12日後に再発した痛みを伴う症状は我慢に我慢を重ねて黙っておこうとしていた。
毎度、世話になるから気い遣うということだったが、それから3日後の9月27日に電話が鳴った。
朝7時半にかかってきた電話は良くないことと思いつつ受話器をあげた。
まさにその通りであった痛みの再発症。
8月7日に起こった自力歩行が困難になったときより、もっと痛みが激しく立つこともできない状況であると伝えてきた。
そのことを我が家に伝える前に電話をかけていた。
いとこのねーちゃんである。
以前、話していたえー医者を思い出して、そこに行って治療を受けてみたいと思った。
すがる気持ちは行ったことのない他院である。
その医院で治療を受けたのは娘家だった。
連絡してそっちに伝えるように指示しているから、待っているという。
その娘から電話がかかった。
私から云えば姪っ子である。
詳しく聞けば、腰痛になったのは旦那さん。
ビジネス街で働いている。
治療は会社帰りにしたいと思って探して医院は接骨鍼灸院。
腰痛は毎週、毎週通ってほぼ治ったようだが、今でも通院しているというから完全に治ったわけではない。
しかも、鍼灸院。
病理医学のどこまで信用するかは別として、おふくろの容態では逆に壊してしまいかねない。
ましてや、MRI検査設備なんてものの一切がない。
若い人たちの治療はそれでもかまわないと思うが、91歳の高齢者にする治療ではない。
「揉み」で治るならとっくにしている。
そう思って、本人の理解を得た上で、断念させた。
すがる気持ちはよくわかる症状に介護認定申請における主治医になっていただいた須見整形外科医院治療を選択した。
と、いうのもこの日の朝に読んだ新聞記事である、
産経新聞の朝刊に腰痛治療について解説していた記事が奈良版に載っていた。
「近大・森本教授の痛み学入門講座」である。
初回になるのかわからないが、連載シリーズになりそうな雰囲気のテーマが腰痛。
80%近くの日本人が経験し悩まされている腰痛のことである。
ある患者さんの話しから始まる文に引き込まれて読んだ。
3年ほど前から悩みの症状は「腰から下肢が痛くて屈めない、寝返りもできない」症状に騙し騙し服用し続けた鎮痛剤であるが、ある日の仕事中に激痛が走った。
MRI検査の結果は3カ所の腰椎椎間板ヘルニアが見つかった。
診断の結果、処置された方法は腰部硬膜外ブロック(腰部に薬を入れるブロック注射)。
神経痛が適応となるプレガバリン薬を処方された結果、痛みは軽減された。
今後は経過を診ながら神経根(脊髄神経の根元部分)に局所麻酔薬などを注入する神経根ブロックなどを行う予定だと書いてあった。
おふくろの病名はあってないような骨粗鬆症。
骨の間に疼く神経治療の決め手はあるのか・・。
思い出したのが8月17日の治療である。
須見整形外科の医師は治療にブロック注射を勧めたが、おふくろは怖がって断ったのである。
そういうわけで騙し騙しのロキソニン服用。
12日間は何事も起こらないようになったから、本人は治ったと喜んでいた。
私から云えば、そうじゃなく、一時的に回復しただけであって、治ったわけではない。
そのことを何度も話しをするが、受け入れることはなかった。
なんで、こんなことになったんやろと後悔の言葉ばかり、である。
それが痛みもなくなり自力歩行ができるようになれば治って解放されたと思うのは当たり前かもしれないが、いつかは再発するであろうと判断していたら、そうなったまでだ。
それはともかく新聞記事を読んで、これしかない、と思って大急ぎで大阪の住之江に出かける。
住まいに居たおふくろの姿を見て、この状態では階段降りは無理かもしれないと思ったぐらいの容態だった。
階段手すりに手で掴んでいけばなんとか降りられると云うので、手すりがない階段踊り場だけを介助して降りた。
そこから車に乗るまでの距離もなんとか介助で歩けた。
そして出かけた須見整形外科医院。
いつものように駐車場に停めた。
着いた時間は午前11時40分。
おふくろの住まいに着いてから40分も経過していた。
近くであるのに、それほど時間がかかった動きは実に遅い。
ここから数メートルもない玄関口までも時間がかかる介助歩き。
歩きといっても本人は歩いているようなものではない容態である。
先に受付を済ましたかーさんと二人で介助しながらようやく院内に入った。
時間は進むが動きは遅々として進まない容態に本人も辛かろう。
待つこと20数分。ようやくお声がかかって診察室。
医師が云った。
「今日は何して欲しいのですか・・・」である。
へっ、である。
いきなり何して欲しいから始まる問診は問診ではない。
この日に届いていたことを確認していた介護認定結果決定通知書。
認定は要支援2。
そのことを伝えてあれから良くはなったが、再び痛みを発症して自力歩行も困難になったから、前回の処置では断ったドロップ注射をして欲しいと申告した。
そうであれば、3診へ、というだけだ。
医師は老人病でもある骨粗鬆の進展具合も診ずに注射を打つ。
腰から臀部の間の左側に4本も打ったようだ。
針が入ったときはチクッとしたが、なんともなかったというおふくろ。
支払いを済ませて医院を出たのは午後12時50分。
お腹が減ったというおふくろとかーさんは車に持ち込んでいたクロワッサンを食べていた。
私は、ここへ来たら「お好み焼きのおばちゃん」ちだ。
介護認定の決定通知が届けば行きたい施設がある。
その通知書には指定地域を受け持つ地域包括支援センターを明示していた。
カーナビゲーションに番地をセットして走る。
住之江区の地域包括支援センターは4施設。
おふくろが住まいする地元住民のセンターは安立・敷津浦地域包括支援センター。
老人ホームなど介護施設にある併設施設である。
着いた時間は午後1時。
介護認定の調査に来られた大和郡山市の介護福祉課の職員さんが話していたように事情と本日届いた通知を伝える。
理解が早い職員さんは初めて体験する私たちにさまざまなことを教えてくださる。
本日、整形外科のブロック注射治療もしたことを伝えたら、介護支援の部になるかもしれないというのだ。
状況に変化が認められる場合は、直ちに再調査することも可能である。
ただ、それには再申請の手続きが要る。
今回訪れたのは今後のための相談であるから、これは念頭に入れておく。
はじまりの発症から
台風の非の整形外科に救急医院。
そして循環器内科の検査に再びの救急病院の検査などを経て介護認定申請へと繋がる状況を説明する。
住まいする住居の構造も伝える。
私どもが相談する内容はどういうサービスが受けられるか、である。
ケアサービスはケアマネジャーが決まってからになるが、かいつまんで話しをしてくださる地域包括支援センターのB。
珍しい漢字の姓に関東出身ですか、と思わず尋ねる始末。
いつもの民俗調査のサガがでてしまう。
ケアサービスは週2回。
1回辺りの時間は1時間コースと45分コースがあるようだ。
サービス時間は越えてはならない。
そういう約束事があるというから労働基準監督局の検査もあるようだ。
月初めより一カ月単位のサービスプランはサービスメニューより選択するが、今は必要と思わなくても想定できるサービスは組み込んでおくことが望ましい。
というのも契約事項にならない突然の要求のサービスは受け入れられないのである。
つまりはプランに決めていない事項はサービスができないということ。
ケアマネジャーがケアを受ける人と相談の上で決めたプラン通りの契約事項を厳守するということになるのだ。
1時間、或いは45分の時間枠内に済ますサービスに買い物もあるが、遠くにあるスーパーでは往復の時間に差がでる。
スーパーであるならサンディかサンコーですね、というBさん。
地域のことをよくご存じである。
1時間という枠はすぐに消化してしまう。
手間のかかる料理は難しいという。
インスタント料理であれば可能だと思うが、これまでの竹院にもよるが、一般的に難しい範疇のようだ。
さて、入浴である。
市営住宅の浴槽は深い。
障碍者にとっては、深いゆえ浴槽に入るのが難点である。
おふくろはお湯張りを水面いっぱいにして、洗い場に座っても手が届くようにしていると話したら、とても驚いておられた。
入浴は無理だとしてもその方法に感心されていた。
その入浴もケアサービスメニューにある。
つまりは入浴の介助であるが、浸かるとこまでは、どうなのか・・。
むしろ望ましいのが通所に来て入浴してもらうことである。
自宅まで介助の人に来てもらって移動車に乗って通所に迎える。
ただ、知らない人と一緒になるのがどうも馴染めない。
近所付き合いしている知り合いでもおられたら、と云われて本人確認したが、やはり答えはイヤである。
サービスはお風呂の掃除もあれば部屋の掃除もある。
しかし、クーラーとかの機械の掃除は無いように思える。
まあ、なんでもたいがいのことはしてもらえるようだと思って思わず安心する。
心配なことがあれば、電話一本かけてもらえば、応じられる、応じられないを先に判断せずになんでも相談してくださいと云われてほっとしたのはかーさんだ。
Bさんはさらに話してくださる市営住宅の移転申請である。
移転先は同地区内の市営住宅地に限るが、現状の4階であれば、介助、介護の人も難儀する。
1階に移ることも可能だと教えてくださる。
その手続きは後日になるが、申請先は市営住宅の管轄である大阪阿倍野の住宅管理事務所になる。
申請してすぐさま入居とはならない空き部屋状況。
希望する棟にならない可能性は高い。
移ることは必須要件であるが、住み慣れた部屋から離れたくないというわがままができない容態。
わたしら家族も難儀する4階の上り下りを避けて1階に移っても良いと決断するのはおふくろ。
強制ではなく、本人がそうして欲しい思いになるように相談をもちかけるしかない。
よくある話しのようだが、息子が、家族が勝手にそうしよったんやと後々のトラブルもままあるらしい。
ま、とにかく空き家は半年後、一年後になることも考えられるが、早めに申請しておきたい。
我が家に連れて帰る道中で話すおふくろ。
隣の棟では2階は空いているが、1階はない、というから移転の実現は難しい。
介護のための住まいの改造は限度額が20万円を上限に補償されている。
その補償は1階に移ってもサービスを受けられる。
万が一の場合の緊急通報システム事業も説明してくださった。
寝たきりでなくとも緊急を要する状態になれば呼び鈴を押して救急車に来てもらう呼び出しシステムに二人の協力者を設定しなければならない。
家族でも構わないが、居住地近くに住む親しい人が望ましい。
棟長はその役目ではない。
自治会で決めた棟長は介護関係者でもない。
こういう場合は地区の民生委員になる。
乞う場合はセンターも支援してくださるようだが・・。
また、介護の道具もいろいろ。
補助杖、補助いす、車いすにベッドもさまざま。
昔は、買い取りであったが、現在はレンタルが主。
そのことについてははじめに相談した区役所の介護福祉課職員がそう云っていた。
この日にドロップ注射をしてもらった整形外科医院には車いすがない。
救急の友愛会病院はあったが、この医院にはない。
短い距離であったが難儀した。
車椅子があれば楽々だった、と思ったとBさんに話しをしたら、当施設の車いすをお貸しします、という。
期限は療養される息子さんの家から住之江に戻ってくるときで構わないという。
こんなありがたいことはない。
行くことはないと思うが、買い物に着いていきたいと言いだしたときのおふくろ介助に助かる。
手続きはセンターのノートに記入するだけで持ち帰り。
軽バンの荷物部にぴったし入った。
こうしてようやく我が家に再びやってきたおふくろの療養介助。
目が届くので安心。
今夜はいろんな話をして安心したおふくろは落ち着いていた。
身体の容態も整形外科に出かけたときよりもぐんと楽そうに見える。
本人もそう思える身体状況は、前回同様に壁を手で支える伝い歩きで難なくトイレにも行けた。
翌朝の5時に目が覚めてトイレに行ったときもそういう状態で難なく独りで行けたという。
それが、である・・まさかの展開は
2日後に起こる。
(H29. 9.27 SB932SH撮影)