短編五編からなる戦国時代の人間の生き様が活写されている。
「見えすぎた物見」見えすぎる物見の悲劇は、新しい幕府にとっては眼ざわりこの上ない。したがって城の取り壊しとなる。
「鯨のくる城」鯨漁の親方が夥しい水軍に鯨を追い込んで全滅させるという、奉行の頭では発想し得ない策だった。
「城を噛ませた男」城をはませた男と読む。野心の強い男が、裏切りの戦で完璧な戦いをやり遂げる。いつもは手柄を立てるのに苦労しているのに結果が出せない。裏切りだと負けていいわけだから大胆で的確な作戦が冷静に行える。だが、謀られた戦でもあった。
「椿の咲く寺」椿の花が満開の庭は、いつもと変わらない冬の日の午後。今福丹波守虎高の娘、妙慧尼の自害が哀れ。上質のミステリーに仕上がっている。
「江雪左文字」板部岡江雪斎の宝刀。江雪が父から名刀左文字を受け取るときに言われた言葉は、「刀は鈍いように見せておかねばならぬ。いざという時にだけ、その切れ味を見せればよいのだ」
これは刀ばかりではない。人にも言えることだろう。切れ味の鋭い江雪ではあるが外様の宿命か、家康の使い走りに終わる。現代ではそれほど気にすることもないだろうが、仮の話としてすごく切れる部下を持った上司も複雑な心境に陥るのではないだろうか。
戦国時代の武将も才知に長けた部下に、いつ寝首を掻き切られるかその差配に神経を使ったことだろう。いろんな教訓が含まれている本であるが、私にとってはもはや対岸の火事でしかない。