山添村岩屋の八柱神社下の川には清廉な滝がある。
不動の滝だという。
石仏の不動明王と薬師如来を祀っている。
この滝には石塔がある。
天正八年大和領主だった筒井順慶が伊賀攻めをした際に岩屋の人たちが戦死した。その霊を慰めるために建立した供養塔だという。
その傍らにはモチを供えている。
モチはカラスが来るというので網を被せている。
モチは神社の賽銭箱や手水舎にもある。
宵宮参拝に来た氏子たち。
神社にお参りして滝にも手を合わせる。
この逆もある。
参拝の順は特に決まりはない宵宮祭だ。
神職を迎えて神事が始まった。
本殿に上がったのは宮守さんと当屋に氏子総代の3人だ。
氏子たちは本殿下で参拝している。
神饌は季節の幸と新穀を刈り取られた根付きの稲藁3束。
傍らにはカキとザクロがお供えされている。
これは明日の座入りの儀式に配られる里の幸だ。
参籠所で行われる座の席は表座と裏座に別れている。
岩屋は84軒。大字の道(旧道)を境に二座に分け、席は毎年交互に入れ替わる。
当家が口上を述べると堂下(どうげ)が「けこうでございます」と返答するらしい。
戸主がいない家などさまざまな事情があって座の席に着けない人には「送り膳」と言って堂下が持っていく。
堂下は行事の手伝いをする人たちだ。
その膳はエダマメ、コンニャク、モチ、ザクロ、カキ、ジャコ(雑魚)などだ。
この膳の儀式を座杯と呼んでいる。
座杯は戸主継承者の数え年17歳の長男や婿養子の座入りの儀式のことである。
座入りのときに飲まれる酒は20本。相当な量だ。
それはともかく今日は宵宮。
神事を終えると宮守、氏子総代、当家は神職とともに社務所で参籠。
氏子たちは参籠所となって別々に直会が行われる。
氏子たちは座席に着いた。
そこへ宮守と区長が上座に座った。
本日のお礼と会計報告を伝えた。
そして下座に座った2人の堂下は挨拶を述べてジャコ(雑魚)とお神酒を席に配る。
お酒の酌は三三九度のような作法で1、2、3と酒器を盃に落とす格好をする。
そしてお神酒を注ぐ。
上座に座る長老たちから順に酌していく。
こうしてお酒を調えたら「みなよばれてください」と宮守が挨拶されて退席された。
そのあとはジャコで酒宴の場となった。
肴はもう一つある。それは出汁豆。
桶升に入れられた出汁豆は各自が皿に盛って回していく。
かつては当家が料理したそうだ。
家庭の味でそれぞれが美味しかったと話す。
その頃はコンニャクやゴボテン、カマボコ、タマゴ焼きもあったそうだ。
堂下がお重に詰めて運んだそうだ。
17年前に息子が座入りしたときのことだと話す氏子。
丁度、高校の中間試験だった。
試験も座入りの儀式も同じ日。
同時に出席はできない。
そこで区長が村の行事の大切さを校長先生に訴えた。
村の行事を配慮して試験は追試験で対応された。
伝統行事を守ってくれた校長先生に感謝した話す父親だった。
座入りは一人前として認める儀式。
父親が退いたら息子はこの席に出席することができる。
子供には任されんといって退かなければ席に着くことができない。
60歳になって始めて席に着いたという事例もあるそうだ。
それとは逆に親父が亡くなったことから17歳から着いた元氏子総代のYさん。
御歳は70歳を越えている長老だ。
岩屋では座入りとは別に村入りの行事がある。
彼岸の中日、十五酒(じゅうござけ)と呼ばれる行事は興隆寺(こうりゅじ)で行われる。
15歳になれば村の道造りに参加できる。
一人前の村人になったということを祝うそうだ。それをイリツコ(入りつこ)と呼んでいる。
(H22.10.16 EOS40D撮影)
不動の滝だという。
石仏の不動明王と薬師如来を祀っている。
この滝には石塔がある。
天正八年大和領主だった筒井順慶が伊賀攻めをした際に岩屋の人たちが戦死した。その霊を慰めるために建立した供養塔だという。
その傍らにはモチを供えている。
モチはカラスが来るというので網を被せている。
モチは神社の賽銭箱や手水舎にもある。
宵宮参拝に来た氏子たち。
神社にお参りして滝にも手を合わせる。
この逆もある。
参拝の順は特に決まりはない宵宮祭だ。
神職を迎えて神事が始まった。
本殿に上がったのは宮守さんと当屋に氏子総代の3人だ。
氏子たちは本殿下で参拝している。
神饌は季節の幸と新穀を刈り取られた根付きの稲藁3束。
傍らにはカキとザクロがお供えされている。
これは明日の座入りの儀式に配られる里の幸だ。
参籠所で行われる座の席は表座と裏座に別れている。
岩屋は84軒。大字の道(旧道)を境に二座に分け、席は毎年交互に入れ替わる。
当家が口上を述べると堂下(どうげ)が「けこうでございます」と返答するらしい。
戸主がいない家などさまざまな事情があって座の席に着けない人には「送り膳」と言って堂下が持っていく。
堂下は行事の手伝いをする人たちだ。
その膳はエダマメ、コンニャク、モチ、ザクロ、カキ、ジャコ(雑魚)などだ。
この膳の儀式を座杯と呼んでいる。
座杯は戸主継承者の数え年17歳の長男や婿養子の座入りの儀式のことである。
座入りのときに飲まれる酒は20本。相当な量だ。
それはともかく今日は宵宮。
神事を終えると宮守、氏子総代、当家は神職とともに社務所で参籠。
氏子たちは参籠所となって別々に直会が行われる。
氏子たちは座席に着いた。
そこへ宮守と区長が上座に座った。
本日のお礼と会計報告を伝えた。
そして下座に座った2人の堂下は挨拶を述べてジャコ(雑魚)とお神酒を席に配る。
お酒の酌は三三九度のような作法で1、2、3と酒器を盃に落とす格好をする。
そしてお神酒を注ぐ。
上座に座る長老たちから順に酌していく。
こうしてお酒を調えたら「みなよばれてください」と宮守が挨拶されて退席された。
そのあとはジャコで酒宴の場となった。
肴はもう一つある。それは出汁豆。
桶升に入れられた出汁豆は各自が皿に盛って回していく。
かつては当家が料理したそうだ。
家庭の味でそれぞれが美味しかったと話す。
その頃はコンニャクやゴボテン、カマボコ、タマゴ焼きもあったそうだ。
堂下がお重に詰めて運んだそうだ。
17年前に息子が座入りしたときのことだと話す氏子。
丁度、高校の中間試験だった。
試験も座入りの儀式も同じ日。
同時に出席はできない。
そこで区長が村の行事の大切さを校長先生に訴えた。
村の行事を配慮して試験は追試験で対応された。
伝統行事を守ってくれた校長先生に感謝した話す父親だった。
座入りは一人前として認める儀式。
父親が退いたら息子はこの席に出席することができる。
子供には任されんといって退かなければ席に着くことができない。
60歳になって始めて席に着いたという事例もあるそうだ。
それとは逆に親父が亡くなったことから17歳から着いた元氏子総代のYさん。
御歳は70歳を越えている長老だ。
岩屋では座入りとは別に村入りの行事がある。
彼岸の中日、十五酒(じゅうござけ)と呼ばれる行事は興隆寺(こうりゅじ)で行われる。
15歳になれば村の道造りに参加できる。
一人前の村人になったということを祝うそうだ。それをイリツコ(入りつこ)と呼んでいる。
(H22.10.16 EOS40D撮影)