マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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九頭神神社宵宮相撲

2011年10月30日 07時19分27秒 | 大和郡山市へ
白足袋を履き白衣へ紋付羽織を着て白の角帯で締めているのは座の長老。

一老、二老、三老の三人は当屋の相談役として世話をしている。

定年制度がなく引退をしない限り長老役を勤めるという。

宵宮を始めるにあたり小泉神社の長寿殿で4人の当屋とともに参籠している。

7人は大和郡山市小泉町の市場垣内の人たち。

市場は60軒であるが、そのうち血縁関係にある家が市場の座員になる。

そういうことから分家であれば市場を離れた人も座員であるという。

清掃をするなど一年間に亘り氏神さんに奉仕する人たちが当屋である。

一人は御供(ごく)当屋を勤め、他の三人は御酒(みき)当屋にあたる。

池堤には祠が残されているが祭礼は小泉神社の境内に遷されたことからそこで行われている。

長老の記憶を通り越した80年以上も前。

合祀され遷されたのは大正年間であったろうと話す。

古文書がなく口から口へと伝承されてきたのでいつの時代か判らないが、と前置きされて語るかつての市場の氏神さん。

今でも池の名が九頭上池と呼ばれることからもしかとすれば九頭神ではなく九頭上であったかも知れないという。

そうとうな大昔、水つきがあって九頭神さんは川から流れてきた。

それは堤防に流れ着いた。

そこに鎮座していたが神職がいないから不自由だと小泉神社の境内社として遷した。

雨たもれと神さんを手に持って田んぼを回り雨乞い祈願をしたことがあるという水の神さんだという。



陽が落ちて真っ暗な境内は九頭神神社をライトで照らされた。

社、鳥居の前に参列される長老と当屋たち。

祓えの儀、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠など厳粛に宵宮の神事が行われたあとに始まる宵宮の相撲。

それは神さんの前で奉納される神事相撲である。



三人の長老は一老を先頭に境内を右回りで大きく三周する。

その際には「ウゥーハーイー」と発声する。

一老が「ウゥーハーイー」と発声すれば後の人が声を揃えて「ウゥーハーイー」を連唱する。

そして停止した途端に二老と三老が向き合って「ハッケヨイノコッタ」と行司役の一老が扇子を掲げた。

二老と三老は少し傾倒しつつ、手をそえて腰を掴み静止して、行司が扇子を掲げた。



僅か5秒の一瞬の作法だった。

宵宮相撲はこうして終えた。

神さんを楽しませる神楽と同じ意味をもつと宮司は話す。

祭典を終えれば再び長寿殿に上がった長老と当屋たち。

本来ならば神社拝殿で行われる直会であるが、小泉神社の祭礼と重なっているためこの会場となった。

供えられた神饌は下げられて会場に置かれた。

平たい折敷に載せられた九つのモチ。

どうやら九頭神神社の九つを表しているようで膳は四枚。

当屋の人数分であって祭礼後に持ち帰るそうだ。

ザクロ、エダマメ、帯締めのコンブと小さな幣が置かれた折敷もある。

それは翌日祭典で当屋クジに当たった人にお願いをするときに持っていくもの。

そのときのくじ引きは4人の当屋とカゲ(影当屋)と呼ばれる2人の予備当屋を選ぶ。

カゲは一昨年までは一人だった。

ところがその年の10月に入って家の事情で辞退をされた。

そのことがあってもう一人のカゲを選んでおくことにされたそうだ。

その段階では御供当屋と御酒当屋はまだ決まっていない。

2月11日の小泉神社の御田植祭が行われる日に拝殿で集まってきた当屋の中から選ばれるのだ。

御供当屋は御供モチを作る田を耕作する役目に当たるという。

宵宮の神事相撲の謂れも判らないままこうして九頭神座中の宵宮の夜は更けていった。

(H23.10. 7 EOS40D撮影)