雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

田毎の月 ・ 小さな小さな物語 ( 1818 )

2024-10-24 08:07:51 | 小さな小さな物語 第三十一部

昨日は、二十四節気の「霜降」でした。
言葉からは、晩秋を思わせる響きがあるのですが、ひんやりする日が一、二日はありましたが、まだ夏の陽気が頑張り続けています。
「木枯らし」というのは、関西では「『霜降』から『冬至』の間に吹く8m以上の北風」を指します。東京では、その期間が「10月半ばから11月末まで」のようですが、いずれも、冬の使者と言えます。
当地は、「霜降」と共に木枯らし登場かと思わせる強い風が吹きましたが、方向は南寄りで、お天気が悪いのに温度は夏日に向けて上昇しました。

天候のせいだけではないのでしょうが、今年はどうも季節感に鈍くなっているような気がしています。
中秋の名月はお天気に恵まれませんでしたし、この秋は彗星や流星群のニュースも盛んに伝えられていましたが、どちらもテレビで拝見するだけで終りそうです。
オリオン座流星群はまだチャンスがありそうですが、この数日は雲の多い日が続いています。「紫金山・アトラス彗星」は、見事な姿を見せてくれていましたが、こちらも直接お目にかかることが出来ませんでした。何でも、次にやって来るのは8万年先だそうですから、少々頑張っても、次にお目にかかるのは無理のようです。

すると、少し弱気になっているような私を励ますように、「田毎の月(タゴトノツキ)」という美しい言葉に出会いました。
『 姥捨ての棚田は国の「重要文化的景観」や「日本の棚田百選」に選定されています。聖山高原を背に、善光寺平を一望でき、標高は460mから560mに至ります。面積は40ha程度、今も小さな棚田が1500余りも連なり、郷愁あふれる風景をつくりだしています。』 (以上は、「信州千曲観光局」のホームページから使わせていただきました。)
月の美しい夜、1500枚の棚田にそれぞれ月が映っている様子を思い浮かべますと、先人のご苦労と、その環境を守っていく大変さが思いやられ、中秋の名月を見損なったことぐらいで、ぐずぐす言ってみる身が恥ずかしくなります。

実は、「田毎の月」が気になったのは、この言葉は俳句の季語にもなっていて、季節は「秋」であることを確認したかったからです。
そのことは漠然と知っていたのですが、「田毎の月」が最も美しく見えるのは、田植えの頃だと思うのですが、季語としては秋になっているのが疑問に感じたからです。おそらく、「月」を表現する一つとして「秋」にされたのではないでしょうか。
そして、上記のホームページにも紹介されていますように、「日本の棚田百選」というのがあることに驚きました。つまり、今日においても、棚田と呼ばれるように風景が、百以上健在だと言うことです。
環境保全と言いますと、地球温暖化だとかCO2の削減などということが連想されがちです。もちろん、地球全体が壊れていっては、身の回りの環境をどうこうしたところで意味がないという考え方もあります。しかし、身の回りや地域の自然や環境をないがしろにして、地球温暖化云々というのも、片腹痛い気がします。
私たちが身近に接する自然美という物は、何らかの手をかけないことには守られないのです。先人の残してくれた遺物や遺跡となりますと、さらに緻密な配慮が必要です。
棚田を残したとて、さほどの米が収穫できるわけではありません。しかし、その環境を守り続けることから得られる、環境面や精神面や文化面などの恩恵を私たちは軽視してはならないと思うのです。


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