マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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十津川村宇宮原のハダ

2018年12月21日 09時19分54秒 | 民俗あれこれ(干す編)
昨年、十津川村の内原滝川谷瀬に旧西吉野村の永谷で拝見してきたハダがある。

地域によってはハダの名称も異なる多段型のハザカケに魅了された。

稲刈りをしてハダに架ける。

そして数週間に亘って天日干しをする。

聞取りさせてもらった住民の話しによれば、だいたいが3週間も干しているようだった。

今年の具合はどうであろうか。

その時期がくれば、と思っていたが、いろんな事情が絡んで、結局のところ、足が動くことはなかった。

ただ、9月末に行けるようになったから心は弾んだが、時すでに遅し、である。

今年は、もう見ることはないだろうと思って、十津川村へ向かう南へ、南へと車を走らせた。

もう少し走れば絶景にある谷瀬の吊り橋がある地に届く。

そう思っていた右手に大きく蛇行する大河が見える。

一瞬であったが、ハザが目についた。

思わず停まった地から川向う岸に数軒の集落が見えた。

目を凝らしてみたら、あった。

多段型のハザカケである。

この地はどこになるのか。帰ってから調べてみれば十津川村宇宮原(うぐはら)だった。

竿の数を数えてみれば8段のようだ。

その下にあるのが稲田。

僅かな土地に耕作した稲はこうして干していた。

(H29. 9.30 EOS40D撮影)

2017十津川遊びp1

2018年12月20日 09時33分30秒 | もっと遠くへ(十津川遊び編)
この年の十津川遊びのツアーは私の不手際によってドタバタした。

日程が決まったが、肝心かなめの宿泊地がお断り。

前代未聞の展開にあれこれ思案に四苦八苦。

民宿津川が受け入れてくれる日でないとアカンようになって再募集。

その結果は始まって以来の最小人数で出発することになった。

すったもんだのドタバタ顛末の経緯はこういうことだった。

今年も、昨年同様の9月の第二土曜日、日曜にしましょうか、と非公開掲示板に発信した日は7月30日だった。

前年に決めていた9月の第二土曜日、日曜伝達は念のためと思って書きこんだ。

8月半ばには大方の参加者が決まった。

Aさん、Fさん、Uさん。

私を入れて4人だった。

仕事の都合で不参加の、T夫妻にW家族。家の事情でMさんも不参加。

手術後まだ間もない身体状況に不参加表明のUさんは仕方ないが、盆を過ぎても連絡のなかったSさんは不参加だと判断していたが、8月21日になってようやく参加表明。

今年は亡くなった親父さんの一周忌に新盆。

なにかとバタバタしていたらしく連絡はそれで遅れた、ということだった。

やっと決まって5人。

参加者がはっきりしたところで、何十年も宿泊してきた民宿に電話を架けた。

いつでもいけると思っていたから、そうしたのがエライことになるとは・・・。

そんなことになるとは思ってもいなかった8月5日には行程並びに買い出し店、購入品目などの調整はあらかた済んでいた。

行程途中にあるイオン五條店で買いだし。

イオン五條店の1階食料品の開店時間は7時である。

朝7時の品数は少ない。

だいたいが9時になってから出揃う商品棚。

で、あれば、イオンに到着する時間を9時。

そこから換算していつもの集合地に集合する時間を8時半。

10時半に大塔星の国。

11時半に民宿に着く計算であったが・・なんと民宿が受け入れできないと・・。

電話を架けたのは8月22日。

前年に泊まった際に9月の第二土曜日、日曜に日程変更したことを伝えていたが、認知されていなかった。

その9月の第二土曜日、日曜は二人とも用事があってお出かけで「店」はできひん、ということだった。

これはえらいこっちゃである。

9月23日(土・祝)、24日(日)であれば、可能というので急遽の日程変更。

そして、再募集をかけたが、そりゃ彼岸の日やで・・とみなは云う。

そりゃそうだわな。

民宿は9月16日、17日も都合が悪いと云っていた。

後に事情がわかったお断り理由。

最近の傾向でいえば、お客さんが少なくなって、土曜日は積極的に休んでいるという。

えー、そうだったんだ。

結局のところ決まった日は9月31日(土)から10月1日(日曜)の月跨り日である。

その日に移った、とSさんに伝えるが返信がなかった。

仕事場にいるAさんも動いて社内通知をしてくれたが反応は返ってこなかった。

不参加と判断し決行する第33回目十津川ツアー参加者数は、これまで5人だった最少催行人数をさらに記録する4人。

私の不味い手配に猛省した。

さて、本日の行程である。

まずは集合。

午前8時半に集まる地は近鉄大和郡山駅改札口。

愛車に乗る友人はAさん。

到着予定時間は想定通りである。

次の集合地は午前9時の近鉄大和高田駅前国道寄り。

ここまで来るのにずいぶんと時間がかかってしまった。



予定では午前9時のつもりだったが、いかせん9時半を過ぎてしまった。

ちなみになんらかの施設ができるようで只今工事中だった。

ここで、Fさん、Uさんと落ち合って乗車が4人。

軽バンの定員数である。

再出発して南の葛城市を経て御所市に向かう。

途中で満タンにしておきたい愛車の軽の箱バン。

燃費はいいともいえない程度の1リッター13km。

平均ペースでそれくらいだ。

ガソリンスタンドは国道24号線沿いにある御所市・三室信号にあるセルフイックス御所SS

トイレ休憩もさせてもらうガソリンスタンドは、サイフに優しい販売価格帯にクレジットカード支払いもできるありがたいスタンド。

こちらを通るときに度々利用している。



このときのレギュラーガソリンの価格。

1リッターが123円。

高いと思っていたが、年数を経て振り返ってみれば安価なときだったと思いだすだろう。



予定では午前9時半に着いて再出発は10時10分と踏んでいたイオン五條店での買い物。

当日と翌日の2日分のすぐに食べられる簡単料理のあれこれを買う。

料理長を買って出たFさんが選ぶ品物はその場で決める。

買い出し予算は4人分で3900円。

細かいことに拘るが、品物に拘りのないノープラン買いである。

4人で選んだ品は10個入り213円で売っていたイオン製の生たまご。

イオン製のチルド餃子が170円。

同じくイオン製のポーク&チキンウインナーが278円。

袋入りの中華名菜酢豚は278円。

3玉入りマルちゃんの焼きそばが170円。

それに41円のオーガニックもやしが2袋。

これだけでこの日と明日の昼飯はまかなえるのか。

とんでもない少なさ。

実は料理長のFさんが家から持参したモノモノがある。

家で小分けした豚バラが10袋。

1袋ごとに小分けした量が80g。

なんと、手間のかかることをようまぁ・・・。

ご近所で購入していた400円の鶏肉に細かく切ってきたキュウリと玉ねぎもあれば、家で作ってきた玉子焼きにポテジャガ。

これらすべてはだいたいの値段を聞いて会費から戻入しておいた。

お安く済んだが、これで二日分。

昔と違ってずいぶんと減ったものだ。

イオン五條店に入った時間は午前10時過ぎ。

買い終わって再出発した時間は入店してから30分後。

買物そのものが少なかったから早く出発できた。

午前10時半過ぎにイオン五條店を再出発して一路、十津川を目指す。



次の行程はトイレ休憩を兼ねて停める「吉野路大塔」の道の駅。

着いた時間は午前11時10分。

ここまで40分もかかっている。

トイレで用足しして再出発したのは午前11時20分。

目を覚まして一直線。

お宿の民宿津川がある十津川村に突入だ。

風屋ダムの停留所を下って90度直角カーブ道。

道なりに行けば十津川村の中心地に行ってしまう。

私たちの目的地はそこでなく支流の滝川にある。

鮎の川で賑わう滝川であるが、今の時季は落ち鮎である。

ここまで来れば民宿津川は目と鼻の先。

着いた時間は午後12時10分。

予定よりも30分遅れ。

道路がよくなっているから、昔に比べたら大きな改善。

年々が早くなる十津川ロードである。



着いたらすぐさま用意しておいた手土産を・・。

お互いが元気にしてきた顔で渡すに受け取り。

もうひとつお願いする明日の食糧保管。

毎年同じことを頼んでいる。

いつのころからそうなったのか。

そりゃもう30年以上も前のことである。

それと引き換えでないが、いつも人数分の枚数をいただく日帰り温泉優待券が嬉しい。

今日も支流の河原で愉しませてもらう。

そのつもりもあるが、今回は川に下りる気がまったくなく、トイレがある内原村の広場で腰を据えた。

到着したら直ちに設営。

午後12時半の設営は予定よりも20分遅れだが、お腹の減り具合が丁度いい。



夢のお告げで入手できたアウトドア用の椅子付き折りたたみ式テーブルを広げる。

説明書はないが、構造がわかれば広げ方も自動的。

多少の力は要るが、脚を固定したら完成だ。

なんせこのテーブルは椅子付き。

あーやこーやの言う間もなく、簡単に設営できた。

調理の舞台ができたら早速とりかかる料理長のFさん。



大きな鶏肉を買ってきたからとフライパン焼き。

塩、胡椒を振りかけて約2分間。

表面が焼けてきて肉の香りが辺りに漂ってきた。

焼いた鶏肉の皮がえー色具合。



このままでは口に入らないので箸で抑えて包丁を入れる。

包丁はアウトドア用の小型判。



ぶつ切りでもない肉厚切り。

タレはなにもつけずに一口に入れる。

これが美味いんだな。



サラダはFさんが家で作ってもってきたポテトジャガサラダ。

マヨネーズ和えしたキュウリに玉ねぎのスライスを加えて混ぜる。

ほどよい塩味加減でこれまた美味しい。

Fさんが家から持ってきた自家製料理はもう一つある。



塩もみしたキュウリにマヨネーズを落としたもの。

いやいやそれもあるが、玉子焼きである。

一部は影で見えないが、どれもこれも美味しくできている。



それほど広くもない簡易組立のアウトドアグッズのテーブルから毀れそうだ。

鉄板ならぬフライパンで焼いた鶏肉は油がジュージュー。

香ばしい香りが食欲をそそる。



手ごろな大きなにしていた焼き立て鶏肉は器に盛ってできあがり。

次もフライパン焼き・・。



フランクフルトではなくソーセージ。

炒めたらプリプリになる。

塩の利いたソーセージをパリパリいただく。

なんせ早くできあがるフライパン焼き・炒め。

手軽さがうけて長年使っている。

いつのころか忘れたが、フライパンは二つ。

カセットコンロも二つ。

もう一つのガスバーナーボンベは利用する機会がなくなった。

テーブルの上には料理ができるまでのちょい喰いのおつまみ。

酒のデイスカウント店であるやまやで買ってきたおつまみは2品。

揚げ物のやわらかソースカツにソフトイカの燻製。

我が家でも大評判のおつまみ。

一口食べたら止まらなくなるのが難点だ。

本格的な(いうほどでもないが)フライパン料理はここからだ。

Fさんがわざわざ小分けした豚バラ肉。

料理しやすいように80gの小分け。

これを10袋も用意したというからマメさがわかる。

ちゃちゃっと炒める豚バラ肉に塩、胡椒。

なんせFさん、タレはあまり使用しない。

醤油なんてものは持ってのほか、である。

行きしなに買ってきた生玉子。



これまでなら私が予め購入してきたが、今年からは事前購入はほぼ無し。

イオン五条で売っていた生玉子は税込み価格で213円。

我が家の家計ではあり得ない値段である。

曜日によって格安で売るスーパーは地元大和郡山に5店舗もある。

月曜、火曜、木曜、土曜、日曜に分かれているから冷蔵庫の玉子が少なくなったら出かけて買うようにしている。

いずれも100円未満。

最安値の78円売りのスーパーもある。

それだけに倍以上の正札で買うのがあほらしいのである。

ただ2倍価格であっても参加人数で割ればたいしたことのない額であるが・・。

と、いいつつできあがった豚肉玉子焼き。



これにお好み焼きソースにマヨネーズを落としたらとん平焼きじゃろが。

この日の昼飯にご飯は登場しない。

昼飯第一弾が出そろって料理人も一休み。

食べる方に専念。

ここ内原の地にある広場でゆっくり寛ぐ。

9月末ともなれば暑さはすっかり潜めて気持ちいい風が吹いている。

今年はたったの4人。

素早い調理をしてくれるFさんにまかせっきり。

少しはゆっくりと思うが、身体は再び稼働する。



次のフライパン料理は豚バラ肉にモヤシ炒め。

これもまた塩と胡椒だけの味付けだ。

ちゃちゃと炒めて次も。

今度はどんな料理が出てくるのだろう。



フライパンにで踊っているのは細かく切った豚バラ肉にタマネギだ。

Fさん持参のソースを絡めてできあがり。



ではなく、たっぷり敷いた玉子焼きに落とした。

見るからに美味そうなこれは・・。



薄焼き玉子をくるっとひっくり返したらオムレツになった。

玉子に下味をしているからケチャップは無用。

食が進む一品にありがとうだ。

到着してから食べる、食べる、食べ続け時間はおよそ2時間ほど。

ご互いの最近の動向について話し込む。

くったくのない話題に笑ったりー、である。



たおやかに流れる山間の風に目を覚ました。

そういえば気になっていた神社がすぐ近くにあると内原の住民から聞いていた。

この道を下っていけばすぐわかると云っていたことを思い出して歩いてみる。

距離はそれほどでもない。



わずか1分もかからない地に鳥居が・・。

目の前にある鳥居に扁額がかかっている。



氏神さんは矢高(やたか)神社。

目を凝らしてみてやっとわかった神社名であるが、平成28の9月10日に内原のハデ撮影に教えを乞うたNさんが揚げていた神社である。

鳥居を潜った地に鎮座していた矢高神社の社殿。

じっとここで佇んでいた

戻ってしばらくは語らい。

1時間も語っていたのは何だったんだろうか。

さっぱり思い出せないが、1時間もそうしていたのは4人とも心が弾んでいたからだろう。

頃合いを見計らって内原を出発して日帰り温泉の地を目指す。

例年そうしている癒しの場は初日と二日目を分けて利用している。

この年も民宿津川さんでもらった優待券を手にして目的地は遠方になる昴の郷の温泉。



そこは源泉かけ流しの宿と謳っているホテル昴にある温泉だ。

のんびり湯に浸かって疲れをとる。

入湯した時間帯は午後4時50分。

ほてった身体を休めるフロアのソファにもたれてうとうと。

してみたい気もするが、なぜか目はばっちり。



そのフロアの真上にみたことのなる松明がある。

「奉納 何某」とある松明はどのような経緯でこのホテル昴に持ち込まれたのだろうか。

松明はいわずと知れた東大寺二月堂で行われる修二会・登廊に練行衆の足元を照らすお松明祭具である。

松明に芳名がある。

ホテル昴の関係者なのか、それとも練行衆、或いは堂童子ら、いずれかの知り合いの者の手によって持ち込まれたのか・・・。

ホテル昴の温泉を出て民宿に戻ろうとしたが、どうも喉が渇いて仕方がない。



で、追加の発泡酒はいつ飲むんだ。

それはともかく宿に着いたのは午後6時50分。

いびき組の人は別部屋扱い。

3人と1人の切り分けをしてからやっと一息つく。



今夜の食事は鍋もあるがマグロの造りに塩焼き鮎。

蛸とキュウリの酢和えに煮物椀。

ゼンマイに鶏肉、ガンモ、コンニャク、イモ、ニンジン、椎茸の煮物椀が美味い。



野菜のかき揚げ天に何かを寄せている料理。

そして味噌で煮るシシ肉鍋。

奇麗なシシ肉に脂身が多い。



これが美味いんだな。

ささやかに始まった晩食に飲めや歌えや。

もとい飲めや食えやの語り合い。



ぐつぐつ煮てきた味噌仕立てのシシ肉鍋。

そこにどっさり野菜をぶちこむ。

アゲサンもあるし椎茸も。



これってほんまに美味しいから箸も口も進むくんになる。

この日の酒量は瓶ビールが何本。

実はいつもよりむちゃくちゃ少ないたったの4本だった。

どないなっとんのやといいたいところだが、実は缶チューハイをがぶがぶ飲んでいた。

喉越しがいいものだから次から次へと缶が空になる度に冷蔵庫に走る。

結局は底をついて10本停まり。



味はそれぞれだったのが功を奏して拍車がかかったようだ。

私たちの宴が終わるまではねーちゃんらは待機状態。

すまんであります。



結局、就寝時間は午後11時半。

何をぐだぐだ喋ってたんやろか。

すっかり記憶のない4人であった。

実は昼間も夜も自宅の電話を架けていた。

おふくろの容態が心配で酒どころではなかったのだが、安心してやという声につい甘んじていた。

ところで、前夜の天気予報の週間予報によれば・・・この日はカラカラの快晴。

ただ、気温は低い予報だった。

帰宅してから振り返ってみれば9月30日の最高温度は27度。

最低気温が12度だった。

明日の目覚めは、わっちゃーと声を上げたいくらいの寒さである。

10月1日の最高気温の予想は25度。

朝はこの日と同じく12度。

起床時は防寒具がいるかも・・・。

(H29. 9.30 SB932SH撮影)
(H29. 9.30 EOS40D撮影)

山城町平尾涌出宮の饗応の相撲

2018年12月19日 09時10分13秒 | もっと遠くへ(京都編)
拝殿入口辺りに掲示している「宮座行事の日程変更のお知らせ」を通知している人たちは涌出宮関係宮座衆一同。

涌出宮は京都府木津川市山城町平尾里屋敷に鎮座する涌出宮(わきでのみや)であるが、正式社名は和伎坐天乃夫岐売(わきにいますあめのふきめ)神社である。

涌出宮に関係する宮座は与力座、古川座、歩射(びしゃ)座(平成5年復帰)、尾崎座、大座(おおざ)、殿屋座(とのやざ)、岡之座、中村座の八座であるが、本日行事の饗応(アエ)の相撲については大座、殿屋座、岡之座、中村座(※平成22年より一時的に休止していたが復帰のようである)の四座によって行われる。

宮座によって行われる涌出宮の秋祭りは2行事。

本日の饗応(アエ)の相撲に百味の御食である。

それぞれ9月30日、10月17日に行われていた両行事は平成26年に特定日を移して休日に移行された。

饗応(アエ)の相撲は9月最後の日曜日、百味の御食は10月の第三日曜日である。

饗応(アエ)の相撲は午後に行われるが、その前に座中が揃って会食をされる座直会がある。

座中饗応の宴であるが、この饗応を“あえ”と呼び、座中の関係する子どもたちが相撲の所作をすることから行事名が「饗応(アエ)の相撲」としたのであろう。

ただ、相撲の所作に出てくる詞章はアーエーと伸ばしている。

略した線描きの土俵の場は北側と南側の2カ所に設営する。

北の土俵は大座に殿屋座。

南の土俵は平尾の岡之座、中村座の場である。

なお、雨天の場合は拝殿内で行われるそうだ。

行司役を務める座中は白抜きの下り藤の紋を染めた素襖を着用し烏帽子を被る。

足元は白鼻緒の草履を履いて身支度を整えた。

相撲取りの所作をする子どもたちは普段着に赤、白色の相撲廻しを締め、相撲の所作に用いる太刀(※柄は白色、鞘は朱色)をもっている。



まずは本社殿下に登って鈴祓いを受ける。

子どもたちは神妙な表情をみせていた。



境内に設えた二つの土俵を祓ってくださる宮司。

その場に登場するのは二人の行司役と二人の子ども力士。

右に白廻し、左に赤廻しを着用した子どもが並ぶ。

まずは土俵入りの饗応(アエ)所作。

太刀を上段に構えて「アーエー アーエー・・」を繰り返し発声しながら前進する。

その際、太刀を前方に向けて振り下ろす。

これを何度も繰り返して向こう側の土俵までゆく。



初めて体験する饗応(アエ)の相撲の所作に戸惑いをみせつつお互いが顔を見合わせる。

テレがあるのか笑みがこぼれる。

その作法を見ている観客は優しい眼差しを送って笑顔になる。

温かみのある観客の目線も感じながらも所作を繰り返して向こう側の土俵に着く。

土俵の廻りに観客。

少し間をとって囲んでいる観客は座の関係者に子供力士の親たち。

初めての出番に目を細めている。

車椅子利用の人たちも観客。

涌出宮すぐ近くにある入所施設で暮らしている人たちも愉しみにしていた饗応(アエ)の相撲である。



行司がもっていた扇を広げて、その上に置いた太刀。

刃のある方を向かい合わせにして太刀を置いた。



そうすると力士は行司のいわれるままに腕をあげる。

おいで、おいでをしそうな掌。

そのまま腕を上下に振りながら後ろ歩きで戻っていく。



そのときも同じく「アーエー アーエー・・」を繰り返し発声しながら戻っていく。

出発地点の向こう正面(南)に戻ったらまたもや前進。

そのときも、おいで、おいでをしそうに腕を上下に振りながら「アーエー アーエー・・」を繰り返す。

また、土俵に着いたら置いていた太刀をもって後ろ歩きで戻っていく。

その際の所作は太刀振り。

「アーエー アーエー・・」を繰り返し発声しながら戻っていくと、思いきやそうではなかった。

その地点からお互いは背中を向けて太刀振りの前進。



これまで見せていた土俵内ではなく土俵外周に沿って半円を描くように前進して出発地点に戻る。

これより始まるのが相撲の取り組み。

先ほどの作法は取組前の儀式、つまりは土俵入り作法ではないだろうか。

さて、相撲の取り組みである。

2本の筋を引いた仕切り線。

東西に分かれた子供力士がこれより勝負をする。

行司の手には軍配がある。

ただ、「ひがーしー」とかの呼び出しはない。

さぁ、見合って、見合って・・・とする前に、子供力士に伝える三番勝負である。

一番、二番はお互いが一つ勝って、一つ負け。

勝負は引き分けになったところの三番勝負はガチンコである。

行司の指示は先に君が。

次は君にと勝負を伝えてから、見合って、見合って、はっけよーいっ・・・のこった。

相撲の技は押し相撲。

相手の胸を押して土俵に押し出す。

先に負けを決めていた力士は力を入れることなく押し出された。

二番勝負の勝ち負けは逆になる。



要領が理解できた子どもはあっさりと勝負を決めた。

さて、ガチンコ対決の三番勝負である。

気合いを入れた両力士。

はっけよーいっ・・・のこったに力づくに押しまくる。

押して、引いて、廻して、のこった、のこった・・・。

最後は力いっぱいの「おしだしーー」で軍配がくだった。

本格的な勝負に場内の観客たちが打つ拍手は鳴りやまない。

次の取り組みは順番を待っていたもう1組の力士たち。



初めの二座にもう一組の二座。

それぞれに出番があるから選手交代、でなく力士は2番手の二人である。



先ほどと同じようにまずは所作をする。

太刀をもって「アーエー アーエー・・」を繰り返しながら前進し、北にある土俵正面まで。



扇を置いて太刀も置く。



手振りで南の向こう正面に戻る「アーエー アーエー・・」の所作。

再び正面に向かって「アーエー アーエー・・」。



太刀をもって土俵の外周を「アーエー アーエー・・」。

そして三番勝負。

同じように一番、二番は役割通りに勝負をする。



そしてガチンコ勝負の三番取り組みに拍手喝采。



母親は勝負決めの一瞬をとらえていただろうか。

北側の土俵で相撲取りをした力士たちは場を替える。

今度は南側に設えた土俵である。



北側の土俵と同じように向こう正面から始まる「アーエー アーエー・・」の所作。



太刀をもって半周回する。

さぁ、見合って、見合ってはっけよーいっ・・・のこった。



2度目の登場に力士の目線は気合いの入った勝負の眼。





所作、取り組みは次の子どもたちに入れ替わっても繰り返す「アーエー アーエー・・」にガチンコ勝負。



頼もしくも微笑ましい饗応(アエ)の相撲を終えたら宮司から金一封、ではなく涌出宮の御供を授与される。



また、それぞれの座中からはお礼の品も授与されて、饗応(アエ)の相撲の役目を終えた。



稔りの稲作は収穫の秋。

取り込みまでの座中はゆっくりしている。

饗応(アエ)の相撲は成長した座中の子どもの初舞台を拝見する秋の祭りの予祝行事である。



翌月は収穫を祝う百味の御食が控えている。

なお、饗応(アエ)の相撲の実施日が雨天の場合は拝殿内で行われるようだ。

その様子をアップしているブログもあれば、毎年来られる人とか、座の人と思われる人は直会食の様子をアップするなど賑わいをみせている。

(H29. 9.24 EOS40D撮影)

今日も・・・

2018年12月18日 09時32分49秒 | むびょうそくさい(おかん編)
その晩の用足しはどのようにして動いたのだろうか。

就寝前に約束した緊急呼び出し手段はホームテレフォンを活用だ。

子機をおふくろの寝床に置いて、あるボタンを押せば本体に警告ベルがなるようにした。

本体は私の寝室に設置しているから、ベルが鳴ればすぐにわかる。

操作ボタンの位置を確かめたおふくろは安心したかのように眠ったらしい。

実は起床してからわかったのだが、試供品で送られてきた足裏に貼る遠赤外線湿布のようなもの。

気持ちよくなってすぐに眠ってしまったと云っていた。

その効果は就寝してから数時間後の午前0時過ぎまで持続したが、尿意に負けたようだ。

なんとかしてトイレまで自力で行きたい。

そう思ってハイハイ姿で這いつくばってなんとかいけたそうだ。

往復ともそうしたらしい。

それから数時間後。

午前5時前に起きてハイハイ姿でトイレに行った。

少しだけ便が出たそうだが、戻りは難儀して灯りを消すこともできなくなった。

便座に座っていても痛い臀部は片方だけでなく、全体に広がったようだ。

29日の起床もなんとか起き上がれたものの定位置はソファか食卓テーブルの前の座布団席。

遠赤外線効果が残っているのは横になったソファで寝ることもある。

起床後のトイレは午前中に3度。

間に合わないときもあったが、仕方がない。

(H29. 9.29 記)

豹変は突然に

2018年12月17日 09時14分00秒 | むびょうそくさい(おかん編)
28日は朝5時のトイレから3時間半後の朝8時半。

突然というか、豹変というのか、両足をあげることさえままならない状態に陥った。

痛い部分は昨日の朝と同じ。

痛みが激しく立つこともできない状況に身体を支える介助は必須の状態に陥った。

何故に突然であるのか、本人は頭の中が混乱しているかのようだ。

錯乱とまでは行っていないから良いようなもんだが、これは辛そうだ。

つまりは両足に力が入らず、踏ん張れない。

脇に腕を添えて身体を支えるようにしなから持ち上げるが、そのときも痛いという。

ヘナヘナと座り込むも、それが痛いという。

どうにもこうにも、ニッチもサッチも・・。

もよおしもないから、トイレは行かない、というぐらいだ。

そんな状態であるが、食欲はある。

朝ご飯も昼ご飯も美味しいと云って食べている。

ところが一旦座った席から動けない。

脇に腕を添えて介助してみるが、それでも立ち上がれないという。

足に力が入らず踏ん張れない。

そうとなればハイハイで移動するしかない。

そうすると云ったおふくろはなんとかトイレに近づいた。

そこから立つのが難儀する。

トイレ扉の柱に手を添えて向こうにあるタオル掛けに。

手が届いても立つことさえままならない。

数センチ動いて、数センチ動く。

身体を回転するにも力が出せない。

身体の移動に難儀はしたが、なんとか便器に座れた。

座れた前には下着も下ろさなければならない。

苦痛な表情で動きをするおふくろの姿が辛い。

なんとか用を済ませて今度は戻り。

戻りはハイハイでなく脇を支える介助でして欲しいという願い。

その都度の状態によって願いが替わる。したしかないことであるが、ソファに倒れ込むように戻った。

それから時間は経過する。

そうだ、借用した車いすは屋外用であるが、室内でも構わないやないかと、思って試用してみる。

いきなりおふくろに乗ってくれても、操作する側が慣れてなければ、てんやわんやになりかねない。

ソファからトイレまでの行程に段差は2カ所。

ソファがある部屋はテレビもある洋室リビング。

そこから廊下に出る際の障害が敷居の段差。

廊下はすんなり行けるが、狭い廊下。

特にトイレがある場の廊下は直角に曲がる。

それも短い距離に2カ所も折れ曲がる構造。

珍しい家であるが、それで30云年間も暮らしてきた。

障がいが発生したときの考え方なんぞなかった30歳代のころの暮らしである。

無理かと思えばそうでもなかった。

狭いがなんとか切り返しで可能だ。

ただ、試乗してみれば注意すべき点が多々見つかった。

狭廊下を切り返しする場合に端っこをこする可能性が見つかった。

そこに足があれば、足指辺りを怪我してしまう。

支える両手が廊下にあたる場合も考えられる。

その都度、車いすの内側にしてもらわないといけない。

もう一つの支障は云わずと知れた段差である。

これについては車いすを少し傾けるという処置である。

段差を通る際に当たる車輪をぐっと持ち上げる。

或いはハンドルをぐっと押し下げて前輪を浮かす。

そうすることによって前輪、後輪を段差から切り抜ける。

いろいろ試乗してみればわかってきた。

こうした体験は大きい。

おふくろでなくともいずれは私もそうなるかもしれない。

そのときになっても介助できるようになっておれば安心なのだ。

そんな様子を見つめていたおふくろも安心するであろう。

そろそろ次のもよおし・・。

車いすに乗ってトイレに行きたいと言い出したおふくろ。

かーさんが運転操作する。

難なくできたというから大したものだ。

ソファからは移動する苦労はあるが、トイレまではなんの力も要らない車いす移動であるが、さすがにトイレとなると・・。

試乗練習のときよりも深く入ってタオル掛けに手をかけた。

あとは腰を上げて立つだけだ。

ハイハイのときよりも負担が少なくなっているのが功を奏したのか、なんとか身体を回転させてトイレに座った。

ようを足した小便の色は白色になったという。

その前は赤い色だったというから、何らかの炎症があったのかもしれないが、白色にほっとする。

あとは就寝してからの用足し。

リビング部屋は寝室でもある。

我が家にくる度にそうしている布団の移動である。

寝床から車いすに移る要件は就寝前にしておこうという具合で話し合いを済ませてから2時間後の午後7時。

ハイハイ姿で這いつくばって独りで動いたトイレ行き。

便器の前に立つのもすくっと立ったというからどうなってんのん、である。

痛み、足だるさに動きが芳しくないと思っていても、数時間も経てば状態は豹変する。

本人が云うには、迷惑はかけられない、なんとかして動きたいから足揚げもしたから動けると思ってそうしたという。

なんと元気なおふくろの声に嬉しさがこみ上げてくる。

そんなことがあった9月28日の夜はそこそこ更けてきた。

午後9時のことだ。

美味しい、美味しいと云って食事を済ませた9時。

突然のごとく動き出したおふくろはすくっとリビング部屋で立った。

トイレに行きたくなって、誰にいうでもなく立った。

立って動いた様子はヨレヨレであるが、午後の時間帯にみせたようすとは違う。

これを電話で伝える少しマシな状態であるかもしれない。

壁伝いに歩行もするが、まだまだな状態。

手すりをどこにつけたらいいのか、考える動きに右も左もしてみたいが、設置するには場所をとってしまう。

頑張ってはみたもののちょっとも出なかったと云って戻りはハイハイの這いつくばる動作は昼の状態よりかは早くなっていた。

映像は前日の27日に撮っていた団地の彼岸花だ。

(H29. 9.27 SB932SH撮影)
(H29. 9.28 記)

住之江・お好み焼きおばちゃんの博多焼きにねぎキムチお好み焼き

2018年12月16日 10時44分22秒 | あれこれテイクアウト
美味しい味の博多焼きに釣られてまた来ましたよ、と伝えたら喜んでくれた「お好み焼きおばちゃん」のおばちゃん。



雨がふりだしてきたので庇を伸ばしている最中だった。

今回もどれにしようかな、である。

イカのお好み焼きも試してみたいが・・・。

表の看板にデカデカと書いてあった「ねぎ」・「キムチ」の表示に目が突撃する。

今すぐ作るけど待ってもらっていいですか、の問いに、当然ながら、待っていますっである。

シトシト小雨に待つ社内。

できあがりそうになったころを見計らった窓口に移動する。

注文してから5分もかからなかった。

いつものように透明なパック容器に盛ってもらったねぎキムチお好み焼きはここで食べるわけにはいかない。

数分走った最寄りの駐車場に車を停めて食べた。

ゆっくり落ち着いて食べたいと思ったおばちゃん特製の出来具合。



振りかけたカツオ節ができたてのお好みの上で踊っている。

見た目も感動するが、それ以上に美味しかった。

箸で摘まんで小口分け。

トロトロのお好み焼きは粉っぽさがない。

お口周りいっぱいに広がる香りが堪らない。

ぽいっと放り込んだらお好みの中からジュワっと現れたキムチ。

どっちも主張する味であるが、お互いが補完しているようにも思えた。

これって美味すぎるぜ、なんてことも何度口ばしったことか。

ねぎの味は特に主張もしないのであるが、ときおり口の中で感じる。

それが魅力的なねぎ。

これ以上、量が多過ぎたら、そりゃあかんやろ、と思えるくらいの微妙な量に比べてキムチは圧倒的な量で攻めてくる。

白菜のシャキシャキ感に唸る。

酸っぱさのキムチは甘さソースにマヨネーズ味と絡んで、こりゃまいったな、である。

一枚上手が毎回よばれている博多焼き。

お好み焼きと比べるわけにはいかない、

独特の出棺に味わい深い魅了に本日も堪能した。

(H29. 9.27 SB932SH撮影)

要介護認定が決まったら地域包括支援センターに相談

2018年12月15日 07時11分23秒 | むびょうそくさい(おかん編)
12日後に再発した痛みを伴う症状は我慢に我慢を重ねて黙っておこうとしていた。

毎度、世話になるから気い遣うということだったが、それから3日後の9月27日に電話が鳴った。

朝7時半にかかってきた電話は良くないことと思いつつ受話器をあげた。

まさにその通りであった痛みの再発症。

8月7日に起こった自力歩行が困難になったときより、もっと痛みが激しく立つこともできない状況であると伝えてきた。

そのことを我が家に伝える前に電話をかけていた。

いとこのねーちゃんである。

以前、話していたえー医者を思い出して、そこに行って治療を受けてみたいと思った。

すがる気持ちは行ったことのない他院である。

その医院で治療を受けたのは娘家だった。

連絡してそっちに伝えるように指示しているから、待っているという。

その娘から電話がかかった。

私から云えば姪っ子である。

詳しく聞けば、腰痛になったのは旦那さん。

ビジネス街で働いている。

治療は会社帰りにしたいと思って探して医院は接骨鍼灸院。

腰痛は毎週、毎週通ってほぼ治ったようだが、今でも通院しているというから完全に治ったわけではない。

しかも、鍼灸院。

病理医学のどこまで信用するかは別として、おふくろの容態では逆に壊してしまいかねない。

ましてや、MRI検査設備なんてものの一切がない。

若い人たちの治療はそれでもかまわないと思うが、91歳の高齢者にする治療ではない。

「揉み」で治るならとっくにしている。

そう思って、本人の理解を得た上で、断念させた。

すがる気持ちはよくわかる症状に介護認定申請における主治医になっていただいた須見整形外科医院治療を選択した。

と、いうのもこの日の朝に読んだ新聞記事である、

産経新聞の朝刊に腰痛治療について解説していた記事が奈良版に載っていた。

「近大・森本教授の痛み学入門講座」である。

初回になるのかわからないが、連載シリーズになりそうな雰囲気のテーマが腰痛。

80%近くの日本人が経験し悩まされている腰痛のことである。

ある患者さんの話しから始まる文に引き込まれて読んだ。

3年ほど前から悩みの症状は「腰から下肢が痛くて屈めない、寝返りもできない」症状に騙し騙し服用し続けた鎮痛剤であるが、ある日の仕事中に激痛が走った。

MRI検査の結果は3カ所の腰椎椎間板ヘルニアが見つかった。

診断の結果、処置された方法は腰部硬膜外ブロック(腰部に薬を入れるブロック注射)。

神経痛が適応となるプレガバリン薬を処方された結果、痛みは軽減された。

今後は経過を診ながら神経根(脊髄神経の根元部分)に局所麻酔薬などを注入する神経根ブロックなどを行う予定だと書いてあった。

おふくろの病名はあってないような骨粗鬆症。

骨の間に疼く神経治療の決め手はあるのか・・。

思い出したのが8月17日の治療である。

須見整形外科の医師は治療にブロック注射を勧めたが、おふくろは怖がって断ったのである。

そういうわけで騙し騙しのロキソニン服用。

12日間は何事も起こらないようになったから、本人は治ったと喜んでいた。

私から云えば、そうじゃなく、一時的に回復しただけであって、治ったわけではない。

そのことを何度も話しをするが、受け入れることはなかった。

なんで、こんなことになったんやろと後悔の言葉ばかり、である。

それが痛みもなくなり自力歩行ができるようになれば治って解放されたと思うのは当たり前かもしれないが、いつかは再発するであろうと判断していたら、そうなったまでだ。

それはともかく新聞記事を読んで、これしかない、と思って大急ぎで大阪の住之江に出かける。

住まいに居たおふくろの姿を見て、この状態では階段降りは無理かもしれないと思ったぐらいの容態だった。

階段手すりに手で掴んでいけばなんとか降りられると云うので、手すりがない階段踊り場だけを介助して降りた。

そこから車に乗るまでの距離もなんとか介助で歩けた。

そして出かけた須見整形外科医院。

いつものように駐車場に停めた。

着いた時間は午前11時40分。

おふくろの住まいに着いてから40分も経過していた。

近くであるのに、それほど時間がかかった動きは実に遅い。

ここから数メートルもない玄関口までも時間がかかる介助歩き。

歩きといっても本人は歩いているようなものではない容態である。

先に受付を済ましたかーさんと二人で介助しながらようやく院内に入った。

時間は進むが動きは遅々として進まない容態に本人も辛かろう。

待つこと20数分。ようやくお声がかかって診察室。

医師が云った。

「今日は何して欲しいのですか・・・」である。

へっ、である。

いきなり何して欲しいから始まる問診は問診ではない。

この日に届いていたことを確認していた介護認定結果決定通知書。

認定は要支援2。

そのことを伝えてあれから良くはなったが、再び痛みを発症して自力歩行も困難になったから、前回の処置では断ったドロップ注射をして欲しいと申告した。

そうであれば、3診へ、というだけだ。

医師は老人病でもある骨粗鬆の進展具合も診ずに注射を打つ。

腰から臀部の間の左側に4本も打ったようだ。

針が入ったときはチクッとしたが、なんともなかったというおふくろ。

支払いを済ませて医院を出たのは午後12時50分。

お腹が減ったというおふくろとかーさんは車に持ち込んでいたクロワッサンを食べていた。

私は、ここへ来たら「お好み焼きのおばちゃん」ちだ。

介護認定の決定通知が届けば行きたい施設がある。

その通知書には指定地域を受け持つ地域包括支援センターを明示していた。

カーナビゲーションに番地をセットして走る。

住之江区の地域包括支援センターは4施設。

おふくろが住まいする地元住民のセンターは安立・敷津浦地域包括支援センター。

老人ホームなど介護施設にある併設施設である。

着いた時間は午後1時。

介護認定の調査に来られた大和郡山市の介護福祉課の職員さんが話していたように事情と本日届いた通知を伝える。

理解が早い職員さんは初めて体験する私たちにさまざまなことを教えてくださる。

本日、整形外科のブロック注射治療もしたことを伝えたら、介護支援の部になるかもしれないというのだ。

状況に変化が認められる場合は、直ちに再調査することも可能である。

ただ、それには再申請の手続きが要る。

今回訪れたのは今後のための相談であるから、これは念頭に入れておく。

はじまりの発症から台風の非の整形外科に救急医院

そして循環器内科の検査に再びの救急病院の検査などを経て介護認定申請へと繋がる状況を説明する。

住まいする住居の構造も伝える。

私どもが相談する内容はどういうサービスが受けられるか、である。

ケアサービスはケアマネジャーが決まってからになるが、かいつまんで話しをしてくださる地域包括支援センターのB。

珍しい漢字の姓に関東出身ですか、と思わず尋ねる始末。

いつもの民俗調査のサガがでてしまう。

ケアサービスは週2回。

1回辺りの時間は1時間コースと45分コースがあるようだ。

サービス時間は越えてはならない。

そういう約束事があるというから労働基準監督局の検査もあるようだ。

月初めより一カ月単位のサービスプランはサービスメニューより選択するが、今は必要と思わなくても想定できるサービスは組み込んでおくことが望ましい。

というのも契約事項にならない突然の要求のサービスは受け入れられないのである。

つまりはプランに決めていない事項はサービスができないということ。

ケアマネジャーがケアを受ける人と相談の上で決めたプラン通りの契約事項を厳守するということになるのだ。

1時間、或いは45分の時間枠内に済ますサービスに買い物もあるが、遠くにあるスーパーでは往復の時間に差がでる。

スーパーであるならサンディかサンコーですね、というBさん。

地域のことをよくご存じである。

1時間という枠はすぐに消化してしまう。

手間のかかる料理は難しいという。

インスタント料理であれば可能だと思うが、これまでの竹院にもよるが、一般的に難しい範疇のようだ。

さて、入浴である。

市営住宅の浴槽は深い。

障碍者にとっては、深いゆえ浴槽に入るのが難点である。

おふくろはお湯張りを水面いっぱいにして、洗い場に座っても手が届くようにしていると話したら、とても驚いておられた。

入浴は無理だとしてもその方法に感心されていた。

その入浴もケアサービスメニューにある。

つまりは入浴の介助であるが、浸かるとこまでは、どうなのか・・。

むしろ望ましいのが通所に来て入浴してもらうことである。

自宅まで介助の人に来てもらって移動車に乗って通所に迎える。

ただ、知らない人と一緒になるのがどうも馴染めない。

近所付き合いしている知り合いでもおられたら、と云われて本人確認したが、やはり答えはイヤである。

サービスはお風呂の掃除もあれば部屋の掃除もある。

しかし、クーラーとかの機械の掃除は無いように思える。

まあ、なんでもたいがいのことはしてもらえるようだと思って思わず安心する。

心配なことがあれば、電話一本かけてもらえば、応じられる、応じられないを先に判断せずになんでも相談してくださいと云われてほっとしたのはかーさんだ。

Bさんはさらに話してくださる市営住宅の移転申請である。

移転先は同地区内の市営住宅地に限るが、現状の4階であれば、介助、介護の人も難儀する。

1階に移ることも可能だと教えてくださる。

その手続きは後日になるが、申請先は市営住宅の管轄である大阪阿倍野の住宅管理事務所になる。

申請してすぐさま入居とはならない空き部屋状況。

希望する棟にならない可能性は高い。

移ることは必須要件であるが、住み慣れた部屋から離れたくないというわがままができない容態。

わたしら家族も難儀する4階の上り下りを避けて1階に移っても良いと決断するのはおふくろ。

強制ではなく、本人がそうして欲しい思いになるように相談をもちかけるしかない。

よくある話しのようだが、息子が、家族が勝手にそうしよったんやと後々のトラブルもままあるらしい。

ま、とにかく空き家は半年後、一年後になることも考えられるが、早めに申請しておきたい。

我が家に連れて帰る道中で話すおふくろ。

隣の棟では2階は空いているが、1階はない、というから移転の実現は難しい。

介護のための住まいの改造は限度額が20万円を上限に補償されている。

その補償は1階に移ってもサービスを受けられる。

万が一の場合の緊急通報システム事業も説明してくださった。

寝たきりでなくとも緊急を要する状態になれば呼び鈴を押して救急車に来てもらう呼び出しシステムに二人の協力者を設定しなければならない。

家族でも構わないが、居住地近くに住む親しい人が望ましい。

棟長はその役目ではない。

自治会で決めた棟長は介護関係者でもない。

こういう場合は地区の民生委員になる。

乞う場合はセンターも支援してくださるようだが・・。

また、介護の道具もいろいろ。

補助杖、補助いす、車いすにベッドもさまざま。

昔は、買い取りであったが、現在はレンタルが主。

そのことについてははじめに相談した区役所の介護福祉課職員がそう云っていた。

この日にドロップ注射をしてもらった整形外科医院には車いすがない。

救急の友愛会病院はあったが、この医院にはない。

短い距離であったが難儀した。

車椅子があれば楽々だった、と思ったとBさんに話しをしたら、当施設の車いすをお貸しします、という。

期限は療養される息子さんの家から住之江に戻ってくるときで構わないという。

こんなありがたいことはない。

行くことはないと思うが、買い物に着いていきたいと言いだしたときのおふくろ介助に助かる。

手続きはセンターのノートに記入するだけで持ち帰り。

軽バンの荷物部にぴったし入った。

こうしてようやく我が家に再びやってきたおふくろの療養介助。

目が届くので安心。

今夜はいろんな話をして安心したおふくろは落ち着いていた。

身体の容態も整形外科に出かけたときよりもぐんと楽そうに見える。

本人もそう思える身体状況は、前回同様に壁を手で支える伝い歩きで難なくトイレにも行けた。

翌朝の5時に目が覚めてトイレに行ったときもそういう状態で難なく独りで行けたという。

それが、である・・まさかの展開は2日後に起こる。

(H29. 9.27 SB932SH撮影)

2本の貰い物フイルムレンズで延命

2018年12月14日 10時03分36秒 | しゃしん
レンズかカメラかどちらであるのか、具合が悪くなったフイルムカメラはキャノンのEOS-3

もちろん中古品で購入した本体。

使い始めは平成21年の11月7日。

初めての被写体は五條市大塔町惣谷で行なわれた山の神参り。

その日以来、ずっと愛用し続けたカメラがおかしい。

笑っちゃうほどおかしい。

何がおかしいかと云えば、ピントが定まらず空回り。

広角側がおかしいとわかって、騙し騙しで使用し続けたが、シャッターを押したとたんにエラーが出る始末。

事象が出だしたのは今年の正月明け。

平成29年1月7日に訪れた大阪能勢町のキツネガエリだった。

晴天にこれは撮りどきと思っていたが、シャッターが押せたのは10数コマ。

なんとかフイルム記録ができた。

その後もおかしいから一行事でモノにできたのはほんの数コマ。

4月23日の天理市福住のおつきよか、奈良市米谷町の水口まつり、宇陀市榛原山辺三の青空に泳ぐコイノボリ、天理市勾田町の水口まつりに天理市中ノ庄町の水口まつりが最後だった。

原因はカメラかレンズのいずれか。

試しに5千円で譲ってもらったEOS-3にレンズを入れ替えても同事象。

これはもうレンズしかないと思っていた。

レンズはタムロン社製のAF28-300XRDI f/3.5-6.3(発売当時の希望小売価格は66,000円)。

これは新品購入。

使い始めは平成17年8月4日。

下市町下市に鎮座する八幡神社の末社になる杉箸神社で行われた箸まつりである。

使用年数は12年間。

十二支一回りである。

レンズグリップは伸びてしまって今にも外れそうな具合である。

たぶんレンズの焦点合わせができなくなってしまったと考えた。

ネットの中古品を漁ってみればあるある。

最低価格が15,800円。

買えない価格帯ではないが、もしかしたらお持ちではと思って写真家Kさんに相談したら、家の蔵を探してくれた。

蔵から出てきたレンズは埃がまったくないほぼ新古品。

デジタル全盛の時代にもう使わないから、貰ってやってくださいの言葉に飛びついた。

ありがたいが、使えるのかどうか・・。

譲ってもらっていたEOS-3に装填する。

シャッターを押す。

快感の連続音に酔いしれる。

この日貰ったレンズは2本。

一本は58径のEF75-300mm f/4.0-5.6 ULTRASONIC。

もう一本は58径のEF28-80mm f/3.5-5.6 ULTRASONICだ。

しかも、両方ともハクバのUVフイルター付きでくださった。

翌日の25日に装填したカメラは元気な音を立てていた。

おかしな事象はカメラでなくレンズであった。

2台になったカメラを被写体によって使い分けよう。

ただ、そうなると重宝しているカメラッボックスには入らない。

もう1個どこかに落ちていないかな。

(H29. 9.25 SB932SH撮影)

12日後に再発症した痛み

2018年12月13日 10時00分08秒 | むびょうそくさい(おかん編)
9月21日は歯医者で治療、というよりも嵌め歯の再調整型どり。

これで気持ちよく食事ができると喜んでいたおふくろ。

それから3日後の24日の朝に電話を架けた。

おふくろからではなく、歯医者通いの次の通院日の日程変更である。

4日を承諾したのは私であったが、都合がわるいとわかっての日程変更に歯医者へ電話をしてもらうつもりで架けたのだ。

21日に出かけた歯医者では診察券も保険証も忘れていた。

尤も診察券は歯医者さん側で保管していたことには驚いたものだが・・。

今度はちゃんと整えて出かけるように念押しをした。

また、介護認定を申請している大阪市の認定事務センター(介護保険)センターから、そろそろ認定結果が下されるだから、郵便ポストを意識しておくようにと伝えた。

21日の現状であれば、4階から階段を降りて難なく郵便ポストまで行けるはずだと思っていたから、そう伝えたが、あんまり無理しないように、とだけは念押ししていた。

ところがだ。

その件については無理だと返事をする。

どうして、と聞けば、昨日、一昨日の22日、23日の二日間は腰が折れそうに曲がる痛みでどうにもならん状態だった、という。

痛みがある箇所は腰から下のお尻の間になるらしい。

痛みがある箇所は湿布もした。

痛み止めのロキソニンも一日3回の服用をしたら、少しはマシになって今は立てるようになって、今朝に作った朝ごはんを食べたばかりだと、という。

なんてこった、だ。

おふくろが云うには21日にバラ寿司を作ったその夜、就寝するころに痛くなってきたという。

痛みの再発は9月の10日以来の出来事。

何で電話をしなかったのか、と怒鳴りはせんだが、気持ちは何度も何度も世話をかけては申しわけないと思って辛抱していたという。

マシになったからいいようなものだから、状態が変化すればすぐさま電話してや、と云っておいた。

それから3日後の9月27日の朝7時半・・・・。

この先に何が待っているのか・・・。


写真は本日24日に立ち寄っていた木津川市山城町平尾涌出宮に掲示していた宮座行事の百味の御食の解説シート。

10月の第三日曜日に行っているようだが、今年は家の事情もあるから来れんだろうな。

そうであるが、中谷宮司が伝えてくれた百味の御食は興味ある。

話してくれた行事の概要だけでもメモっておく。

村々の宮座が採れたての野菜をもってくる。

朝8時に集合する座中が持ち寄る野菜であるが、調達先は在所の農家さんが栽培したものらしい。

秋の祭りは蟹満寺横に鎮座する綺原(かんばら)神社から神輿が出発する。

今年は10月14日の土曜日。

雨天の場合は翌日の15日になるという。

午前10時前にお祓いをしてもらった神輿に子どもが7、8人も登るらしい。

村巡行の距離はままあるらしく、神輿は台車に載せて曳行する。

在所に着いたら「わっしょい わっしょい」の掛け声に神輿を持ち上げるようだ。

(H29. 9.24 SB932SH撮影)

東鳴川町春日神社行事の民俗探訪2

2018年12月12日 09時53分48秒 | 楽しみにしておこうっと
先週に伺った柳生の地。

住まいするI宮司が話してくれた奈良市東鳴川町の神社行事がある。

宵宮の夜八時。ゴボウ、ニンジン、ダイコン、コンブ、シイタケの五菜の生神饌を一括りにして供える。

それらは御供箱に入れられる。

他にコンニャク、ホウレンソウの箱もある。

稲は早稲、中稲、おくもを一老、二老が一人ずつ本殿に乗せる。

半紙にシトギ。それは大きなもの。

トーヤがすり鉢でコメを摺る。

かつては生きたコイも供えていた。

トコロの根はコンブに代わった。

藁にギンナン、カヤの実、タチバナ(コウジミカン)に生サバと吊しカキが並ぶらしい。

話しを聞いてから7年も経ってしまったが、良き機会に取材をさせていただくべく東鳴川町を訪ねる。

神社もお寺もはっきりと認識している場所は平成22年の3月19日の映像である。

村の人が見当たらなくて途方に暮れた。

時間も夜が迫る。

諦めて帰路についたことを覚えているが、今度こそ村の長に会って取材許可を得ておきたい。

そう、思って7年ぶりに再訪した東鳴川町。

目的地の神社やお寺がある地は急な坂道を登ったところにあるが、停める場はなかった。

仕方なく狭い道でハンドル切り回し。

県道に下りて不空羂索観音坐像を見学される方のために作られた駐車場に置かせてもらう。

そこからは歩きの山道登り。

車でも相当な角度の道に足はどんより。

なんとか登り切って神社に向かう。



この道で良かったのだとあらためて認識したが、辺りには人影が見られない。

民家が建つところまで歩く。

屋内から人の声が聞こえたから、大声をあげてみた。

何事かと思ったようなお顔でお会いした人に聞けば、3年任期の村神主家を教えてもらい、さらに登っていく村の道。

歩きは心臓病いのリハビリにもなる。

そう思って足を踏みしめて登り下り。

ようやく見つかった村神主家。

声をかけたら出てこられた奥さんに取材主旨を伝える。

それなら、と電話で呼び出したご主人が戻ってこられた。

同じように取材主旨を伝えて行事の在り方をお聞きする。

宵宮に出されるゴサイ(五菜)はニンジン、ダイコン、ゴボウ、シイタケ・・と話されるご主人は座の一老。

宮総代でもある。

一老、二老、三老の長老が3人。

一老は特に忙しく、毎月の清掃が欠かせない。

つい先日の台風余波の強風が吹き荒れて、せっかく清掃した神社境内、階段には折れた枝に葉っぱが散乱した。

普段でも半日かかる作業であるが、今回はまる二日間もかかったそうだ。

神社の年中行事は8回ある。

1月1日は正月座。

12月10日は亥の子座。

その行事のときに役目の入れ替わり。

生のカマスに生ダイコンを半紙に乗せて座中に配膳する。

配膳するのは座中の若い人が役目する。

カマスもダイコンも小さく切ったもの。

かつては座のときに酒の肴に食べていたようだが、半紙に包んで持ち帰るものでもある。

持ち帰ったカマスにダイコンは家で調理をされて食す。

お下がりであるから持ち帰ってもらうように要請するが、今では持ち帰る人が少なくなったという。

生活文化の在り方の変化がここ東部山間にもみられる時代。

20、30年前は和装で座に参列していたが、現在は正装姿にしているそうだ。

座中に入れる年代が決まっている。

数えか満年齢か聞き損ねたが15歳になった長男だけが資格持ち。

直径家族の代継ぎは長男と決まっているが、男児がいなくて婿入りする場合もある。

それも長女が対象になる婿入りが村入り。

それから座入りを認められて座中が務める行事に参列できるのである。

座入りは座中の儀式である。

上座に座る一老こと宮総代が口上を述べて、座中一同の賛同を得なければならない。

逆に嫁入りがあった場合はお嫁さんを披露する「嫁ひろめ」と呼ぶ振る舞い行事がある。

嫁入りがある家は村人を招いてご馳走をふるまう儀式でもある。

行事はその他に2月11日の祈年祭もあれば11月の新嘗祭もある。

これらはマツリも含めて柳生下町在住のI宮司が祭祀をされる。

行事の一つに風ノ祈祷があったが、日曜日の8月20日にされた。

マツリもそうだが、ほとんどが土曜、日曜の祝祭日に移った。

移したものの日曜日は家の都合も重なることが多く、参加もできない逆の事情になっているという。

座中は23人。

長男であっても仕事先の関係で転勤せざるを得ない。

遠く離れた地に住まざるを得ない。

マツリは戻ってくる人も多いようだが、おおよそ半分になっているようだ。

そういった事情もあるが、前述したゴサイ(五菜)や神饌御供を調達、調理、調整をするのは年番のトーヤ(当家)である。

トーヤには次の年にその次のトーヤを務める予定の人も加わって、3人が務める。

シラモチ作りに提灯架けもあるマツリの日は粳米で作るモッソもある。

モッソは四角い桝に蒸しご飯を詰める。

そのモッソは2段重ね。

それを四つも作る。

ゴサイ(五菜)も四つ作るというから、たいへん手間のかかる作業である。

これらの作業は神社横に建つ仮屋で行われる。

東鳴川町のマツリに特徴がある。

マツリのどの時点で行われるのか、現実に拝見しなければわからないご神木へのお神酒を供えである。

あの向こうに見える山の尾根。

雑木林が並ぶところのある一点に空間がある。

その間に立っているのがご神木になるという。

山道を歩いてどれぐらいかかるのかわからないが、まま遠い地である。

こういった行事話しを聞けば是非とも拝見したいとお願いすれば、農小屋に準備中の御供を見せてくださる。

刈り取ったばかりの稲の穂は三種類。

早稲、中稲、晩稲の稲穂である。

これらは本社殿の屋根の庇に挿して供えるという。

県内事例にあるショウブとヨモギを供える節句行事がある。

その話しを聞いて思い出した地域は宇陀市大宇陀の野依である。

毎年の5月5日に行われる「節句のオンダ」に登場する。

その三種の稲穂を準備していたのは一老であるが、供えるのはトーヤのようである。

さまざまな在り方を話してくださった東鳴川の神社行事の取材許可。

ありがたく受けて、10月初旬に伺うことにした。

宵宮にマツリは、準備作業も含めて記録させていただくことになるだろう。

(H29. 9.24 SB932SH撮影)