お気に入りの中書島。10時からPresta 26Cで、河原町、鴨川、新高瀬川を伏見へ。陽射しが強い。ヘルメットとグローヴで風を楽しむ。タイヤの柔らかさが心地よい。
中書島の新地をぶらぶら、新地湯( https://1010.kyoto/spot/shinchiyu/ )をしげしげ。花柳は現在居酒屋の ふじわら になっている。飛田新地の百番みたいだ( https://gipsypapa.exblog.jp/20872566/ )。しかし、三業地として、見番、置屋などは跡地がわからない。
東海道57次( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%AC%A1#%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%AC%A1 )にある伏見の色街の歴史がしのばれる。酒の産地と高瀬川および淀川水系の河川海運の拠点であり、色街としての歴史は長い。近代は師団の近接性も指摘されている。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9B%B8%E5%B3%B6 )
新地の東西の道路はなぜか、砂利道。懐かしい、昭和の真ん中位の時代に細い道路はアスファルト舗装ではなかった。なぜかよくわからない。京都市のサイトでは「旧市街地美観」( http://www5.city.kyoto.jp/tokeimap/detmap/keka/kyo111-2-10.htm )とある。伏見桃山御陵への軸線が関係しているのかもしれない。または私有地(寺社所有など)のためか。都市計画上の特段の要点はなかった。
うろうろして、蓬莱橋の公園から河に下ると、そこは水が輝く。ひたひたの水位で和む。どこか似ているなと想い出したのがサン・アントニオのパセル・デル・リオという運河の賑わい。緑はきれいだがお店はないのが残念。コロナでの中止と自転車でなければ十石船( https://kyoto-fushimi.or.jp/ship/ )に乗って思い切り飲んだくれてみたい。緑と水が光輝いていた光景は忘れがたい。
帰りにみた、小ぎれいなお店の おこぶ 北淸( https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/awamoriko/17-00119 )は飲みもできるようだ。大坂からの中継地として京都好みのすっきり味利尻昆布の取扱が伸長したのかもしれない。または昆布が日常使える程に、消費地として宿泊や色街、酒造などで富んだ都市であったのだろう。なお、店頭には羅臼もおいてあった。
新高瀬川を上がり、京都南インターのホテル街(今でも盛業)を抜け、城南宮へ。あいにくお庭の拝観停止。
ここから鴨川の河川敷を塩小路まで走る。路面の継ぎ目があり、28C以上が良いと思う。信号のストレスがなく、鴨川の水と東山の緑(下の方はスダジイで黄色)や鷺を楽しみながらゆったり。南風と登りでちょうど平地のギヤ。
ゆったり帰洛。シャワーが心地よいが、結構ぐったり。荊妻はテレ・ワークで忙しそう