増していた。
予定の二時間を少し過ぎて、見晴台に到着した。
見晴台といっても特別な施設があるわけではなく、北に向かって展望が開けている場所に丸太で作られたベンチが一つ置かれているだけである。私はベンチは使わず、二本ある木の陰で雨を避けながら握り飯を食べた。
天気が良ければ遠くの連山が望める場所だが、見えるものはまっ黒な雲だけであった。眼下に広がっている樹海も雲に覆われていた。
それでも、天を包むまっ黒な雲と樹海に広がる薄墨色の雲の対照は、今まで見たことのないものであった。
「彼はどこへ行こうとしていたのだろうか」
樹海に広がる雲が天の雲と交わる辺りを見渡しながら、私は明け方に見た山道を行く男のことを思いだしていた。そして、あれは夢だったのかもしれない、とも思った。
握り飯を食べ終わりリュックサックを背負い直したとき、まるでそのタイミングを待っていたかのように激しい雨がやってきた。
一瞬のうちに、天を包む雲と樹海に広がる雲は一体となって、全ての視界を覆い尽くした。
私は土砂降りの雨の中を下り始めた。相当激しい雨だったが、辺りの暗さが怖いほどで、とても木の下で小降りになるのを待つほどの根性は私にはなかった。
真っ暗闇というほどではないが視界は殆どなく、ただ足元だけを見つめて歩いた。幸い来た道を戻るので不安は少なかったし、大部分が緩やかな下り道なので進むのは楽であった。
ただ、山側から流れ出てくる水は川のようになり歩き難くなっていったが、谷側は足を踏み外す危険があったので、山側に添うようにして歩いた。
樹木に囲まれているような道の連続で、ますます暗さを増しているように感じていたが、ふと立ち止まって見上げてみると、樹林の切れている部分は雨足が白く光っているように見えた。
何の光に反応しているのか、勢いよく落ちてくる雨粒の一つ一つが、きらきらと光って見えた。そして、その光輝く雨粒は、足元から空に向かってV字型に広がっていた。
きらきらと光り輝く一粒一粒は、次々と足元から沸き上がり、渦を巻き、大きくうねりながら天に向かって上って行っているように見えた。
私は、激しく降り続く雨の中で、その光景に見惚れていた。
それにしても、あんなに大きなリュックサックを背負って、朝早くから彼はどこへ行こうとしていたのだろうか・・・。
そして、朝早く山道を行く男のことと共に、お母さんのあの話が浮かんできていた。
・・・怒れる雪も優しい雪も、どれもみんな雪は雪。最後の最後には、わたしたちみんなを受け入れてくれることを知っています・・・
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