ヤミ市研究は都市計画でもトレンドで東京大学が学派を立上げセミナー活動がある。段階でみると1942年の配給制と1945年の敗戦
①駅前の疎開地や戦災の焼跡で駅前に広場(というより空地)ができた、河川を戦災瓦礫で埋立も進行
②自然発生的にヤミ市の発生
③露店組合の形成とヤクザとのつながり→連鎖的店舗であるマーケットの発生
④1949露店撤去方針による駅前広場(区画整理事業など)の進行→換地の発生
があり、ヤミ市、マーケット、換地の3つの形態を背負ったヤミ市跡がある。知見として:
・都市製図社の「火災保険特殊地図」
・浅草:明治初め浅草寺境内が「浅草公園」化、一種の上地で歓楽街を形成、松竹の演芸が人気を呼ぶ。敗戦後は1951年土地分譲しビル開発(東宝の映画館・スポーツランド、東急新世界ビル)→分譲しても借地のはず、瓢箪池の周りにヤミ市
・神田:戦災瓦礫で龍閑川を埋立、線上のヤミ市があったがガード下や龍閑川跡に換地
・新橋:広大な駅両側の疎開地(防火帯)で最大のマーケットが発生、汐留口は新橋駅前ビル1,2号館、烏森口はニュー新橋ビルが駅前広場整備とともに市街地改造法に基づき整備→再開発法ではない、換地は地下が主体で、梅田の1から4ビルに似た構成
有楽町:都交通局のヤミ市をすし屋横丁に換地、東京交通会館の開業とともにすし屋横丁の撤去が難航、朝日商店街のクリアランスも難航しやっとイトシアに。進駐軍、PX、RAAや丸の内や銀座に近い繁華街のため裏目に。いまでもガード下、近辺に残る
歌舞伎町:和田組マーケットの換地が歌舞伎町付近や錦糸町
渋谷:台湾省民のエリアは恋文横丁あたり、焼き餃子の眠眠が発祥
高田馬場:換地は早稲田通北のJRと西武線の間、西武新宿駅延伸は1951年から52年の突貫工事で歌舞伎町狙い
錦糸町:ライバル松竹が幅を利かす浅草への客を錦糸町で東宝がせき止めを狙い、楽天地を開発、吉本の江東花月劇場も
門前仲町:辰巳新道は換地だが医院の跡を買収
森下:五間堀を埋立て換地、斜めの道路として残る
蒲田:東京計器(ニコンの親会社)、三菱航空機が立地し軍需工場地帯で下請けも集積
大井町:ガード下に換地→ニコンの立地、大地主のかんべ土地などの記述がないのは残念
大森:山王小路の「地獄谷」の呼称→大阪の野田阪神にもある、神戸駅にも
横浜:桜木町ゴールデンセンター→伊藤喜三郎事務所の設計、新橋にも関与、なにかあるのか
楽しめるが、地図との連携・図示が不足、都市計画事業の理解不足、換地のシステムの詳細が不明など粗削りだ。学問というより風俗史の観点が強い。
ある程度、東京を知っていないと楽しめない