大和郡山市小泉町の楠地蔵尊の数珠繰りが始まるころ。
雲行きが怪しくなってきた。
方角は西の大阪の方だ。
生駒山の向こう側は大阪。
湧き上がる黒い雲の下には真っ白なカーテーレースのような文様が現われた。
これこそが強烈な雨降りを示す紋様である。
竜巻ではなく急激直下型の雨降りである。
にわか雨のようだが、数珠繰りが終わるまで耐えてくれと願った。
願いは叶ったが終わって提灯を片づけていたときにはポツリ、ポツリと大きな雨粒が落ちてきた。
片づけている市場の女性たちにお礼を述べて走っていった車停め。
なんとか運転席に落ち着いたときにはフロントガラスに大きな雨粒がボツ、ボツ、ボツ・・。
エンジンをかけて車道に飛び出したときにはワイパーを早い速度で動かさないと前方が見えないほどの強い雨に変化していた
強い降りは容赦なく、雷は鳴っていても聞こえないほどの強い降り。
自宅に戻ってもドアを開けられないだろうと判断した。
つまりは車から出られないことである。
そうであれば、屋根付きのどこかに駐車場がある施設といえば・・。
大和中央道沿いにあるケーズデンキ大和郡山店である。
奈良県内にあるケーズデンキはどこともそのような造りではないが大和郡山店には屋根がある。
つまりは2階部分が店舗である。
そこであれば急激にもよおしてきた排尿に利用できるトイレもある。
大雨にありがたく避難させてもらえる施設に飛び込んだ。
その駐車場に停めて店舗に歩いていたら、波のように押し寄せる溢れた水。
大和中央道に降りつける強烈な雨量は勢いをつけて溢れる川のような状態で駐車場めがけて押し寄せる。
駐車場の方が大和中央道よりも土地が低いのである。
堰き止められることなくぐんぐんと押し寄せる水であったが、急ぐトイレの方を選んだ。
仕方がない選択である。
トイレで用足しをさせてもらって、もう一つの緊急対応電話応対。
申請していた大阪市の介護支援センターからの電話である。
はじめに架かってきたのは午後2時。
現在時間よりも3時間前のことである。
架かってきた時間帯は丁度の取材中。
大織冠仲仙寺の地蔵盆の取材中であった。
このときは対応できないから、申しわけないが、取材中につき、後刻ということにしておいた。
電話応対はおふくろの生年月日確認。
私はどういう関係にあるのか。
また、現在はどこで介助されているのか、今後の調査にどの地・場をされるのか、の問い合わせである。
その応対を終えて店舗を出た。
駐車場は水浸し。
水深はそれほどでもないが、車を停めたところまでは距離がある。
靴をつま先たてて歩いても水没するくらいの水深に水捌け悪く、溜水は一向に引いてくれない。
店舗内で待たせてもらおうと思っていたら、夫婦連れが一組。
停めた車が水没状態にびっくりされている。
水没といってもタイヤは見える。
そこへやってきた車はバシャバシャと波打ちながら走り去る。
この状況を見て思い出した台風が影響の道路水没状態。
台風は何号であったかまったく覚えてないが、被害を受けたのは大阪市内だった。
勤めを終えて帰るに帰れなくなって実弟に応援を求めた。
どこの駅まで迎えに来てくれたのも覚えてないが、当時の車はトヨタカローラ。
弟が免許を取得した年だったのか、もう少し後年だったのかも思い出せない。
たしか難波から住まいする住之江までの行程は国道26号線。
玉手辺りだったと思う。
乗っていたカローラの運転席の足元までが浸水していた。
道路はどこを見ても川のような感じだ。
弟はホンダに勤めていたから車に詳しい。
車内が水浸しであってもエンジンさえ回転しておれば車は動く。
波をかきわけるほどの速度であればエンジンに水を入れてしまう。
そうならないように速度を極端に抑えて、なおかつ速度を緩めることなくとにかく走り続ける。
信号はもはや無法地帯。
もっとも走っている車は多くない。
時速20km以内の速度だったと思う。
都会は夕方の灯りが点いていた。
その明かりが水没した道路を照らしていた。
無事に住之江に着いたときはほっとしたものだ。
時代は昭和47年の7月豪雨だったかもしれない。
それはともかく目前の駐車場水浸しタイヤ水没状態に脱出するには裸足になって車に乗り込めば、どうってことないこと。
体験した大阪の道路前面水没状態に比べりゃ大したことはない。
その夫婦は水ツキしていないところを歩いていた。
旦那さんはつま先を立てて車に近づいた。
靴に水は入ったかと思うが、なんとか辿り着いて動かされた。
それを目撃しているとき。
もう一組の夫婦が買物を済ませて店舗を出てきた。
同じように唖然としている。
先の夫婦と同じように避難したという。
避難はしたものの、まさかの水没状態になるとは想定外だとお互いがそう思って顔を見合わせた男性は県職。
なにかとお世話になっている施設に勤務されている男性だった。
風に吹かれてではないが、雨水溜まりに浮かんでいた木の葉が少しずつ動く。
しかし、速度は極めて遅い。
ケーズデンキの店員さんも水溜りの駐車場に下りてきた。
幟のポールを水溜りに立てて水深を計っているが、どうしようもない。
実は駐車場の南北に埋め込み水路がある。
そこに吸い込まれているわけだがあまりにも遅い。
これは南側にある田中町の田んぼに水が一挙に流れないように流路を調整しているのである、と話していた。
その通りだと思う。
平成16年4月にアピタ大和郡山店が開店した。
実はアピタの大駐車場の地下部は雨水溜め。

大雨の場合は一挙に流れる雨水を制限して周辺の田畑に流れ込まないように溜めているのである。
たしか、造成工事中にそのような話しを聞いた覚えはあるが、どこに書いてあるのだろうか。
そういう具合だから待つ水溜から解放される時間はたっぷりかかると想定されよう。
帰宅する時間も遅くなる。
裸足になって、と決断したそのときだ。
同じように待っていた奥さんが持っていたナイロン袋をどうぞ、と云われて差し出された。
旦那さんも結局はそうすることになった水溜り脱出手段である。
ナイロン袋に突っ込んだ足。
すぐには外れないように足首を縛ってそろりそろりと車に向かう。
ドア近くまで来たらじんわりと左足が冷たくなってきた。
歩くことによって圧力がかかったナイロン袋に微細な穴が空く。
そこにじわじわ入りだす水。

ドアを開けて座った。
足を出して外したナイロン袋の中にはたっぷりの水が入っていたが、なんとか靴は外側だけの浸みこみ。
ぎりぎりのセーフだった。
ちなみに旦那さんが云った。
アピタが工事中らしく、車は一台もない。
アピタは潰れたのですかと云われたがそうではない。
アピタは㈱ユニーの経営であるが、現在はアァミリーマートホールデイングス傘下に企業統合している。
アピタ南側店舗のユーホームはすでにDCMダイキに転売された。
潰れることはないかと思うが、数日後のニュースにドンキを資本統合したと伝えていた。
アピタ大和郡山店にドンキも加わるのだろうか。
(H29. 8.23 SB932SH撮影)
(H29. 9. 6 SB932SH撮影)
雲行きが怪しくなってきた。
方角は西の大阪の方だ。
生駒山の向こう側は大阪。
湧き上がる黒い雲の下には真っ白なカーテーレースのような文様が現われた。
これこそが強烈な雨降りを示す紋様である。
竜巻ではなく急激直下型の雨降りである。
にわか雨のようだが、数珠繰りが終わるまで耐えてくれと願った。
願いは叶ったが終わって提灯を片づけていたときにはポツリ、ポツリと大きな雨粒が落ちてきた。
片づけている市場の女性たちにお礼を述べて走っていった車停め。
なんとか運転席に落ち着いたときにはフロントガラスに大きな雨粒がボツ、ボツ、ボツ・・。
エンジンをかけて車道に飛び出したときにはワイパーを早い速度で動かさないと前方が見えないほどの強い雨に変化していた
強い降りは容赦なく、雷は鳴っていても聞こえないほどの強い降り。
自宅に戻ってもドアを開けられないだろうと判断した。
つまりは車から出られないことである。
そうであれば、屋根付きのどこかに駐車場がある施設といえば・・。
大和中央道沿いにあるケーズデンキ大和郡山店である。
奈良県内にあるケーズデンキはどこともそのような造りではないが大和郡山店には屋根がある。
つまりは2階部分が店舗である。
そこであれば急激にもよおしてきた排尿に利用できるトイレもある。
大雨にありがたく避難させてもらえる施設に飛び込んだ。
その駐車場に停めて店舗に歩いていたら、波のように押し寄せる溢れた水。
大和中央道に降りつける強烈な雨量は勢いをつけて溢れる川のような状態で駐車場めがけて押し寄せる。
駐車場の方が大和中央道よりも土地が低いのである。
堰き止められることなくぐんぐんと押し寄せる水であったが、急ぐトイレの方を選んだ。
仕方がない選択である。
トイレで用足しをさせてもらって、もう一つの緊急対応電話応対。
申請していた大阪市の介護支援センターからの電話である。
はじめに架かってきたのは午後2時。
現在時間よりも3時間前のことである。
架かってきた時間帯は丁度の取材中。
大織冠仲仙寺の地蔵盆の取材中であった。
このときは対応できないから、申しわけないが、取材中につき、後刻ということにしておいた。
電話応対はおふくろの生年月日確認。
私はどういう関係にあるのか。
また、現在はどこで介助されているのか、今後の調査にどの地・場をされるのか、の問い合わせである。
その応対を終えて店舗を出た。
駐車場は水浸し。
水深はそれほどでもないが、車を停めたところまでは距離がある。
靴をつま先たてて歩いても水没するくらいの水深に水捌け悪く、溜水は一向に引いてくれない。
店舗内で待たせてもらおうと思っていたら、夫婦連れが一組。
停めた車が水没状態にびっくりされている。
水没といってもタイヤは見える。
そこへやってきた車はバシャバシャと波打ちながら走り去る。
この状況を見て思い出した台風が影響の道路水没状態。
台風は何号であったかまったく覚えてないが、被害を受けたのは大阪市内だった。
勤めを終えて帰るに帰れなくなって実弟に応援を求めた。
どこの駅まで迎えに来てくれたのも覚えてないが、当時の車はトヨタカローラ。
弟が免許を取得した年だったのか、もう少し後年だったのかも思い出せない。
たしか難波から住まいする住之江までの行程は国道26号線。
玉手辺りだったと思う。
乗っていたカローラの運転席の足元までが浸水していた。
道路はどこを見ても川のような感じだ。
弟はホンダに勤めていたから車に詳しい。
車内が水浸しであってもエンジンさえ回転しておれば車は動く。
波をかきわけるほどの速度であればエンジンに水を入れてしまう。
そうならないように速度を極端に抑えて、なおかつ速度を緩めることなくとにかく走り続ける。
信号はもはや無法地帯。
もっとも走っている車は多くない。
時速20km以内の速度だったと思う。
都会は夕方の灯りが点いていた。
その明かりが水没した道路を照らしていた。
無事に住之江に着いたときはほっとしたものだ。
時代は昭和47年の7月豪雨だったかもしれない。
それはともかく目前の駐車場水浸しタイヤ水没状態に脱出するには裸足になって車に乗り込めば、どうってことないこと。
体験した大阪の道路前面水没状態に比べりゃ大したことはない。
その夫婦は水ツキしていないところを歩いていた。
旦那さんはつま先を立てて車に近づいた。
靴に水は入ったかと思うが、なんとか辿り着いて動かされた。
それを目撃しているとき。
もう一組の夫婦が買物を済ませて店舗を出てきた。
同じように唖然としている。
先の夫婦と同じように避難したという。
避難はしたものの、まさかの水没状態になるとは想定外だとお互いがそう思って顔を見合わせた男性は県職。
なにかとお世話になっている施設に勤務されている男性だった。
風に吹かれてではないが、雨水溜まりに浮かんでいた木の葉が少しずつ動く。
しかし、速度は極めて遅い。
ケーズデンキの店員さんも水溜りの駐車場に下りてきた。
幟のポールを水溜りに立てて水深を計っているが、どうしようもない。
実は駐車場の南北に埋め込み水路がある。
そこに吸い込まれているわけだがあまりにも遅い。
これは南側にある田中町の田んぼに水が一挙に流れないように流路を調整しているのである、と話していた。
その通りだと思う。
平成16年4月にアピタ大和郡山店が開店した。
実はアピタの大駐車場の地下部は雨水溜め。

大雨の場合は一挙に流れる雨水を制限して周辺の田畑に流れ込まないように溜めているのである。
たしか、造成工事中にそのような話しを聞いた覚えはあるが、どこに書いてあるのだろうか。
そういう具合だから待つ水溜から解放される時間はたっぷりかかると想定されよう。
帰宅する時間も遅くなる。
裸足になって、と決断したそのときだ。
同じように待っていた奥さんが持っていたナイロン袋をどうぞ、と云われて差し出された。
旦那さんも結局はそうすることになった水溜り脱出手段である。
ナイロン袋に突っ込んだ足。
すぐには外れないように足首を縛ってそろりそろりと車に向かう。
ドア近くまで来たらじんわりと左足が冷たくなってきた。
歩くことによって圧力がかかったナイロン袋に微細な穴が空く。
そこにじわじわ入りだす水。

ドアを開けて座った。
足を出して外したナイロン袋の中にはたっぷりの水が入っていたが、なんとか靴は外側だけの浸みこみ。
ぎりぎりのセーフだった。
ちなみに旦那さんが云った。
アピタが工事中らしく、車は一台もない。
アピタは潰れたのですかと云われたがそうではない。
アピタは㈱ユニーの経営であるが、現在はアァミリーマートホールデイングス傘下に企業統合している。
アピタ南側店舗のユーホームはすでにDCMダイキに転売された。
潰れることはないかと思うが、数日後のニュースにドンキを資本統合したと伝えていた。
アピタ大和郡山店にドンキも加わるのだろうか。
(H29. 8.23 SB932SH撮影)
(H29. 9. 6 SB932SH撮影)