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読書「細川ガラシャ夫人」三浦綾子

2013-05-04 15:27:02 | 読書

                
「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」これが細川ガラシャこと玉の辞世の一首である。
 散りぬべき時とは、石田光成が徳川家康に反旗をひるがえし天下を狙うとき、大名の奥方を人質にとって諸将を味方につけようと目論んだ。細川忠興も狙われた一人だった。

 慶長5年(1600年)ごろの時代は武将にとって、はなはだ難しい世の中のようだった。会津の上杉景勝の例は油断も隙もない謀略の世界を見せる。

 京都から帰ってきた景勝が城や道路や橋それに兵糧や武器を整えたことを、出羽の城主戸沢政盛が「上杉に謀反の心あり」と家康にざん言した。
 家康はこのざん言を取り上げ上杉征討に向かう。これは石田三成をおびき出すための謀略だった。しかし、ざん言と知ってか知らずか、それを利用する家康の狡猾さは恐ろしい。

 案の定、三成は行動を起こした。忠興も悩んだ。玉をどこかへ隠したい。が結局、玉に言う。
「上杉を見てもわかるとおり、自分の領地の城や橋を修復しただけですぐに、ざん言される世の中じゃ。もし、そちを逃がして出陣したとあれば、吾らの徳川殿への並々ならぬ覚悟の程を、石田はたちまち読み取るであろう。何しろ石田は、わしを目の仇にしておりながら、いつでも味方に引き入れようとしておるでのう。
 それでわしの一挙手一投足を見守っているのじゃ。お玉 わかってくれるか。わしは、辛いのじゃ。お玉をこの邸に残していくのは、わしには身を切られるように辛いのじゃ。石田は、徳川殿に追い討ちをかけるとき、必ずそなたに目をつける。人質にとって、わしを牽制するのが目に見えている。 と言って、お玉、そちが石田の手に渡ってもらってはこれまた困るのじゃ」
「はい、決して人質にはなりませぬ。もし、わたくしが人質になりましては、徳川殿も、殿の忠誠を疑いましょう。忠利を徳川殿に、わたくしを石田方に人質では、二心を疑われてもいたしかたござりませぬ。殿、玉は死んでも人質にはなりませぬ」
「お、お玉!」忠興は涙ながらに玉を抱きしめた。ここはこの小説の一番のハイライト。
今生の別れに詠んだのが先の一首だった。

 予想通り石田方はお玉の人質を求めてきた。キリシタンのお玉は、キリストの教えで自害できない。小さい頃から何かにつけて世話を焼いてきた小笠原少斎の長刀によって胸を一閃、玉はキリストのもとへと旅立った。少斎は館に火を放った。

 翌日司祭や侍女によって、玉の骨が拾われた。ここが司馬遼太郎と大きく違うところだ。司馬遼太郎は、骨のかけらもなかったと記している。犬猿の仲の夫婦、玉は死んでも跡は残したくなかったという解釈なのだろう。

 この本では、夫婦仲は円満に描いてある。忠興が側室を持ったときだけ、玉の心が少し離れたようだったが。

 それに、初之助という魚師上がりの武士が、成就しない玉によせる淡い恋情が哀れに思われた。この初之助は、著者の創作ではないだろうか。玉は、子供から大人まで男女を問わず一目見たときはっと息を呑むほどの美人だったから、片思いをする男は雲霞のごとく存在してもおかしくない。その象徴として、初之助を創造したのかも。

 崇高で気品のある玉として描く三浦版だが、ウィキペディアによると、洗礼を受けるまでの玉は、大名の娘らしく気位の高い怒りっぽい性格だったようだ。この本はかなりロマンティクに描いてある。
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