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読書「まだ見ぬ故郷=高山右近の生涯」長部日出雄

2013-05-13 16:00:03 | 読書

                
 織田信長、羽柴秀吉、徳川家康という戦国時代を代表する個性豊かな武将の臣下で、キリシタンとして天主のしもべに徹した高山右近の生涯が語られる。

 12歳で洗礼を受けた右近の判断基準は、天主への忠誠だった。右近が生涯の中で最初で困難な決断を迫られたのが、荒木村重にあくまでも臣従するかどうかだった。

 荒木村重は、石山本願寺を兵糧攻めしていた信長に和議の交渉を命じられ、その交渉の際相手方の顕如上人に乞われて兵糧を独断で融通した。信長に上申しても認められるはずがないと判断して、和議の交渉を続けるには融通も致し方ないとの判断からだった。

 ところが、それが裏目に出た。人の目は節穴ではないし、監視は常に行われている。村重は謀反を企んでいるという噂を信長が知るところとなった。
 荒木村重の居城攝津有岡城は、重要な拠点だった。もし村重が裏切って石山本願寺につけば、毛利との同盟軍となり強敵になりかねない。信長としては、どうしても村重を手放したくなかった。

 そこで、家臣三人を派遣して説得に努めた。村重も一度は信長に合って説明しようと思ったが、周囲の信長との約束の不確かさを言い募られて諦めた。といのも、信長はみせしめのために皆殺しも平気で行うという恐怖政治遂行者だったからだ。むざむざと殺されに行く必要はない。 という意見が多数を占めた。

 さて、困ったのは右近だった。自分の妹や子供が村重の人質にとられ、裏切った場合は殺されるのは必定だった。信長は、神父や修道士を使って右近を説得にかかった。神父や信者の皆殺しまでちらつかせる信長。結局、右近は肉親の命を諦め神父や信者の命と引き換えに自分の命を投げうつ覚悟を決める。

 右近は、寒空に髻(もとどり)を切って甲冑を捨て紙子(かみこ)一枚の姿で信長に拝謁した。いろいろなやりとりがあって、(このやり取りも読みどころ)結局村重を裏切ることになる。

 この高山右近、女に持てる武将の気がする。第一、細川忠興の妻、ガラシャこと玉が忠興に抱かれていながら右近の姿を思い浮かべるほどだ。

 右近を平たく言えば、仕事が出来るし、人に優しいし、思いやりがあって、しかも信仰という筋が一本通っている。揺るぎのない心を持つ人物なら、女は好きになるだろうし、男は信頼するだろう。が、少し真面目すぎる感じもする。ちょっとくずれた男も魅力があるように思うが。

 それでもこの高潔さは、現代でも滅多にいない男だ。この揺るぎのない心とか気持ちを持つということはかなり難しい。荒木村重が結局は信長に謀反を働くのも心が揺らいだためといえる。
 権力者の持つ生殺与奪をくぐり抜けて生き延びた右近も徳川家康に家族ともどもフィリッピンに流されて生涯を終える。享年64歳だった。