10月のはじめ、荊妻が和歌山にて2日間講義があり、同行し和歌山駅のグランヴィアに宿泊。和歌山も紀の川が放水路になった。( https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0604_kinokawa/0604_kinokawa_01.html )
その前は蛇行砂州と山(城)が和歌山市となる。( https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=34.240766&lng=135.167633&zoom=14&dataset=wakayama&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2 )
まずは、6時過ぎに烏丸から梅田、天王寺を経て、JR快速にて9時半にはホテル到着。荷物を預け、粉河にJRで30分程、10時半に着く。
葛城修験道(https://katsuragisyugen-nihonisan.com/model/ )の一部に粉河寺と根来寺はある。
鉄砲伝来( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%A0%B2%E4%BC%9D%E6%9D%A5 )と鉄砲生産拠点( https://www.meihaku.jp/arquebus-basic/famous-gun-blacksmith/ )に関し、根来鉄砲隊があった。
さらに、真言宗の根来寺( https://www.negoroji.org/negoroji-rekishi.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9D%A5%E5%AF%BA )は高野山との複雑な歴史があり焼討にもあう。加えて、信長、秀吉による紀州攻め( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%B7%9E%E5%BE%81%E4%BC%90 )があり、ほとんどが灰燼に帰した。
粉河寺( https://www.kokawadera.org/ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%89%E6%B2%B3%E5%AF%BA )と根来寺も街道によりつながっていた。
修験道・高野山・鉄砲隊と宗教・武力・政治が三つ巴になったエリアだ。
粉河寺と庭園
駅前には何にもない。参道沿いにお店があるが寂れている。坂道を15分程上がると桃谷政次郎記念館( https://www.e-cosmetics.co.jp/ )や歴史のありそうな六角名栗の格子のある民家や楠木の大木のある大社がある。
粉河寺は長屋川に沿いお堂などあり中津川との合流近くのデルタに位置する。本堂は山手だ。
立派な大門には阿吽像がおわします。長屋川に沿い、お堂などあり、4角に刈込まれたウバメガシがある。御影石の歩道だ。
その奥に四天王を配置するという凝った中門があり、このなかは青石が敷き詰められ、巨大な石もある。
その先の断崖を利用し、本堂に登る階段の左右に庭園がある。これも主に青石であり、縦使いや、橋のような使い方が奔放かつ自由だ。左側には苔など保護のためか日除けがかかっていた。
圧倒的な迫力だ。庭に見入り、石の組み方、蘇鉄や低木との取合い、下から、横から、上からの観察をする。楽しい。ここまで巨大かつ力強い石組みの庭は初めてだ。
本堂の左甚五郎作・野あらしの虎などは見る時間がなかった。周りの主要施設をざっと見るにとどめた。
粉河駅まで歩き、紀州藩の鷹狩りに関わっていた旧南家丘家住宅など前を通る。逃せない12:01粉河→12:13岩出のJRに乗る。なぜか中学生が集団で乗る。テストなのだろうか。
岩出の駅前もなにもない。Google Mapで見つけた がんたれ にてネオ・和歌山ラーメンで一休み。水をがぶ飲み。
4.2㎞歩く、曼殊沙華、水路、ひなびた風景を55分程。旧道を歩き、根来地区公民館・農業構造改善総合センターなどを経て、大谷川沿いを根来寺に向かう。根来川とのデルタ地帯でもある。
根来寺
13:45に到着する。立派な山門だ。拝観料は600円。真言宗であり、高野山の学僧であった覚鑁(かくばん)上人により開創された新義真言宗の総本山だ。広大な寺と根来鉄砲隊は紀州攻めにより雑賀衆( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E8%B3%80%E8%A1%86 )は解体された。その後、秀吉に対抗してか徳川幕府の庇護により復興した。しかし、東京の浅草寺・寛永寺・増上寺の如く、公園化や上地を免れたのは紀州だったからか。神仏分離令の廃仏毀釈などの影響もないようだ。(粉河寺も)
奥ノ院は上人のご廟所だが、佇まいが高野山に似ている。凛とした空気がある。
大塔は亀腹のある2層のパゴダ様の形式だ。12本の柱で円形を形作る。その中には立体曼荼羅があり胎蔵界を示す。天井は金剛界を示しているとのことだ。(見えない)
太子堂は弘法大師がおわす、折上げ格天井となっており格式が高く、絵が描きこまれている。最も古い建物(1319年)
名勝庭園もあるが、江戸時代の山際鑑賞の庭園だ。青石が多い、薄い橋など面白い。お移築の名草御殿から楽しむ仕掛けだ。歩いて楽しむ庭園ではない。書院からの眺望用だろうか。ここにも蘇鉄がある。江戸時代大名のお約束だ。
根来型手水鉢というのが珍しい(円形、上に水を張ると下の受け口に浸透して溜まる)
近接し岩出市の資料館も根来の歴史が分かり面白かった。山岳仏教となった比叡山と高野山の密教と、念仏の台頭、新しい真言宗が紀州の山際の川のデルタ地帯に降りたのも時代の流れだろう。そこに鉄砲の技術が伝来した。また、根来塗も隆盛を誇った。宗教史、産業史からも興味深い。
帰りは、資料館前から15:38のコミュニティ・バスに乗る、150円。駅前のよろず屋にてPayPayでお茶を買って一気飲み。16:15岩出から20分程で和歌山に戻る
久々に歩いた、27,500歩