マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

私がとらえた大和の民俗(8)―火―玄関ホール写真展

2018年11月20日 10時34分11秒 | しゃしん(県立民俗博物館展示編)
奈良県立民俗博物館の玄関ホールにて、8人のカメラマンが出展する「第8回 私がとらえた大和の民俗―火―」写真展は平成30年10月27日(土)より始まります。

今回で8回目を迎えた写真展の期間は平成30年12月16日(日)まで。・・終了しました・・

今回のテーマは「火」。
写真家8人が、奈良の民俗行事・風景を写真作品にする競作展は、今年で8回目を迎えました。毎年テーマを設定し、そのテーマにちなんだ奈良の民俗行事を写真作品にして展示します。
今回のテーマは「火」です。近年の住宅事情ではますます「日常の火」が少なくなり、直接火を扱う経験は少なくなっています。その一方で民俗行事では、現在もさまざまな場面で火が用いられています。写真家が切り取った「火」のある風景から、奈良の行事や暮らしの移り変わりなどを紹介します。

なお、12月9日(日) 13時半より、出展されるカメラマンたちが語る「写真家座談会~火~に関する奈良の民俗」があります。(無料)・・終了しました・・
座談会会場は併設の大和民俗公園内施設の古民家(旧臼井家住宅)ですが、変更する場合もありますのでよろしくお願いします。
                 
是非、お越しくださいませ。

展示場所 奈良県大和郡山市矢田町545 奈良県立民俗博物館 玄関ホール(入館観覧料200円)
  ※ 11月10日(土)、11日(日)は「関西文化の日」のため、入館観覧料は無料 
開館時間 9時~17時 (入館は16時半まで)
展示日程 平成30年10月27日(土)~平成30年12月16日(日)・・終了しました・・


  
関連イベント 平成30年12月9日(日) ・・終了しました・・
<―出展写真家が語る「写真家座談会~火~に関する奈良の民俗―」13時半~>(無料)
奈良県内の火に纏わる信仰や芸能、生業、遺構など、 出展写真を交えながらご紹介します





なお、後日の12月11日(火)午後10時54分、奈良県政の出来事を報道する「県政フラッシュ」に取り上げていただきました。
ありがとうございます。
    
出展者および作品テーマ(図録順)・・・・・写真家在館解説日(午後1時半~)
吉崎喜寿      【野の煙】・・・・・・・・・・11月25日・・終了しました・・ 
森川壽美三    【火消し】・・・・・・・・・・12月 2日・・終了しました・・
田中眞人(1)  【フクマル】・・・・・・・・・11月10日・・終了しました・・※ 関西文化の日
田中眞人(2)  【遠慮のトンド】・・・・・・・・・同上
脇坂実希       【浄火】・・・・・・・・・・・12月 8日・・終了しました・・
野口文男     【占い】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
森川光章     【信心(やすらぎ)】・・・・・12月 9日・・終了しました・・
松本純一     【献灯】・・・・・・・・・・・11月18日・・終了しました・・
志岐利恵子     【めぐみ】・・・・・・・・・・12月15日・・終了しました・・

どうぞ、ご来館お待ちしております。・・終了しました・・



振り返ってみればほぼほぼ同じ被写体の民俗映像がある。

カメラマンが7年間に亘って紹介した民俗写真は210枚。当初数年間は初ものばかりの映像である。

回数を重ねるごとに悩ませる民俗写真の被り排除。何年も経ってしまえば失念することもある。

当人がとらえた写真は記憶にあるのは当然であるが、人さまがとらえた映像は記憶から消えてしまうようであるのか・・・。

8回目の今回。振り返ってみれば被り写真が数枚あった。その点、ご容赦願いたい。

ちなみに被っている民俗写真は湯立/御湯(※1、2、4、8)、粥占(※3、8)、豆焼き占い(※3、8)、水垢離(※5、7)、水行(※2、5、7)がある。また、「占い」(※3、8)のような同名テーマタイトルもある。※印しは写真展の回数

(H30.10.25 記)
(H30.11.14 追記)
(H30.12. 9 SB932SH撮影)

介護認定意見書診断

2018年11月19日 09時49分34秒 | むびょうそくさい(おかん編)
8月27日に住之江に戻っての独り暮らし。

順調なようで順調でもない。

痛みが出ても長続きしない痛み。

痛み止めの薬が効いているのかもわからない。

二日後の29日は朝10時に電話が鳴った。

起床した直後に電話したのは寝ていたというのもあるが、目が覚めたら心配しているだろうと思ってのことだ。

ところが話しは痛みの再発である。

昨年は11時。

背中が傷みだしたので鎮痛剤を服用した。

痛みはそれほどでもなかったのか、ぐっすり寝たらしい。

実は一昨日の夜も鎮痛剤を服用していた。

どうした拍子か、わからないが、体制に問題があったかもしれないが、その痛みの判断をしているのはおふくろである。

その電話があってから1時間半後。

今度の電話は大和郡山市役所の介護福祉課事務員の担当者からだった。

おふくろの状態を診る調査員の派遣要請を受けてのことである。

派遣要請は大阪市認定事務センター(介護保険)からである。

申請をしたときは我が家で介助していたが、現実は違う。

様子見もあって、二日前に住之江に戻した。

申請段階から考えていたのはいずれ、ということもあるが、当時の現況は我が家であったからだ。

状態によってはいつ我が家に戻ってくる可能性もある。

たまたまのタイミングがそうなっただけであるので現況は伝えなかった。

ただ、その件に関しては調査日当日におふくろを我が家に戻して身体状況を診てもらう考えである。

そのときには臨時的に対応している現況も正直に伝えるつもりだ。

それから1時間後。

今度はおふくろが現実に居住する住之江に須見整形外科より電話があった。

介護認定に際して意見書を付けるには現在の身体状況を診察しておきたいという連絡である。

それこそ介護が要る通院は9月2日に設定した。

医院もそれで良いという。

ちなみに大和郡山市の調査員が来られる日は9月7日。

通院診察日若しくはそれまでにそれまでには食料調達に住之江に向かう日も来るだろう。

いずれにしても認定結果がどうであれ、現実に対応できる体制を整えていきたい。

そうしてやってきた須見整形外科医院の診察。

身体状況を診て判断する医師の診断は診たままになるであろう。

住之江の住居から階段を降りる。

介助はもちろん必要だが、手を離してもいいような感じもするが、それは怖い。

不安性たっぷりのよれよれ歩き。

こういう状態になるまでは一人で梅田や難波に出かけていた。

そんな昔ではない。

ほんの一か月も前のことである。

目の前におればこちらも不安になるが、居住地の屋内ではそう感じない。

もっとも動きは鈍いがなんとか暮らしているという感じだ。

まずはレントゲンで痛いところと思われる部位を検査してもらう。

その結果は・・骨折などもなく、特に問題はないと伝えられる。

医師からは念のために血液検査をしておきましょうか、と云われたがおふくろは断った。

注射針が怖いのである。

それはよくわかる。

2年前に緊急入院したときに受けた点滴処置。

そのとき対応した看護士さんの不備、というか不慣れな対応に腕が腫れまくり。

高齢のおふくろの腕は痣だらけだった。

そんなこともあっておふくろは血液検査を断った。

その断りに対して医師は反論せずに、股関節リンパの痛み止め抗生剤の服用を勧めた。

処方された薬は6日間。

それでリンパの腫れは治まることだろう。

その通りの結果は翌日3日の電話で伝えてくれた。

抗生剤が効いたのであろう。

股関節の腫れが収まって、大きさも小豆大になったと歓びの電話である。

(H29. 9. 2 SB932SH撮影)

小鹿野の野に咲く白花キツネノタスキは中国原産観賞用のタヌキノカミソリ

2018年11月18日 10時21分49秒 | 自然観察会(番外編)
この日は弁天さんのツイタチ座の村行事をしていると聞いてやってきた。

ところが時間になっても誰一人現われなかった宇陀市榛原萩原(はぎはら)小鹿野(おがの)の弁財天社。

小社であるが境内などに生えている雑草は綺麗に仮刈り取っていた。

待てども、待てどもどなたも現れない。

たまたま伺ったある家の婦人がいうには、明日の2日になったという。

朝から午後過ぎまでは村のデアイ。

道造りに草刈りに忙しい。

平日であればデアイはできない。

サラリーマンが多くなったので平日は集まれない。

村で決まった弁天さんのツイタチ座は土曜日に合わせるようにしたという。

そういう結果になった村の道を歩いてみた。

まだ草刈りをしていない村の道にキツネノカミソリとそっくりな花が咲いていた。



形はまったく同じであるが、花の色が白い。

キツネノカミソリの園芸種か、と思ったが、調べてみれば「タヌキノカミソリ」だった。

中国原産の観賞用である。

キツネノタスキの花は狐色。

タヌキノカミソリは白い。

タヌキであれば肌はこげ茶。

どういう加減で、清楚で愛らしく咲くこの花の名に「タヌキ」の冠を着せたのか、気の毒としか言いようがない。

ところで、この日に遭遇した動物がいる。

それは二匹のアナグマだ。

番(つがい)であるかわからないが、とにかく2匹。

居た場所は上の三叉路辻の上組の庚申石付近。

車を運転する私の顔を見たアナグマは、すっとんきょうな顔で驚いていた。

突然の出合いに2匹は大慌てで尻尾を巻いて逃げていったけど、どこに巣があるのだろうか。

探してみる時間はない。

(H29. 9. 1 EOS40D撮影)

角柄の旧暦閏年の庚申塔婆・ゴクダイ

2018年11月17日 08時41分09秒 | 桜井市へ
県内各地の旧暦閏年の庚申行事、或いは痕跡などを探してきた。

今年は8月1日に拝見した桜井市箸中の車谷垣内の記念碑になった庚申塔婆で〆るはずだった。

それから1カ月後の9月1日。

宇陀市榛原萩原の小鹿野で行われる行事取材を目的に車を走らせていた。

走る大街道の両脇にある村が気になる。

特に気になるのは宇陀市榛原の角柄(つのがら)である。

通り抜ける際には必ずと云っていいほど左側に建つ地蔵石仏に視線を向ける。

その右端にあるのは祠内の庚申さんだ。

坂道を登っていくが、駆け足のアクセルは踏まない。

左にある庚申さんに目をやれば、あったー、である。



何年ぶりであろうか。

データを繰ってみれば見つかった。

5年前の平成24年の4月14日である。

通りがかった際に、これは何だと、思って撮っておいた。

葉付きの杉の木塔婆は真新しい。

その日か、それ以前であるのか断定できなかった。

集落を訪ねて講中を探してみたが見つからなかった。

榛原の小鹿野は7月初めに講行事をされた。

それ以降にすることもないだろうと思っていたし、榛原方面に向かうこともなかった。

杉の葉の枯れ具合から判断して1カ月前。

7月2日以降にされたと思うのである。

行事をされてから1カ月も経っているが、塔婆の願文は明確に判読できた。

5年前に拝見した願文ははじめに五文字の梵字。

続いて「為青面金剛童子講中家内安全五穀成就息災延命年諸障願愛慈護念」。

今年の願文もはじめに五文字の梵字であるが、本来書くべき箇所の5段削りに書かずに「梵梵梵梵梵 □□□ 為青面金剛童子講中家内安全災延命無障十落愛愍護念」。

5年前の判読が間違っていた可能性もあるし、興味深いのは5年前の塔婆は本来書くべき箇所の段削りがなかったことだ。

ヤド家が書き込む塔婆ツキ。

若干の違いがみられたが、どちらが正しいとはいえないだろう。

ある地域においても変化している事象があることから、前回の塔婆を見本にしているか、或いは原書をもって写しているかの違いであると思う。

ちなみに現在の塔婆は杉の材であるが、かつては桧材だったと話していたのは宇陀市榛原柳のT区長だったことを付記しておく。

角柄の状況を拝見し、すぐ近くの桜井市の吉隠も調べてみたが、何ら変わらず何年か前に立てたときと同じであった。

榛原の篠楽極楽寺垣内も同じく、変化がない。

講中は解散したと思われるのだが・・・。

5年前のH24. 4.14 EOS40D撮影の塔婆とゴクダイを比較する。



違いがわかるだろうか。

(H29. 9. 1 EOS40D撮影)

古市町のこうぜんさん参り

2018年11月16日 10時00分50秒 | 奈良市へ
この年の地蔵盆に伺った奈良市古市町。

場は町の北方にある北の地蔵さんである。

地蔵さんの祭りに来られていたKさんが話してくれた「こうぜんさん参り」に興味をもった。

「こうぜんさん」は一般人の進入禁止区域になっている春日山中にある。

その一角に鎮座する鳴雷神社のことである。

一般人である私は入山することできないが、参拝される古市町の人たちに同行する形で承諾してもらった「こうぜんさん参り」である。

聞いていた当日に集まってこられた水利組合組合長に経緯を伝えて同行させていただくが、組合員によるこの参拝は参拝後の寄り合いも組まれている。

寄り合い場へも行く行程に組合員が乗る車は会場の送迎バス。

バスの後方についてきてくださいと、云われて走る第一の関所は新若草山・高円山ドライブウエイの料金所。

軽自動車の場合は往復通行料が670円だった。



何十年ぶりになるのだろうか。

家族で連れだってやってきたことがあるが随分前のことだ。

奈良奥山ドライブウエイが正式名所のコースに「万葉若草の宿三笠」に「ホテル平城」がある。

宿泊利用したのはたしか「三笠」だったと思う。

メインに鍋料理を食べた記憶があるというかーさん。

思い出の映像は白く混濁した鍋だったというから、それは飛鳥鍋だと思う。

当店は柳生鍋。

創館以来ずっとそうであるらしいから記憶違いだったろう。

さて、余談はそれくらいにして「こうぜんさん参り」である。

料金所を通過してしばらく走った先で組合員は降車する。

足元は完全装備。

山地に生息するヤマビルに噛まれないように長靴は必需品。

忘れた場合はズボンの裾をしっかりとバンドなどで〆て侵入されないようにする。

また、首元には肌をみせないようにタオルで首に巻いて覆う。

地蔵まつりの際に聞いていたヤマビル対策。

普段着で禁足地にはいるが、装備は万全にと聞いていたが、すっかり失念していた。

縛るものも、隠すものも持ち合わせていない。

普段着のままの入山に思い出すヤマビルの被害。

ヤマビルの洗礼を浴びた場はここよりほぼ近い柳生へ向かう滝坂の道であった。

気がついたらぬるぬる赤い血がべったり。

ジーパンが赤色状態でわかったヤマビルの仕業には驚いたものだ。

特に湿気が多い時季に出没するヤマビル。

頭上にある樹木からおりてくる場合もあるが、9月の山はカラカラ。

乾いた季節は出没しないと組合員が話していた。

まさにその通りであるが、「こうぜんさん参り」は里に下りるまでヒヤヒヤしていた。



なお、貝を吹いておられるが、水利組合としてではなく、趣味で吹いているとのことだった。

目的地は香山(こうぜん)或いは荒神の高山(こうぜん)と呼ぶ地に鎮座する鳴雷(なるいかづち)神社である。

ずるずる滑りやすい道なき道なのか、それともあるようで、ないようなわからない道をゆく。

すぐ下は池だという。



水源地の池は干上がることがないという竜王池。

写真ではわかりにくいが、水面は斜光によって煌めいている。

入山する場に拝見した略図。



掲示板の地図を見ても現地はどこであるのかわからない。

かつて、この林道を下って鶯の滝にたどり着いたことがある。

滝は花山川の上流地。

距離がどれくらいだったかまったく記憶に残っていない。

組合員の一人が資料をくださった。

それはネットからプリントした「奈良歴史漫歩 春日山の水神信仰」。

鳴雷神社について詳しいことが書いてあるという。

その竜王池の向かい側。

西面に建つ社殿が見えてくる。

登りやすい石段。



踏みしめて登っていったところに到着と同時に拝礼したくなる鳴雷神社がある。

春日大社の末社である鳴雷神社の祭神は天水分神(あめのみくまりのかみ)。

史料によれば「延喜式神名帳の大和国添上三十七座の筆頭にくる鳴雷神社に擬される。明治時代の初年までは“高山(香山)竜王社”と呼ばれていた」とあった。

「二月の祈年祭、十一月の新嘗祭には中央から中臣氏の官人がさし遣わされた格の高い神社。現在も春日大社の末社の中で唯一新嘗祭が行われている」と書いてあった。



組合員は到着するとともに直ちに準備するローソク立て。

スルメに塩、お神酒を供える。



中央に、このときだけに置かれる水利組合専用のさい銭箱も。

めいめいが手を合わせて参拝する願いは一つ。



水たんもれである。

大和豊年米喰わず」という。

溜池が多い大和平野は水に恵まれる豊かな土地。

その土地が豊作を育む天の恵み。

旱にも水を満々とたたえる竜王池。

「こうぜんさん」は水の神さんだから、こうして毎年に参拝してきたという。

2拝、2拍、1拝。

それぞれが参拝を済ませたら直ちにその場で直会である。



供えたスルメを千切って配る。

お神酒も注がれて水の恵みを飲み干す。

しばらく滞在した直会。



お神酒は社殿周りに撒かれる。

社殿周辺に石柱がある。



社殿右手の石柱にあった刻印は「高山龍王社」。

裏面に「安政四巳年(1857)閏五月吉日」。



もう一面、側面に寄進者らしき四人の名が刻まれていた。

ほとんど判別できないなかで読み取れたのは「戸田一東明寺」であるが・・・。



社殿より左側にあった石柱の正面は「奉納 願満」。



側面に「郡山大字高田 農民中」とある。

寄進されたのは現在の大和郡山市高田町の農民であろう。

右側面に年号らしき刻印がある。判読できたのは「明□二十六年・・」。

26年もあるのは明治時代にしかないから「明治26年」の寄進とわかる。

江戸時代、明治時代に行われていた「高山(こうぜん)」参りの記録でもある。

今もなお参拝し続ける農家や水利組合の人たち。

おそらく古市町以外の地区も雨乞い祈願に登坂していたのだろう。

参拝を済ませた組合員は当地を下っていく。



樹齢はかなりのものだと思った大杉の際を廻って下った先は送迎の車。

宴の場に出かけていった。

ここで別れてそのまま帰路につくにはもったいない。



折角ここまで来たのだからと思って高円山ドライブウエイから大和平野を一望する。

天候状態の関係だろうか、遠くも近くも霞んでいる。

溜池多しと云われている大和平野。

ここからの眺望に見えるのはごくごく一部。



手前の山並みは二上山あたりから南に伸びる葛城山系。

その奥にかすかに見える山並みは和歌山・大阪を境界に東西に連なる紀泉山脈だ



右にレンズを大きくパンしてみれば住宅に団地がぎっしり。

ずっと、ずっと先に見えた建物は現在建造中の奈良県総合医療センター

開院は平成30年5月初めになる。

とらえた映像の中心点より右上に見られる建物である。

ここから見て、とてつもなく大きい建物である。

この建物からの距離は測り難いが、我が家はすぐ傍。

見えない位置にある。

向こう側に山々が見える。

手前の山並みは矢田丘陵地。

その向こう側が平群から生駒山に繋がる生駒山地である。

少しだけ右にパンしてみれば山頂にある電波塔などの鉄塔が見える。



左に戻したら信貴山向こうに見える大阪のビル群も視野に入る。

展望地の標高が高ければもっと見えただろうな。

(H29. 9. 1 SB932SH撮影)
(H29. 9. 1 EOS40D撮影)

晩飯は山陽マルナカ調達の半額サービス

2018年11月15日 08時59分38秒 | あれこれテイクアウト
阪神タイガースを応援に阪神球場入りしたかーさん。

私は自宅でテレビ観戦。

ずいぶん昔に球場観戦に行ったことがある。

当時はむちゃ弱かったが、応援しがいのある球団だった。

負けているから応援したくなる球団だった。

いつしか云十年ぶりに優勝した。

日本シリーズも凱旋を飾った。

そのころが私の応援の絶頂期。

次第に衰えていくワケがある。

求める民俗取材に全精力を挙げるようになってからはビジネスマン時代よりも忙しくなった。

忙しくなっても銭は入らない。

銭が目的ではない民俗取材に記録表現に執筆が伴う。

徐々に増す執筆文字数。

必然的に執筆時間が長くなる。

時間が惜しくなってくると同時にテレビ観戦もしなくなった。

負けがこんだときは席を立つ。

そのうち勝っていても席を離れて執筆に集中する。

いつしかプロセスに時間をかけることをしなくなった。

結果がわかればいい。

勝ったときは翌日の朝刊でじっくり見ればいい。

負けであれば、数行の記事もない朝刊。

大阪のテレビでは負けであっても勝ちであっても煩い。

とてもじゃないが、それに費やす時間は私にとっては無駄にも映る。

食事時間帯に放映される阪神球団の試合放送がある。

その時間は仕方なく見ている。

勝っているときはまだしも負けがこんでくるとボヤキがある。

ボヤキを逆に転じた言葉は応援になるが、単なるボヤキはボヤキでしかない。

今夜は独り晩食。

静かにテレビ観戦ができる。

そのときの食事はどうするか。

車で2分の所に買い求めるスーパーがある。

富雄南イオンタウンの山陽マルナカ。

午後の7時までは執筆作業に熱中していた。

そのころともなれば半額サービスになっているだろう。

そう思って車を走らせた。

昔のようにたらふく喰える身体ではなくなった。

で、あるのについつい買ってしまう総菜コーナー。

買い物かごに入れては、さて、どうするか。

一通りではなく、二通り目で決めた半額サービスの晩食は我が家のテーブルに並べた。

ローストビーフにぎりは160円。

煮びたしのオクラは106円。

6種のきのこの鶏肉金平も106円。

オリジンのハムフライは1枚で50円。

それだけでお腹がもつのか。

ふと、不安になってこれもまた半額の91円枝豆も買った。

これだけで纏めて税込513円。

冷蔵庫に冷やしている発泡酒で祝杯。

なんとこの日の試合は一方的・・・に買った。

テンポも早くて9時には試合終了。

今夜は久しぶりに夜のスポーツニュースを観たくなる。

ちなみについでに買った明日の朝食おかずは牛すじコンニャクフライ。

20%割引の税込101円だった。

ところでこれらのお味はいかが、だったのか。

手前にあるのがローストビーフにぎり。

専用のローストビーフソースを落としていただく。

ソースは多めに入っているからたっぷり。

たらたら垂れるソースは器に溜まる。

かーさんはローストビーフの味はソース味で決まると云っていた。

たしかにそうである。

ソース味は美味い。

旨みのある味に満足するが、にぎりの飯がやや固め。

調理されてから時間が経っているせいかもしれないが、同じローストビーフを丼にしたローストビーフ丼を食べたことがある。

それも同じく専用のソース付き。

これが美味いんだなぁ。

ご飯に浸み込んだソースが美味い。

丼ご飯も甘くておいしいほくほくご飯。

旨さはこちらに軍配を挙げるが、なぜににぎりなのに寿司飯でないのか。

一度は試しに食べてみたいが・・・。

左上にあるのは6種のきのこの鶏肉金平。

濃いめの味付けにシャキシャキ感。

コクもあってとても美味しい。

酒の肴に最適の一品に大満足。

その右横に並んでいるのが、煮びたしのオクラ。

どんな出汁で煮込んだのかわからないが、美味すぎる。

たっぷり浸みこんだオクラに筋はない。

柔らかめであるが、堅さも保っている。

こりゃたまらん味ですら。

すべてを食べきるにはやはり・・。

少し残して翌朝の朝食のおかずになった。

ローストビーフにぎりの右横はオリジンのハムフライ。

レンジでチンすることなく、がぶっと噛んだ。

噛んで口に入れた味は、不味くはないが、美味くもない。

チンすれば良かったと思うが、それよりも味付けしちゃえとウスターソース落とした。

なんと、これが、美味いのである。

美味いのであるが飽きてくるのが辛い。

これらを食べて口直しに枝豆。

半分どころか1/3も食べられなかった。

味ではなくて満腹になってきたからである。

味は薄い枝豆であるが、ぷりっぷり。

噛み応えがあるのが嬉しい。

これは明日の晩飯に再登場。

チンもして冷ます。

食べる直前に美味しい塩をパラパラと振りかける。

心臓の病いに悪いから振りかける量はごく少量。

枝豆の旨さを引き出してくれた。

(H29. 8.31 SB932SH撮影)

マルちゃんのやみつき旨辛辛黒富山ブラック風焼きそば

2018年11月14日 10時07分04秒 | あれこれインスタント
本日、久しぶりのインスタント麺。

いつ、食べるのか。

楽しみにしていた日が突然にやってくる。

買い置きしていたマルちゃんの富山ブラック焼きそばの再登場。

以前も食べたことはあるが半年前だったか、さっぱり思い出せない。

メーカーのHPを見れば平成29年4月の全国発売だった。

ほんの4カ月前の発売だった。

その発売直後に買ったやみつき旨辛辛黒富山ブラック風焼きそばは2品。

初のお試し味わい日は平成29年の5月28日

あれから3カ月後の2度目の味わい。

とにかくこいつは旨い。

袋入りスープは二種類。

粉スープに液体ソース。

かけたとたんに強烈な香りが鼻につく。



箸でググッと混ぜて口にほうり込む。

口内で踊るポンポコリンではなく、踊る焼きそば麺。

やや太麺の焼きそばに絡んだスープは胡椒が強烈。

唇や舌に旨みが絡みつく。

どど黒いソースは底面にある。

それにたっぷりかかるように混ぜて食べる。

極上の味はまた食べたくなる。

特売棚に並んだら必ずや買うであろう。

(H29. 8.29 SB932SH撮影)

21日目に戻る居住団地

2018年11月13日 09時43分53秒 | むびょうそくさい(おかん編)
我が家で養生していた8月22日のことである。

おふくろが突然、思い出した前兆の一つ。

今年になってからのことだ。

美容院で背もたれしての髪洗いに背中が痛くなってきた。

横になる姿勢というか、体制を替えたらマシになったことがあるという。

その時期は不明であるが畠中医院に通院した帰り道。

突然に左大腿部に力が入らなくなった。

動くのがもどかしくその場で身体を休めていた。

どれぐらいの時間で回復したのかわからないが、そこに居てもしかたがないと思ってゆっくりとした動きで家に帰った。

それからである。

今から2カ月前のことだ。

住居は4階。

ゴミを捨てるには階下のゴミ捨て場に下りる。

その場にゴミを捨てたときにすってんころりん。

捨てる荷物を持ち損ねてひっくり返って倒れた。

それがはじまりだったのか、どうか未だに初めの原因がわからず、今に至っている。

8月18日に大阪市認定事務センター(介護保険)に送付した「要介護認定支援認定の申請」。

休み明けに担当から電話があると判断していた。

予想していた休み明け。

電話が鳴ったのは23日だった。

担当するOさんより私の携帯に電話があった。

その日の午後2時であるが、その時間帯は丁度、大織冠仲仙寺の地蔵盆の取材中だった。

申しわけないが電話に出ることも難しい状況に、あらためて当方から電話することを伝えて切った。

それから小泉町の地蔵盆の取材。

終えて車を停めたにケーズデンキで電話をさせてもらった。

内容は申請した本人確認とか、私のことである。

おふくろの誕生日を教えてくださいと、今、どこで介助しているのか、支援状況などなどの申請書類の信頼性確認である。

ローン契約とかクレジット契約に本に確認を電話でするアレと同じだ。

支援している関係上の住所や連絡先電話番号の確認をされた担当者は、3週間後に私が住まいする大和郡山市に調査員を派遣すると伝えられた。

翌日の24日の身体状況。

特に痛みもなく、身体は軽いと日中の軽い運動をする。

就寝中の夜中。

突然に目を覚ましてテレビを見る癖は昔から。

夜中の2時であっても、朝方の5時であっても、ソファに座って手を伸ばす。

身体も伸ばすし膝も上げる。

少しでも身体を動かせば治ると信じて運動をしていたと翌朝に話す。

良いことであるが、決して無理することなく、長時間はご法度と念を押す。

そんな状態になってきたおふくろの身体。このまま現状を維持できるのなら、住み慣れた住之江に戻りたいと言い出した。

それほど自信がついてきたことであろう。

良い傾向であるが、独り暮らしするまではまだ安心できない。

絶対的な安心は見込めないと思うが、試しに実行してみることも考えなくてはならない時期にきている。

ただ、在宅に戻ったとしても「要介護認定支援認定の申請」を取り下げるつもりは一切ない。

身体状況が今のままであっても申請という事実状況を作らなくてはならない。

そう思っている。

何故か。

申請を却下したとたんに再発したらどうするのか。

今より酷い介護を要する状況に陥る可能性は消えていない。

申請を却下するということは、行政に対して事実認定を遅らせることになってしまう。

それは不味い。

老齢化進行を止めることは不可能である。

申請をしておけば認定は「自立」と判定されても、それで良い。

何かが起これば、申請しておけば事実認定が素早くできるのでは。

そう思っていた。

それからの数日間も痛み症状がまったくでない。

これで帰れると決断したおふくろ。

痛みもなく、身体もこれまでと違ってラクラク動く。

気持ちいいぐらいに動ける。

我が家の階段の上り下りもできるようになった。

壁に手を当てて伝い歩きをしていた状態も変化した。

手で壁を抑えるわけでも歩いてトイレに行けるようになった。

ふらふら感もないので我が家に「世話になって21日目やし、きっしょ(吉祥)のお大師さんの21日に合わせて住之江に戻らせて」と願うおふくろの思いを叶えたい。

前夜の26日に、そうすると伝えたら顔が喜んでいた。

戻ることを決定した27日の朝。

すっかり準備を整えて私の出番を待つ。

先にも挙げたが、第二阪奈道路も阪神高速道路も渋滞はまったくなくスイスイ走る。

到着して早速は昼飯。

スーパーサンデイ住之江店で食料などの調達。

車からなんなく下りてすたこらサッサではないが、よたよたのゆっくり歩きで店内に入ったおふくろはサンデイの買物カートに手を宛がって押している。

欲しいものを棚から取って籠に入れていく。

馴染みのあるサンデイはどの商品がどの棚に並んでいるかすべて覚えている。

レーズン入りのパンはあそこ、赤飯はあっちと指をさす。

一回りしたところで買い物は終了。

支払いを終えて店を出て車に向かうが、そのときも買い物カートを補助車にようにして歩いていた。

屋外はまだ慣れていないから怖さがある。

怖さがなくなるまではまだまだかかるであろうが、ここまでよく復帰したものだろ感心する。

帰り道にあるもう一つのスーパーは大和郡山市にもあるスーパーサンコー。

ここもおふくろがよく買い物をしていたが、本日は店外のお花屋さん。

仏壇に居る大ばあさんに仏花も買って団地入り。

大阪市営の大和川団地の4階から出た日は8月7日

大型台風が和歌山に上陸した数時間後に居た住之江は大風。

煽られるように整形外科に行ったものだ。

あれから21日。

指折りの毎日を数えていたおふくろが久しぶりに戻ってきた。

団地の階段も難なく上がる。

もちろん設備された階段の手すりが頼りの上り下りである。

ぎょうさんある荷物は一度では運びきれない。

結局は3回の上り下り。

その間は階下に置いたままである。

あれだけ買ってきたのに忘れ物に気がつく。

たくさんあったと思っていたテイッシュペーパーが消えた。

トイレットペーパーも不足気味。

しかも、だ。

健康測定の血圧計の電池も、である。

一か月前に買っておいていたと思われたラ・ムーの格安プライス電池もない。

どこへいったのか記憶は幻。

では、今の間に出かけて買ってこよう。

そう思って出かけた行先は大和川を越えた堺市の鉄砲町にあるイオンスタイルである。

住居から数分で到着するのだが、駐車場が満杯。

誘導員の指示に従って立体駐車場に入っても空きがない。

そうだろ、である。

駐車場前にある表示はすべてが満車。

空いているわけがない。

入ったからには出る車を待つしかないが、あれよこれよとぐるぐる廻ってみるも空きはなかなか見つからない。

空きは発生しても、近くに待っていた他車が入庫する。

どれだけここで過ごしたことだろうか。

ようやくタイミングが巡ってきて停めたものの、求めるお買い物の場は反対側。

そこへ行くには店内を廻り道。

なにかイベントをしている処を通り抜けるのも苦労するぐらいの混雑状況に前へ進めない。

雑踏をさけて通る廻り道に難儀する。

ようやく着いたと思ったお買い物の場の前にも人だかり。

あっちもこっちも子供向きのイベントは通路を塞ぐ。

買い物カートを整理している男性に難儀でんな、といえば、今日は強烈な混雑でカート集め、移動は凄まじい人だかりで難儀しているという。

ようやく辿り着いたペーパー売り場にいつも買っている箱無しテイッシュペーパーがない。

店員さんに聞けば北花田のイオンにはあるがここイオンスタイルにはないという。

そのテイッシュペーパーはイオンブランド。

奈良の山陽マルナカでも売っているイオンプライベートブランドの箱無しテイッシュペーパーは税抜き175円。

ここイオンスタイルが売っている最低金額の箱有テイッシュペーパーは税抜きで248円。

ありえない対応に唖然とするしかない。

そんなこともあって戻ってきた大阪市住之江区の大阪市営大和川団地。

買ってきたもののを届けて手を振る。

団地階段も問題なくあがれるほどに復帰はしたものの入浴はとてもじゃないが、無理な構造。

居住する浴槽は高さがある。

足を上げても届かない浴槽は健康体でなければ無理である。

測ってみればかーさんの腰の位置にも相当する高さ。

介護認定ができれば20万円の改造費が補助される。

そうしたいと思っているが・・。

そんな具合だから浴槽に浸かることはできない。

が、おふくろは風呂場にある洗面所に湯を溜めて身体を拭いていたらしい。

夏場ならシャワーでもと思うが、設備はしていないから、そうせざるを得なかったのだ。

その晩は電話もかかってこなかった。

翌日の28日の朝になってもかからない。

かからないということは何も問題はないということだろう。

あれば連絡してくるはずだと思ってはみたものの、10時になっても11時になってもかかってこない。

これはなにかあったのでは、と思って自宅番号に電話をしてみるが20回以上鳴らしても出てこない。

携帯電話をしようにも我が家に充電器を忘れたままだった。

しばらくしてから再度、電話してみようと思っていたら、電話口に向かって話すかーさんの声。

相手はまさしくおふくろ。

会話が弾んでいるから何事もなかったと思っていたら、そうではなかった。

21日ぶりに住居に戻った昨日。

あれから5時間後の午後7時に背中が痛くなってきた。

2時間ほど続いているときに弟から電話があってその件を話したがどうすることもアイキャンノット。

そのことも我が家に電話したら怒られると思ってしなかった、という。

なんということであろう。

そうなるである可能性もある、と私が伝えた予測が事実になっていたのだ。

本日、電話をした11時。

時間を取り戻したかのようにぐっすり寝ていると思われたが、そうであった。

背中の傷みは2時間で消えてぐっすり寝た。

寝てはいても朝5時には目を覚ます。

しばらく時間を過ごしてまたもや寝る。

それがおふくろの習慣浸け。

11時半になってから起きて我が家に電話をしてきて初めて状況を話す。

ほんま、おかしいことがあれば怒りはせんから連絡してくれ。

声は揚げるが・・・。

原因は戻ってきた日に屋外で動いたことによるもの。

我が家で療養している範囲では骨が動く範囲が狭い。

屋外であれば気を遣うし、身体の動きも違う。

急激に動いたことによって、骨の動きも変化する。

そのことで軟骨の擦れ具合も変化する。

それで痛くなる。そう思えた症状である。

(H29. 8.27 SB932SH撮影)

この日もマルヤス水軍住之江店のおまかせ日替わり漁師丼

2018年11月12日 10時09分50秒 | 食事が主な周辺をお散歩
大阪住之江に着いた時間は午前11時半。

第二阪奈道路もそうだが阪神高速道路はなんと渋滞もなくスイスイ走る。

これがほんまの高速道路やといったかーさんにおふくろ。

平日と違って日曜日は一大イベントにでも遭遇しないかぎり渋滞はみられない。

渋滞に巻き込まれる予想に我が家を早く出てきたが、お腹の空き具合は計算に入っていない。

いくらなんぼなんでも午前11時半での入店は早すぎるだろう。

とは、いっても早くもぺこぺこ状態のかーさんには逆らえない。

おふくろもお腹に入るというから着いていく。

二人のご希望の昼飯処は10日前にも利用した大阪住之江にある「海鮮うまいもんや マルヤス水軍」。

前回によばれた食事はどれもこれも美味しい。

3人が頼んだランチメニューは違うが、どれもこれも美味しいと大評判。

私は350円の弁当販売でも良かろうと思っていたが、口に出す前から却下である。

入店時間は午前11時40分。

足取り軽くではなくやや自信を取り戻した91歳のおふくろ。

いつも使っている車を降りるときの踏み台もいらん、という。

歩きは自力でできるものの、いつ引っかけて倒れてしまう恐れもある。

手を添えてやればその手に遠慮することなく手を添える。

10日前の状況はそのような身体状況ではなかった。

おんぶまではいかないが、自力不能のやや手前の状態にヒヤヒヤしていたことを思い出す。

テーブルについてほっとする。

まずはメニューの確認。

特別なメニューには目もいかずに私が選んだメニューは前回と同じ税込540円のおまかせ漁師丼。

丼にはアラ汁の名で呼ばれている漁師汁が付いている。

かーさんはミニ麺付きのおまかせ漁師丼。

その名の通り私が頼んだおまかせ漁師とまったく同じ。

なにが違うかと云えば漁師汁の代わりにミニ麺におひたし付き。

それで税込842円もする。

両品の差額を計算すれば302円。

なんとなくお高くなったような気がする。

おふくろといえば前回同様のかけそば、ではなくざるそば。

注文取りに来られた板前姿の男性。

ざるそば??って、いうような表情である。

前回も410円のざるそばをいただいたのですが・・といえば、わかりました、なんとかします・・である。



不思議なことであるが、店備え付けのメニューには「ざるそば」銘記はないのである。

店内にお品書きがあれやこれやとある。

そこにあった「なすびの漬物にぎり」。

特別料理だと思うのだが、物は試しに聞いてみれば、夜のメニューだった。

そういうわけであるが、なすびの漬物は泉州の水ナスである。

仕入れた水ナスがお店に届くのは昼過ぎ。

品物が到着しておれば、提供させていただくのですが・・の返事。

そうであるなら午後2時の入店の場合は必ずある。

次回に来るときはそれにしてみるか・・・と口走ったが、仕入れていない場合は、そりゃ無理だ。

で、あればイカゲソのにぎりはなんてできますでしょうか、と尋ねてみたら、ケンサキであればゲソも胴体もありますという。

小さいケンサキイカはこれぐらいの大きさと示してくれる。

それであればお出しできますが・・に顔が綻ぶ。

注文取りの板前さんだからこそ二つ返事で特別な注文を受けてくださった。

ありがたいことだと喜ぶおふくろはイカが大好きなのだ。

ところで、前回はあまりにも多かった丼のご飯盛りになんとかしたいと伝えたら、いくらでも要望に応じますと云ってくれた。



そうであれば、私の希望はご飯盛りを半分にしてください、だ。

また、かーさんが注文したミニ麺付きのおまかせ漁師丼。

麺はうどんにしますか、それともそばにしますか、である。

もう一つの選択は温い麺ですか、それとも冷たい麺ですか、である。



希望は冷たいうどんである。

これらを頼んで安心したのかトイレに行きたがるおふくろ。

一人歩きは不安定なのでかーさんの介助を借りて・・・・。

戻ってくるころには早々と配膳された。

前回も思ったが、注文を受けてからテーブルに配膳されるのがとても早いのである。

なんやかやがあって注文した品物を口にした時間帯は丁度の12時だった。

おふくろは早速ケンサキイカにぎりをほうばる。



尤も握り飯を外してイカ喰いである。

新鮮でとても美味しいという特別に注文を受けてくれたイカにぎりは一貫で97円。

なんと税込の97円である。

ただ、おふくろの不満があった。

かーさんが食べきれなかったおまかせ漁師丼のご飯。

少し食べてみたいといったおふくろの評価はご飯勝ち。

ご飯は柔らかくてほくほくで甘味のある美味しさ。

ところが握り飯はどうやら堅かったようだ。

以前、にぎり六貫に天ぷら盛りが付いたマルヤスランチを食べたかーさんの味評価は極上。

握り飯も旨かった記憶があるから、今回の握り飯は老人向きではなかったようだと、勝手な答えを出したわけだ。

唯一の但し、があったが、太鼓判を押した「海鮮うまいもんや マルヤス水軍」は大阪に6店舗あるが、奈良県にはない。

経営母体が同じの「おはし処源ぺい」なら学園前にある。

一度、入店して味比べでもしてみたくなった。

(H29. 8.27 SB932SH撮影)

第7回洞泉寺町夕涼み大会in源九郎稲荷神社・洞泉寺町界隈

2018年11月11日 07時04分21秒 | 大和郡山市へ
今年で7回目になる洞泉寺町夕涼み大会

第1回の開催は平成23年8月26日、27日(土)の両日だった。

知人のN夫妻からのお知らせに表敬訪問した大和郡山市洞泉寺町。

夕涼み大会の場は源九郎稲荷神社境内だった。

主催していた夕涼み実行委員会の人たちへのご挨拶が目的で立ち寄った。

あれから7年後のこの日の催しに風の盆唄を行うとFBが伝えていた。

通知した関係者は存じている人たちばかりだ。

7年前まで勤務していた市の施設の仕事を通じてご一緒した人たち。

久しぶりに、ということもあるが、今夜の目玉である風の盆唄を拝見するのが第一の目的。

大和郡山市内であの名高い「おわら風の盆」が拝見できる。

踊り、リズムはどのような形でされているのか生身を拝見したい、と思って出かけた。

「おわら風の盆」は富山県富山市の八尾地区で三日三晩も踊りあかす行事である。

三日三晩もそうだが、遙かなる地にまで出かけるには無理がある。

その流れをくむ人たちが披露されるなら、少しでも学びになると思って近場の城下町に向かった。

到着した時間帯は午後6時半ころ。



境内は夕涼みに訪れた人たちでにぎわっていた。

まずは、源九郎稲荷神社社務所におられる代表のN夫妻にご無沙汰の挨拶だ。

鳥居前際にも知人たちが居る。

みたらし団子にかき氷。

大きく太いソーセージもあれば金魚すくいも。

しかもコーヒーショップまである境内いっぱいに広がった夜店に忙しくしているSさん、Iさん、Uさん、Mさん、Aさんの面々は大和郡山市観光ボランテイアガイドクラブの人たち。

カメラをもって被写体を追っかけているNさんはともに仕事をしていた大和郡山市観光協会の同僚。

尤も私は退職したから元同僚であるが・・。

Nさんはとらえた映像を大和郡山市観光協会の公式FBである「金魚とお城のまち やまとこおりやま」にアップすると張りきっていた。

うろうろというわけではないが、会場をぶらぶらしているとまたまた知り合いの人たちに遭遇する。

一人は大和郡山市文化財審議会会長の長田光男先生。

もう一人は矢田寺南僧坊の前川ご住職夫妻。

長田光男先生は民俗行事取材にご一緒することになった大和郡山市西町・良福寺文殊堂の文殊会式だった。

その日は会式を終えてから地区の人たち向けの文化財講演もされた。

歴史的な文化の一端を教わったことを覚えている。

ご住職には正月二日に行われる修正会でお世話になったこともあるが、その修正会に祈祷されたごーさん札をもらったことがある。

尤も私的なことでなく、奈良県立民俗博物館に寄贈はもとより、企画展展示に公開した貴重な祈祷札をご協力いただいたことは忘れない。

市役所に勤務するUさんにも出会えたにぎわいの洞泉寺町夕涼み大会に風の盆 越中おわら節を披露される団体は日本舞踊の「延彌会(えんやかい)社中」に民謡の「郡山美和会(ぐんざんみわかい)社中」だ。



午後6時半ともなれば演奏が始まった。



踊りの披露に演奏、地唄も境内で披露する。



拝殿におられる「郡山美和会社中」は歌い始めた。

演奏楽器は三味線。地唄奏でる歌い手主役は小泉長在住の男性。

市施設勤務時代にお見かけしていた人物が歌い手の代表だったとは驚き。

挨拶をさせていただいたが、覚えてないと・・・。

直に話すこともなかったから、そりゃそうである。

実は、ささゆり奉献神事に賑やかしをお願いしたいと大神神社から相談を受けた大神神社奉賛会会長のNさんが、強力な助っ人の両団体を率いて、ささゆり音頭(大和郡山大神講)・奉献行列をされていることを付記しておく。

陽が落ちた丁度の時間帯。

薄暮に境内の提灯の灯りが浮かぶ。

演奏が始まれば踊り子たちを囲むように拝見する参拝者も集まってきた。



夕べの佇まいに踊り子の動きに見惚れる越中八尾・おわら風の盆。歌い手の声にも聞き惚れているうちについシャッター押しも忘れてしまう本格的な気分を味わわせてくれるおわら風の盆。

踊り子たちが境内を何周か踊っているうちに隊列を組んだ。



そして鳥居を潜っていった幽玄な情景。

オレンジ色の灯り具合が踊り子たちを染めてくれる。



ゆったりとした調子に合わせて踊る踊り子たち。

その姿をとらえるストロボも発光する。

源九郎稲荷神社の鳥居を潜れば目の前が洞泉寺町界隈。



古き良き木造建築が建ち並ぶ路地を踊りながら前に行く。

燈花を並べた灯りのみちライトアップの洞泉寺町界隈の佇まいは、懐かしい風情。

みなは追っかけで隊列についていったが、無理のできない私はここまで。



界隈の路地の距離はそれほど遠くない。



町内巡行はおよそ15分間で戻ってきた。

(H29. 8.26 EOS40D撮影)