マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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ふり返る12月の介護まとめ

2020年08月11日 09時41分48秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

2日の日曜日。区役所から届いた通知。

申請許可が下りたと記していた封書が届いたと連絡してきたが、階段降りることのないおふくろは、どうして手にしたのだろうか。

実は、ポスト確認したのは、たまたまこの日に訪問してくれた従弟のゆうこちゃんだった。

その件は、直ちにばらの木のNさんに電話をかけて伝えようとしたが、営業時間切れ。

仕方なく、留守電にこと付けを吹き込んでおいた。

3日、月曜日の朝9時。

ばらの木のNさんから電話がかかった。

前日2日の日曜日に区役所からの申請許可が入った封書が届いた件である。

浴槽の縁に取り付ける固定する手すりである。

設置日については、業者の在庫状況によるということで折り返し電話。

4日も、5日も入庫できないから7日の金曜日・午後1時半に伺うことにした。

椅子の色の再確認はオレンジ色に決ったが、玄関手すりの許可もそろそろ下るようだ、という。

7日は、浴室と玄関用に介護補助用具の設置。

おふくろの居住地に届いていた許可書と給付券。

そして玄関手すりまで届いていた。

5日の電話に届いた封書は1通だとおふくろが伝えていたが、実際は2通だった。



玄関手すりの位置合わせは、おふくろががっちり掴める位置。



本人がこれで良し、という位置に合わせてセッテイングした。

浴槽縁に取り付ける手すりは頑丈な用具。

簡単に外れないよう締結はきっちりする。



説明通りに緩まない、ガタはないように強く締結された。

入浴専用のオレンジ色の椅子に浴槽沈めの踏み台もセッテイングして本日の対応は完了。

ばらの木の介護補助用具取り付けは4品。

住之江区保健福祉センター保健福祉課が許可する福祉用具購入費給付券の浴槽用手すりは26500円。

2枚の段差の補正板は、将来の経年劣化で使用に耐えない場合の交換部品。

介護関係のファイルに収納した。

締結道具の六角レンチは、本体をばらすときに使用するためにこれもまたファイルに収納した。

覚えておかなくちゃならない緊急措置。

上下移動する場合は太めの手回しネジを緩めて、下部にあるロックを外して動かす。

黄色い部分は、手すりそのものを外すときにロックを外すことなどメモっておく。

また、入浴用の折りたたみ椅子は22500円。

浴槽用の踏み台にもなる19000円もする椅子は高さ調節ができる。

足が届かなくなった場合になれば、伸ばして使うことも忘れないようにメモっておく。

住宅改修費給付券の玄関手すりは10500円。

これらすべてが1割負担。

ほんまに助かる介護保険である。

ばらの木さんとの締結は、区役所許可給付券に本日付け、本人記名の捺印をおして手交した。

一割負担の現金は、ばらの木のNさんに支払いし、預かり受け取り書を受領する。

後日、ばらの木さんがが、福祉課に提出して給付金を受け取り、手続き完了後に領収書を郵送される。

そして、今回の導入に借りていた借り物の椅子と踏み台は返却。



なお、本日も支援に実弟は風呂釜ジャバ洗い。

対応してくれた結果は、恐ろしいほどの真っ黒な風呂釜パイプ。

こびりついた錆などの除去作業に専念してくれた。

(H30.12. 7 SB932SH撮影)

30日は、我が家で正月を過ごすおふくろ迎え。

夕方4時について乗ってもらってすぐにUターン。

午後5時半に自宅に戻った。

(H30.12. 7 SB932SH撮影)
(H30.12. 2、3、30 記)

苣原のみしろ(筵)干し

2020年08月10日 09時27分43秒 | 民俗あれこれ(干す編)
旧都祁村の一村になる白石町取材を終えて平たん地に下る。

白石町から西へ西へと走る広域農道。

どんつき三差路信号は「福住」であるが、以前は「上入田(かみにゅうだ)」表記だった。

信号を左折れ。

目的地は桜井市の鹿路

途中に立ち寄りたい食事処を探しながらの山下りは国道25号線。

その道中に、おっと・・・。

これまでさまざまな干し物を見てきたが、えっ、これは、と思わず口にしたくらいの珍しさ。

道路際にあった金網にかけて干していた筵(むしろ)。

平たん地、山間地問わず、旧村の人たちはみな筵を「みしろ」と呼んでいる。

「むしろ」が訛った「みしろ」。

つい、私も、ふっと口に出る始末。

聞きなれた「みしろ」が、徐々に、すこしずつであるが、体内に染みてきたのだろう。

急停車して車を停めた場所は天理市の苣原町。

これまでなにかと村行事を取材させてもらった苣原町に、初めて見る干し物景観。

ままよく使っているなという雰囲気を醸し出す筵が3枚。

比較的に新しいと判断できそうな筵が5枚。



大きな建物に土蔵景観が美しい旧家の佇まいに馴染んでいるかのように思えた筵干し。

もしかとすれば、であるが、この筵の用途は搗いた正月用の餅を並べていたのでは・・・。

年末に正月の餅を搗く日は、私が聞いた範囲では、だいたいが12月28日。

縁起が悪い数字だから、と29日(※ぶく)を避ける家、地区もあれば、逆に「福」を授かるから29日(※ふく)に搗くという家もある。

尤も、商売繁盛を取り込みたいスーパーなどでは29日を肉の日と称して大売り出し。とらえ方でえらい違い。

(H30.12.25 EOS7D撮影)

滝本町のイノコ御供

2020年08月09日 09時20分59秒 | 楽しみにしておこうっと
数週間前、写真家SさんがFBに投稿した映像に思わずいいね!を入れた。

とびきりのいいね!である。

映像は5本の竹筒を笛のような形にして並べた何か、である。

他にも束ねる5本竹はあるが、2本組もある。

花を飾っている棚のように見えたそれはいったい何であろうか。

ぱっと頭に閃いたのは山の神である。

ほぼ同型と思われる2本仕立ての竹筒はお神酒入れ。

酒を注ぐ徳利みたいようなものだからお神酒どっくりの名で呼ぶ地域もあれば「ゴンゴ」と呼ぶ地域もある。

私の知る範囲でいえば、地域はいずれであっても該当する行事は山の神である。

ひとつは奈良市柳生町の山脇。

山の口講が供える竹筒は「ゴンゴ」である。

山行きさんが初山に出かける際に供えていた「ゴンゴ」である。

田原の里の史料によれば柳生よりそれほど遠くない奈良市中之庄町にも「ゴンゴ」が登場するようだ。

山の口講と同じように山行きの際であるが、ゴンゴと呼ぶ竹製のお神酒入れを供えて参ると・・。

事例はもう一つある。桜井市白木・北白木のオトサシの前に出かける山の神参り。

山の道具などとともに供える竹筒作りのお神酒入れである。

当地では「ゴンゴ」でもなく「お神酒どっくり」でもなくお神酒入れである。

見聞きした他にも数件の事例があるが、ここではこの2例だけにしておく。

機会があれば祭事場を案内しましょうと云っていたSさん。

紹介者の許可が出たようでこの日に案内をしてもらう。

その場は集落より近いそうだが、急な坂道。

地元民でなければ彷徨う地。

その地の所有者も存じているSさん。

たまたまの遭遇に許可を得て入山する。

しとしと雨が降るこの日。

傘をさしての山行きに靴が滑りやすい。

あそこがそうだという場。

なるほどと思われる御供場である。

刻印の一部に「神前」と読めた灯籠。

寄進者なのかさっぱり判読できない文字である。

Sさんが聞かれた話しによれば、元々はこの場でなく山の上の方に祭っていたようだ。

理由はわからないが、山の上までの行程が難しくなって里に下ろしたという事例はままある。

吉野町小名の事例は地蔵尊であった。

可能性はあるのかどうか確かめようと山登り。

すぐ傍に大岩が数体もある。



この岩の向こう側かもというが、本日の足場では無理がある。

ところどころに見つかる樹木。

葉を見たとたんに同定したSさん。



これは茶の木。

点々、散々の場に自生していることからかつてはこの山が茶畑だったと推定される。



さて、竹製のお神酒入れである。

5本並べて水平にかました竹止め。

巧い造りに感動する。



なるほどと思った固定の方法。

発想が素晴らしい。

紹介者の話しでは山の神ではなく行事名は「イノコ」だという。

(H30.12.26 EOS7D撮影)

白土町・NK家のドウガイ注連縄

2020年08月08日 09時10分09秒 | 大和郡山市へ
ゾウガイ作りをしていた元庄屋家の男性がいうには、村で2軒がしているという。

かつて村の3割から4割のお家が簾型注連縄を作って架けていた。

いつしか廃れて今ではたったの2軒。

その1軒はよく存じているNKさん。

村の念仏講調査の際にずいぶんとご尽力をしたくださったお方であるが、注連縄の件は聞いたことがない。

まさかと思ってお家を尋ねたら、掲げていた。

声をかけたら屋内から出てこられた。身体は大丈夫か、心配してたで、と云ってくれる優しいご主人は、数年前から推進してきた橘街道プロジェクトの第一人者。

育てる橘から売り物にと発展させていた。

「不老長寿の果実とされる大和橘。絶滅危惧種の果実を地域の誇りに歩んできた再生の道。そのすべてを詰め込んだ『よみがえれ!大和橘―絶滅の危惧から再生へ―』を発刊された。

平成31年1月7日~20日までは奈良市内目抜き通りにある啓林堂書店奈良店で発刊記念イベントも。

なら橘プロジェクト推進協議会のことや大和橘を利用した食品や雑貨も販売する出版記念の催しに出かけなくては・・・と。

大阪で正月飾りを販売していた奥さんが戻ってきた。

積もる話はいっぱいある。



忙しい二人であるが、NKさんが門屋に架けた注連縄の名はつい最近になって知ったそうだ。

行者講の取材にお世話になったK家もまた大庄屋。

注連縄作りは継承しなかったが、名はドウガイと呼んでいた。

Kさんの話しを知って「そうか、30年間も作り続けてきた注連縄。名前はドウガイという名だったんだ」。

その名を知ったのは5年前。

白土の文化を継承していきたいと話していた。

(H30.12.31 SB932SH撮影)
(H30.12.31 EOS7D撮影)

井戸野町・地域文化を継承する大注連縄

2020年08月07日 09時29分20秒 | 大和郡山市へ
1時間ほど前に取材していた白土町のゾウガイ注連縄を作っていた男性が云った台詞。

「地区にもう1軒の知人がしているが、他の地域はこんなことしているのかな」である。

朝一番に拝見した大江町のオシメサン

奥さんが例年していると伝えたら、あそこはそうだな、という。

他にはと、云われたので隣村の井戸野町をあげた。

井戸野でたいへん世話になったOさんがいる。

神社や寺に架けた大注連縄のすべてがOさんによるもの。

村の長老が元気な間に皆で教わって文化を継承しようと声があがっていた。

平成22年のころはOさん以外に数軒がしていたが、心もとないから神社や寺係からしていこうと云っていた。

その後はどうなんだろうか。

記憶が蘇って地区集落を車で練ってみた。

集落内は細い道ばかり。

軽自動車でも家の壁の際際を通らなければならない。

細心の注意をはらってハンドルを切る。

辻を曲がったところのお家になんと門松があった。

立派な門屋にこれまた大注連縄が架かっていた。

門松を調製していた当主のAさん。



急なことだが取材させてもらった。

門松のすべてがご自宅に栽培している植栽物。

松、竹、梅にナンテンとかを添えて作った門松。

竹のペイントは試しにしたという。

大注連縄は、といえば長老のOさんに教えてもらったもの。

撚りをしなければならない注連縄よりもこっちの方が作りやすいという。

教えてもらってからは、以降の毎年に自作している大注連縄を門屋に飾っている。

もう5年目になる大注連縄は地域住民の手によって繋がっていた。

ちなみにOさんは90歳。

今もお元気だと聞いてほっとする。

そのOさんは春日大社と直接の関係がある。

一つは春日大社ご指定の神田で米作り。

大社の神職が来られて田植え祭や抜穂際の神事をされる。

大社の許可を得て抜穂祭を撮らせてもらった。

その映像は平成22年12月から翌年の2月まで。

奈良県立民俗博物館で催された特別企画展「大和郡山の祭りと行事」である。

お願いして別途作ってもらった大注連縄そのものを企画展で展示させてもらった。

大がかりな展示物は展示会場を潜る大門のような姿になった。

また、Oさんは若宮おん祭の大宿所入口に注連縄(※大注連縄ではありません)を献上している。

そのことにどなたも気づいていないのが寂しいが・・。

ちなみに玄関前にあった黒塗りの木造箱。



これもまたAさんの手造り。

新聞受けに牛乳配達ボックスにも。

大きな造りは大きな郵便物にも対応できるように思った受け取り箱。

山間地集落によく見る受け取り箱にもいろいろな形態はあるが、この風合いがとても気に入った。

(H30.12.31 SB932SH撮影)
(H30.12.31 EOS7D撮影)

井戸野町・常福寺の大注連縄

2020年08月06日 10時40分54秒 | 大和郡山市へ
井戸野町の大注連縄は八幡神社だけでなく左隣にある常福寺の山門にもある。

井戸野町同自治会であるが係は寺係の担当である。

奥に建つ本堂にも大注連縄がある。



やや隙間がある造りだが、これもまた簾型注連縄である。

西山浄土宗常福寺で思い出すのは、茅の輪潜りがあったということだ。

存在を見ておきながら写真に収めることはしなかった。

翌年に訪れたときは茅の輪そのものがなかったが、手のひらに乗る大きさの茅の輪配りに替わっていた。

話しを伺いたいと寺の呼び鈴を押したらご婦人が出てこられた。なんでも本堂床下から六斎念仏の鉦が出てきたという。

翌年だったか覚えていないが、そのことを奈良県立民俗博物館学芸課長にお伝えしたら、是非拝見しようと・・。

床下から引きずり出して鉦を検分した。

間違いなく六斎念仏講が遺した鉦であった。

地元住民の行者講のOさんが云うには、60年前(※平成21年当時)に地域活動していた“チャンカラカン”と呼ぶ念仏講が打っていた鉦だと云った。

その後の平成21年3月17日に拝見した春の彼岸法要

また、平成23年2月14の涅槃会。

壇信徒に村の婦人会の人たち。

大きな涅槃図の前に大勢が参集される本堂はぎっしり埋まる涅槃会のときもあがらせてもらった。

正月初めの元日の朝に厳修される修正会。

旧年の悪を正し、新しき年の吉祥を祈願する法要に、また大勢が集まることだろう。

(H30.12.31 SB932SH撮影)
(H30.12.31 EOS7D撮影)

井戸野町春日神社・大注連縄に正月迎えの御供

2020年08月05日 08時48分58秒 | 大和郡山市へ
白坂神社の大注連縄をかけている六人衆は注連縄の別名を知らない。

70歳代の一老でさえ知らないという。

境内から鳥居を抜けて少しばかり延長する砂の道作りは午後になる。

作業は昼食を経てからになるからそれまで待てない。

その間に見ておきたい再調査に向かった先は白土町の北側になる井戸野町。

八幡神社に架ける注連縄もまた簾型である。

平成22年に架けている様相を取材してから8年も経つ。

その後もしているだろうと思って訪れた。

井戸野町に車を停める場所は難しい。

僅かな時間の停車に何年も前に取材させてもらった常福寺出入口に停めさせてもらって八幡神社の大注連縄を拝見する。

昔も今も変わりなく架けていた鳥居の大注連縄。

境内向こうの拝殿前に架けた注連縄もある。



門松はまさに門松。

竹も梅もない門松。

オン松にメン松の一対を設える。



拝殿を潜って行けば本社殿にも大注連縄を架けている。



大晦日の参拝に手を合わす本社殿に早くも鏡餅を供えていた。



時間帯は午前11時半。



供えていたのはおそらく正月の飾り付けをし終えた自治会の神社係であろう。



辺りを見渡せば末社の他、燈籠の間に台を設けて鏡餅を供えていた。



注連縄腰に境内を拝見したそれぞれの小社にもお供えをしていた井戸野町の丁寧さが伺える。

(H30.12.31 SB932SH撮影)
(H30.12.31 EOS7D撮影)

白土町白坂神社・かつてドウガイの名で呼んでいた簾型注連縄掛け

2020年08月04日 09時33分56秒 | 大和郡山市へ
元庄屋家のゾウガイ注連縄を拝見して地区に鎮座する白土町・白坂神社に向かう。

神社に座六人衆が動き回っている。

鎮守の森の樹を伐採。

本社殿に注連縄。



そして鳥居に簾型注連縄を架ける。



六人衆のほとんどは若いが一老を務める人は70歳。

簾型注連縄の名前は、と聞いても別名はご存じない。

80歳以上であればドウガイの名が口に出る。

平成21年に取材したときの地区長老はゲートボール場にいた。

もしかとして尋ねた注連縄はドウガイと呼んでいた。

世代、年代によって別名を知る人と知らない人に分かれる。

ちなみにこの年の道作りは午後になった。



平成21年、22年当時は大晦日迎える直前の日曜日に境内の清掃等を経て鳥居に注連縄を架け、大晦日の早朝に神さんが通ると云われている砂の道を敷いていた。

効率的にできると判断したのか、以降はすべての作業を大晦日に移したようだ。



ただ、大晦日の午後3時には氏子たちが鏡餅とか献酒などと参拝する。

その時間までに作業を済ませないと参拝できないので、午後に回した作業は急がなくてはならないようだ。

(H30.12.31 SB932SH撮影)
(H30.12.31 EOS7D撮影)

大江町・N家のオシメサン

2020年08月03日 10時12分59秒 | 大和郡山市へ
取材先は大和郡山市の白土町。

我が家からは車で30分も走れば到着する。

この日は大晦日。

車の往来は普段の日より少ない。

トラック車はほぼ見ることのない特定日。

しばらくは毎日の生活を満たす流通が特にない日。

到着までの余裕時間を活かす。

すぐ近くの隣村になる大江町に立ち寄った。

この日は隣接する白土町の民家でご主人がゾウガイと呼ぶ注連縄作りを拝見する日。

お家に寄せていただく時間までほんの少しの余裕がある。

信号を二つ。

折れた道を行けば・・あった。

大江町は集落内にある大将軍神社にも架ける簾型の注連縄があるが、1軒の民家だけは毎年欠かさず門屋に架けている。

注連縄を作って架けているのは当主でなく奥さんである。

「昔からそうしている」という簾型の注連縄を、奥さんは「オシメサン」と呼んでいた。

(H30.12.31 EOS7D撮影)

2年ぶりに拝見した路上天日干しの切干ダイコン

2020年08月02日 10時36分10秒 | 民俗あれこれ(干す編)
注文していた裏打ち写真の引き取り立ち寄ったカメラのキタムラ奈良南店。

翌年の1月3日から始まる最後の写真展。

お題目、タイトルなどをF副店長に手渡した。

大晦日の店仕舞い後に設営。

1月3日の年初の開店と同時に公開される今回のテーマは、亥の年に合わせた亥の子行事

特別な思いがある写真展の準備が調った。

年末のご挨拶をしてから出かける買い物。

行先はラ・ムー京終店。

その途中に出合った路上干し。

岩井川沿いにある車道を走るとき。

冬場は、いつも気にかけているその地は、奈良市八条地蔵前のバス停留所からちょっと離れた処。

滅多に見ることがなくなった天日干しの切干ダイコン。

当時、話してくださったご主人。

もう大根栽培はしなくなったのだろう、と思っていた。

えっ、と思わず急停車した。

カメラの用意をせずに出かけた本日のご用。

持ち合わせの携帯電話画像で撮った切干ダイコン。

真っ白な色であれば干し立て。

そうでなく茶っぽい色なら日焼け。

そろそろ出来上がりの様相だった。

たまたま運行していた奈良交通バスを入れて撮っておいた路上天日干しの切干ダイコン。

前回に見たのは平成28年11月11日

あれからもう2年も経っていた。

これまで拝見した色合いは真っ白な肌。

今回はこんがり焼けた日焼け色。

チリチリに焼けた切干ダイコンは食べごろ。

今も奈良の三条通りにあるアンテナショップに卸しているのだろうなぁ。

(H30.12.29 SB932SH撮影)