雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

寒い夜に母を思う ・ 今昔物語 ( 9 - 12 )

2023-07-25 13:17:10 | 今昔物語拾い読み ・ その2

       『 寒い夜に母を思う ・ 今昔物語 ( 9 - 12 ) 』


今は昔、
震旦の[ 欠字。王朝名が入るが不詳。]の御代に、朱の百年(シュノハクネン・456 年没)という人がいた。幼少の時から孝養の心が深く、たいそう父母を大切にしていた。
やがて、父が先に亡くなり、母は一人家に残された。ところが、百年の家は極めて貧しく、わずかの蓄えもなかった。

ある時、百年は友人の家を訪ねた。
家の主は、百年が訪ねてきたので、ご馳走を準備して酒を呑ませた。百年は酒を呑みすっかり酔ってしまい、家に帰らずその家で寝てしまった。ちょうど大寒の頃で、夜はとても寒い。
すると、家の主は、衾(フスマ・掛け布団のような物。当時は、敷き布団はなかったらしい。)を取り出してきて、百年に掛けてやった。

その時、百年が目覚めて見てみると、自分の体の上に衾が掛けられていた。百年は、「私が寒がっているのを見て、家の主が掛けてくれたのだ」と気付くと、すぐに衾を脱ぎ棄てて、被らないで横になった。
家の主がやって来て、百年が衾を脱いで被っていないのを見て、不思議に思って百年に訊ねた。「あなたは、どうして、このように寒い夜なのに、掛けていた衾を脱ぎ棄てて被らないのですか」と。
百年は、「私は、この寒い夜を、こちらで寝かせていただいています。あなたは、私が寒がっているのを知って、衾を私に掛けて下さいました。まことに、ありがたいお気持ちです。大変嬉しく思います。しかしながら、私の母は、極めて寒い状態で、家で一人寝ています。私は、それを思うと心が安まりません。どうして私は、母が寒い思いで寝ているのを無視して、衾を被って温かくして眠れましょうか」と答えた。

家の主は、それを聞くと、涙を流して感激して、「あなたの孝養の心が深いことは、まことに立派です。私も、心から尊敬します」と言った。
夜が明けて、百年は家に帰った。母もまた、この事を聞いて、涙を流して感激すること限りなかった。
この話を聞いた人も、また、百年を讃えて感動した、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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五匹の亀を助ける ・ 今昔物語 ( 9 - 13 )

2023-07-25 13:16:45 | 今昔物語拾い読み ・ その2

       『 五匹の亀を助ける ・ 今昔物語 ( 9 - 13 ) 』


今は昔、
天竺に一人の男がいた。財物を買うために、銭五千両を子に持たせて、隣国に行かせた。
そこで、その子は銭を受け取って出掛けたが、大きな河のほとりに至った。

すると、船に乗っていく人がいる。その子がその船を見ると、亀が五匹、船から首を出していた。
この銭を持っている人は、船のそばに立ち寄り、「その亀をどうするのですか」と尋ねると、船に乗っている人は、「殺して、いろいろの役に立てるのだよ」と答えた。
銭を持っている人は、「その亀を、私に売って下さい。ぜひ買いたいとと思います」と言った。船に乗っている人は、「大切な目的があって、苦労して捕らえた亀だよ。幾ら高い値段でも売ることは出来ない」と言う。
銭を持っている人は、手を合わせて、ぜひにと頼み込み、持っている五千両で亀五匹を買い取って、河に放って逃がした。

銭を持っていた人は、心の中で「我が親が、財物を買うために隣国に私に行かせたのに、その銭で亀を買ってしまったので、親父殿は、どれほど腹を立てるだろう」と思ったが、そうであっても、親のもとに帰るしか仕方がないので、親の家に帰って行ったが、その途中で出会った人が「この先で、銭で亀を買い取った人は、不意に、河の真ん中で船が転覆して死んでしまった」と話しているのを聞いて、親の家に帰り着いて、あの銭で亀を買い取ったことを話そうと思っていると、その前に、親の方から、「どうして、この銭を返して寄こしたのか」と言う。
子は、「私は、決してお返ししておりません。あの銭で亀を買い取って、その亀を河に放しました。その為、その事を申し上げるために帰って参ったのです」と言った。
すると親は、「ここに黒い衣を着た同じような人が五人やって来て、それぞれ銭千両を持っていて、『この銭を』と言って渡してくれた。銭は濡れていた」と言ったので、さては、買い取って放してやった亀五匹が、その銭が水の中に落ちるのを見て、それぞれが千両を取って、親の家に、未だ子が帰り着く前に、銭を持っていって渡したのである。これは、不思議なことである。
親も、この事を聞いて、この子のしたことをたいそう喜んだ。この子のした事は、亀の命を助けただけでなく、極めて孝養なことである。
この事を聞く人は、この亀を買い取って逃がしてやった子を賞め感動した、
となむ語り伝へたるとや。
 
     ☆   ☆   ☆

* 本話を『孝養談』としていますが、どうも、ピンとこない気がします。「報恩=孝養」といった考えらしいのですが、少し無理があるようにも思われます。

     ☆   ☆   ☆

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罪と福との差し引き ・ 今昔物語 ( 9 - 14 )

2023-07-25 13:15:25 | 今昔物語拾い読み ・ その2

     『 罪と福との差し引き ・ 今昔物語 ( 9 - 14 ) 』


今は昔、
震旦の江都(ゴウト)に孫宝(ソンポウ・実在の人物らしい)という人がいた。
若くして亡くなったが、その体はまだ温かいまま、四十余日が過ぎた。
そして、やがて活(ヨミガエ)り、自ら語った。

「私が最初に死んだ時、人がやって来て、私を捕らえて官曹(カンソウ・閻魔庁のことらしい。)の中に連れて行きました。見てみると、亡くなった私の母がその中に居て、苦しみを受けていました。私は、母の姿を見て喜び、苦しみを受けているのを見て悲しみました。母は、私を見て、『わたしは、亡くなってからずっと戒められていて、少しの間も苦しみの休まる時がありません。わたしは、自分の無実を訴えましたが、力が及びません』と言う。
明くる朝、役人が私を引っ張って、冥官(ミョウカン)の前に連れて行きました。冥官は私を見ると、『汝に、罪はない。速やかに解き放す。出て行くがよい』と言いました。私は、出て行かないで、冥官に向かって言いました。『人が生きている時に、造った罪も福も皆、その報いはあるものですか』と。冥官は『そう定められている』と答えました。私はさらに尋ねました。『すでに造った罪も福も、差し引きすることがあるのでしょうか』と。冥官は『有る』と答えました。私は、『それでは、私の隣の里の何々とかいう人は、生きていた時に造った、罪は多く福は少ない。しかし、今見てみますと、その人は閻魔庁の外にいます。私の母は、生きていました時に造った、福は多く罪は少ないのに、母は久しく冥途に留め置かれています。もし、定められた報いが有るならば、どうしてこのようなことが有るのでしょう』と申し上げました。

冥官は、私の申し出を聞くと、驚いて主吏(文書を管理する役人。)を呼び寄せて、この事を訊ねました。主吏は『その人の罪と福を記した文書はありません』と答えました。
すると、冥官は私の母を呼び寄せて、問いただして、その福が多く罪が少ないことを承知しました。冥官は主吏を呼び寄せて責めると、主吏は『文書をなくしてしまったため、罪福の度合いが分かりませんでした」と答えました。冥官はさらに他の文書を調査したが、母の申し出通りでした。そこで、『孫宝の母を解き許して、楽堂(ラクドウ・冥途から救われた安楽の場所。浄土に近い世界、らしい。)という所に行かせよ」と仰せられました。
その仰せにより、私と母は共に門を出ました。私は母を送って、その楽堂に行きました。その楽堂というのは、大きくて立派に荘厳された宮殿や堂閣があり、多くの人が、男女ともに、その中で楽しみを受ける所です。私は、このたくさんの堂閣を見て、遊び回り、『還ろう』という気持ちはありませんでした。いつの間にか、四十日が過ぎていました。
そこで、私は伯父と会いました。伯父は私を見て責めました。『お前は、未だ死に値せず解き放されたのに、どうしてすぐに還らないのか』と。私は、『私は、楽堂に居て、還ることを願っていません』と言いました。伯父はさらに怒って『お前は知らないのか。人が死ぬという事は、それぞれが、生前の行いによってその報いを受けるということだ。間違いなく、お前の報いは悪くして、楽堂に生れることは叶わない。但し、未だ死に値しないがゆえに、自然にそこで仮に遊ぶことが出来たのである。もし死ねば、冥官は正しくその報いを記録するだろう。そうすれば、どうして母に会うことなど出来ようか。お前はとんでもない愚か者だ』と言って、瓶の水で以て、私の頭から足の裏に至るまで漏らす所なく濯ぎました。ただ、臂の間に少しだけ濯がないうちに水が無くなりました。
その後、一つの空き家があるのを指さして、私をその中に入れました。そして、その家に入れられたと思ったとき、活(ヨミガエ)ったのです」
と語った。
但し、その伯父が濯いだ水がかからなかった臂の所には、遂に肉が欠落したままで、今も骨が見えていた。

但し、孫宝は、冥官に訴えて、母の苦しみを救ったことは、大変な孝養ではないか、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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因果応報を夢で告げる ・ 今昔物語 ( 9 - 15 )

2023-07-25 13:14:51 | 今昔物語拾い読み ・ その2

     『 因果応報を夢で告げる ・ 今昔物語 ( 9 - 15 ) 』
 

今は昔、
河南(カナン・黄河南部)に元の大宝(ゲンノタイホウ・伝不詳)という人がいた。貞観( 627 - 649 ・唐の太宗の時代。)の間に大理の丞(ダイリノジョウ・警察、裁判を担当する役所の補佐官。)であった。
この人は、因果応報という事を信じていなかった。また、同僚に張の叡冊(チョウノエイサク・伝不詳)と言う人がいた。互いに親友として付き合っていた。

大宝は常に叡冊に、「我等二人のうち、もし先に死んだ者は、死後の果報の善悪を必ず示して伝えよう」と約束した。
やがて、大宝は貞観十一年( 637 )という年に、車で落陽に行く間に、病にかかり急死した。
叡冊は京師(ケイシ・都のことで、長安。)にいて、大宝が死んだことをまだ知らなかった。ところが、ある夜のこと、叡柵の夢に大宝が現れて告げた。「私は、すでに死んでしまった。生きていた時、私は善悪の報いが有ることを信じていませんでした。今、死んだ後、当然のこととして、善悪の報いが有ることを知りました。それ故に、私はやって来て、あなたに伝えます。ぜひ、ひたすらに福業を積みなさい」と。

叡冊が、夢の中でその事について詳しく訊ねると、大宝が「冥途の果報のことは、極めて厳密なので詳しく話すことは出来ない。ただ、あなたに告げたいことは、必ず報いが有るということをお知らせするだけです」と言うのを聞いたところで、夢から覚めた。
その後、叡冊は同僚にこの夢のことを話したが、実否を判断することが出来なかったので、次の日に、直接大宝に確認しようと思って訪ねたが、そこで、大宝がすでに死んでいることを知った。

そこで、その夢のお告げを、家の者に語って聞かせた。「生きていた時、格別親しかったので、死んだ後も忘れることなく、このように教えてくれた志は、優しい心遣いです」と言って、叡冊は大宝を恋い懐かしんだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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親しき人のお告げ ・ 今昔物語 ( 9 - 16 )

2023-07-25 10:56:32 | 今昔物語拾い読み ・ その2

     『 親しき人のお告げ ・ 今昔物語 ( 9 - 16 ) 』


今は昔、
震旦に民部の尚書(ミンブのジョウジョ・戸籍や租税を担当する、民部省の長官。)である、武昌公・
載の索冑(サイノサクチュウ・唐の太宗に仕えた。)という人がいた。また、舒州の別駕(ジョシュウのベツガ・長官の補佐役)である沈裕(ジンユウ・伝不詳)という人がいた。
この二人は、互いに信頼し合って、大変仲良く長年過ごしていたが、貞観七年( 633 )という年に、索冑が突然亡くなった。

同じ貞観八年八月に、沈裕が舒州にいる間に、夢を見たが、それは、「自分は京師(ケイシ・都のことで、長安を指す。)にいて、義寧里(ギネイリ・長安の街区の一つ。)の南のはずれを歩いていたが、そこに索冑が、古くてみすぼらしい服を着て、すっかり衰えた姿で現れ、自分を見ると喜び懐かしんだ。自分は『あなたは生きていた時、善根を積んでいました。死んだ後、今どうしているのでしょうか』と尋ねると、索冑は『私は、生きていた時、誤って国家に訴えて一人の人を殺させました。また、私が死んだ後、知人たちが一頭の羊を殺して私の葬式で祀りました。この二つの事の罪として、身の苦しみは言葉で言いあらわせない。そうとは言え、今その罪が終ろうとしている』と答えた。また、さらに自分に、『私は、生きていた時、あなたと仲良くさせていただきました。ところが、あなたは、未だ官位に恵まれていません。私は心中残念に思っていました。しかし、あなたは、今に五品(ゴホン・五位に相当。この時代、九品制であった。)に任命される文書によって、きっと天帝に会うでしょう。お互いに喜びましょう。そういうわけでお知らせしました』と言う」それを聞いたところで、沈裕は夢から覚めた。

その後、沈裕は親しい人と会って、この事を話し、夢のお告げが実現することを願った。
そして、その年の冬、沈裕は長安に行き任官の選考に入ったが、犯歴があったため、任官することが出来なかった。
そこで、親しい人に、夢のお告げは実現しなかったことを話した。ところが、貞観九年の春、沈裕が江南という所に帰ろうとしていた途中、舒州に至った時、突然任命書を承って、沈裕に五品を授けて、務州の治中(ジチュウ・補佐官)になった。
その時、沈裕は、夢の中で索冑が告げた事に違うことがなかったので、しみじみと感激するのであった。

されば、生きている時に縁があり、仲の良い人は、死んだ後でも忘れることなく思いやるものだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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馬になった母 ・ 今昔物語 ( 9 - 17 )

2023-07-25 10:55:54 | 今昔物語拾い読み ・ その2

       『 馬になった母 ・ 今昔物語 ( 9 - 17 ) 』


今は昔、
震旦の随の大業(ダイゴウ・年号。605 - 616 )の時代、落陽(随の都)に一人の男がいた。見知らぬ人がやって来て、馬一頭を与えた。(他の文献では、男は、誰かが馬を持参すると予言していたらしい。)

男は、この馬を得て、数年ともに過ごしていたが、寒の時(正しくは「寒食日」で、冬至から百五日目に行う風習で、煮炊きをしない。嫁した女が里帰りする風習もあった。)、酒食を以て祖先の霊を祀るために、この馬に乗って墓に向かったが、一つの河(落陽の東を流れる「伊水」らしい。)を渡ろうとしたが、馬はどうしても渡ろうとしない。そこで、乗っていた男が馬を打つと、馬の頭や顔の皮が傷ついて血を流した。
ようやく墓に着き、馬を放して、墓を祀っている間に、馬が突然いなくなった。

その墓を祀っている男の家には、嫁いだ妹が一人いた。男が墓を祀る為に出掛けている間に妹は里帰りして一人でいると、突然、自分の亡くなった母が入ってきた。頭や顔から血を流し、容貌も姿も衰えていて、激しく泣きながら娘に告げた。
「わたしが生きていた時、お前の兄の米を五升くすねてお前に与えたことがある。それによって、その罪の報いにより、今は馬の身を受けていて、お前の兄にその罪を償うこと、すでに五年になる。今日、河を渡ろうとしたが、水が深くて恐れていると、お前の兄は鞭でもってわたしを打ったので、頭も顔も、ことごとく打ち破られて血を流している。家に帰ろうとしたが、さらに強く打たれた。そのため、わたしは、走って来てお前に話すのだ。わたしは今、償うことはもう終った。どうして、これほど罪を償っているのに、ひどい仕打ちを受けるのは納得がいかない」と言い終わると、走って出て行った。
娘は、驚いて大騒ぎして母を捜したが、見つけられなかった。娘は、母が傷ついていた所を記しておいた。

やがて、兄が帰ってきた。
娘は、まず、兄が乗っていた馬の頭や顔の傷つき破れて血が流れている所の形を見て、記していた母の傷ついていた所と見比べると、全く違わなかった。
そこで、娘は馬のもとに行って、馬を抱き締めて泣くこと限りなかった。
兄は、その様子を見て不思議に思い、そのわけを訊ねた。娘は、詳しく母が尋ねてきたことを涙ながらに話した。
兄は、「馬は、始めは河を渡ろうとせず、そのうちいなくなった。帰る時にはいつの間にか姿を見せた。この話を聞くに付け、違うところがない」と言って、兄もまた馬を抱き締めて、ともに涙を流し懐かしむこと限りなかった。馬もまた、涙を流して、水も草も食べようとしなかった。

そこで、兄と妹は、共にひざまずいて、馬に向かって、「もし、あなたが、本当に私たちの母でいらっしゃるなら、どうぞ、草をお食べ下さい」と言った。
すると、馬は、すぐに草を食べた。また、『食し[ 欠字 ]兄・妹』(この部分、意味不詳。「食べるのを途中でやめた」といった意味らしい。)、そこで、粟・豆の食糧を、五戒を守っている人の所に行って与えると、馬は即座にそれを食べた。そして、その後、馬はすぐに死んだ。
兄と妹は、その亡骸を祀ること、実の母に対するのと異なることがなかった。

これを以て思うに、人のもとに飼われている牛・馬・犬・鶏など、皆前世の罪を償うところがあってやって来ているのだと疑って、むやみに責めさいなむようなことをしてはならない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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無残な手違い ・ 今昔物語 ( 9 - 18 )

2023-07-25 10:55:25 | 今昔物語拾い読み ・ その2

       『 無残な手違い ・ 今昔物語 ( 9 - 18 ) 』


今は昔、
震旦の貞観( 627 - 649 )の間に、魏王府の長吏(役人の監督、管理役。)として、京兆(都。長安を指す)の人である韋の慶植(イノケイショク・伝不詳。)という人がいた。
彼には、一人の女子がいた。とても可愛らしい女子であった。ところが、幼くして亡くなってしまった。父母はこれを惜しみ悲しむこと限りなかった。

その後、二年ばかり経って、慶植は遠い地に行くことになり、親しい親類たちを集めて、遠い地へ行くことを告げた。そして、宴席を設けるために、家の者が市場に行って、一頭の羊を買い取って持って帰ってきた。それを殺して宴席の準備をしようとした。
ところが、亡くなった娘の母は、前夜の夢に、死んだ娘が青い着物を着て、白い衣で頭をつつみ、髪の上に玉の釵(カンザシ)一対を差して現れた。それらは皆、生きていた時の衣服の飾りであった。そして、母に向かって泣きながら言った。「わたしは、生きていた時、父上母上がわたしをいつくしみ可愛がって、すべて思いのままにさせて下さいましたので、ご両親に申し上げることなく、勝手に財宝を頂戴して使い、また、人に与えたりしました。盗みの罪に当たるとは思っておりませんでしたが、親に告げなかった罪によって、今は、羊の身を受けております。その罪を償う為に、明日やって来て殺されようとしています。願わくば母上さま、我が命をお救い下さい」と言うのを見たところで、夢が覚めた。哀れに思うこと限りなかった。

明くる朝、宴席の食事の準備をしている所を見ると、青い体で頭が白い羊がいた。背中は白くて、頭に二つの斑点があった。ふつう人が釵を差す所である。
母は、その羊を見て言った。「少し待って下さい。この羊を殺してはなりません。主人は出掛けていますが、帰ってこられた後、わけを申し上げて助けることにします」と。
やがて、家の主が帰ってきて、部屋には入らずに、「どうしたのだ。客人たちの飲食の準備が遅いぞ」と、厳しく言うと、飲食の準備をしていた人は、「この羊を殺して客人の飲食に準備をしようとしましたが、奥方さまが、『しばらく待て。その羊を殺してはならない。ご主人がお帰りになられた後、わけを申し上げてその羊を許します』とおっしゃいましたので、遅くなっているのです」と説明した。
主人は、何よりも飲食の準備を優先させて、妻に告げることなくその羊を殺そうとして、すぐに羊を縛って吊り下げた。

その時、客人たちがやって来て、その様子を見ると、容姿が美しく可愛らしい十歳あまりの女の子が、髪に縄をつけて吊り下げられている。
その女の子は、「わたしは、この家の娘でありましたが、羊になってしまいました。皆様方、どうぞわたしをお助け下さい」と叫んだ。
客人たちをその声を聞いて、「決して、この羊を殺してはなりません。そのわけを申し上げよう」と言って、家の主人の所に行った。その間に、この飲食の準備をしている人は、じっと羊を見たが、ふつうの羊にしか見えない。そこで、「ご主人は、飲食の準備が遅いときっとお怒りだろう」と思って、羊を殺してしまった。
その羊が殺されるときの泣き声は、殺した人の耳にはふつうの羊の鳴く声に聞こえた。しかし、客人たちの耳には、幼女が泣く声に聞こえた。

その後、羊を料理して、蒸し物や焼き物にした。
しかし、やって来た客人たちは、まったく手を付けることなく、皆帰っていった。
慶植は、客人たちが帰ってしまったことを不審に思い、そのわけを訊ねた。すると、ある人が、詳しくその理由を話した。
慶植はそれを聞いて、泣き悲しみ、嘆き苦しんだが、数日経って、病となり死んでしまった。行こうとしていた所へも行かず終いになった。

これを以て思うに、飲食による咎である。されば、飲食は少し控えめに、目立たないように準備すべきである。自由気ままに、これ見よがしに準備などしてはならない、
となむ語り伝へたるとや。

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羊になった少女 ・ 今昔物語 ( 9 - 19 )

2023-07-25 10:54:54 | 今昔物語拾い読み ・ その2

       『 羊になった少女 ・ 今昔物語 ( 9 - 19 ) 』


今は昔、
震旦の、長安の町の風俗で、毎年の行事として、元日以後に互いに飲食の場を設けて交歓する。それを、順繰りに行う。

ある時のこと、東の市の筆師である趙士(チョウシ・伝不詳)は、この宴席を設ける番に当り、それを行った。
客がやって来て、まず厠(カワヤ)に行ったが、そこから碓(カラウス)が見え、その上に一人の童女がいた。年の頃十三、四であろう。青い裳と白い衫(サン・上着)を着ている。縄のような物で首を縛っている。姿容貌共に美しい童女である。
その童女は、碓の柱に繋がれていて激しく泣いている。そして、その客に対して、「わたしは、この家の女子です。かつて、未だ死んでいなかった時、わたしは、父母の銭壱百を盗み、紅とおしろいを買おうとしました。然れども、その事を遂げることなく、わたしは死んでしまいました。その銭は、いまも廚舎(クリヤ・台所)の内の西北の角の壁の中にあります。わたしは、銭を未だ使ってはおりませんが、すでに父母の物を盗んでおります。それによって罪を得て、父母の命を償うのです」と言い終わると、たちまち姿を変えて、体が青くて頭が白い羊になった。

客は、これを見て、大変驚き、家の主にこの事を告げた。家の主は、これを聞くと、その姿や容貌を訊ねた。客は、見た有様を話した。家主は、それを聞いて悲しみ泣き続けた。
その女の子は、亡くなってからすでに二年が過ぎていた。廚舎の内の西北の角の壁の中を調べると、その壱百の銭があった。確かに、人がわざと隠して置いたようである。
この羊は、例の宴席のために用意していた物だが、家主は、この事を聞いて、殺さずに、羊をすぐに寺に送った。

その後、その家の者は、全員が肉食を断って、食べることがなかった。また、熱心に仏法を信仰して、心を尽くして善根を積んだ、
となむ語り伝へたるとや。

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死して敵を討つ ・ 今昔物語 ( 9 - 20 )

2023-07-25 10:54:25 | 今昔物語拾い読み ・ その2

       『 死して敵を討つ ・ 今昔物語 ( 9 - 20 ) 』


今は昔、
震旦の周(シュウ・中国の古代王朝。紀元前 1100 頃から紀元前 256 まで続いた。)の時代に、伊尹(イイン・殷の時代に同名の名宰相がいるが、別人らしい。)という大臣がいた。男子が一人いたが、名を伯奇(ハクキ)といい、とても可愛らしい子であった。
ところが、その母が亡くなってしまったので、伊尹は他の女と結婚して、継母となった女は、また一人の男子を生んだ。

伯奇がまだ童子の頃、この継母は、伯奇をとても嫌い憎んだ。
ある時には、蛇を捕まえて瓶に入れ、それを伯奇に持たせて、継母のまだ小さな子の所へ行かせた。小児は瓶の中を見て、恐れおののき、泣き惑って大声で叫んだ。
すると、継母は、父の大臣に告げて、「伯奇は、常にわたしの小さな子を殺そうとします。あなたは、この事をご存じないのでしょうか。もし、わたしの申し上げていることをお疑いでしたら、すぐに行って、本当かどうかご覧になって下さい」と言って、瓶の中の蛇を見せた。
父の大臣は、これを見て、「我が子の伯奇は、まだ幼いとはいえ、他の人に悪い事をするのを今まで見たことがない。絶対にこれは何かの間違いであろう」と言った。 

それに対して、継母は、「あなた、もしこの事をお信じにならないのであれば、伯奇の行いを、しっかりとお見せしましょう。わたしと伯奇とで、後ろの園に行って菜を摘みます。あなたは、密かに[ 欠字。「木の陰より」といった言葉らしい。]ご覧になっ下さい」と言って、継母はそっと
蜂を取って、袖の内に隠し入れて、園の中に伯奇と共に行き、菜を摘んで遊んでいたが、継母は突然地面に倒れて言った。「わたしの懐に蜂がいて、わたしを刺した」と。
伯奇は、それを見て、継母の懐をさぐり、蜂を払い捨てた。
父はその様子を見ていたが、遠く離れていたので、継母の声は聞こえず、伯奇に継母に対する下心があると確信した。
継母は、立ち上がって家に帰ると、父の大臣に、「あなた、ご覧になりましたか」と言えば、父は「確かに見た」と言って、伯奇を呼び寄せて、「お前は、わしの子であるぞ。上は天を恐れ、下は地に恥じる。どうして、お前は母を犯そうとしたのか」と責めた。伯奇は父の言葉を聞いて弁明したが、父は伯奇の言葉を信じようとしなかった。

そこで、伯奇は、「私は、誤った事はしていないが、母の策略を父はすっかり信じ込んでいる。もう、どうすることも出来ない。この上は、自害しよう」と思った。
ところが、ある人が、これを聞いて哀れに思い、伯奇に、「あなたは、罪もないのに無駄死するよりは、他国に逃げて行って、そこで生活しなさい」と教えた。その教えを受けて、伯奇は家から逃げ去った。

父は、なほ、この事の真否を考えていて、継母の讒言(ザンゲン)ではないかと疑いだしていたが、伯奇が家出してしまったと聞いて、驚き大騒ぎして車を走らせて伯奇を追った。
川の岸に至ると、その川の渡し場にいる人に、「ここから童子が渡らなかったか」と訊ねた。
訊ねられた人は、「たいそう可愛らしい童子が、泣き悲しみながら、この川を渡りましたが、川の真ん中に至ると、天を仰いで嘆きながら、『私は、思いもかけず、母の讒言によって、家を離れて流浪することになった。行き着く所さえ分からない』と言うと、すぐさま川の中に身を投じて死んでしまった」と話した。
父は、これを聞いて、胸は騒ぎ肝も潰れて、涙を流して悔い悲しむこと限りなかった。
その時、一羽の鳥が飛んできて、父の前に止まった。父は、この鳥を見ていった。「これ、もしや我が子伯奇が鳥になったのか。そうであるならば、こちらへ来て我が懐に入れ。わしは、お前が恋しくて、後悔する心が深くて追って来たのだ」と。

すると、その鳥は、すぐに飛んできて父の手に止まり、その懐に入って、袖より出て行った。
そこで父は、「我が子伯奇が鳥になったのであれば、我が車の上に止まって、わしと共に家に帰ろう」と言った。
鳥は、すぐに車の上に止まった。それを見て、父は家に帰った。
やがて家に着き、家に入ろうとすると、継母が出てきて、鳥が車の上に止まっているのを見て、「この鳥は、心根が悪い怪鳥です。どうして、すぐに射殺さないのですか」と言った。
父は、また、継母の言う事に従って、弓を取って鳥を射ると、その矢は、鳥の方には向かわず、継母の方に飛んで行き、継母の胸に当たって、死んでしまった。すると、その鳥は飛んで行って継母の頭に止まり、顔や目を突きまわしてから、高く飛び上がり姿を消した。

されば、死して後に敵に報いる、いわゆる鳴鳥(ナキドリ・怪鳥の一種として考えられていたらしい。ミミズク、フクロウ、モズなどを指すという説もあるらしい。)とは、つまりこの事である。雛の時には継母に養われ、長じては反対に継母を喰う。これは、互いに敵として生々世々に繰り返されて絶えることがない、
となむ語り伝へたるとや。

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殺生の報い ・ 今昔物語 ( 9 - 21 )

2023-07-25 10:53:57 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 殺生の報い ・ 今昔物語 ( 9 - 21 ) 』


今は昔、
震旦の随の開皇(カイコウ・581 - 600 )の末の頃、代集に姓を王という人がいた。
朝廷に仕えて、驃騎将軍(ヒョウキショウグン・大将軍の次の位。)となった。また、荊州の守備に当たった。この人の性質は、本心から狩猟を好み、朝夕を問わず生き物を殺すのを専門としていた。殺した物の数は、多くてその数さえ分からない。

ところで、この人には男の子が五人おり、女の子はいなかった。後になって、たまたま女の子が誕生した。その娘は、姿形が美しく、美人画に描かれている人のようであった。
されば、父母をはじめ、見る人は皆、その美しさに惹かれること限りなかった。
やがて、父母はこの女の子と共に荊州より
もとの故郷へ帰ったが、里の人や親しい一族の人たちが、すばらしい着物を作って持ってきて、この女の子に着させて、共に大切に育てた。いわんや、父母がこの子を大切にしたことは当然のことである。

ところが、女の子が七歳になった時、どこへ行くともなく、突然居なくなってしまった。父母は驚き騒いで、探し回ったがどこにもいない。
初めのうちは、隣の里にでも行って、いたずらで隠れたのかと疑っていた。後には、思いつく限り遠くまで探し回ったが、全く見当たらず、その姿を見たという人さえいない。父母の嘆き悲しむこと限りなかった。
その女の子には五人の兄がいたが、それぞれが馬に乗って、近くから遠くまで探し回ったが、遂に見つけることが出来なかった。

ところが、家から遙か三十余里離れた、雑草の中で、この女の子が見つけられた。本人かどうか、近くに寄ってよく見ると、まさしくその女子であった。
喜びながら、女の子に近寄って、抱き上げようとすると、女の子は驚いて走り出し、遠くへ逃げ去るので、抱き上げることが出来ない。
馬に乗って追ったが、追いつくことが出来ない。そこで、兄たちや多くの人が馬に乗り、取り囲んで、女の子を捕らえた。
女の子は、口から声を出したが、兎の鳴き声のようである。捕まえた女の子をようやく抱き上げて家に帰った。
やはり、女の子は言葉を発することはなく、身体中は棘が刺さり傷ついていた。母はそれを見て、泣きながら、突き刺さっている棘を抜いていった。

その後、この女の子は、ひと月余りもの間、全く食事をすることなく、遂に死んでしまった。父母は嘆き悲しんだが、どうすることも出来ない。
これは、ひとえに長年の殺生の罰だと思って、その後は、長年の殺生の罪を悔い悲しんで、すっぱりと殺生を止めて、一家を挙げて戒律を守り善行を行った。
これを以て思うに、殺生の罪は現世において、その罪を受けることになることを知るべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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