大和郡山市小泉町市場・楠地蔵さんの数珠繰りを拝見しているときだ。
みるみる近づいてくる真っ黒な雲。
生駒の山から奈良平坦部に向かって降りてくる雷雲。
楠地蔵さんに吊るしていた提灯は間に合ったのだろうか。
車を動かしてから数十秒。
ワイパーを強めにしても前が見えないくらいの土砂降りに緊急対応と思って避難した駐車場があっという間の水浸し。
夕立だった雷雲がもたらす土砂降りは止んだが、駐車場の水が引くまで30分間待ち。
自宅に着くまでのアクシデントだった。
退避していたケーズデンキから出てきたら駐車場は満水状態でどうにもこうにも車まで向かうことができない。
その駐車場は「大和川流域調整池基準に基づき洪水調節を目的とした設計になって・・・云々」と告知されている。
そのことは施設の開発段階から聞いていた。
雨宿りに費やした時間は短時間。
晴れ間も見えてきたから帰路につく。
駐車場からおよそ3分で我が家に着く。
大和中央道を北に延伸、奈良県総合医療センター(※奈良県立奈良病院)の移転にともなう病院導入路の新設道路工事である。
現在工事中の三叉路を左に折れたら角度60度にもなる急カーブ。
すぐ傍に地蔵尊がある。
旧村主水山の地蔵尊は公道の付け替え工事に地蔵尊は移転対象になった。
数か月前の4月20日には新しくなった地蔵堂が、移転先に建っていた。
完成された地蔵堂に退避していた地蔵さんは遷されたのだろうか。
ビニールで保護していることから完成したばかり。
いずれは落慶法要をされることだろう。
そう思っていた主水山地蔵尊はこの日が地蔵盆。
我が家から歩いてごく数分の場にある主水山地蔵尊。
平成20年の8月23日に訪れて地蔵盆の在り方を撮らせてもらった。
あれから9年も経った。
その9年間、年齢がいったとういうこともあるが、大きな変化があったのは前述した公共道路工事による地蔵尊の移転である。
ここよりもう少し走行した地に我が家が建っている。
ここまで来ればほっとする主水山地蔵尊。
いずれ開通するが、その場合の通行はまず間違いなく、右上の工事中に道を走ることだろう。
だと、すればこれまでずっと安全交通を見守っていて地蔵さんは旧道を通る車だけになってしまうな、と思いつつ・・。
新しくなった地蔵尊に婦人が。
しかも、地蔵堂の扉を開けてなにやら作業をされている。
青い幕を張った地蔵堂内にお供えが見えた。
作業をしていたのはNん。
落慶法要をされた主水山地蔵尊、移転後初の地蔵盆に御膳を供えていた。
話しを伺えば、この日は移転後初の地蔵盆。
先ほど降った突然の大雨。
営みは午後7時から行われる西国三十三番ご詠歌であったが、いつまた大雨になるかもしれない状況に地蔵尊の前でするのは難しいと判断されて主水山自治会の集会所で行うことになったという。
道路付替え工事が始まった直後の平成27年6月4日。
その日はまだ旧道にあった。
その日以降であろう。
旧道路沿いにあった主水山地蔵尊は僧侶に性根を抜いてもらって地区の人が工事中の2年間を預かっていた。
毎年の8月23日に地蔵盆をしてきたが工事中の期間は中断せざるを得なかった。
前述したように4月20日以降であろう。
新しくなった地蔵堂に一時預かりの主水山地蔵尊を戻して再び性根をいれてもらったそうだ。
出会った時間帯は午後6時前。
当番の人がお供えを並べたばかりだった。
主水山の地蔵石仏は数体ある。
平成20年に拝見したときにはなかった立像の地蔵さんもある。
新しくなった地蔵堂内に並んだ地蔵さんの前。
御供の形態に特徴がある。
斜めに切った太いズイキの茎は2本。
扇を広げたような形の昆布はカンピョウで括っている。
その中心部に一本の棒のようなものはユバでできている。
割り箸に湿したユバをぐるぐる巻いている。
太くなったら箸を抜いて中空にする。
ズイキの後ろに一本のゴボウがあるのも特徴だ。
手のこんだ御供作りは手間がかかる。
これまでずっとそうしてきたが、継続は難しく、今年を最後した、という。
左側に洗米。
右にアズキを盛った地蔵さんのお供え。
珍しい形態と思われる御供に名をつけることはなかったが、これがほんまの見納めになった。
午後7時ともなれば地蔵さんの前に座った婦人たちが西国三十三ヶ所のご詠歌を唱えるつもりでいたが、暗雲は立ち止ったまま。
雨はいつ降ってくるかもわからない状況では無理がある。
今年のご詠歌は、ここより少し離れたところにある主水山自治会の集会所で行うことになった。
(H29. 4.20 SB932SH撮影)
(H29. 8.23 EOS40D撮影)
みるみる近づいてくる真っ黒な雲。
生駒の山から奈良平坦部に向かって降りてくる雷雲。
楠地蔵さんに吊るしていた提灯は間に合ったのだろうか。
車を動かしてから数十秒。
ワイパーを強めにしても前が見えないくらいの土砂降りに緊急対応と思って避難した駐車場があっという間の水浸し。
夕立だった雷雲がもたらす土砂降りは止んだが、駐車場の水が引くまで30分間待ち。
自宅に着くまでのアクシデントだった。
退避していたケーズデンキから出てきたら駐車場は満水状態でどうにもこうにも車まで向かうことができない。
その駐車場は「大和川流域調整池基準に基づき洪水調節を目的とした設計になって・・・云々」と告知されている。
そのことは施設の開発段階から聞いていた。
雨宿りに費やした時間は短時間。
晴れ間も見えてきたから帰路につく。
駐車場からおよそ3分で我が家に着く。
大和中央道を北に延伸、奈良県総合医療センター(※奈良県立奈良病院)の移転にともなう病院導入路の新設道路工事である。
現在工事中の三叉路を左に折れたら角度60度にもなる急カーブ。
すぐ傍に地蔵尊がある。
旧村主水山の地蔵尊は公道の付け替え工事に地蔵尊は移転対象になった。
数か月前の4月20日には新しくなった地蔵堂が、移転先に建っていた。
完成された地蔵堂に退避していた地蔵さんは遷されたのだろうか。
ビニールで保護していることから完成したばかり。
いずれは落慶法要をされることだろう。
そう思っていた主水山地蔵尊はこの日が地蔵盆。
我が家から歩いてごく数分の場にある主水山地蔵尊。
平成20年の8月23日に訪れて地蔵盆の在り方を撮らせてもらった。
あれから9年も経った。
その9年間、年齢がいったとういうこともあるが、大きな変化があったのは前述した公共道路工事による地蔵尊の移転である。
ここよりもう少し走行した地に我が家が建っている。
ここまで来ればほっとする主水山地蔵尊。
いずれ開通するが、その場合の通行はまず間違いなく、右上の工事中に道を走ることだろう。
だと、すればこれまでずっと安全交通を見守っていて地蔵さんは旧道を通る車だけになってしまうな、と思いつつ・・。
新しくなった地蔵尊に婦人が。
しかも、地蔵堂の扉を開けてなにやら作業をされている。
青い幕を張った地蔵堂内にお供えが見えた。
作業をしていたのはNん。
落慶法要をされた主水山地蔵尊、移転後初の地蔵盆に御膳を供えていた。
話しを伺えば、この日は移転後初の地蔵盆。
先ほど降った突然の大雨。
営みは午後7時から行われる西国三十三番ご詠歌であったが、いつまた大雨になるかもしれない状況に地蔵尊の前でするのは難しいと判断されて主水山自治会の集会所で行うことになったという。
道路付替え工事が始まった直後の平成27年6月4日。
その日はまだ旧道にあった。
その日以降であろう。
旧道路沿いにあった主水山地蔵尊は僧侶に性根を抜いてもらって地区の人が工事中の2年間を預かっていた。
毎年の8月23日に地蔵盆をしてきたが工事中の期間は中断せざるを得なかった。
前述したように4月20日以降であろう。
新しくなった地蔵堂に一時預かりの主水山地蔵尊を戻して再び性根をいれてもらったそうだ。
出会った時間帯は午後6時前。
当番の人がお供えを並べたばかりだった。
主水山の地蔵石仏は数体ある。
平成20年に拝見したときにはなかった立像の地蔵さんもある。
新しくなった地蔵堂内に並んだ地蔵さんの前。
御供の形態に特徴がある。
斜めに切った太いズイキの茎は2本。
扇を広げたような形の昆布はカンピョウで括っている。
その中心部に一本の棒のようなものはユバでできている。
割り箸に湿したユバをぐるぐる巻いている。
太くなったら箸を抜いて中空にする。
ズイキの後ろに一本のゴボウがあるのも特徴だ。
手のこんだ御供作りは手間がかかる。
これまでずっとそうしてきたが、継続は難しく、今年を最後した、という。
左側に洗米。
右にアズキを盛った地蔵さんのお供え。
珍しい形態と思われる御供に名をつけることはなかったが、これがほんまの見納めになった。
午後7時ともなれば地蔵さんの前に座った婦人たちが西国三十三ヶ所のご詠歌を唱えるつもりでいたが、暗雲は立ち止ったまま。
雨はいつ降ってくるかもわからない状況では無理がある。
今年のご詠歌は、ここより少し離れたところにある主水山自治会の集会所で行うことになった。
(H29. 4.20 SB932SH撮影)
(H29. 8.23 EOS40D撮影)