枕草子 第二百六十九段 神は松尾
神は、
松尾。
八幡。この国の帝にておはしましけむこそ、めでたけれ。行幸などに、葱の花の御輿にたてまつるなど、いとめでたし。
大原野。
春日。いとめでたくおはします。
平野は、いたづら屋のありしを、「何するところぞ」と問ひしに、
「御輿宿」といひしも、いとめでたし。
斎垣に、蔦などのいと多くかかりて、紅葉の色々ありしも、「秋にはあへず」と、貫之が歌思ひ出でられて、つくづくと久しうこそ、立てられしか。
水分の神、またをかし。
賀茂、さらなり。
稲荷。
神社ですばらしい所は、
松尾(山城。松尾祭で名高い)。
八幡(ヤハタ・山城)。この国の帝でいらっしゃることが、何より素晴らしい。(応神天皇を祭っていることを指すか?)行幸の時などには、葱の花の飾りのある御輿に天皇がお乗りになられるなど、とてもすばらしい。
大原野(山城)。
春日(大和)。たいそう立派でございます。
平野(山城)は、空き家があったのを、「何をする所だ」と問いますと、
「御輿宿(ミコシヤドリ・天皇乗用の車を祭典執行の間納めて置くためのもので、平素は空き家である)です」と答えるのも、実にすばらしい。
斎垣(イガキ・社の境界を示す石垣などの垣根)に、蔦などが大変多く巻きついていて、紅葉の濃淡も様々なのも、「秋にはあへず」という、貫之の和歌が浮かんできて、しみじみと長い時間、車をとめたままにしていましたわ。
水分の神(ミコモリノカミ・大和。雨乞いの神として名高い)、これも趣があります。
賀茂、立派なことは言うまでもありません。
稲荷(山城)。
神社、すなわち祭神について列記されています。
ここに挙げられているものは、古歌や歌枕から引用したものはなく、いずれも少納言さま自身訪れたことがあるところのように思われます。
なお、貫之の和歌というのは、古今集にある「ちはやぶる神の斎垣にはふ葛も 秋にはあへずうつろひにけり」のことで、その後の文章は、中宮(定子皇后)が亡くなったあとのことと推察できます。
神は、
松尾。
八幡。この国の帝にておはしましけむこそ、めでたけれ。行幸などに、葱の花の御輿にたてまつるなど、いとめでたし。
大原野。
春日。いとめでたくおはします。
平野は、いたづら屋のありしを、「何するところぞ」と問ひしに、
「御輿宿」といひしも、いとめでたし。
斎垣に、蔦などのいと多くかかりて、紅葉の色々ありしも、「秋にはあへず」と、貫之が歌思ひ出でられて、つくづくと久しうこそ、立てられしか。
水分の神、またをかし。
賀茂、さらなり。
稲荷。
神社ですばらしい所は、
松尾(山城。松尾祭で名高い)。
八幡(ヤハタ・山城)。この国の帝でいらっしゃることが、何より素晴らしい。(応神天皇を祭っていることを指すか?)行幸の時などには、葱の花の飾りのある御輿に天皇がお乗りになられるなど、とてもすばらしい。
大原野(山城)。
春日(大和)。たいそう立派でございます。
平野(山城)は、空き家があったのを、「何をする所だ」と問いますと、
「御輿宿(ミコシヤドリ・天皇乗用の車を祭典執行の間納めて置くためのもので、平素は空き家である)です」と答えるのも、実にすばらしい。
斎垣(イガキ・社の境界を示す石垣などの垣根)に、蔦などが大変多く巻きついていて、紅葉の濃淡も様々なのも、「秋にはあへず」という、貫之の和歌が浮かんできて、しみじみと長い時間、車をとめたままにしていましたわ。
水分の神(ミコモリノカミ・大和。雨乞いの神として名高い)、これも趣があります。
賀茂、立派なことは言うまでもありません。
稲荷(山城)。
神社、すなわち祭神について列記されています。
ここに挙げられているものは、古歌や歌枕から引用したものはなく、いずれも少納言さま自身訪れたことがあるところのように思われます。
なお、貫之の和歌というのは、古今集にある「ちはやぶる神の斎垣にはふ葛も 秋にはあへずうつろひにけり」のことで、その後の文章は、中宮(定子皇后)が亡くなったあとのことと推察できます。
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