近くに住んでおりながら30云年間も知らずにいた大織冠仲仙寺の地蔵盆。
先に聞いていたのは地蔵盆ではなく、毎月の24日に営まれる地蔵法要である。
訪れた日は平成27年1月24日であるが、法要は朝の6時に済ましたと安寿さんが話していた。
本尊の石造地蔵菩薩立像は毎月の24日、正月の三ガ日に法要されるので、特別に拝観することができる。
できるといっても安寿さんの了解を得なければならない。
毎月の法要時間は不定時。
特別に決まっているわけでもないから、なかなか難しい。
昨年の、と云っても平成27年12月31日の大晦日。
除夜の鐘を取材させてもらった日から1年と8カ月も経ったこの日は夏の地蔵盆。
準備を調えていた場に寄せてもらったら安寿さんが喜んでくれた。
それよりもお身体はいかがですか、と身体状況を心配してくださる。
寛文年間(1661~1679)に郡山城主の本多政勝が生駒の蓮台寺にあった本尊を遷したと伝わる地蔵石仏がある。
高さはおよそ170cm。丸彫りの地蔵石仏の手に金属製の錫杖をもつ。
大織冠の地は地蔵山と呼ばれている小高い丘。
そこに建つお堂は地蔵堂とも呼ばれている。
大和郡山市内の城下町に柳町がある。
商店街がある中心部であるが、この地にも柳町の町名がある。
仲仙寺から見れば、市内中心部の城下町からは遠く離れている。
文禄検地帳に記された新開地であった地蔵山は柳町の枝村であった。
仲仙寺が建つ地区の行政地は南郡山町と云うが、ゼンリンの住宅マップで確認しても柳町である。
南郡山町の飛び地でもあるのだろうか。
ネットで所在地の698番地を調べてみたら、柳町であった。
南郡山町ではなく飛び地の柳町である。

地蔵盆が始まる直前に法要される安寿さん。
般若心経を唱えて、この日の参詣者の身体健勝願う。

地蔵盆の運営は東西の大職冠自治会が主で、法要関係は仲仙寺の安寿さんが担う。
地域の子どもたちに来てもらって数珠繰りをすると聞いていた。

それだけであると思っていた地蔵盆には金魚すくいに今年が初のシャボン玉飛ばしもある。
小さな子どもたちにとっては地域の夏祭りみたいなものだ。
普段ならこんなにいっぱいになることはない。
シャボン玉を飛ばす道具も準備した。

金魚すくいの道具は手配されたが、シャボン玉道具は手造り。
ストローの口を工作して玉になりやすいように工夫した。
慣れない子どももいるが、年長者の真似をしたら、ふわーっと浮き上がった。
飛んだシャボン玉はどこまで飛んだ。
あっちへ、こっちの風に揺られて飛んでいく。

団扇で扇いで追いかける幼児もいる。
普段の境内では見ることのない賑やかさ。
地蔵盆案内は旧村60戸だけでなく新町も含めた自治会は218戸に配る。
すべてに通知されるから大にぎわいの様相であるが、大織冠鎌足神社までは届かない。
本尊は地蔵堂に安置されているが、子どもたちが数珠繰りする地蔵盆の地蔵さんは外にある2体の石仏地蔵である。

左の石仏地蔵は高さが1mほど。
深い肉彫りに右手は錫杖、左手に宝珠をもつ。
お菓子や飲み物を供えて線香を灯す。
2体の地蔵石仏を納める祠の前にある花立てがある。
一つは「交通安全地蔵尊」で、もう一つが「大職冠念佛講」の刻印が見られる。
数珠繰りする場に白いテントを張っていた。
この日の天候は怪しい。
地蔵盆が始まる1時間前には暗雲がやって来た。
遠くから聞こえる雷ごろごろが近づいてきたが、結局は降らずに済んだ。

雨が降る可能性もあるから張ったテントの奉納者も「大職冠念佛講」。
昭和44年8月に寄贈された講中は19人。
「あの中に、うちのばあさんの名前がある。あとを頼むとは云わずに亡くなった」から代を継ぐものこともなく解散したという。
同寺に念仏講があったことは平成27年1月24日に訪れたときに知った。
講の所有物が遺されていたから、その存在を知っていた。
遺物はこれより始まる大念珠に伏せ鉦である。
一つは「室町住出羽大掾宗味作」の刻印があったことから類事例より手繰っておそらく300年前の代物。
そのころから念佛講があったか、どうかは実証もできないが、大和郡山市内の旧広島町では子どもが導師となって鉦を叩いていると安寿さんに話したら、それは今後のためにも良いことだから、子どもに頼んでみましょうと云った。
子どもに託した大念珠数珠繰りの鉦叩き。
初の試みに大役を預かった小学6年生の男の子は笑顔で応じる。
雷音は遠ざかっていくと同時に鳴きだしたツクツクホ-シ。
続いてジージーと鳴くアブラゼミも後追いする。

そうして始まった地蔵盆。
安寿さんは交通安全地蔵尊に向かって心経を唱える。

テント内では子どもたちが輪になって大念珠を手にしている。
唱える心経が聞こえている間はじっと待っている。
さっきまで鳴いていたセミの声も静かになったが、輪になる子どもたちの賑やかな声が逆に広がる。

導師は安寿さんから指名された男の子。
輪の中に入って鉦を叩く。

その間に唱える安寿さんの後ろはワイワイガヤガヤの子どもの声。
賑やかすぎて心経がまったく聞こえないのも仕方ないか。

昨年は40人も子どもが集まった。
今年はさらに増えて47人にも膨れ上がった。
大念珠ではあるが、さすがに全員の子どもは入ることはできない。
「なむあみだぶ なむあみだぶ」と安寿さんが唱える「なむあみだぶ」の調子にあわせて鉦を打つ。
それと同時に数珠が繰り出した。
「なむあみだぶ なむあみだぶ」を繰り返す大きな声に鉦も良い調子。
にわか導師であっても立派に役をこなす男の子。
いつまで数珠を繰っていくのか。
以前は、長く繰っていたから、「いつまでやんのん」と子どもたちから云われたそうで、それからの数珠繰りは3回にしたという。
地蔵盆にやってきた子どもたちは赤ちゃん、幼児から上は高学年小学生まで。
他府県から地区に転居されてきた子どもたちがほぼ総数。
旧村の子どもは少ないが、提灯を吊るした境内は新町の子どもたちで溢れていた。
なかでもあどけない幼子の仕草があまりにも可愛かった二人に目がいく。

「あんた、仕事してきてや」と言ったかどうか知らないが、「じゃ、金もうけに行ってくるわ」と言って仕事場に出かけた、なんてことも想像させる。

そういや、大昔の大昔。
幼児だったころの私である。
ゴザを敷いて「ままごと」なる遊びをしていた遠い昔を思い出す。
そんな様子を見守る母親たちの姿も微笑ましい。

行事取材に誘ってくださった安寿さん、ありがとうございました。
(H29. 8.23 EOS40D撮影)
先に聞いていたのは地蔵盆ではなく、毎月の24日に営まれる地蔵法要である。
訪れた日は平成27年1月24日であるが、法要は朝の6時に済ましたと安寿さんが話していた。
本尊の石造地蔵菩薩立像は毎月の24日、正月の三ガ日に法要されるので、特別に拝観することができる。
できるといっても安寿さんの了解を得なければならない。
毎月の法要時間は不定時。
特別に決まっているわけでもないから、なかなか難しい。
昨年の、と云っても平成27年12月31日の大晦日。
除夜の鐘を取材させてもらった日から1年と8カ月も経ったこの日は夏の地蔵盆。
準備を調えていた場に寄せてもらったら安寿さんが喜んでくれた。
それよりもお身体はいかがですか、と身体状況を心配してくださる。
寛文年間(1661~1679)に郡山城主の本多政勝が生駒の蓮台寺にあった本尊を遷したと伝わる地蔵石仏がある。
高さはおよそ170cm。丸彫りの地蔵石仏の手に金属製の錫杖をもつ。
大織冠の地は地蔵山と呼ばれている小高い丘。
そこに建つお堂は地蔵堂とも呼ばれている。
大和郡山市内の城下町に柳町がある。
商店街がある中心部であるが、この地にも柳町の町名がある。
仲仙寺から見れば、市内中心部の城下町からは遠く離れている。
文禄検地帳に記された新開地であった地蔵山は柳町の枝村であった。
仲仙寺が建つ地区の行政地は南郡山町と云うが、ゼンリンの住宅マップで確認しても柳町である。
南郡山町の飛び地でもあるのだろうか。
ネットで所在地の698番地を調べてみたら、柳町であった。
南郡山町ではなく飛び地の柳町である。

地蔵盆が始まる直前に法要される安寿さん。
般若心経を唱えて、この日の参詣者の身体健勝願う。

地蔵盆の運営は東西の大職冠自治会が主で、法要関係は仲仙寺の安寿さんが担う。
地域の子どもたちに来てもらって数珠繰りをすると聞いていた。

それだけであると思っていた地蔵盆には金魚すくいに今年が初のシャボン玉飛ばしもある。
小さな子どもたちにとっては地域の夏祭りみたいなものだ。
普段ならこんなにいっぱいになることはない。
シャボン玉を飛ばす道具も準備した。

金魚すくいの道具は手配されたが、シャボン玉道具は手造り。
ストローの口を工作して玉になりやすいように工夫した。
慣れない子どももいるが、年長者の真似をしたら、ふわーっと浮き上がった。
飛んだシャボン玉はどこまで飛んだ。
あっちへ、こっちの風に揺られて飛んでいく。

団扇で扇いで追いかける幼児もいる。
普段の境内では見ることのない賑やかさ。
地蔵盆案内は旧村60戸だけでなく新町も含めた自治会は218戸に配る。
すべてに通知されるから大にぎわいの様相であるが、大織冠鎌足神社までは届かない。
本尊は地蔵堂に安置されているが、子どもたちが数珠繰りする地蔵盆の地蔵さんは外にある2体の石仏地蔵である。

左の石仏地蔵は高さが1mほど。
深い肉彫りに右手は錫杖、左手に宝珠をもつ。
お菓子や飲み物を供えて線香を灯す。
2体の地蔵石仏を納める祠の前にある花立てがある。
一つは「交通安全地蔵尊」で、もう一つが「大職冠念佛講」の刻印が見られる。
数珠繰りする場に白いテントを張っていた。
この日の天候は怪しい。
地蔵盆が始まる1時間前には暗雲がやって来た。
遠くから聞こえる雷ごろごろが近づいてきたが、結局は降らずに済んだ。

雨が降る可能性もあるから張ったテントの奉納者も「大職冠念佛講」。
昭和44年8月に寄贈された講中は19人。
「あの中に、うちのばあさんの名前がある。あとを頼むとは云わずに亡くなった」から代を継ぐものこともなく解散したという。
同寺に念仏講があったことは平成27年1月24日に訪れたときに知った。
講の所有物が遺されていたから、その存在を知っていた。
遺物はこれより始まる大念珠に伏せ鉦である。
一つは「室町住出羽大掾宗味作」の刻印があったことから類事例より手繰っておそらく300年前の代物。
そのころから念佛講があったか、どうかは実証もできないが、大和郡山市内の旧広島町では子どもが導師となって鉦を叩いていると安寿さんに話したら、それは今後のためにも良いことだから、子どもに頼んでみましょうと云った。
子どもに託した大念珠数珠繰りの鉦叩き。
初の試みに大役を預かった小学6年生の男の子は笑顔で応じる。
雷音は遠ざかっていくと同時に鳴きだしたツクツクホ-シ。
続いてジージーと鳴くアブラゼミも後追いする。

そうして始まった地蔵盆。
安寿さんは交通安全地蔵尊に向かって心経を唱える。

テント内では子どもたちが輪になって大念珠を手にしている。
唱える心経が聞こえている間はじっと待っている。
さっきまで鳴いていたセミの声も静かになったが、輪になる子どもたちの賑やかな声が逆に広がる。

導師は安寿さんから指名された男の子。
輪の中に入って鉦を叩く。

その間に唱える安寿さんの後ろはワイワイガヤガヤの子どもの声。
賑やかすぎて心経がまったく聞こえないのも仕方ないか。

昨年は40人も子どもが集まった。
今年はさらに増えて47人にも膨れ上がった。
大念珠ではあるが、さすがに全員の子どもは入ることはできない。
「なむあみだぶ なむあみだぶ」と安寿さんが唱える「なむあみだぶ」の調子にあわせて鉦を打つ。
それと同時に数珠が繰り出した。
「なむあみだぶ なむあみだぶ」を繰り返す大きな声に鉦も良い調子。
にわか導師であっても立派に役をこなす男の子。
いつまで数珠を繰っていくのか。
以前は、長く繰っていたから、「いつまでやんのん」と子どもたちから云われたそうで、それからの数珠繰りは3回にしたという。
地蔵盆にやってきた子どもたちは赤ちゃん、幼児から上は高学年小学生まで。
他府県から地区に転居されてきた子どもたちがほぼ総数。
旧村の子どもは少ないが、提灯を吊るした境内は新町の子どもたちで溢れていた。
なかでもあどけない幼子の仕草があまりにも可愛かった二人に目がいく。

「あんた、仕事してきてや」と言ったかどうか知らないが、「じゃ、金もうけに行ってくるわ」と言って仕事場に出かけた、なんてことも想像させる。

そういや、大昔の大昔。
幼児だったころの私である。
ゴザを敷いて「ままごと」なる遊びをしていた遠い昔を思い出す。
そんな様子を見守る母親たちの姿も微笑ましい。

行事取材に誘ってくださった安寿さん、ありがとうございました。
(H29. 8.23 EOS40D撮影)