副題 「日本人がとてつもなくうまい魚料理にたどりつくまで」だが、江戸前の漁業と魚河岸の歴史で体系的ではなく散文的。知見は:
・江戸前とは狭義が品川から深川の線、広義が多摩川(羽田)から江戸川(行徳)の線
・摂州佃村から家康が漁師を呼んだ、シラウオ漁(御留魚)→佃島、森孫右衛門が「伊賀越え」を助ける縁
・小名木川は塩の運搬運河、日比谷・大手町は袋状の入江で埋立
・日本橋の魚河岸は関西の魚商人が設立、幕府が後ろ盾で上納義務、利権が株に(板舟、平田船、納屋 など)
・芝・金杉浦、品川浦、大井御林浦、羽田浦、佃島が主体
・ペリーは捕鯨船団の水と食料の補給基地確保のため、照明への鯨油のみ利用
・1962年に漁業権放棄
まあまあためになる