雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

無我の境地 ・ 小さな小さな物語 ( 1814 )

2024-10-12 08:00:53 | 小さな小さな物語 第三十一部

「羊が一匹・・、羊が二匹・・、羊が・・」と数えていって、千匹まで数えた経験はありませんが、効果があったと実感したこともありません。
私は、そう寝付きの悪い方ではないと思うのですが、それでも、夜中に目覚めた後、なかなか寝直すことが出来ず、羊の数を数えるなどは序の口で、明日の予定や、いろはかるたや百人一首などを手当たり次第に思い浮かべたり、さらには世の行く末を・・、と言ったあたりまで行くまでには、たいていは寝入ってしまいますが、時には、そうした呪文もどきの物を追えば追うほど目が冴えてしまうこともあります。
そうした時、ふと、「無我の境地」になれば良いのだ、と思ったことがありました。その後は、どうしても眠れない時には、「無我の境地」に入るように、何も考えないことに務めるのですが、これがなかなか難しいのです。

そうしているうちに、いつの間にか何も分からなくなって寝てしまうことがあるのですが、時には、眠ったという実感がないのに、いつの間にか2,30分が過ぎていることがあります。もしかすると、この間は「無我の境地」に入っていて、聖人か仙人の域に一歩近づいたのではないかと考えたりするのですが、同時に、単にうとうとしていただけのことかとも思われて、自信が揺らいでしまいます。そして、そもそも、「無我の境地」と「睡眠中」と、どう違いがあるのか、と考えたりするのですが、この課題は、眠ろうとしている時にはますます目が冴え、昼間に考えると眠くなってしまう作用があるようで、なかなか厄介です。

「無我」という言葉は、辞書によりますと、「①我意のないこと。無心なこと。私信のないこと。②我を忘れてすること。」とありますから、私が考えているような、意識がなくなるような状態を指しているわけではないようです。
辞書には、③の意味として、「[仏教]我(ガ)の存在を否定すること。無常・苦と共に仏教の根本思想の一つ。我は人間存在や事物の根底にある永遠不変の実体的存在。」とあります。
こちらは、とても私の手に負えませんが、どうやら私は、「無我の境地」の意味を、自分の中で中途半端に育てていたようです。

眠れないからといって、どういう状態を指すのが正しいのかは別にして、「無我の境地」を「羊が一匹・・」の代用にするのは、少々不謹慎だったようです。
ただ、私たちの生活の中で、ややもすれば、「我利、我利」に流れそうな中で、もっと平穏な心境の時を持つ事は必要だと思うのです。
人間だけではありませんが、私たちに「睡眠」という時間が設計されているのは、そのような状態が必要だと造物主のような方が考えたのかもしれません。
ただ、その大切な睡眠中にさえ「我利、我利」の夢を見がちな身としましては、せめて、「無我夢中」になれる何かを見つけ出すことが必要なのではないかと考えています。

 

 


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