都市と楽しみ

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チェリー・イングラム(阿部菜穂子):英国から里帰りと染井吉野画一化と軍国主義

2016-07-12 04:41:25 | 趣味

 染井吉野は大嫌いだ。薄く白いのと一斉に咲き散るのが画一的だ。本書はその理由を理論的に証明してくれる。

 イングラム氏は英国人で日本の桜を持ち帰った。これが、日本での「染井吉野一辺倒」によりなくなってしまった「太白」などのイギリスでの保存となった。

 桜はもともと多様なことが特徴と指摘がある。染井吉野について桜守の「植藤造園」の佐野藤右衛門は「土地の違いを無視した標準語」と述べる。

 桜信仰は、田の神「サ」と居場所の「クラ」の合体というが、紫宸殿の「左近の桜、右近の橘」など9世紀からの動向で重視された。

 染井吉野前は野生の桜鑑賞だった。駒込の染井村で150年前に生まれた染井吉野は明治政府によろ上野、向島、飛鳥山に植樹されさらに苗木の大量生産体制の整備で東京じゅうに広まり、千鳥ヶ淵、赤坂見附と街路樹の3割に広まった。荒川堤のみが五色桜で多様性があった。また、染井吉野からの交雑による遺伝子汚染などの指摘も欲しかった。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%8E#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90.E6.B1.9A.E6.9F.93 )

 大量の桜(染井吉野)が一斉に花をつけ、一斉に散るのは本居宣長の「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」がイメージとなり、染井吉野の散りざまが軍国イデオロギーとなった。特攻隊の隊名も本居宣長からとられたほどだ。なんとも恐ろしい「桜」イメージの立案と利用だ。また、入学式の歌にも、「桜のトンネル」や「桜並木」として使われる染井吉野のイメージがあり、桜といえば染井吉野という固定化につながっている。確かに、枝垂れ桜や山桜、八重桜は並ぶというより単独で楽しめる内容がある。染井吉野とはまとまり・集団・両側に2列など軍隊的な側面があり、束ものアイドルのようでもある。

 桜と捕虜の章は牽強付会。

 まとまりが良いアンチ染井吉野の立ち位置。染井吉野と言えば修学院離宮の西浜の2本も嫌いだ、京都には枝垂れ桜が良く似合う

コメント
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