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あんかけ焼きそばの謎(塩崎省吾):あんかけ焼きそばとチャプスイの関連

2024-11-09 02:29:15 | マクロ経済

 幅広い実食と文献研究により面白いが、文章のまとまりがいまひとつだ、再整理すると:

 炒麺(ヤキソバ)の①混ぜ炒め、②あんかけ柔らかな焼いた麺、③あんかけ揚げ麺

①については

上海:神田神保町1896年清国からの留学生始まる、維新號1899年に開店し上海に近い寧波出身者が多いためのネーミングを筆者は指摘する

なお四海楼のちゃんぽんの炒め型である皿うどんは大正4,5年1915、16年開始となっている

②については

 アメリカでのチャプスイ(Chop Suey)は1865年の大陸横断鉄道建設に伴い、苦力としての中国移民が増加、広東の「四邑(しゆう)」からが多く、そのなかの台山の炒雑碎(ちゃーちゃぷすい https://en.wikipedia.org/wiki/Chop_suey  )として麵やご飯にかけて食べられたものが、1880年にはアメリカ人にも広まったとある

 この広東式炒麺は餡かけで焼きと揚げの麺があったようだ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%92%E9%BA%BA )

 さらに広東料理の焼きそばがチャウメン(1925年 固い棒状の麺)に発展した。

 南京町の起こりは1862年から居住、聘珍楼など老舗4店は明治17年1984年広東料理が多い、横浜居留地の撤廃1899年により居留地外での営業可能となり中華の店が各地に増加したとある( https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.439819&lng=139.642078&zoom=15&dataset=tokyo50&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2 )

 餡かけのやきそばは閉店した横浜の聘珍楼などにあったようだ、餡かけの汁そばや麺を焼いた伊府麺との関連もあろう

 アメリカのチャプスイが広まり、82年アメリカの中国人排斥法によりアメリカから横浜中華街広東料理にチャプスイが伝来したというのが筆者の考察である

 しかし、もともと広東料理に炒麺(あんかけ焼きそば(固いと柔らかい))があったとすればもともと伝来していたと思われる、これは麵でなくご飯の中華丼とならないだろうか

 もともと餡かけは蕎麦・うどんでも19世紀に入ってかけの種物としてあったはずで我が国に馴染がある

③については

 揚げ麺(1935年?)と四海楼の改良ちゃんぽん(明治35年1902年)の関連などが指摘されている

 明治38年(1905年)の大勝軒本店、明治43年(1910年)の浅草来々軒、大正7年(1918年)横浜の奇珍楼でも固いか細くてバリバリであったとある

 このことから広東の炒麺にも柔らかいのと固いのが初めからあったのだろうとの証明になろう

当方の見解だが:

 初期の中華料理が西洋料理の看板を日米とも掲げていたのは、アメリカでは地元の料理(アメリカは当時豚料理だったといわれる、ポーク・ビーンズ https://en.wikipedia.org/wiki/Pork_and_beans )の研究も欲しい、更にイギリスのへの伝播にも(朝食になぜかつくのはどちらが発祥か分からない https://en.wikipedia.org/wiki/Full_breakfast )もある

 イギリス・アメリカ・中華が相互に取り入れたため、日本は目新しい西洋料理と中華料理は「似たようなもの」の位置付けであったのではないか、特に初期の中華料理にもソースをかけるというのはその表れだ。(ウスター・ソース https://en.wikipedia.org/wiki/Worcestershire_sauce )の我が国醸造の醤油との類似もある 

中華料理といわゆる洋食の繋がりは以下の事例がある

西華料理としては銀座 チャイナチャイム 北越軒(ベスト オブ ラーメン 文春文庫)、「昔の洋食屋いは中華そばを置いているところが多かった」(洋食屋さん 近藤:Meets 京阪神の洋食 2010年)がある

西支料理としては銀座 萬福、泰明軒( https://taimeiken.co.jp/yomoyama/index.html )に詳しい

・チャプスイについても上野精養軒でのチャプスイ( B級グルメこれが美味しい!  文春文庫)が洋食屋にある、昔はデパートの食堂でもよく見かけた、これも西華料理・西支料理の名残だろう

・町中華にカレー(元町民生など)、オムライスが多いのもこのためだろう、変わり種ではカレーヤキソバ、カレー中華丼の北浜 福仙楼がある

まとめとして:

 餡かけそばの餡自体はチャプスイと広東料理というルーツが同じだ、洋食屋のチャプスイは絶滅危惧種だが

 餡かけの展開としてサンマ―麺(チャプスイらかもやしへの特化)や餡ものの塩味・醤油味の違いも考察できたらと思う、それかの味噌味、辛味への転換もあると思われる


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