マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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2年ぶりに永田屋

2009年01月18日 07時37分42秒 | 食事が主な周辺をお散歩
クリーンキャンペーンが雨で次週に順延したわけではないが久しぶりに家族四人がそろった一日。

昼食にラーメンを食べに行こうと西の京の永田屋へ向かった。

子どもたちが学生だったころはしょっちゅう行ってたけど、その後はご無沙汰。

スタンプカードの日付けは12月で終わっている。

これっていったい何時なん?一昨年が最後やったんだろうな。

お店は変わらずやっていた。

ほっとして注文する。

かーさんは横浜チャンポン、長男は尾道ラーメン、次男と私は超強火ソース焼きそばにセットカレーだ。

麺類はうちの定番コースだけど2年前にはカレーはなかった。

辛いですよといわれて食べたらその通りだった。

次男はもっとライスがほしいというが替え玉のような追加のライスはないんだなあ。

支払い済ませてスタンプ押してもらった。

次の来店はいつになることでしょう。

(H20.11.16 SB912SH撮影)

井戸野の行事

2009年01月17日 07時43分08秒 | 大和郡山市へ
6月に表敬訪問した井戸野の行者講の方から電話が入った。

服忌や氏神さんの祭りなんかで延び延びになっていた回り講が今月23日に行われるという。

月当番のお家で営まれるので事前に取材撮影の了解も得ないとならんかったんで今日になったというO大先達。

ちゃんと月当番のOさんにも了解とってるでとおっしゃる。

忘れてないでという言葉にありがたく電話口で頭を垂れた。

講元のM大先達さんも紹介してくださった。

神社で遊んでいた貝吹きの子どもたちと遭遇。

時間が決まったらおじさんにいうてやとお願いする。

その足で、今月20日に十夜法要が営まれる常福寺へも再訪問。

新穀に感謝する十夜を待つ祭壇には既にお米が供えられている。

檀家都合で毎年日にちは変わる十夜。

10時半から塔婆回向に法話、そのあと、赤飯(アズキメシとも)弁当が檀家に出される。

昔はオニギリにして配ったそうだ。

祀られている仏像話になにげなく振り向くと双盤鉦が目に入った。

十夜法要では鉦を打つことはないが葬儀のときには叩くという。

葬儀委員長が指名した鉦搗きさんが連打して一番鉦。

日の出のころに叩いて地区への呼び出し一番鉦。

二番鉦は導師が入堂の際に叩かれる。

三番は出棺のときで、感情こめて叩いたとOさんはおっしゃる。

刻印があったので、目をこらして拝見すると「元文二年」(1737年)の刻印があった。驚く住職とOさん。

目を輝かせたのは私だ。

「常福寺」や「念仏講」もの銘記を確認した。

おそらく矢田の念仏講が寄進されたのではないかと考えられる双盤鉦。

じっくりと文字を解読したいものだ。

話題はつきなく、井戸野には「ハツボサン」があるんやでという。

初穂でしょうかと聞けば、八つの塚の「ハツオウジ」さんだという。

「八坪さん」が訛った「ハツボサン」、祭礼は聞いたことがないというが、こんもりと盛り上がった塚などは後日に現認したい。

帰り際、これもありますよと涅槃図の写真。

赤色のお釈迦さんは珍しいでしょと住職はいった。

涅槃の会式は3月のいつか。

檀家の都合もあるのでそのときにならんと判らんという。

井戸野は古くからの集落で井戸之庄と呼ばれていた地。

掘り起こせばいくらでも民俗文化がでてきそうだが、行者講の日は仕事が入っている。

次回の楽しみとしておこう。

(H20.11.13 Kiss Digtal N撮影)

南河内のいのこ行事

2009年01月17日 07時41分07秒 | もっと遠くへ(大阪編)
いとこのねーちゃんからから「いのこ」をやっているでと電話が届いた。

今年6月に民俗博物館に来てくれたときに住んでいる大阪の南河内郡河南町にも大和郡山市の伊豆七条の福丸迎えと似ているのがあるんやと話していた。

そのことを思い出して電話してくれた。

行われるところは子ども時分の夏休みによく遊んだ加納。

訛ってかんのというてたところだ。ワールド牧場からちょっと離れたところに美しい段々畑が広がる地。

かってはここら辺りの地区ではほとんど行われていたが南加納だけが残っているという。

新米藁で作った棒を地面に叩いて地区60戸(全戸70軒、旧村60軒)廻る。

30年前までは男児だけで回っていたけど、少子化に伴って今は女児も参加している。

現代社会を反映して親もついていくようになったそうだ。

いとこの子どもの姪っ子、当時は参加でけへんかってんという。

およそ60年前のいのこはお菓子やミカン、あめちゃんもろうてたけど今は現金に替わったそうだ。

いのこは子どもらだけで各戸を巡って、終わってから分け前を分けわけして、正月のこずかいにするそうだ。

各戸の門口で「いのこ いのこ 重箱ひろうて 開~けてみれば ○○さんの□□□□ また祝いましょ 今年も豊作 来年も豊作じゃ」の台詞で囃す。

○○はそのお家の人の名前で、昔やったら例えば清兵衛さんとかいうたそうな。

□□□□は○ン○マていうてたけど替わっていることでしょうね。

今年は11月14日。

毎年開催日が変わるというから旧暦で決めているものと思われる。

夜暗くなる前に集まって行われるいのこの日はあいにく仕事が入っている。

故郷大阪の民俗行事は貴重なもの。

来年は是非とも訪れたいものだ。

(H20.11. 2 記)

続、日笠十九夜講

2009年01月16日 09時09分07秒 | 奈良市(東部)へ
やわらかい十九夜和讃。

<日笠の十九夜和讃>
きみよう ちょうらい、十九夜の
ゆらいを、くわしくたづぬれば
によいりんぼさつの、せいぐわんに
雨のふる夜も、ふらぬ夜も
いかなるしんの、くらき夜も
いとわず、たがわず きらいなく
とらの二月の十九日

十九夜みどうへまいるべし
十九夜ねんぶつ はじまりで
十九夜ねんぶつ もうすなり
南無あみだぶつ あみだぶつ 南無あみだぶつ あみだぶつ
ずいぶに、あらたに しようじんし
をしよう、しよじのふだをうけ
死してじょうどへ、ゆくときに

みようほうれんげの花咲きて
十方はるかに、しづまりて
ふきくる風も、おだやかに
天より、によいりんくわんぜのん
たまの天がい さしあげて
八まんよじゅんの血の池も
かるさの池と みてとおる

大くわんおんの そのうちに
によいりんぼさつ おじひにて
あまねくしゅじようも すくわんと
六どしじように おたちあり
かなしき、によにんのあわれさは
けさまですみしか、はやにごる
南無あみだぶつ あみだぶつ 南無あみだぶつ あみだぶつ

ばんじがしたの 池の水
すすいでこすは たつときは
天も、地神も、水神も
ゆるさせたまえや、くわんぜおん
十九夜みどうへ 入る人は
長く三づの、苦をのがれ
ごくらく浄土へ、一らいす

まんだら池の ないしょうも
いづるこころも うかれける
今日十九夜とし きくとくに
によがみ いとも ありがたく
自身のおやたち あれありと
すくわせたまへる くわんぜのん
即身成仏、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏、

(H20.11.19 Kiss Digtal N撮影)

日笠十九夜講

2009年01月16日 09時06分16秒 | 奈良市(東部)へ
月待ち信仰は特定の日に女性が集まる十三夜、十九夜、二十三夜、二十六夜などがあり、忌み籠もり月の出を待って拝む女人の講は多くの地域で営まれてきた。

今日は十九の日、奈良市日笠町の婦人会の方々が会所に集まってくる。

に(ね)んにょと呼ばれる世話方の年当番さんはお茶の接待にせわしなく動かれて、装飾姿が美しい如意輪観世音菩薩立像に灯明を点けて僧侶を待っている。

会所は元々お寺で帝釈寺の称号がある。

「堂」に出かけるんやというて集まってきた婦人は20名。

山を削ったらお地蔵さんが出てきたので観音さんとともに祀っている。

それをきっかけに始まった十九夜講。

現住職が到着されると本尊会式の法要が始まる。

般若心経を唱えたあとに十九夜和讃が営まれる。

昭和57年に十輪寺の先代住職が転記された十九夜和讃を唱えていく。

「にょいりんぼさつの せいぐわんに 雨のふる夜も、ふらぬ夜も」と、如意輪菩薩に願をかけるやわらかい女人の声が会所に響き渡ると源泉の海に包まれているようだ。

最後は外に出て庚申さん参り。

青面金剛と掘られた石仏に手を合わせる。

木枯らしが吹き、葛城の金剛山に初冠雪となった日は火を点けたストーブがある会所が温かい。

かってイロゴハン(カヤクゴハン)のふるまいがあった十九夜講は子どもも大勢来ていたという。

お茶にお菓子の接待に代わったけれど、にんにょさんの気使いに身も心も温くなる。

(H20.11.19 Kiss Digtal N撮影)