仮称A組、B組、C組とした白土の大人念仏講の保管物調査はようやくC組で終える。
昨夜の寄り合いの際に六斎鉦と古文書を拝見させていただいた。
表紙は念佛講中とあるものの年代は記されていない。
年代がしるされた頁があるかどうか一枚、一枚をめくっていった。
そうすると7頁辺りで「文政十一年」が見つかった。
西暦でいえば1828年だ。
B組の文書年とほぼ一致する宿帳である。
鉦は5枚でいずれも「白土村念仏講中」の刻印があり、内3枚が内面に墨書があった。
B組の鉦と同じような筆跡で「酉ノル九阝大極上重目(月かも)・・・」が判読できた。
「他にも2枚が家にあるよ」と聞いたのでN当番家を訪問した。
それは足が三本ある鉦だった。
「室町住出○宗味作」の刻印があり、内面にも墨書が見られたが薄くて判読できなかった。
ただ、うっすらと「白土村」が確認できた。
もう一つの鉦といえば、それはお椀型だった。
中央に穴が開いて紐を通している。
そこには鉦を打つ棒のようなものである。
小さなキンではなかろうか。
また、念佛講器具入れ箱には大きな湯とうが二つ。
銅製の道具だ。
おそらくトーフ汁を注いだ容器であろう。
湯とうはまだ他に二つもあった。
それは蓋付きで色合いも形も異なる。
真鍮製であろうか。
昭和3年や56年の新聞紙で包まれていたことからそれまで使っていたものだろう。
また、A組、B組と同様に枡(幅が12cmぐらいなので三合枡か)も見つかった。
お米を計っていたのであろうか。
かなり前のものであろうかボロボロに朽ちている。
(H23. 9.23 EOS40D撮影)
(H23. 9.24 EOS40D撮影)
昨夜の寄り合いの際に六斎鉦と古文書を拝見させていただいた。
表紙は念佛講中とあるものの年代は記されていない。
年代がしるされた頁があるかどうか一枚、一枚をめくっていった。
そうすると7頁辺りで「文政十一年」が見つかった。
西暦でいえば1828年だ。
B組の文書年とほぼ一致する宿帳である。
鉦は5枚でいずれも「白土村念仏講中」の刻印があり、内3枚が内面に墨書があった。
B組の鉦と同じような筆跡で「酉ノル九阝大極上重目(月かも)・・・」が判読できた。
「他にも2枚が家にあるよ」と聞いたのでN当番家を訪問した。
それは足が三本ある鉦だった。
「室町住出○宗味作」の刻印があり、内面にも墨書が見られたが薄くて判読できなかった。
ただ、うっすらと「白土村」が確認できた。
もう一つの鉦といえば、それはお椀型だった。
中央に穴が開いて紐を通している。
そこには鉦を打つ棒のようなものである。
小さなキンではなかろうか。
また、念佛講器具入れ箱には大きな湯とうが二つ。
銅製の道具だ。
おそらくトーフ汁を注いだ容器であろう。
湯とうはまだ他に二つもあった。
それは蓋付きで色合いも形も異なる。
真鍮製であろうか。
昭和3年や56年の新聞紙で包まれていたことからそれまで使っていたものだろう。
また、A組、B組と同様に枡(幅が12cmぐらいなので三合枡か)も見つかった。
お米を計っていたのであろうか。
かなり前のものであろうかボロボロに朽ちている。
(H23. 9.23 EOS40D撮影)
(H23. 9.24 EOS40D撮影)