今年で7回目になる洞泉寺町夕涼み大会。
第1回の開催は平成23年8月26日、27日(土)の両日だった。
知人のN夫妻からのお知らせに表敬訪問した大和郡山市洞泉寺町。
夕涼み大会の場は源九郎稲荷神社境内だった。
主催していた夕涼み実行委員会の人たちへのご挨拶が目的で立ち寄った。
あれから7年後のこの日の催しに風の盆唄を行うとFBが伝えていた。
通知した関係者は存じている人たちばかりだ。
7年前まで勤務していた市の施設の仕事を通じてご一緒した人たち。
久しぶりに、ということもあるが、今夜の目玉である風の盆唄を拝見するのが第一の目的。
大和郡山市内であの名高い「おわら風の盆」が拝見できる。
踊り、リズムはどのような形でされているのか生身を拝見したい、と思って出かけた。
「おわら風の盆」は富山県富山市の八尾地区で三日三晩も踊りあかす行事である。
三日三晩もそうだが、遙かなる地にまで出かけるには無理がある。
その流れをくむ人たちが披露されるなら、少しでも学びになると思って近場の城下町に向かった。
到着した時間帯は午後6時半ころ。
境内は夕涼みに訪れた人たちでにぎわっていた。
まずは、源九郎稲荷神社社務所におられる代表のN夫妻にご無沙汰の挨拶だ。
鳥居前際にも知人たちが居る。
みたらし団子にかき氷。
大きく太いソーセージもあれば金魚すくいも。
しかもコーヒーショップまである境内いっぱいに広がった夜店に忙しくしているSさん、Iさん、Uさん、Mさん、Aさんの面々は大和郡山市観光ボランテイアガイドクラブの人たち。
カメラをもって被写体を追っかけているNさんはともに仕事をしていた大和郡山市観光協会の同僚。
尤も私は退職したから元同僚であるが・・。
Nさんはとらえた映像を大和郡山市観光協会の公式FBである「金魚とお城のまち やまとこおりやま」にアップすると張りきっていた。
うろうろというわけではないが、会場をぶらぶらしているとまたまた知り合いの人たちに遭遇する。
一人は大和郡山市文化財審議会会長の長田光男先生。
もう一人は矢田寺南僧坊の前川ご住職夫妻。
長田光男先生は民俗行事取材にご一緒することになった大和郡山市西町・良福寺文殊堂の文殊会式だった。
その日は会式を終えてから地区の人たち向けの文化財講演もされた。
歴史的な文化の一端を教わったことを覚えている。
ご住職には正月二日に行われる修正会でお世話になったこともあるが、その修正会に祈祷されたごーさん札をもらったことがある。
尤も私的なことでなく、奈良県立民俗博物館に寄贈はもとより、企画展展示に公開した貴重な祈祷札をご協力いただいたことは忘れない。
市役所に勤務するUさんにも出会えたにぎわいの洞泉寺町夕涼み大会に風の盆 越中おわら節を披露される団体は日本舞踊の「延彌会(えんやかい)社中」に民謡の「郡山美和会(ぐんざんみわかい)社中」だ。
午後6時半ともなれば演奏が始まった。
踊りの披露に演奏、地唄も境内で披露する。
拝殿におられる「郡山美和会社中」は歌い始めた。
演奏楽器は三味線。地唄奏でる歌い手主役は小泉長在住の男性。
市施設勤務時代にお見かけしていた人物が歌い手の代表だったとは驚き。
挨拶をさせていただいたが、覚えてないと・・・。
直に話すこともなかったから、そりゃそうである。
実は、ささゆり奉献神事に賑やかしをお願いしたいと大神神社から相談を受けた大神神社奉賛会会長のNさんが、強力な助っ人の両団体を率いて、ささゆり音頭(大和郡山大神講)・奉献行列をされていることを付記しておく。
陽が落ちた丁度の時間帯。
薄暮に境内の提灯の灯りが浮かぶ。
演奏が始まれば踊り子たちを囲むように拝見する参拝者も集まってきた。
夕べの佇まいに踊り子の動きに見惚れる越中八尾・おわら風の盆。歌い手の声にも聞き惚れているうちについシャッター押しも忘れてしまう本格的な気分を味わわせてくれるおわら風の盆。
踊り子たちが境内を何周か踊っているうちに隊列を組んだ。
そして鳥居を潜っていった幽玄な情景。
オレンジ色の灯り具合が踊り子たちを染めてくれる。
ゆったりとした調子に合わせて踊る踊り子たち。
その姿をとらえるストロボも発光する。
源九郎稲荷神社の鳥居を潜れば目の前が洞泉寺町界隈。
古き良き木造建築が建ち並ぶ路地を踊りながら前に行く。
燈花を並べた灯りのみちライトアップの洞泉寺町界隈の佇まいは、懐かしい風情。
みなは追っかけで隊列についていったが、無理のできない私はここまで。
界隈の路地の距離はそれほど遠くない。
町内巡行はおよそ15分間で戻ってきた。
(H29. 8.26 EOS40D撮影)
第1回の開催は平成23年8月26日、27日(土)の両日だった。
知人のN夫妻からのお知らせに表敬訪問した大和郡山市洞泉寺町。
夕涼み大会の場は源九郎稲荷神社境内だった。
主催していた夕涼み実行委員会の人たちへのご挨拶が目的で立ち寄った。
あれから7年後のこの日の催しに風の盆唄を行うとFBが伝えていた。
通知した関係者は存じている人たちばかりだ。
7年前まで勤務していた市の施設の仕事を通じてご一緒した人たち。
久しぶりに、ということもあるが、今夜の目玉である風の盆唄を拝見するのが第一の目的。
大和郡山市内であの名高い「おわら風の盆」が拝見できる。
踊り、リズムはどのような形でされているのか生身を拝見したい、と思って出かけた。
「おわら風の盆」は富山県富山市の八尾地区で三日三晩も踊りあかす行事である。
三日三晩もそうだが、遙かなる地にまで出かけるには無理がある。
その流れをくむ人たちが披露されるなら、少しでも学びになると思って近場の城下町に向かった。
到着した時間帯は午後6時半ころ。
境内は夕涼みに訪れた人たちでにぎわっていた。
まずは、源九郎稲荷神社社務所におられる代表のN夫妻にご無沙汰の挨拶だ。
鳥居前際にも知人たちが居る。
みたらし団子にかき氷。
大きく太いソーセージもあれば金魚すくいも。
しかもコーヒーショップまである境内いっぱいに広がった夜店に忙しくしているSさん、Iさん、Uさん、Mさん、Aさんの面々は大和郡山市観光ボランテイアガイドクラブの人たち。
カメラをもって被写体を追っかけているNさんはともに仕事をしていた大和郡山市観光協会の同僚。
尤も私は退職したから元同僚であるが・・。
Nさんはとらえた映像を大和郡山市観光協会の公式FBである「金魚とお城のまち やまとこおりやま」にアップすると張りきっていた。
うろうろというわけではないが、会場をぶらぶらしているとまたまた知り合いの人たちに遭遇する。
一人は大和郡山市文化財審議会会長の長田光男先生。
もう一人は矢田寺南僧坊の前川ご住職夫妻。
長田光男先生は民俗行事取材にご一緒することになった大和郡山市西町・良福寺文殊堂の文殊会式だった。
その日は会式を終えてから地区の人たち向けの文化財講演もされた。
歴史的な文化の一端を教わったことを覚えている。
ご住職には正月二日に行われる修正会でお世話になったこともあるが、その修正会に祈祷されたごーさん札をもらったことがある。
尤も私的なことでなく、奈良県立民俗博物館に寄贈はもとより、企画展展示に公開した貴重な祈祷札をご協力いただいたことは忘れない。
市役所に勤務するUさんにも出会えたにぎわいの洞泉寺町夕涼み大会に風の盆 越中おわら節を披露される団体は日本舞踊の「延彌会(えんやかい)社中」に民謡の「郡山美和会(ぐんざんみわかい)社中」だ。
午後6時半ともなれば演奏が始まった。
踊りの披露に演奏、地唄も境内で披露する。
拝殿におられる「郡山美和会社中」は歌い始めた。
演奏楽器は三味線。地唄奏でる歌い手主役は小泉長在住の男性。
市施設勤務時代にお見かけしていた人物が歌い手の代表だったとは驚き。
挨拶をさせていただいたが、覚えてないと・・・。
直に話すこともなかったから、そりゃそうである。
実は、ささゆり奉献神事に賑やかしをお願いしたいと大神神社から相談を受けた大神神社奉賛会会長のNさんが、強力な助っ人の両団体を率いて、ささゆり音頭(大和郡山大神講)・奉献行列をされていることを付記しておく。
陽が落ちた丁度の時間帯。
薄暮に境内の提灯の灯りが浮かぶ。
演奏が始まれば踊り子たちを囲むように拝見する参拝者も集まってきた。
夕べの佇まいに踊り子の動きに見惚れる越中八尾・おわら風の盆。歌い手の声にも聞き惚れているうちについシャッター押しも忘れてしまう本格的な気分を味わわせてくれるおわら風の盆。
踊り子たちが境内を何周か踊っているうちに隊列を組んだ。
そして鳥居を潜っていった幽玄な情景。
オレンジ色の灯り具合が踊り子たちを染めてくれる。
ゆったりとした調子に合わせて踊る踊り子たち。
その姿をとらえるストロボも発光する。
源九郎稲荷神社の鳥居を潜れば目の前が洞泉寺町界隈。
古き良き木造建築が建ち並ぶ路地を踊りながら前に行く。
燈花を並べた灯りのみちライトアップの洞泉寺町界隈の佇まいは、懐かしい風情。
みなは追っかけで隊列についていったが、無理のできない私はここまで。
界隈の路地の距離はそれほど遠くない。
町内巡行はおよそ15分間で戻ってきた。
(H29. 8.26 EOS40D撮影)