雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

明日のわが身を

2018-07-23 08:15:12 | 新古今和歌集を楽しむ
     なき人を しのぶることも いつまでぞ
              今日のあはれは 明日のわが身を


                           作者  加賀少納言


( No.818  巻第八 哀傷歌 )    

               なきひとを しのぶることも いつまでぞ
                         きょうのあはれは あすのわがみを


* 作者については、生没年や出自などほとんど伝えられていない。ただ、後述するように紫式部とほぼ同時代の女性と思われ、西暦1000年を挟んだ頃に宮中に仕えていた女房と推定される。

* 歌意は、「 亡き人を しのぶことも いつまででしょうか。亡き人を想い慕う今日の悲しみは 明日はわたしの身の上のことになるのですから。 」といったものでしょう。

* この和歌の前書きには、「返し」となっており、返歌であることが分かる。
和歌を贈ってきた相手は、紫式部である。
紫式部は、「 上東門院小少将(ジョウトウモンインコショウショウ)身まかりて後、常にうち解けて書き交わしける文の、ものの中に侍りけるを見出でて、加賀少納言がもとに遣はしける 」という前書きの贈答歌が収められている。
「 No.817  たれか世に 長らへて見ん 書きとめし 跡は消えせぬ 形見なれども 」

この事から分かることは、この時すでに亡くなっていた小少将と紫式部と加賀少納言は共通の知人であったということである。
紫式部は平安王朝文学の全盛期の頃に、中宮彰子(のちに上東門院)に女房として仕えていたが、小少将も書かれてる名前からして彰子に仕える女房であり、おそらく、加賀少納言も彰子に仕えていたのではないだろうか。
当時は、藤原氏の絶頂期であるが、同時に藤原氏内の主権争いも激しく、一条天皇の中宮である定子とその後を追う彰子との間も、本人の意向に関係なく激しい対立関係におかれ、共に有能な女性を女房として集めていた。それが女流文学の台頭を演出することになるが、加賀少納言も彰子の父である道長に才能を見込まれた一人だったのかもしれない。

* 加賀少納言という女房名から推察すれば、父か一族に少納言クラスの人物がいたと考えることも出来るが、そうであれば、おそらく清少納言クラスの家柄だったのかもしれない。守護職などを務める中流貴族の出自のように推定される。また、今日に伝えられている消息は極めて少ないが、彰子に仕えるほどの女性であったとすれば、絢爛豪華な王朝時代を華やかに生きた女性であったと想像したい。

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