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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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額井十八神社造宮の予行

2011年10月26日 06時42分04秒 | 民俗あれこれ(ゾーク事業)
翌週の日曜日に造宮の儀式をされると聞いていた宇陀市榛原区額井に鎮座する十八(いそは)神社。

案内看板によれば、往古は廃寺となっている極楽寺の鎮護社であるという。

いつしか神社は額井の産土神として崇敬されてきた。

訪れてみれば造宮の儀式というのは「上棟祭」のことであった。

20年前の平成3年11月23日以来のことだ。

そのときを記念する造営竣工石碑が建てられている。

今回の式典はといえば石碑、ではなく木の名札。

それは拝殿に掲げられる。

本来はそういものだと今回の造営委員は話す。

総代らの中には前回の造営委員を勤めた人がおられる。

記憶は曖昧でうっすらとしか覚えていないと話す。

額井の戸数は28戸。

およそ40人、関係者や村人たちが集まった。



委員長や区長の挨拶を経て宮司にバトンタッチ。

今日は来週の本番に向けて予行演習なのである。

春日大社では平成27年11月5日に第六十次の式年造替(ぞうたい)が行われる。

その春日大社では式典の予行演習があると聞く。

造営の式典は20年に一度行われるだけに入念なリハーサルをされるのだ。

20年に一度と言えば、式年遷宮で名高い伊勢大明神を思い起こす。

古来よりいにしえの姿を変わりなく保つ式年造替は、神威のさらなる発揚を願う信仰でもあると春日大社は述べている。

さて、額井のリハーサルはどのような形式で上棟祭が営まれるのであろうか。

当日の祭典にはさまざまな儀式がある。

例祭などで行われるのは村人にも馴染みがあるだけに省略をされたが、儀式はそうはいかない。

20年前に体験されていても細かい作法はすっかり忘れている。

本殿などは既に造宮されて真新しいく美しい姿を見せる。

本来ならば造宮を始める儀式があるのだが、額井では龍神祭の日に上棟祭をされると決められていた。

頭屋や氏子たちは奇麗に補修された本殿や末社などを布で丁寧に拭いている。



「村を守ってくれる氏神さんは大切に」という気持ちがここにあり「足元までもやで」という台詞がその証しだ。

降神の儀、献饌の儀を経て行われる祭典のメインは宮大工の棟梁たちも参加する。

まずは棟札を神前に置く。

そして地区の女児が扮する巫女が作法する献酒の儀。

祝詞を奏上して舞台四方を紙ぬさで四方を祓う。

三器を神前に置いてからは四人の巫女が舞う神楽舞。



舞台には赤い色のカーペットのようなもうせん(毛氈)布が敷かれる。

舞いといえば浦安の舞だ。

それを終えるといよいよ工匠の儀式となる。

始めに丈量の儀。長い棒のようなサシを舞台前に設えた場所で棟梁が測る儀式。

サシは木材を測量する道具である。

次に棟木を曳き上げる。

両端にはロープが二本。

それを引っぱりあげるのは村人で、舞台前に立つ棟梁が日の丸御幣(予行では代用棒)を振り掛け声をかける。

「エイ、エイ、エイ」と三回の掛け声を発声すれば、村人は「エイ、エイ、エイ」と応えながら三回の曳きで棟木を曳き上げる。

これを三回繰り返して舞台まで曳き上げる。



「エイ」を充てる漢字は曳き上げるということから「曳」の文字である。

そして、樵(きこり)の儀。

金銀で装飾したノコギリ(鋸)で山から伐り出した大木を切る作法をする。

次に墨指しと墨打ちの儀。

これも金銀で装飾されたスミサシ(墨指)とスミツボ(墨壺)が使われる。

釿(そまうち)打ちの儀はヨキ道具で木材を荒く切る。

手斧の儀ではチョウナ(手斧)を使って荒削り。

鉋の儀でさらにカンナ(鉋)を使って奇麗に仕上げる。

このように工匠の儀式は木材を伐りだして製材する工程を表現しているのだ。

製材された棟木は社の骨格。

それは組み立て打ちこむことで建てられる。

そこにも儀式がある。

槌打ちの儀である。

氏子たちは舞台に登って槌(ツチ)を手にした。

五人が並んで整列した。舞台前には棟梁が御幣(予行では代用棒)を手にして立つ。

それを左右に振って「せんざいーー、とーー」と発声すれ氏子たちは「オー」と応えて槌を「トン、トン、トン」と打つ。

次は「まんざいーー、とーー」で、その次は「えいえいーー、とーー」となるが、いずれも「オー」と応えて槌を「トン、トン、トン」と打つ。



すべて三拍子だと宮司は解説する。

予行演習だけに「元気ないでー」と周りの人たちが声を出した槌打ちの儀。

「せんざい」は「千歳」、「まんざい」は「万歳」で「えいえい」は「永々」の漢字の目出度い詞であった。

このように改修工事は終わっているのだが儀式は造営がどのようにして行われるのかを工匠たちの一連の作業を表現したのであった。

そして、舞台から対岸のマキ(槇)の大木に掛けられた紅白の曳き綱に生鯛を吊るす。

これを曳いて舞台に曳き上げる。

生ものだけにそれは本祭しかされない。

ちなみに巫女女児たちは小学4年生が3人で中学1年生が1人。

そのうちの二人が舞台で献酒の儀が行われる。

二人は祭壇の両側に立つ。

一人は酒樽を持って上段に構え振り上げるような作法を三回する。

向い側の巫女は扇で仰ぐ。



次は役を交替して湯とうを持つ巫女。

同じように三回振り上げ、相方は扇で仰ぐ。

その次は長柄の調子となるが扇仰ぎは見られなかった。

そうして献酒された御供は棟梁に差し出されそれを供える。

こうした作法は20年に一度の祭典でしか参加することができない。

千載一遇の大役だけにたいへん目出度いことだと母親たちは目を細めた。

綿密なリハーサルを終えた氏子たちは自信に溢れている。

この後の上棟祭は寿調奏上、玉串奉奠、散餞(さんせん)、散餅(さんぺい)の儀、撤饌、昇神の儀で終えると伝えられて解散した。

なお、かつては社務所の屋根の上から撒かれた御供蒔きの散餅はこうした奉祝行事で祝辞を述べられた後に2か所の舞台から撒かれる。

また、本番当日は上棟祭を始めるにあたり竣工奉告祭が行われ、その後に参道下の辻からお渡りをされることを付け加えておこう。

(H23.10. 2 EOS40D撮影)